ラ・マンチャのカンポ・デ・クリプターナでドン・キホーテの風車を眺めた後向かったのは、カスティーリャのトレド。カンポ・デ・クリプターナで乗ったタクシーの運転手さんが『このあたりならトレドがいいよ!』と言うので。
カスティジェホ・アニョベールで乗換え、列車に揺られること2時間。20時少し前にトレドの駅に着いた私たちは、タホ川に架かる10世紀に築かれたというアルカンタラ橋を渡り、ぶらぶらと中心部へ向かいました。四角いかなり大きなアルカサールとカテドラルの尖塔が見えています。
20分ほど歩き、目当てのオスタルやホテルを数軒当たりますが、なんとどこも満室。少々疲れてきたので、最後に当たったホテル・インペリオのお兄さんに近くで泊まれそうな他のホテルはないか聞くと、一旦後ろに引っ込んでしばらくして戻って来て、『今日、このあたりのホテルはいっぱい。普通の民家で良ければ紹介できるけど。』といいます。おお、民家でもなんでもOKだ、これで野宿は免れそう、とこのお兄さんに付いて行きます。
ちょっと離れたところの家に着いて、お兄さんが呼び鈴を鳴らすと、中からおばあさんが出てきました。彼はこのおばあさんに一言二言告げると、『ここだよ。何も問題ないから大丈夫だよ。あとはおばあさんに良く聞いて。』と言って立ち去りました。この家はオスタルをやっているわけではなく、本当にただの民家。
彼の両親の家で、独立した子供の部屋が空いているのでそこを使わせてもらえるとのこと。とにかくこうしてこの日の宿はなんとか確保できました。
タホ川に囲まれるようにして建つトレドは西ゴード王国が支配していた際の首都であり、他の多くのスペインの都市同様に8世紀からイスラムの支配を受け、11世紀のレコンキスタ以後も15世紀末に追放されるまで、ユダヤ人と共に多くのイスラムの人々が生活していたところ。アンダルシアの白い家とは違い、茶褐色の石とレンガでできた美しい街です。
観光はまずカテドラルから。
細いうねった道を行くと建物の隙間という感じの道の先に、カテドラルの尖塔がスッと建っています。がっしりしたこの塔は、近づいてみればわりと繊細なゴシック様式です。
13世紀より建設が始められ15世紀末に完成したこのカテドラルは、様式としてはフランス・ゴシックの流れを組むもので、ブールジュの大聖堂を模して造られたそうですが初期のオリジナルの部分は少ないといわれています。
しかしそれでもかなり立派でスペイン・カトリックの総本山になっています。スペインのゴシック建築を代表するものの一つでしょう。
これまで見てきたスペインを代表する建築のほとんどが、アラブのものかその建築を改修したもので強くアラブ臭が残るものだったのに対し、このカテドラルではほとんどそれを感じません。
ゴシックにお決まりのリブ・ボールトの天井も、ここのところずっとアラブ建築を見てきたからか、どこか新鮮に思えるから不思議です。
束ねた柱に高い天井、そして美しい15〜16世紀のステンドグラス。
ここにはゴシック・カテドラルのすべてがあるようです。
カテドラルの一番奥にある祭壇の後ろにはちょっと変わったものがあります。トランスパレンテ。
大理石のバロック調の彫刻群で、ここだけ背後から光がさしこむようになっているため、上部の天使たちがまるで躍動しているように見えます。薄暗いお堂の中に鮮やかにに浮かび上がる彫刻群。すばらしい演出です。
ここの聖器室は絵画館になっていて、グレコの傑作『聖衣をはぐ人』をはじめ、ゴヤ、ヴァン・ダイク、ルーベンス等の作品があります。
『聖衣をはぐ人』はキリストが十字架かけられる直前、民衆にその衣服を剥がれる姿を主題としたもので、キリストの衣は朱の鮮やかな色彩。
グレコに感動したのでカテドラルの次はサント・トメ教会に向かいました。サント・トメ教会には14世紀のムデハール様式の鐘楼が残っています。ちなみにムデハールとはレコンキスタ後に残留したイスラム教徒のことで、ムデハール様式は彼らの残したアラブ風の様式のことです。
ここにはグレコの『オルガス伯爵の埋葬』があります。この絵は4.8m×3.6mという大きさに加え、当時のイタリアの画風をとり入れており、グレコの作品中でも最高傑作といわれています。上下2段に分かれた構成で、上に天のキリストと聖母マリア、下に地上の聖エステバンと聖アグスティンが伯爵を埋葬しているところが描かれています。
グレコが続きます。グレコが住んでいた付近に、当時を再現するためにその時代の家具調度品を置いた『グレコの家』があります。
グレコはクレタ島出身で本名はドメニコ・テオトコポウルスというそうですが、私たちが良く知る名『エル・グレコ』とは『ギリシャ人』という意味。かなり変わった名前ですね。彼は35才のころスペインへ渡り、ここトレドに住んで多くの作品を残し、ここで生涯を終えました。
『グレコの家』は美術館に繋がっていて、そこには『キリストと12使徒』『トレドの景観と地図』といったグレコの作品のほか、16~17世紀頃のスペインの画家の作品が展示されています。
『グレコの家』があるあたりは、昔ユダヤ人街として栄えたところで、12世紀頃には1万2千人ものユダヤ人が住んでいたそうです。しかし15世紀末にカトリックによるユダヤ人追放令が発せられると、スペインからユダヤ人は一掃され、ここトレドの文化も大きく変わることになったといいます。
『グレコの家』の側にあるトランシト教会(Sinagoga del Tránsito)は14世紀の建物で、ムデハール様式のユダヤ教会です。
大広間の天井は彩色された木の格子天井で、軒蛇腹にはヘブライ語の聖句が刻まれています。隣接のセファルディ博物館には、ひつぎ、結婚衣裳、本など、ユダヤに関する資料が陳列してあります。
トレドにはユダヤ教の教会がもう一つあります。サンタ・マリア・ラ・ブランカ教会。
13世紀初頭に建てられ、15世紀初頭にキリスト教会になったそうです。
レンガ積みの八角形の短い柱の上に松笠と渦巻き状の独特の柱頭を乗せ、その上に馬蹄形アーチが続きます。このアーチで空間全体は5つに分けられています。
質素で単純な形態の繰り返しが生むリズム。小さな丸窓から入るわずかな光。
ここにはやはりキリスト教の教会とは明らかに違う空間があります。ここでお祈りするカトリックはどんなんだったのでしょう?
15世紀に建てられたサン・フアン・デ・ロス・レイエス教会。これは最初からカトリックの教会です。
単身廊の教会で、修道院の1階の回廊は後期ゴシック、2階はプラテレスコらしく、天井部分はムデハールといろいろな様式が取り入れられていますが、どういうわけかあまり違和感がありません。
これがゴシックの回廊。
彫刻も見事です。
礼拝堂は白を基調としたゴシック様式。
比較的シンプルなリブ・ボールト。
回廊の天井はムデハール様式。
この天井の細工は美しい。
こんな独特の様式を持っていたムデハールがもしも後までこの地にいたら、どんな文化を生み出したか。
カスティーリャのトレドの街はアンダルシアの白い街とは違い、茶褐色の石とレンガでできています。
アンダルシアの輝く白もすばらしいけれど、この茶褐色の街にはそれとはまた別の美しさがあります。
これまで見てきた街の建物は比較的小さなものが多かったのですが、ここトレドはがっちりした岩盤の上にあるからか、建物の規模が他の街より大きいようです。
ごつごつした石とレンガの肌が独特の雰囲気を作り出しています。
ぶらぶら歩いていると大きな広場に出ました。
これは青空市でしょうか。陶器やさん?
八百屋さんはただいま支度中。ここはソコドベール広場だったかな?
ソコドベール広場の近くにはサンタ・クルス美術館があります。16世紀に病院として建てられたものですが、現在はスペイン黄金時代の16世紀の作品を中心とした美術館になっており、グレコの『受胎告知』『無原罪の御宿り』などが展示されています。
トレドは三方をタホ川に囲まれていますが北は陸続きだったため、7世紀ごろから城壁が巡らされ、城郭都市化されます。
この城壁は、もともとトレドに住んでいたとされるイベリア人をローマ軍が攻略したのち、現在のアルカサールあたりに陣をとり、そこからから始まる城壁で町を囲んだのが始まりらしいです。
城壁には7カ所の出入口があるそうですが、これからそのちのいくつかを巡ります。
ちょっと厳ついこの建物は『太陽の門』。これは10世紀に造られたものを14世紀にムデハール様式で造り直したもののようです。
二重に馬蹄形アーチがあり、赤茶色の大理石には小さな太陽と月が描かれています。この太陽から『太陽の門』の名が付いたようです。
トレドの街にはいくつも城門がありますが、これは一番内側の門です。
太陽の門から西に進むと穏やかな下り坂です。
門を出ても相変わらず立派な石造の建物が続きます。
この塔のある建物はサンチャゴ・デル・アラバル教会。
9世紀のモスクをアルフォンソ6世が改修したものだそうで、鐘楼の中程にある馬蹄形アーチの二連窓などにムデハール様式の特徴が出ています。
その先の2つのとんがり帽子はビサグラ新門です。
これは街の中から見たところ。
トレドの入口となるビサグラ新門の外側の顔がこれ。てっぺんではトレドの守護神が剣を振り上げ、中程にはカルロス5世の紋章、すなわちハプスブルグ家の双頭の鷲が見えます。
さて、これをなぜ『新門』と呼ぶかですが、実はこのすぐ西に『ビサグラ旧門』があるからです。
その旧門は、11世紀にカスティーリャ王アルフォンソ6世がトレドをイスラムから奪還した時に、キリスト教軍を率いて街に入ったところとされ、アルフォンソ6世門とも呼ばれています。
この門はイスラム統治下では街の正面玄関だったそうですが、13 世紀ごろにムデハール様式に改修され、さらに新門が造られると特別な時だけ使われるようになったそうです。
この城壁の外側、広い公園の北にあるタベラ病院は16世紀に慈善病院として建設された建物で、現在は学校、孤児院、美術館になっています。
そこにはグレコの『キリストの洗礼』があります。この作品はグレコの最後の作品となりましたが、彼の息子の手によって完成させられており、事実上息子の仕事とされています。グレコによる同名のもっとも有名な仕事はプラド美術館にあります。
トレドの最後はタホ川に囲まれたトレド、あのグレコの『トレドの景観』を一目見ようとタクシーで周囲をぐるっと一廻り。
城壁都市トレドもその城壁から一歩外に出るとご覧のとおり。カスティーリャの茶褐色の荒野が広がります。
城壁に囲まれた中にサン・ホアン・ロス・レイエス修道院が見えます。
トレドの街のタホ川を挟んだ真南にパラドールがあります。
そのテラスからはトレドの街が一望にできます。