041 J.S.バッハ/ロ短調ミサ曲/リヒター

アルバムの写真休憩で熱のあるものを聴いてしまいました。 その直後にあまり軽いものは似合わないような気がします。 決心をしてJ.S.バッハの宗教音楽の大作を取り上げます。

マタイ受難曲、ヨハネ受難曲ももちろん非常に有名な大作ですが、僕が一つだけ取るならこのロ短調のミサ曲です。 受難曲のほうは、福音史家による進行でキリストほかの人々が登場する、簡単にいえばキリストの受難の物語りですがその性格上、言葉が重要な意味を持ちます。 音の流れだけではこれらの音楽の本質を知ることは少々むずかしいでしょう。 少なくとも僕には少しむずかしい。

一方このロ短調のミサ曲はその名のとおりに、教会のミサの為の音楽です。 こちらは基本的に定型の内容ですから、だいたいの意味を知っているだけでも充分に楽しめると思います。 もっとも『楽しむ』という言葉はここでは似つかわしくない。 強靱で圧倒的そして深淵の音楽がここにはあります。  キリエの冒頭を聴いただけで、ここにあるすべてを感じることができるでしょう。

このレコードについて

カール・リヒターのもの(録音1961年)が僕の愛聴盤です。 愛聴盤とはいっても、音楽の内容からしてもそうそう簡単に聴ける類いのものではないので、滅多には聴きません。 精神的にも肉体的にも時間的にも余裕のある時だけしか、僕には聴けない。 レコードを聴いて感動するというのは珍しいことだろうと思っていますが、これはその数少ないものの一つです。

レーベル:ARCHIV

リヒターは2度来日しています。 初来日は1969年で、その時は宗教曲の大作が取り上げられ、大変な名演だったようです。 当時、僕はまだ音楽の『お』の字も知りませんでしたから、もちろんその時の演奏は知りません。 その後バッハの魅力に取り付かれ、リヒターの魅力をレコードで知り、そのオルガンと宗教曲とはずいぶんと聴きました。 そしてついに彼は2度目の来日をする。

1979年、このとき彼はオルガンとチェンバロを弾いた。 当時学生だった僕は両方行くだけの経済的な余裕がなくて、オルガンのほうに出かけました。 場所は都内の有名な教会でした。 ここのオルガンは軽めのロマンチックな音を持っていて、空間の響きも少し埃っぽい感じ。 僕はあまり好ましいものと思っていなかったので、場所については少々不満がありましたが、当時の環境ではどこでもさほど違いはなかったかもしれません。 このころはリヒターの音楽の作り方も初期のころとはずいぶんと変わってきていて、あの厳しさは影を薄め、より柔らかで少しロマンチックなものになっていたように思います。 もっともこれは宗教曲などでの話で、オルガンは良くは知らないのですが。

当日僕は、ある期待と不安とを持って出かけました。 日常的にレコードでその大好きな音楽に接しているこういう人の場合、しかし来日はほとんどせず、生はもちろん、実演の録音さえあまり耳にすることのない人の場合には、そこにものすごい期待が生じるのは当たり前だけれど、同時に、今まで聴き続けてきたレコードのイメージがたった一回でぶっとんでしまう、そんな不安があるのです。 そしてあの厳しさかロマンチックな柔らかさかなのか。

最初の音が発せられた。 コラール変奏曲BWV768だった。 音はやはりここのオルガンのあの音だった。 しかし音のことはどうでもいい。 トリオ・ソナタ、トッカータとフーガと進むにつれ、僕は感じていた。 ここにある音楽は僕が知っている彼の演奏のどれとも違う、それどころか僕が今まで聴いてきたあらゆる音楽と、違う。 休憩中、ぼくはどうしていいかわからなかった。

後半はパストラーレから始まった。 僕の好きな曲だ。 透明で柔らかで幻想的な神秘がある。 ここで僕はある確信に達した。 リヒターはもう、演奏をしていない。 彼は僕達に彼の演奏を聴かせようとなんか全然していない。 ただ、自分のなかにある一つの精神というかなにかそんなものを造ってしまった。 そこには誰も入り込めない。 最後のドリア調のトッカータとフーガが鳴り響いた時、その音の大きさや音圧とは反対に、それは遠くはるか彼方で響いた。

この演奏会の衝撃は決して忘れられない。 僕にはこれがいい演奏だったのかどうかと聴かれても答えられない。 ただ僕に音楽のありようを考えさすことになっただけだ。

僕はチェンバロの切符を買わなかった自分を呪い、翌日から散々探したのだけれど当然のごとく、それを手にすることはできなかった。

そのリヒターが今度はミュンヘン・バッハの一団を引き連れて来日する。 1981年のことでした。 僕は今度は同じ過ちをしまいと、このミサ曲を含む2夜の切符を手に入れた。 しかし結局彼は来日することなく、死んでしまった。 僕はもう彼の音楽を確認することができない。

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uploaded:2004