旅の紹介
◆ インドでもっとも強烈な街カルカッタ。道端では男たちが激論を交わし、薄暗い街角ではあちこちから物乞いの手が延びる。カーリー寺院では毎日、生け贄の山羊が山になる。香辛料の臭いと共に、ムッとする熱気が纏わリつく街だ。
地図:Googleマップ
1992.01.04(土)
ああカルカッタ。インドにはカルカッタから入りたいと思っていました。飛行機はそのカルカッタに向かって飛んでいます。そこには沢木耕太郎の『深夜特急』に描かれたような、混沌とした、ぐちゃぐちゃでがちゃがちゃなカルカッタが待っているはず。飛行機の窓からちらっと街の灯が見えた時、僕の心は久々にときめきました。
夜、東京から10時間のフライトを終えカルカッタのダムダム空港から外に出ると、そこは暑いわけでもないのに、なにかの香辛料のような臭いとともに、ムッとする熱気のようなものが纏わリ付いてきました。うごめく人、人、人。このムッとする感じは人々から発散されているのかもしれない。
私たちは旅行社が手配していた専用バスで街へ向かいました。ツアーってこういうところはらくちんで良いけれど、乗り合いバスに乗って物価を知ったりタクシーを値切ったりする面白みはありませんね。
車窓の外では黄色みを帯びたぼんやりとした街灯が飛び去って行く。その街灯の下には、痩せこけたヨロヨロした足取りの野良犬、そしてあやしくひしめきあう人々。
ここのこの時間には、地面から高さでわずか1m以内だけが生活の場のよう。ひどく暗い明かりが地上1mに灯されると、それを頼りに集まる人々がその小さな明かりに照らされて、闇夜に浮かぶ。
ホテルに到着しました。そしたらそのホテルの立派なことにビックリ。個人的にはよっぽどのことがなければ泊まらない高級ホテルでした。
カルカッタという街のイメージとホテルが完全に不一致で、頭がちょっと混乱気味です。
遅い夕飯でも食べようということで外へ出て、近くのレストランに繰り出します。行く道すがら、帰る道すがら、暗闇でなにかが動いたと思うと、やせ細ったひからびたような腕が突然目の前に現れる。ここはインド。街角のあちこちに物乞いらしき人が佇んでいます。
1992.01.05(日)
発着地 | 時刻 | 備考 |
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宿 | The Oberoi Grand 07:30 起床 08:30 朝食:クロワッサン、スクランブルエッグ、パイナップルジュース |
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マイダーン | 競馬場など様々なものがある公園 | |
カーリー寺院 | 着11:00 | カルカッタの守護神でもあるヒンドゥー教の女神カーリーを祀ったお寺 ヤギを生贄にささげる儀式が行われる |
カーリーガート | ターリーズ・ナラーの沐浴場 | |
セントポール寺院 | 英領時代のゴシック様式 | |
ヴィクトリア・メモリアル | インド皇帝を兼任していたヴィクトリア女王を記念して造られた | |
ミドルトン・ロウ | 着14:00 | 昼食/Shelaz/カレー4種(羊、豆など)、タンドリーチキン チャパティ、キュウリと玉ねぎなどのサラダ、ビール |
宿 | ||
ラージ・バワン | 入れず | |
フーグリー川 | ||
宿 | ダンス鑑賞、チャイ | |
ハウラー駅 | 発22:00 | 8007-EXP 夕食/バナナ2本 |
1Rs(ルピー)=6円 |
早朝、ホテルの中庭に出てみるとそこにはプール。水に浸かるにはちと寒いので泳いでいる人はいませんでしたが。この我らがホテル、もともとは劇場だったのだそうで、立派なのもうなずけます。
朝食はここのレストランで。あら、インド風じゃあなかったのね。洋風でした。
さて、今日から超いそがし旅の始まりです。6人は多すぎる! となんとなく私たちは3人ずつの2グループに分かれました。
サイダーとサリーナとハッちゃんは3人で、まずはホテルの前に広がる『マイダーン』という公園を散歩した後、カーリー寺院へ行こうということにしました。ホテルを出ると道端では庶民の朝飯屋さん?が。木陰で揚げパンのようなものを売っています。
朝飯食ったら、次は身繕いでしょう。こちらは散髪屋さんです。太陽の下の散髪はとっても気持ち良さそうです。
『おい、にいさん、きれいにしてやるからよってきな!』 と店主が声を掛けてきます。
『マイダーン』はとても広い公園で朝から昼寝?をする人々がいたり、山羊が放牧されていたり、木陰では朝飯のようなものを売っていたり。
そしてホテアオイだらけの池では男たちが水浴びです。私たちにはちょっと寒いくらいに感じる気候なのですが。
マイダーンを抜け、だだっ広くて雑然としたチョーロンギー通りへ出ると、人がうようよ。
彼らの多くはバスやトロリーバスを待っているようですが、そうしたものから降りてきたのか、でかい荷物を運んでいる人もたくさん。
走っている車はインド国産のアンバサダーと、いつもぎゅうぎゅう詰めで、これは装甲車?と思えるようないかついバス、そしてポンコツトラック。
排気ガスがものすごく、車が通るたびに舞い上がるほこりも凄くて、バンダナをマスク代わりにして歩きます。
インドはイギリスに長い間統治されていたので、そのころの建物があちこちに残っています。
ここはそうした古いクラシックな建物と現代的なビルが入り交じる都市です。
そして、こうした高層ビルがあるそのすぐ側で、路上の豆売りがいたりします。
そんなところでは客とも思えない男たちがたむろしているのもなんだか不思議な感じがしますが、まあこれがインドなのでしょう。
排気ガスがすごいのとちょっと疲れてきたのとで、マイダーン駅の所でタクシーをつかまえてカーリー寺院へと向かいました。タクシーの初乗り2kmは5Rs(30円)でした。
カーリー寺院の近くでタクシーを降り歩き出すと、道端に本設とも仮設ともつかない、かなり貧しい人々の民家とおぼしきものが並んでいます。そしてなんと歩道上に洗濯物! 道路に洗濯物を干すところは東南アジアにはあちこちにあるけれど、ここまで低空なのは始めて見ました。
カーリー寺院の入口付近にやってきたようです。
街角はどこも大混雑です。のんびり歩く人々、リクシャー(人力車)、黄色い屋根に黒いボディーのタクシー・アンバサダー、にぎやかな色に塗られたトラック。
驚くことに多くの人が素足かサンダル履きで、なんとリクシャー引きにも素足の人が沢山います。危なくないのかな〜
カーリー寺院はカーリー女神を祀ったヒンドゥー教のお寺で、そのカーリーはカルカッタの守護神だそうです。
ここへの参拝者の数といったらびっくりするほどで、カルカッタばかりでなく地方からも大勢やって来るそうです。
そんなんで、カーリー寺院付近の道は歩く隙間がないほどの人で埋め尽くされています。
狭い路地に次から次へと人々が押し寄せます。正装に近い出で立ちの人もいますが、普段着の人もいるので、服装はとくに問われないようです。
道が狭い上に人が山ほどいるので、ゆっくり周囲を見回すことができないのですが、どうやらこの先の左手に見えるあたりが、カーリー寺院の中核部のようです。
道の脇にはヒンドゥーの神様のポスターなどを売っている神具屋がびっしり。
真っ黒な裸でギョロ目の神様や、おなじみ象さんのガネーシャなど、ヒンドゥーの神様ってみんな楽しい。
中に進むにつれ人の密度が増し、熱気もどんどん増してきます。とにかく押し合いへし合い状態で、人波にもみくちゃにされながらどんどこと進むと、小さなこんな像がありました。これがカーリー女神なんだって。シヴァ神の妻ドゥルガーが変化したものだそうです。えっ、まさかこれがご本尊? いえいえ、どーもこれではないようです。
さらにどんどん進むといよいよ境内です。境内は裸足でなくちゃあならないようで、私たちも裸足になります。奥に進むと、真っ黒な石に血のようなもので顔が描かれたカーリー女神の象徴といわれる、ちょっと不気味な壁画のようなものがありました。これがご本尊のようですが写真は禁止なので画像は無し。
境内では毎日、生け贄の山羊の首がはねられています。それってお経でも唱えて厳かに一日一匹、ってことかと思ったら、お経ではなくて太鼓が打ち鳴らされ、次から次へと。そこらじゅう血の海で血の臭い。生け贄の習慣がない私たちは、ここでちょっと気分が悪くなりました。
男が手を挙げているのは、どうやらここも撮影はダメって合図のようです。でももう遅いなぁ。山羊はご覧の通り、思ったより小さな子山羊でした。女性の前の花が捧げられているところが生け贄の場のようです。
地方からカーリー寺院にお参りに来た人々なのでしょうか、華やかに飾り立てられたトラックの荷台からあふれんばかりの人々が下りてきました。
中には顔に絵の具で化粧を施した人もいます。インドにはまだカースト制度が残っており、カーストによって顔の化粧が違うようです。
カーリー寺院を出たら近くを流れるフーグリー川の支流ターリーズ・ナラーのほとりのカーリー・ガートに向かいます。
裏道を行くとここにも男たちがたむろしています。はじめはただ集まっているだけかと思いましたが、ここは一応お店で、神様の絵を売っていました。
カターリーズ・ナラーのほとりのカーリー・ガートにやってきました。
ガートとは川岸に作られた階段のことだそうですが、沐浴するために作られているようです。ここでは多くの人々が川の水で身を清めていました。見たところ川の水はあんまりきれいな感じじゃあないけれど。。
この建物は何の店なのか見当が付かないんですが、左端には洋服のようなものが積まれています。その前の路上にミシンが出ているので、仕立て直しか繕い物やか、なにかそんなものでしょうか。
歩道上では鍋釜を置いた女が地べたに這いつくばって、煮炊きの準備をしているようです。とにかく、何もかにもがぐちゃ〜っとしていて面白いです。
ここは看板ストリートか? いや映画館でしょうか。
ずらりと同じ形の建物が並び、その壁前面に映画のポスターらしきものが貼られています。インドにはボリウッドがありますからね。
バスターミナルのようなところにやってきました。おなじみとなった黄色い屋根で黒いボディーのアンバサダーのタクシーもたくさん集まっています。
若者はかっこいいモータバイクに乗っていますね。これ、インド製でしょうか。
歩道では、カーリーでしょうか、熱心にヒンドゥー教の神様の絵を描いている人がいます。
修行僧なのか絵描きなのか、はたまた単なるパフォーマーなのかはわかりません。鉄鍋には小銭が入っていてその脇にHELPMEと書かれていますから、程度の良い物乞いなのかもしれませんが、日本でなら大道芸人と呼ぶのでしょうか。
その脇ではおいしそうな果物を売っている店が。バスの中で食べるのか、サリー姿の女性が一皿買っていきました。
横がうるさいなと思ったら、数人の男たちが大声で喧嘩をしています。しかしこれは喧嘩ではなくて討論なんだそうな。インド人はなんでも大変討論好きだそうで、男が数人集まればどこでも大声を張り上げて議論討論が始まります。女たちはそんなことはなさそうで、どうやら議論は男の専売特許らしい。
このあとはセントポール大聖堂とヴィクトリア・メモリアルを覗いてみます。
大通りには立派なというよりちょっと古めかしいイギリス統治時代の建物が並んでいるところがありました。もうちょっと手入れをすれば見違えるでしょうに。
ヴィクトリア・メモリアルはイギリス統治時代にインド皇帝を兼任していたヴィクトリア女王を記念して造られたもので、1921年に完成しています。
すべて白大理石で出来ており、アグラのタージ・マハルをモデルにして造られたといわれています。
お昼はミドルトン・ロウで。ミドルトン・ロウはお役所などが集まっているゾーンらしく、それこそイギリス統治時代の立派な建物が多く、歴史が感じられます。
ここはインド料理を。カレーの種類はとても沢山あり、毎日違うものを試せそうです。辛さは思ったほどではなく、かなり甘めのものも多くあります。タンドリーチキンがおいしい。日本では高級インドレストランに行ってもまず食べられないおいしさです。なんでもインドの鶏は放し飼いで元気がいいからおいしいんだって。
そう言えば、単なるサラダもおいしい。キュウリや玉ねぎなどのありふれた材料ですが、一つ一つの味がしっかりしているんですね。サラダにはマサラという、カレー粉のようなものが付いてきます。ドレッシングで食べてもいいのですが、このマサラと塩だけでも十分においしいです。
ホテルに戻って一休みし、夕方にフーグリー川まで散歩してみました。
夕焼けなのでしょうか、真っ赤な空の色を反射して、川も真っ赤に染まっていました。なぜかこの色、昼間見た生け贄の山羊の血の色に重なって見えてしまいました。遠くには建設中の第2ハウラー橋が見えます。
散歩から戻るとホテルではなにやらインドの舞踊があるとのことで、ちょっと休憩したあとに見学。
夜、専用バスでハウラー駅に向かいました。駅前はカルカッタの陸の玄関にしてはかなり寂しい感じで、薄暗く、ただ車だけが出たり入ったりと騒々しい。
バスを降り、駅の中に入るとそこは真っ暗でした。写真はかなり露出補正してあるので明るく見えますが、実はかなり暗い。
目が慣れてくると、そこは大混雑で大きな荷物を抱えた人々が行ったり来たりしています。いったいどこからこんなに人が集まってきたのかと思えるほどです。出発までかなり時間があるのか、床にゴザを敷いて寝ている人々も大勢います。犬も!
そんな人ごみを掻き分けるようにしてプラットフォームに出ます。大きな掲示板のような時刻表で、乗る列車を確認しようとしましたがさっぱりわかりません。
どうやら列車は決まったプラットフォームに入るのではなく、その日その日の都合で適当なところに入るらしいのです。我らがガイドが確認しに行き、なんとか目的の列車の場所がわかったらしい。
『私についてきてください。どこか行くときは言ってからにしてください。』 とガイド。
このガイドが雇ったポーターたちに荷物を預けると、ポーターは頭に荷物を載せてガイドの後に続きます。私たちはその後について行くのですが、ガイドたちの歩く速度といったらまるで駆け足のようなの速さです。おやつのようなものを売っているところでサリーナとハッちゃんは、
『ちょっと覗いてくるから先に行ってて~』 とお店に向かう。
ところがその僅かの間に先行する人々は見えなくなっていました。プラットフォームを歩く人々もものすごく多いのです。一人サイダーは後を追いますが、いくら行っても追いつきません。どんどん列車の前方に進むサイダーですが、この列車の長いことといったら驚くばかり。そのうちとうとう列車の先頭まできてしまいました。仕方なくこんどはどんどんどんどん引き返すサイダーですが、先ほどのお店のところまで戻ってしまいました。
『ありゃ、おかしいな~。先はいないし、後から来るはずのサリーナとハッちゃんもいないとは…』 発車時刻はどんどん迫っていてちょっと焦ります。仕方がないのでもう一度列車の前方に向かうサイダー。その脇を一人の男が慌てた様子で駆け抜けて行く。これは後に、サイダーを探しにきたポーターだと分かる。
ちょうど列車の最前との中間くらいのところで、ケンリョウさんがデッキから身を乗り出すようにして待っていました。サリーナとハッちゃんもすでに乗り込んでいました。どうやらサイダーがここを通りかかった時には、先行する人々は全員列車に乗ってしまったところだったようです。中に入ると我らがガイド、怒る怒る。
『どこか行くときは言ってからにしてくださいといったじゃあないか!』
『どこかに行ったわけじゃあないぜ。お前さんが後ろが来るのを確認してから乗り込まなかったから分かんなくなったんじゃあないか! そもそもこんなに混雑しているところなんだから、座席のチケットくらい渡しておけよ!!』
こうして議論好きなインド人と議論好きなサイダーは小一時間も激論を交わすことになるのでした。
ともかく駆け足カルカッタとはこれでお別れ、プリーへと夜行寝台列車で出発です。