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アユタヤ/ホアヒン

タイ 3

開催日 1989.09.20(水)- 09.22(金)

ワット・ヤイチャイモンコルの神仏
ワット・ヤイチャイモンコルの神仏

旅の紹介

◆ バンコックの北80kmほどに位置する、スコタイに続くアユタヤ朝の都アユタヤで、歴史的な遺産を巡った後、列車でバンコックから南に200kmほどのところにあるホアヒンに移動すれば、そこには静かなビーチが。



列車の車掌と列車の車掌と

タイの歴史を紐解けば、その民族の祖先は始めは中国南部あたりに住んでいたらしい。 漢民族に追われ6~7世紀ごろ東南アジアへ移動し始め、12世紀頃にはインドシナ半島の中央部あたりに達したと考えられている。 この頃はビルマにはパガン朝、そしてカンボジアにはアンコールを王都とするクメール文明が花開いていた。

13世紀、クメール王朝が衰えを見せ始めると、タイ民族はクメール王朝のスコタイを攻略し、ここに民族初の王国、スコタイ王国を建設した。

このスコタイ王国が衰退し始めると、14世紀半ばにスコタイから南に300kmのアユタヤに新しい王朝が起こった。 これがアユタヤ王朝で、その後18世紀後半まで続くことになる。 この建国者はタイの史上初めての法典を作り、スコタイそしてタイ全土を統一した。 王国は、15世紀にはクメール王朝のアンコールを攻略、連れ帰った僧侶や官吏からはクメールの高度な文化文明を吸収し、中央集権の政治体制を整えた。

16世紀には一旦ビルマに攻略されるが15年後に奪取。 16~17世紀には貿易がさかんになり、日本からも朱印船が派遣され、日本人町ができ、山田長政らが活躍した。

1767年、ビルマの侵攻により陥落。 このときアユタヤはビルマ軍に徹底的に破壊された。

ワット・ラチャブラナのプラーンワット・ラチャブラナのプラーン

チェンマイからガタゴトと列車に揺られ着いたアユタヤ駅の前は、小さな屋台が出ているくらいで、ほとんど何もないところでした。 すぐ目の前にチャオプラヤ川の支流、パサック川が流れているだけです。 アユタヤの寺院群の多くはこのパサック川の向こう側、ぐるりと川がお堀のように取り巻く一帯にあります。 一見このエリアは島のように見えることから、アユタヤ島と呼ばれることもあるとか。

すぐに『渡し』があったのでこれでパサック川を渡ります。 なんとこの船賃は3円くらい! 船着場の前にあるウトン通りを北上するとすぐアユタヤのメインストリート、チャオプロム通りがありました。 このあたりはホテルや銀行もあり、小さな繁華街といったところです。

細い運河を渡ると奇妙な塔が見えてきました。 アユタヤ朝初期の15世紀前半に建てられたワット・ラチャブラナです。 緑で囲まれた豊かな敷地の門をくぐると、幅20m、奥行60mという礼拝堂の壁が建ち、その向こうに写真のプラーン(クメール様式の仏塔)が見えます。 このプラーンにはとても美しい模様が描かれていました。 ここの地下室には、赤色の壁画や黄金製の仏像があり、近くには鐘型のチェディー(仏塔)も残っています。

ワット・プラ・マハタートワット・プラ・マハタート

ワット・ラチャブラナのすぐ隣には14世紀後半に建てられたワット・プラ・マハタートがあります。 この二つの寺院はほとんど大きさも伽藍配置も同じです。 マハタートとは『仏舎利を祀る寺院』という意味だそうで、かつてはその仏舎利を祀っていた50mもあるプラーンが建っていたようですが、ビルマ軍の侵攻にも耐えたその姿は、現在残念ながらありません。

ここには他にいくつもの仏塔が残ってはいますが、印象的なのは首を落とされた仏像で、胴体だけの仏像がたくさん並んでいる姿はちょっとあわれです。 そんな切り落とされた首のひとつがごろっと横たわっていました。

ワット・プラスリサンペットワット・プラスリサンペット

ワット・プラ・マハタートから大きな池を廻って辿り着いたのは15世紀末に建立された王室寺院ワット・プラスリサンペット。 セイロン様式の釣り鐘型の3基のチェディー(仏塔)には三人の王の遺骨が祀られているそうです。 このチェディー以外の建物はビルマ軍により破壊され、基壇や柱の一部が残るのみです。 あわれ。  このお寺はアユタヤの中でも有名なのか、近くにはみやげ物屋や食堂が並んでいました。

この寺院の北側には草むらが広がっています。 その中にはひっそりとかつては建物だったものの跡が残っています。 今となっては夢も幻も見いだせないそこは、かつて王宮が建っていた場所なのだそうです。

ワット・プララムワット・プララム

ワット・ラチャブラナから通ってきた池のほとりに、プラーンが建っています。 プラーンってトウモロコシみたいに見えますね。 ここは14世紀後半に建てられたワット・プララムで、アユタヤ朝の開祖が眠っています。

ワット・ロカヤスタワット・ロカヤスタ

池からは大きな涅槃仏があるというワット・ロカヤスタに行きました。 さすがに噂に聞くだけあり、この仏像は巨大です。 いったい何メートルあるのでしょうか。 それにしても仏様とは思えないようなひょうきんさです。 ここはワット(寺院)という名が付いていますが、この涅槃仏の他にはチェディーが1基あるだけでした。

ワット・ナープラメンの金ぴか仏像ワット・ナープラメンの金ぴか仏像

ここからはアユタヤ島を出て、川の外側を巡ります。 まずはワット・ナープラメン。 16世紀初頭に建立されたここは、例のビルマとの戦いの時に、ビルマ軍が宿営地として使ったので破壊されなかったと言われているお寺で、奥行きが40mもある立派な本堂があります。 その正面上部のレリーフは700年前のものだそうで、ガルーダにまたがったヴィシュヌ神とたくさんの仏像が彫られています。

しかしこのお寺でびっくり仰天なのは金ぴかの仏様。 いえいえ、金ぴかの仏像はタイでは当たり前なのですが… 私たちがイメージする仏像は、上半身は裸か薄い布を纏ったものですが、ここの像はその『宝冠仏』の名の通り、美しい冠と衣装を纏っています。 これはアユタヤ美術独自のものだということですが、仏様というよりどこかの王様みたいです。

サムローが行くサムローが行く

ワット・ナープラメンで金ぴかの仏像に驚いたあとは、西に2kmほどのところにあるワット・プーカオトンへ向かいます。 歩くのはちょっと大変なのでサムローを拾いました。 写真は途中ですれ違ったサムローだと思いますが、現地の幼い兄弟を乗せて颯爽と通り過ぎて行きました。

ワット・プーカオトンのチェディーワット・プーカオトンのチェディー

サムローでどんどこ行けば、周辺は完全に田園風景となります。 道の先に鋭い尖塔が見えてきました。 高さ80mの黒っぽい(本来は白?)チェディーがそびえ立ちます。 このチェディーはアユタヤで2番目に高く、元は16世紀の後半にビルマが侵攻したときにビルマ様式で建てたものを、アユタヤが独立を回復したときに建て直したものだそうです。。

田園のアユタヤ田園のアユタヤ

すごい角度で上って行く階段を登れば周辺の緑豊かな風景が一望にできます。

ワット・ヤイチャイモンコルワット・ヤイチャイモンコル

今度は町の反対側の南西部にあるワット・ヤイチャイモンコルです。 14世紀中旬に初代王によって建立されたここは、アユタヤ最古の寺院とのこと。 ここにあるチェディーは先のワット・プーカオトンのそれを凌ぎアユタヤ一の高さで90mを超えるとか。 このチェディーの廻りにかつては屋根で覆われていた60m×70mほどの回廊が巡らされていますが、現在はかつては柱だったものの跡が点々と残るだけで、仏像がずらっと並んでいました。(TOP写真参照) その前にはワット・ロカヤスタにあったような涅槃仏が。

境内の女学生たち境内の女学生たち

このお寺はさすがにアユタヤ最古なだけあり、復興再建に手を尽くしているようで、境内はきれいに整備されています。 ここには地元の人も結構来ていて、出会った3人組の女性たちとちょっとおしゃべり。 この女性たちは近くに住む学生だそうで、このお寺にはボランティアのようなことをしに来ているのだとか。 その後彼女たちはオートバイに3人乗って颯爽と走って行きました。

チャオプラヤ川チャオプラヤ川の渡し

チャオプラヤ川はタイの人にとってはなくてはならぬ川。 観光の資源であり、主要な交通網の一つであり、日常生活を支える重要なものなのです。 アユタヤのチャオプラヤ川をちょっと覗くと、そこにはいろいろな風景があります。 まずは舟。 私たちが使った『渡し』があり、観光用の小さなボートがあり、バンコックと行き来する大きめの舟があります。

チャオプラヤ川の女たちチャオプラヤ川の女たち

子供も大人もこの川で水浴びをし、女たちは髪を洗い、そして洗濯なのか食器でも洗っているのか、水辺にはいつでも人の姿があります。 橋のないところで対岸に渡る手動のロープウェイってのもありました。 宙釣りになりそうでちょっと怖い!

水上生活者?水上生活者?

これは舟で生活している人々の舟かな。

バンパイン宮殿バンパイン宮殿

一通りアユタヤの観光を楽しんだ私たちは、アユタヤから南に30kmほどのところにある17世紀から建てられ始めたバンパイン離宮へ行きました。 このあたりは昔はチャオプラヤ川の中の島だったといいますが、現在はその川はどかへ行ってしまったようで、人工湖の周辺に建てられた華やかな宮殿だけがあります。 タイ様式、ルネサンス様式、ロココ様式、そして中国風の建物などがあります。 現在でも王室の別荘で、国家的なレセプションの会場としても使用されているそうです。

ミニバスの女学生たちミニバスの女学生たち

バンパインからはミニバスでバスターミナルへ移動です。 ミニバスは軽トラックを一廻り大きくして荷台に屋根とベンチを付けたようなもので、運転席と乗客が乗る部分はガラスで仕切られています。 乗客が乗る側の窓にはガラスが入っていなくてオープンエアです。 下りるときは運転席との間の壁にあるブザーを押します。 乗り合わせたのは高校生の女学生でした。 ここは観光地なので観光客は珍しくはないと思うのですが、私たちを見てはなにやらひそひそ内緒話のよう。 カメラを向けると顔を隠してしまいました。

このミニバス、走り出せばオープンエアなものだからもの凄い風です。 サイダーがタイにきてから買った草で編んだ帽子がビュ~ンと飛ばされてしまいました。 すると客席の最前方に乗っていた女の子がすかさずブザーを押して車を止めてくれました。 慌てて帽子を取りに走るサイダー。 サイダーが戻ると再びブザーが押されてミニバスは動き出しました。 これを契機に短い間の女学生たちとのおしゃべりが始まりました。

この楽しい女学生とのおしゃべりも束の間、あっという間にミニバスはバスターミナルへ到着し、今度は普通のバスでアユタヤへ戻りました。

アユタヤのサムロー軍団アユタヤのサムロー軍団

アユタヤに戻ればバンコックやチェンマイには遠く及ばないものの、それでも離宮しかないバンパインとは違って、一応街があります。 そんな主要な街角にはどこにでもサムローの軍団がいます。 疲れたので宿までちょっとサムローにお世話になることにしました。

水田と牛水田と牛

アユタヤからは、バンコックの南200kmほどのところにあるホアヒンに移動します。 まずバスでバンコックに向かいました。 バンコックまでは80kmほどで列車は1本/時ですが、バスはそれに比べ遥かに本数が多く、所要時間も1.5時間と同じなので便利。 それからバスのいいところは生活空間の近くを通るということですね。 列車はどうしたって普通の生活が行われているところから遠いところを走るので、庶民の生活空間は見えないけれど、バスは時に民家の軒先をかすめたり、農作業をしているすぐ脇を通るので、楽しい風景が楽しめます。

サムローに乗るサリーナサムローに乗るサリーナ

バンコックからホアヒンまではバスで移動したのか列車で移動したのか忘れてしまいましたが、ともかくホアヒンに到着です。 タイのビーチといえば、パタヤとプーケットが有名ですが、どちらも人気のリゾート地ということで観光化がかなり進んでいると聞きます。 私たちはあまり観光化が進んでいないホアヒンでちょっとだけ海に浸かることにしたのです。 ホアヒンの駅から海岸近くにあるホテルまではちょっと距離があったのでサムローに乗りました。

ホアヒン漁船がいっぱいの海岸ホアヒン漁船がいっぱいの海岸

ホアヒンは、どうやら20世紀の上旬に王室専用の海岸として開発されたところのようですが、その後大きな発展をすることもなくこの旅の時点に至っているようです。 海岸に出ればここは漁村なのか、たくさん漁船らしき舟が漂っていました。

レイルウェイ・ホテルのサイダーレイルウェイ・ホテルのサイダー

私たちの宿は海岸近くにあるレイルウェイ・ホテルです。 ここではリラックスしたかったので、安宿ではなく気張って少し高めのホテルにしました。 味気ないインターナショナル・スタイルのじゃあなくて、コロニアル・スタイルと言っていいような、ちょうど良い感じのホテルでした。

ホアヒンのビーチホアヒンのビーチ

ホアヒンのビーチは素晴らしかった! 噂に違わず観光客はほとんど居ず、海でたわむれるのは幾人かの子供だけです。 ここではのんびりまったり過ごすことができました。

ホテルから見るビーチホテルから見るビーチ

この旅は時間が少ないわりに盛り沢山にした上、航空会社のトラブルで一日少なくなってしまいましたが、それでもタイの面白さを満喫したものとなりました。 タイはすばらしいところです!

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