9702

カルカッタ

北インド周遊 1

総合評価 ★★
開催日 1992.01.05(日)

真夜中のリクシャー引き
真夜中のリクシャー引き

旅の紹介

◆  インドでもっとも強烈な街カルカッタ。道端では男たちが激論を交わし、薄暗い街角ではあちこちから物乞いの手が延びる。カーリー寺院では毎日、生け贄の山羊が山になる。香辛料の臭いと共に、ムッとする熱気が纏わリつく街だ。

  1992.01.04(土)

ああカルカッタ。 インドにはカルカッタから入りたいと思っていました。 飛行機はそのカルカッタに向かって飛んでいます。 そこには沢木耕太郎の『深夜特急』に描かれたような、混沌とした、ぐちゃぐちゃでがちゃがちゃなカルカッタが待っているはず。 飛行機の窓からちらっと街の灯が見えた時、僕の心は久々にときめきました。

夜、東京から10時間のフライトを終えカルカッタのダムダム空港から外に出ると、そこは暑いわけでもないのに、なにかの香辛料のような臭いとともに、ムッとする熱気のようなものが纏わリ付いてきました。 うごめく人、人、人。 このムッとする感じは人々から発散されているのかもしれない。

通り通り

私たちは旅行社が手配していた専用バスで街へ向かいました。 ツアーってこういうところはらくちんで良いけれど、乗り合いバスに乗って物価を知ったりタクシーを値切ったりする面白みはありませんね。

車窓の外では黄色みを帯びたぼんやりとした街灯が飛び去って行く。 その街灯の下には、痩せこけたヨロヨロした足取りの野良犬、そしてあやしくひしめきあう人々。 ここのこの時間には、地面から高さでわずか1m以内だけが生活の場のよう。 ひどく暗い明かりが地上1mに灯されると、それを頼りに集まる人々がその小さな明かりに照らされて、闇夜に浮かぶ。

ホテルに到着しました。 そしたらそのホテルの立派なことにビックリ。 個人的にはよっぽどのことがなければ泊まらない高級ホテルでした。 カルカッタという街のイメージとホテルが完全に不一致で、頭がちょっと混乱気味です。

遅い夕飯でも食べようということで外へ出て、近くのレストランに繰り出します。 行く道すがら、帰る道すがら、暗闇でなにかが動いたと思うと、やせ細ったひからびたような腕が突然目の前に現れる。 ここはインド。 街角のあちこちに物乞いらしき人が佇んでいます。

  1992.01.05(日)

ホテル オベロイ・グランドホテル オベロイ・グランド

早朝、ホテルの中庭に出てみるとそこにはプール。 水に浸かるにはちと寒いので泳いでいる人はいませんでしたが。 この我らがホテル、もともとは劇場だったのだそうで、立派なのもうなずけます。 朝食はここのレストランで、クロワッサン、パイナップルジュース、スクランブルエッグと洋風、あら、インド風じゃあなかったのね。

朝飯屋さん?朝飯屋さん?

さて、今日から超いそがし旅の始まりです。 6人は多すぎる! となんとなく私たちは3人ずつの2グループに分かれました。

サイダーとサリーナとハッちゃんは3人で、まずはホテルの前に広がる『マイダーン』という公園を散歩した後、カーリー寺院へ行こうということにしました。 ホテルを出るとすぐ近くの道端では庶民の朝飯屋さん?が。 木陰で揚げパンのようなものを売っています。

通りの散髪屋通りの散髪屋

朝飯食ったら、次は身繕いでしょう。 こちらは散髪屋さんです。 太陽の下の散髪はとっても気持ち良さそうです。

『おい、にいさん、きれいにしてやるからよってきな!』 と店主が声を掛けてきます。

沐浴?沐浴?

『マイダーン』はとても広い公園で朝から昼寝?をする人々がいたり、山羊が放牧されていたり、木陰では朝飯のようなものを売っていたり。 そしてホテアオイだらけの池では男たちが水浴びです。 私たちにはちょっと寒いくらいに感じる気候なのですが。

マイダーンを出、チョーロンギー通りへ出ると排気ガスがものすごい。 走っている車はインド国産のアンバサダーと、これは装甲車?と思えるようなバス、そしてポンコツトラック。 車が通るたびに舞い上がるほこりも凄くて、バンダナをマスク代わりにして歩きます。

民家?民家?

排気ガスがすごいのとちょっと疲れてきたのとで、マイダーン駅の所でタクシーをつかまえてカーリー寺院へと向かいました。 タクシーの初乗り2kmは5Rs(30円)でした。

カーリー寺院の近くでタクシーを降り歩き出すと、道端に本設とも仮設ともつかないかなり貧しい人々の民家とおぼしきものが並んでいます。 そしてなんと歩道上に洗濯物! 道路に洗濯物を干すところは東南アジアにはあちこちにあるけれど、ここまで低空なのは始めて見ました。

カーリー寺院への道カーリー寺院への道

カーリー寺院はカーリー女神を祭ったヒンドゥー教のお寺で、カーリーはカルカッタの守護神だそうです。 ここへの参拝者の数といったらびっくりするほどで、カルカッタばかりでなく地方からも大勢やって来ます。

神具屋神具屋

狭い路地に次から次へと人々が押し寄せます。 正装に近い出で立ちの人もいますが、普段着の人もいるので、服装はとくに問われないようです。 道の脇にはヒンドゥーの神様のポスターなどを売っている神具屋がびっしり。  真っ黒な裸にギョロ目の神様や、おなじみ象さんのガネーシャなど、ヒンドゥーの神様ってみんな楽しい。

カーリー女神カーリー女神

中に進むにつれ人の密度が増し、熱気もどんどん増してきます。 とにかく押し合いへし合い状態で、人波にもみくちゃにされながらどんどこと進むと、小さなこんな像がありました。 これがカーリー女神なんだって。 シヴァ神の妻ドゥルガーが変化したものだそうです。 えっ、これがご本尊、いえいえ、どーもこれではないようです。

さらにどんどん進むといよいよ境内です。 境内は裸足でなくちゃあならないようで、私たちも裸足になります。 奥に進むと、真っ黒な石に血のようなもので顔が描かれたカーリー女神の象徴といわれる、ちょっと不気味な壁画のようなものがありました。 これがご本尊のようですが写真は禁止なので画像は無し。

生け贄の場と生け贄になる山羊生け贄の場と生け贄になる山羊

境内では毎日、生け贄の山羊の首がはねられています。 それってお経でも唱えて厳かに一日一匹、ってことかと思ったら、お経ではなくて太鼓が打ち鳴らされ、次から次へと。 そこらじゅう血の海で血の臭い。 生け贄の習慣がない私たちは、ここでちょっと気分が悪くなりました。

男が手を挙げているのは、どうやらここも撮影はダメって合図のようです。 でももう遅いなぁ。 山羊はご覧の通り、思ったより小さな子山羊でした。 女性の前の花が捧げられているところが生け贄の場のようです。

装飾トラック装飾トラック

地方からカーリー寺院にお参りに来た人々なのでしょうか、華やかに飾り立てられたトラックの荷台からあふれんばかりの人々が下りてきました。 中には顔に絵の具で化粧を施した人もいます。 インドにはまだカースト制度が残っており、カーストによって顔の化粧が違うようです。

ガートガート

カーリー寺院の近くには、フーグリー川の支流ターリーズ・ナラーのほとりにカーリー・ガートがあります。 ガートとは川岸に作られた階段のことだそうですが、沐浴するために作られているようです。 そこでは多くの人々が川の水で身を清めていました。 見たところ川の水はあんまりきれいな感じじゃあないけれど。。

街角街角

街角はどこも大混雑です。 のんびり歩く人々、リクシャー(人力車)、黄色い屋根に黒いボディーのタクシー・アンバサダー、にぎやかな色に塗られたトラック。 驚くことに多くの人が素足かサンダル履きで、なんとリクシャー引きにも素足の人が沢山います。 危なくないのかな〜

修行僧?それとも絵描き?修行僧?それとも絵描き?

道を行けば、歩道に熱心にカーリーでしょうか、ヒンドゥー教の神様の絵を描いている人がいます。 修行僧なのか絵描きなのか、はたまた単なるパフォーマーなのかはわかりません。 鉄鍋には小銭が入っていてその脇にHELPMEと書かれていますから、程度の良い物乞いなのかもしれませんが、日本でなら大道芸人と呼ぶのでしょうか。

果物屋果物屋

バスターミナルのようなところにやってきました。 おなじみとなった黄色い屋根で黒いボディーのタクシーもたくさん集まっていて、近くには簡単な食事がとれるような屋台や果物屋などが出ています。

その脇では数人の男たちが大声で喧嘩をしています。 と思ったら喧嘩ではなくて討論なんだそうな。 インド人はなんでも大変討論好きだそうで、男が数人集まればどこでも大声を張り上げて議論討論が始まります。 女たちはそんなことはなさそうで、どうやら議論は男の専売特許らしい。

イギリス統治時代の建物かイギリス統治時代の建物か

お昼はミドルトン・ロウのShelazというレストランでインド料理。 羊と豆のカレー、タンドリーチキン、チャパティ、キュウリと玉ねぎなどのサラダを。 カレーの種類はとても沢山あり、毎日違うものを試せそうです。 辛さは思ったほどではなく、かなり甘めのものも多くあります。 タンドリーチキンがおいしい。 日本では高級インドレストランに行ってもまず食べられないおいしさです。 なんでもインドの鶏は放し飼いで元気がいいからおいしいんだって。 そう言えば、単なるサラダもおいしい。 キュウリや玉ねぎなどのありふれた材料ですが、一つ一つの味がしっかりしているんですね。 サラダにはマサラという、カレー粉のようなものが付いてきます。 ドレッシングで食べてもいいのですが、このマサラと塩だけでも十分においしい。

このあたりのちょっと古い建物は立派なものがとても多い。 植民地時代のものなのでしょうか、長い歴史を感じさせるものです。

ガンジス川と新しい橋フ−グリー川と新しい橋

夕方フーグリー川まで散歩してみました。 夕焼けなのでしょうか、真っ赤な空の色を反射して、川も真っ赤に染まっていました。 なぜかこの色、昼間見た生け贄の山羊の血の色に重なって見えてしまいました。 遠くには建設中の第2ハオラー橋が見えます。

散歩から戻るとホテルではなにやらインドの舞踊があるとのことなので、ちょっと休憩したあとに見学。 どんな踊りだったかはもう忘れてしまいましたが。

ハオラー駅前ハオラー駅前

夜、専用バスでハオラー駅に向かいました。 駅前はカルカッタの陸の玄関にしてはかなり寂しい感じで、薄暗く、ただ車だけが出たり入ったりと騒々しい。

ハオラー駅内部ハオラー駅内部

バスを降り、駅の中に入るとそこは真っ暗でした。 写真はかなり露出補正してあるので明るく見えますが、実はかなり暗い。 目が慣れてくると、そこは大混雑で大きな荷物を抱えた人々が行ったり来たりしています。 いったいどこからこんなに人が集まってきたのかと思えるほどです。 出発までかなり時間があるのか、床にゴザを敷いて寝ている人々も大勢います。

そんな人ごみを掻き分けるようにしてプラットフォームに出ます。 大きな掲示板のような時刻表で、乗る列車を確認しようとしましたがさっぱりわかりません。 どうやら列車は決まったプラットフォームに入るのではなく、その日その日の都合で適当なところに入るらしいのです。 我らがガイドが確認しに行き、なんとか目的の列車の場所がわかったらしい。

『私についてきてください。 どこか行くときは言ってからにしてください。』 とガイド。 このガイドが雇ったポーターたちに荷物を預けると、ポーターは頭に荷物を載せてガイドの後に続きます。 私たちはその後について行くのですが、ガイドたちの歩く速度といったらまるで駆け足のようなの速さです。 おやつのようなものを売っているところでサリーナとハッちゃんは、

『ちょっと覗いてくるから先に行ってて〜』 とお店に向かう。

ところがその僅かの間に先行する人々は見えなくなっていました。 プラットフォームを歩く人々もものすごく多いのです。 一人サイダーは後を追いますが、いくら行っても追いつきません。 どんどん列車の前方に進むサイダーですが、この列車の長いことといったら驚くばかり。 そのうちとうとう列車の先頭まできてしまいました。 仕方なくこんどはどんどんどんどん引き返すサイダーですが、先ほどのお店のところまで戻ってしまいました。

『ありゃ、おかしいな〜。 先はいないし、後から来るはずのサリーナとハッちゃんもいないとは…』 発車時刻はどんどん迫っていてちょっと焦ります。 仕方がないのでもう一度列車の前方に向かうサイダー。 その脇を一人の男が慌てた様子で駆け抜けて行く。 これは後に、サイダーを探しにきたポーターだと分かる。

ちょうど列車の最前との中間くらいのところで、ケンリョウさんがデッキから身を乗り出すようにして待っていました。 サリーナとハッちゃんもすでに乗り込んでいました。 どうやらサイダーがここを通りかかった時には、先行する人々は全員列車に乗ってしまったところだったようです。 中に入ると我らがガイド、怒る怒る。

『どこか行くときは言ってからにしてくださいといったじゃあないか!』

『どこかに行ったわけじゃあないぜ。 お前さんが後ろが来るのを確認してから乗り込まなかったから分かんなくなったんじゃあないか! そもそもこんなに混雑しているところなんだから、座席のチケットくらい渡しておけよ!!』

こうして議論好きなインド人と議論好きなサイダーは小一時間も激論を交わすことになるのでした。

ともかく駆け足カルカッタとはこれでお別れ、プリーへと夜行寝台列車で出発です。

北インド周遊2 プリー・コナラク 北インド周遊 TOP サイダー&サリーナの世界の旅 TOP GEO POTTERING home
GEO POTTERING trademark

GEO POTTERING
uploaded:2007-09-05