カルモナからバスに揺られて2時間。やってきたのはメスキータのあるコルドバです。
アルハンブラ宮殿のグラナダ、大聖堂のセビーリャとともに、ここコルドバはアンダルシアを代表する街で、あちらこちらからメスキータのミナレットが見えます。
メスキータの観光はあとにして、まずその北に広がるユダヤ人街をぶらつきます。細く入り組んだ路地は車が入ってこられないほどで、白い壁の民家にはきれいな花が飾られています。そんな中でも『花の小径』はメスキータのミナレットが望める撮影ポイントとして有名。このあたりはただぶらぶらしているだけで、なんだか楽しい。
このユダヤ人街の東には、セルバンテスのドン・キホーテに登場する『はたご屋ポトロ』があるポトロ広場やトーレス美術館などがあり、そして西の端には闘牛博物館とシナゴガがあります。
シナゴガとはユダヤ教の教会のことで、スペインではこことトレドにあるだけだとか。14世紀のもので、繊細な漆喰細工が施された壁は見事です。
次はいよいよコルドバ最大の観光名所、メスキータです。
真っ白なユダヤ人街の民家の間をすり抜けた向こうに、茶色っぽい壁が見えたと思ったら、それがメスキータでした。空は真っ青。強烈な太陽の日射しが隣の建物の陰と影を真っ黒にしています。ジリジリとした日射しを受けた凹凸のある壁がメスキータの外壁です。
その一角にあるパラシオ門。
この門にはいかにもアラブ的な装飾が施されています。外壁の周囲をぐるっと廻って、ミナレットの足下にある『免罪の門』をくぐると、そこはメスキータの中庭です。
『オレンジのパティオ』というのはスペイン中あちこちにあって、その中でも特に有名なのはセビーリャの大聖堂のものだと思いますが、このメスキータの中庭もオレンジのパティオと呼ばれています。
植えられているのはもちろんオレンジ、そしてシュロ。オレンジの木の下には池があり、かつてはそこで沐浴をしたといいます。パティオを取り巻く壁の内側は回廊になっていて、その一部からミナレットがすくっと立ち上がっています。『免罪の門』の向かいにはメスキータの入口『シュロの門』があり、この軸線が初期のメスキータの中心軸だったのですが、のちの増築により現在は東側が大きくなっています。
オレンジの木の木陰でしばしミナレットを眺めながら休憩したあと、『シュロの門』からメスキータに入ると、そこは真っ暗。
外の日射しが強く、内部とのコントラストが強いせいもあるのですが、この内部にはほとんど明かりがありません。しばし入口近くに佇んで目が慣れるのを待ちます。
モスクの内部というのは基本的に明るいものなのですが、どうしたわけかここには明かり採りの開口がほとんどないのです。
これはのちにここを征服したカトリックによる改修の結果なのだそうです。
ひんやりした空気が汗を引かせる頃、ようやく薄ぼんやりと白と赤の縞模様のアーチが見えてきました。
それらのアーチの下には黒っぽい大理石の円柱が、ほとんど森の木のようにずらっと立ち並んでいます。
その数はなんと850本とのことで、黒いものばかりではなく茶色やその他の色のものも。柱頭はコリント式を始め数種類が雑多に混じっています。
アーチの白いところは石、赤いところはレンガだそうで、よく観察すれば確かに赤い部分にはレンガの目地があります。しかし一部は補修されたのか、漆喰のようなもので固めたあとに赤い色を塗ったようなところもたくさんありました。
高い天井を支えているアーチは上下二段になっていて、これはちょっと珍しい。
下のアーチはアーチ下部が内側まで回り込んでいるいわゆる馬蹄形アーチで、多くのイスラムの建築物でこのタイプのアーチが使われています。馬蹄形アーチの建造物としては、ここから北西6㎞のところにあるメディナ・アサーラが有名です。
このメスキータ、見れば見るほどに不思議な建物です。
イスラム教のモスクとキリスト教の教会がごっちゃになっていることがもちろんその最大の理由なのですが、とにかく得体の知れないものに触れているような気がしてなりません。
ここでこの建物の歴史をちょっと紐解いておきます。
6〜8世紀ごろ、ここには西ゴート王国のカトリック教会があった。
8世紀初頭、西ゴート王国を滅亡させたイスラムのウマイヤ朝はこの教会の半分をモスクとして使用するようになる。
8世紀末に新たにモスクの建設を開始。
9世紀から10世紀末にかけて3度の拡張工事が行われ、巨大モスクが完成。
13世紀、レコンキスタによりカトリックによって奪還され、カトリック教会に転用される。
16世紀、カルロス5世時代にモスク中央部にカテドラルを建設。
一番古い部分は『シュロの門』を入ったあたりで、奥に行くに従い年代が新しくなります。
もっとも新しいのは建物のほぼ半分に相当する東側の部分で、その後中央にカテドラルが作られました。
モスクでもっとも重要な場所であるミーラブは『シュロの門』の正面奥にあります。ミーラブとはメッカの方向を示す壁の窪みのことで、モスクには必ずあるものです。
その前はカリフ(王・教主)や高僧たちが祈る『マスクラ』という空間で、ここのアーチは複雑な花模様のような極めて凝ったデザインになっています。
マスクラはこのアーチで三つに別れています。
これは両脇のマスクラの壁面。
その天井はリブ付きのドームで、比較的あっさりしています。
中央の壁面には連続したイスラム風のアーチと、その下にアラビア文字が見えます。
この下に見えるアーチのところの窪みがミーラブ。
マスクラ中央のドーム天井はビザンチンモザイクで飾られ、見事。
賢王の名で知られるアルフォンソ10世により始められたとされ、14世紀に完成した王室礼拝堂はムデハール様式で、イスラム風の化粧漆喰で覆われています。この天井はモカラベの飾りのある十字形のアーチがあるドーム天井で、これも見事です。
キリスト教になってからもこの建物は、このようにイスラム的な造りがされていた時代があるわけです。
ところがこういったアラブの空気の中に、突如こんなものが現れます。
これはメスキータの中央部に造られたカテドラルで、完成まで250年の歳月を要しています。当然ながらいくつかの様式が入り交じっており、ゴシック様式とルネサンス様式の折衷です。
驚くというより『?』と言ったほうがいいでしょうか。頭がぐちゃぐちゃになりそう!
こんがらかった頭は塔に上ってすっきりさせよう、というわけで、外に出てミナレットに上りました。モスク部分の連続した屋根から突然飛び出すのが少々無愛想なカテドラル部分です。
このカテドラルを造ったとされるカルロス5世は、一方で、『どこにでも有るような物を造るために、どこにも無い物を壊した』と嘆いたとも伝えられています。カルロス5世はあちこちで巨大建築を造っていますが、そのいずれもが過去の遺産をぶち壊し、悪しき物にしたという評価が多いようです。しかしこの言葉が真実であるとすれば、物事は王の意図とは違ったところで動いていたのかもしれません。
これは最初に入ったオレンジのパティオ。
メスキータの近くには立派な建物が多いのですが、
ユダヤ人街の方は例によってごちゃっとしています。
メスキータの南東にはグアダルキビール川が流れています。
その先はほとんど荒野なのがわかるでしょうか。アンダルシアの街はみんなコンパクトで、その外側はどこでもこんな調子なのです。
グアダルキビール川に架かるのは紀元前1世紀に造られたというローマ橋で、なんと20世紀半ばまでこのあたりの橋はこれ一本だけだったそうです。
その向かいにはこのローマ橋を守るために14世紀に造られたラ・カラオーラという要塞が見えます。
橋からメスキータ方面を見るとこんなふう。
ローマ橋のメスキータ側にはこんなものが建っていました。
13世紀、コルドバをフェルナンド3世が再征服した時の記念碑。凱旋門のようなものなのでしょう。
ローマ橋の門からグアダルキビール川に沿って南西に進むと、川のほとりにアルカサールがあります。
ここはかつて西ゴート王国の要塞で、その後たびたび改修されてきましたが、14世紀にアルフォンソ11世によって今日に残るアルカサールが建設されました。それは王宮として、また宗教裁判所としても使われたようです。
のちにアメリカ大陸を発見することになるコロンブスがカトリック両王に謁見したのはここでした。
塔からはローマ橋やメスキータのアルミナル塔が良く見渡せます。
アルカサールの上のサイダー。
この中では2世紀のローマ時代の美しいモザイクを見ることができます。
この庭はとても広くてきれいです。
アンダルシアの家々はパティオがあることで知られています。そのパティオはたいてい花々やセラミックできれいに飾られていることが多いのですが、そこは基本的にプライベートなスペースです。
これはパティオではなく、めずらしく道に面したセミプライベートスペースですが、植栽などがきれいです。
サンタ・マリナ教会(Iglesia de Santa Marina)は13世紀の後半に初期ムデハール様式で建てられました。
メインファサードは、4つのがっしりした非対称のバットレスが特徴で、頂点に尖塔があり、それが身廊の分離を示しています。小さな薔薇窓があり、全体としてはロマネスク風でありながら、すでにゴシック様式への移行が感じられます。
右に見える鐘楼は16世紀に付け加えられたものです。
メスキータの北東1kmほどのところに小さな修道院があり、その前がちょっとした広場( Plaza de Capuchinos)になっています。
ここは『燈火のキリスト広場』と呼ばれるところで、18世紀末に造られた石造の磔刑のキリスト像が置かれています。
夜になると8つのカンテラが中央の十字架とキリスト像をぼんやりと照らし出します。
翌日、午前中の列車でラ・マンチャに向かいました。このあたりは特別行こうと考えていたわけではなかったのですが、コルドバからマトリッド方面に行く途中なのでちょっとだけ寄ってみることにしたのです。
我らがセルバンテスのドン・キホーテの故郷です。ドン・キホーテの思い姫ドルシネーアの村エル・トボソなどがありますが、ここは一番手近なカンポ・デ・クリプターナにしました。
アルカサール・デル・サンホアンで下車してタクシーを見つけるとその運転手、『ドン・キホーテ? モリノス(風車)?』と聞いてきます。ここで観光客が行くとすればそれしかないのでしょう。『そうだ、そうだ、カンポ・デ・クリプターナのモリノスに行ってね。』と乗り込んで風車にまっしぐら。
8kmほどひからびた荒野といった雰囲気の中を走ると、小高い丘の上に見えてきました、ドン・キホーテが戦いを挑んだ巨人ブリアレオが。全部で8つか9つだったでしょうか。これらは粉ひき用の風車で、真っ白な壁に三角錐のとんがり帽子。中には廃墟になっていて屋根も羽根もないものもありました。
やせっぽちロシナンテにまたがり、槍を小脇に抱えたドン・キホーテがヨタヨタと突進する姿が目に浮かびますねぇ。