暑い! 飲んだ水分は体からすぐに蒸発し、皮膚には塩が湧き、カラカラにひからびたそこには割れ目が見えるようだ。
旅は3週間目に入り佳境に。いよいよアンダルシア最大の街セビーリャです。ヘレスから列車でやってきた私たちは、街に入るまでに暑さでへろへろ。熱射病なのかサイダーがダウンしてしまったので、安宿を当たる余裕がなくかなり高価な宿に倒れ込みました。
翌日はなんとかサイダーが元気を取り戻したので、観光スタートです。
セビーリャといえば、カテドラルにヒラルダの塔!
町中どこからでも見えるヒラルダの塔は高さ約100m。
この塔は12世紀末にイスラム教徒によってモスクのミナレットとして造られたもので、 当時は鐘がある70mまででしたが、カトリック時代の16世紀にプラテレスコ様式の鐘楼がその上に付け加えられたそうです。
てっぺんに載るヒラルダ(風見)は高さ4mもあるブロンズ像で、これがちゃんと風で動くというから驚き。
ヒラルダの塔を抱え込んで立っているカテドラルはゴシック様式ですが、ここにもイスラムの匂いがプンプン。
それもそのはず、セビーリャは8世紀初頭にイスラムにより支配されて以降、レコンキスタにより13世紀半ばにカトリック勢力により再征服されるまで、この地にイスラム文化を繁栄させていたのです。
新大陸との貿易により巨万の富を築き、セビーリャの歴史上の黄金期となる15世紀に、元あったイスラム寺院を改増築してつくられたのがこのカテドラルだそうです。
これはスペイン最大のカテドラルで、とにかく巨大!
そのカテドラルの中庭がオレンジのパティオ。オレンジのパティオというのはこのカテドラル以外にもありますが、ここはとても広く、整然と碁盤の目のようにオレンジの木が茂っています。
カテドラルの内部も外観同様巨大。一般的な教会より平面的に広がっているのが特徴ですが、これもイスラム寺院モスクの名残りらしい。
ヒラルダの塔はめずらしいことに階段ではなくスロープで上るようになっています。
これは王様が馬に乗って上れるようにしたからだとか。そのスロープで薄暗い塔の中をゆっくり登って行くと、着いた先には大きな鐘が。この鐘、28個もあるそうで、もちろん現役。今でもセビーリャの街にその音を響かせています。
ここからはセビーリャの街が一望にできます。
さすがにアンダルシアを代表する都市だけあり、建物は歴史的なものが多く、階数も高い。
街の遠望も素晴らしいですが、なんといっても大迫力なのがカテドラルの屋根。
ゴシック様式の尖塔にボールトとドームの屋根、そしてフライング・バットレス。
これはただただ、凄い! としかいいようがありません。
街の反対側を見れば様相ががらりと変わり、アルカサールとそのうしろに広大な緑が見えます。
あの緑はスペイン広場あたりです。
カテドラルの横には大司教宮殿があります。
宮殿そのものはかなり古くからあるようですが、この建物は18世紀初頭にバロック様式で拡張されたもの。
次は、グアダルキビール川のほとりに立つ黄金色じゃない『黄金の塔』を巡り、救済病院(La Hermandad de la Santa Caridad)のチャペルでムリリョを鑑賞。
救済病院は17世紀のバロック様式。
これは新しいのか古いのかちょっと見ただけではわからないような、救済病院のカラフルなパティオ。
セビーリャでアラブ色がもっとも色濃く現れているのはアルカサール。
この宮殿は14世紀にイスラム時代の宮殿の跡地にムデハール様式で建てられたもので、グラナダのアルハンブラ宮殿によく似ています。
赤い壁のアーチの門の上には、おそらく王家の紋章と思われる、片手に十字架を持ち王冠を冠ったライオンのタイルが。
ここをくぐって進むと、植え込みのある『モンテーリャのパティオ』、さらに進むと、
お〜、とため息が出るほど美しい『乙女のパティオ』に出ます。
様式的には1階は14世紀のムデハール様式、2階は16世紀のルネッサンス様式。
平面的な大きさの割に高さのある1階は、柱廊のアーチの上にはこれ以上はない、と思えるほど繊細なレース状の装飾が施され、尖塔アーチの装飾も見事。
奥の壁の腰には鮮やかな色のタイルが組紐のような装飾でさまざまな幾何学模様を構成しています。
回廊の天井にも同じような模様が施されています。
美しい柱頭とアーチと細かい彫刻が施された壁。
金色に輝いて見えるムカルナス・アーチ。
乙女のパティオを取り囲んでいるのはペドロ1世宮殿です。
腰は幾何学模様のタイル。
ペドロ1世宮殿の回廊を取り巻く部屋のひとつ『大使の間』。
高い四角い天井はいったん折り上げられ、その中に色鮮やかな金色のドームの天井。
ここも外部の腰壁のタイルなどと同じようにアラベスクが、天井から壁面まで途切れることなく施されています。
独特のイスラム風アーチの仕切り壁と、美しい文様の柱。
壁にはキリスト教巡礼者のシンボル、帆立貝がアラベスクの中に埋込まれています。
このパティオの名称の由来はこのどこかに人形がいるからだそうです。
よくよく探せば、入ってすぐのアーチの下のアラベスクの文様のなかに子供の顔のようなものが紛れ込んでいました。イスラムは偶像崇拝禁止ですが、作ったのがキリスト教徒だからいいのでしょうか?
三階建ての建物に囲まれたこの空間も美しく、上部にはガラスの屋根が架けられています。
アルカサールは広大な庭を持っています。
『マーキュリーの池』は、池そのものはさして面白みはないのですが、アルカサールのあらゆるところの水の源になっているそうです。ここから庭園に延びていく列柱はなかなか見応えがあります。
アルカサールの北東にはかつてユダヤ人街であったサンタ・クルス街が広がっています。
入り組んだ細い道が迷路のようになっていて、ぶらぶらするにはうってつけのところです。
壁には古いランタンが掛けられ、鉄の黒い格子のバルコニーにはきれいな花が飾られています。
入口の鉄柵から中を覗けば、たいていきれいなパティオがあります。
街角というか広場というか、小さな道のちょっとした広がりにはいつのころのものか、とにかく古いに違いない石の柱が立っていました。
その上には鋳物の十字架。
はげ落ちた壁の模様もなんだかサマになっています。
夜、アルカサールで『フラメンコ』をやるらしいので、出かけてみました。
しかしそれはフラメンコとはまったく関係がない、なんだか良くわからない現代演劇のようなもので、モロッコのフォークロアや中央アフリカの太鼓の音楽などが演奏されるフュージョンと言ってもよいようなものでした。中身はさっぱりでしたが、アルカサールの会場は本当に素晴らしいところでした。
帰りにカテドラルの横を通ると、あのヒラルダの塔がライトアップされて金色に輝いていました。このカテドラルは夜もきれいです。
セビーリャはいい街です。しかしここの印象は、とにかく暑い〜 ということですねぇー