カルカッタを昨夜22時に出た寝台夜行列車は、朝8時過ぎにオリッサ地方のプリーに到着。
みんな遠いところからここにやってきたのか、大きな荷物を抱えている人がたくさん。
プリーの駅前にはリクシャーがずらり。
リクシャーにはモーターバイクのものと自転車のものがあり、それぞれオート・リクシャー、サイクル・リクシャーと呼ばれているようです。ここではほとんどがサイクル・リクシャーのようでした。
ここはそれに乗り込もうとする人と道行く人で溢れています。
私たちは群衆を横目に、駅から専用車でレイルウェイホテルに移動しました。
専用車はもちろん快適でありがたいのですが、リクシャーと値段交渉する楽しみがありません。まあ、これは一長一短でしょう。
ベンガル湾が目の前に広がるこのホテルは町中からちょっと外れていて、2階建てとこじんまりしていますが、英国植民地時代のもので、なかなかいい雰囲気です。
通りに面して小さな門番の小屋があり、ヤシの木が2本立っています。その外側には100mほどの砂浜、そしてベンガル湾です。朝日に照らされたインド洋は清々しい碧でした。
門の外の道をのんびりと牛車が行く。
2階の部屋から下を見れば芝生と南洋の花とヤシの木。白い塀の外側をサイクル・リキシャーがゆっくり走って行く。
ここにはどうやらカルカッタの喧噪とはまったく別の世界があるようです。
ホテルで朝食をとり一休みしたあと、30kmほど離れたコナーラクへ車で向かいました。このあたりには本当にのんびりした風景が広がります。
これは小さな村の入口にあるゲートで、木でできています。係の人が上げ下げしてなんらかの交通規制をしているようなのですが、なんのためにしているのかは良くわかりませんでした。おそらく通行税を取っているのだろうと思います。
村の中には二頭立ての牛車が。
大きな木の輪っか。これは主に農作業用として使われているようです。
道の主役は動物たちです。
車はあまり通らず、せいぜいサイクル・リキシャーや自転車がゆっくり通る程度のこのあたりには、牛はもちろん犬や山羊などありとあらゆる動物たちが溢れています。とにかくのんびり。
ちょっとした川を渡り、緑がきれいなゾーンを通り抜けると、どうやらコナラクに到着したようでです。コナラクは太陽神寺院(スーリヤ寺院)があることで有名です。
写真はその参道だったか、ふらふら〜っと痩せ牛がやってきました。ヒンドゥー教徒が多いインドでは、シヴァ神がナンディンと呼ばれる乳白色の牡牛を乗り物にしているため、牛は聖なる動物とされています。そんなんで牛はここでは、お犬様ならぬお牛様状態なのです。
さて、太陽神寺院です。これはヒンドゥー教の太陽神スーリヤを祀る寺院で、13世紀に造られました。
当時のインドは西方からのイスラム勢力の攻めに合い、一帯を支配されます。これに対抗した東ガンガ朝がイスラム勢力を破った勝利の記念として建てたのがこの太陽神寺院です。
ちょっとした丘を上って行くと、そのピークの先に忽然とピラミッドのようなものが姿を現しました。
ブーゲンビリアが咲く向こうに全容を表わした太陽神寺院。ピラミッドのようなものは拝殿(ピダー・デウル)で、この高さは何と33m!(10階建のビル!!)
かつてここには本殿(デウル)の上に立つ高さ70mほどの高塔(レカー・デウル)があったそうですが、これはとても想像することができません。拝殿の大きさでさえ、とてつもなく大きく見えるのですから。ちなみにあとで見学するプリーのジャガンナート寺院の高塔の高さは65mで、太陽神寺院のものはブラック・パゴダ、ジャガンナート寺院のものはホワイト・パゴダと呼ばれたそうです。
この寺院は7頭立ての馬車で天を駆け巡る太陽神スーリヤの戦車を象っています。
馬と車輪が見えるのがわかるでしょうか。先頭の馬は7頭いるそうです。
そして12対24個の車輪があります。この車輪、直径3mとでっかい!
この馬の数7は一週間を、12対の車輪の数は一年の月を表わしているとされています。
この寺院は彫刻でも有名です。
車輪のスポークの中央部には、女神が踊っているような像が彫られています。
寺院の前面は独立したナト・マンディル(舞楽殿)が立っています。これは日本の神楽殿のようなものと思えば良いでしょうか。
ナト・マンディルの名はサンスクリット語の Nata (=ダンス)と Mandira (=寺院)に由来しているといい、踊り手は寺院の敷地内に住んでいたそうで、もっぱらオディッシーなどの伝統的舞踊を踊っていたそうです。
この入口の両側には狛犬のようなものがいます。
この狛犬のようなもの、よく見れば開いた口から舌を出し、這いつくばった象の上に載っています。
神話の怪物かと思うのですが、いったい何者でしょう。
ナト・マンディルの上部は失われてしまっていますが、その基壇部には寺院本体同様のすばらしい彫刻が施されています。
これらの彫刻の多くは楽器を持っていたり踊ったりしている人の像で、これからこの建物は神様に音楽や舞踊を捧げるためのものと推測されているそうなのですが、よく見れば鳥や馬や象などの動物も見られます。
では太陽神寺院の彫刻を見てみましょう。
車輪の横の彫刻は、手を合わせた人の足が蛇になってとぐろを巻いています。これはいったいなんだ? と思って歩を進めると、
ここにも蛇足が。そしてその隣には二体の彫像。それをよく見れば、あれれ、、、
右下の小さな像も二体。
そしてここでは二体の蛇足が絡み合っています。これらはミトゥナと呼ばれる男女交合の像です。中には三体が絡み合うものも。(笑)
この建物はこうしたミトゥナで埋め尽くされています。スーリヤは愛の女神ではないのですがね。今でいうHow to もの? やりますねぇ。
本殿の外壁には拝殿側を除く3方に壁龕があり、外壁の砂岩とは異なる緑泥岩による3体のスーリヤ神の像が安置されています。スーリヤは金髪で3つの目と4本の腕を持つとされていますが、ここではそういう表現になっていません。
なんだかこれだけ真面目腐っていて面白くありません。どうせだったら奥さんのサンジュニャーと交わっている像にしたら良かったのにね〜
この方が仏教の世界においでになると、十二天の一人である日天様になるそうです。
ここオリッサ地方のヒンドゥー教寺院では拝殿をジャガモハンといいますが、その上にピラミッド状の屋根が載ったものはピダー・デウルと呼ばれます。このピラミッドをよく見れば三つのブロックに分かれており、その上に円盤状の石が載っています。
立派な太陽神寺院とその美しい彫刻に満足げなのはサリーナでした。
太陽神寺院を満喫したら、近くのコナラクの海岸に出てみます。
そこはとてもひっそりとしたところで、ヤシの葉葺きの建物がいくつかあるだけです。
ビーチはとてもきれいで、牛が一頭、気持ち良さそうに寝転んでいます。
ちょっと先にヤシの葉っぱで覆われた小さな構造物があったので行ってみると、それはヤシの実を売っているところでした。
これはちょうど良いと、ここでココナツジュースをいただきました。ココナツは常温なので冷蔵庫で冷やしたほどに冷たくはありません。しかし今は冬なので、これがちょうど良い温度。ポカリスエットをもっと優しくしたような味で、す〜っと身体に染みていきます。
ここであたりを見回すと、先の方に人だかりが見えます。
近づいてみると、小舟が一艘海から戻ってきたところのようです。そこに何人かが小走りに駆け寄っていきます。
どうやらグッド・タイミングだったようで、この小舟から魚が下ろされ、男が2人で棒に吊るした魚網を運んできました。
浜に人が集まってきました。
そこへ担いできた網の中身を放つと、砂の上に銀色に輝く魚が広がりました。
次から次に網が運ばれ、あっという間に魚の山ができます。この魚はタチウノのようです。
魚の周囲に群れている人々は漁師の家族なのか、大漁を祝って集まっているのか、魚を運ぶために集まっているのか、はたまた魚を買おうと集まっているのか?
沖合からどんどん小舟がやってきます。
漁師の子供たちでしょうか、ざるを抱えた子供たちも手伝いに舟に向かいます。
見る見るうちにその小舟は浜辺に上がり、とても賑やかになりました。
あたいら、そんなことは関係ないよ、という子供たちは砂浜を掘っくり返して遊んでいます。
よく見れば、魚の周りに集まっていたのはみな女です。やはり男が海に出て、女がその帰りを待っていたという構図でしょうか。
水揚げが一段したらしく、このあと女たちはこの魚を持ってきていた籠に詰めて、家に帰って行くのでした。
女が集まればそれに付いて子供たちも集まります。
ここの子供たちは観光客はめずらしいのか、はじめの頃は私たちを遠巻きにしていたのですが、そのうち恐る恐る近づいてきました。
最初はどこからきた、何人だ、などとありきたりな質問をしてきていたのですが、だんだん興奮してきて、後の方はなにを言っているのかさっぱり。
そのうちどういうわけか、みんなでかけっこが始まってしまいました。
ああ、楽しかった!
コナラクの海岸を楽しんだ私たちはいったんプリーのホテルに戻って、少し遅めの昼食を。
一休みしたあと、ホテル近くの海岸に出てみました。そうしたらこちらでもコナラクの海岸と同じように魚が揚げられていて、やっぱりおなじように沢山の人々が集まっていました。
ちょうど日没の時刻です。
みんな水揚げされた魚の分け前をもらって家に帰り、浜は静かになりました。
男たちは魚網のかたづけをし、最後に残った女たちも頭に魚の入った籠を載せて帰路に着きます。
日が沈むと浜には誰もいなくなったようでした。ただ数艘の小舟だけが浜辺に上げられているだけです。
夕暮れを楽しんで、さあホテルに戻ろうと思ったら、その小舟の脇から気配が。丸座になっているのは漁師たちでしょうか。この10人ほどは、毛布にくるまってトランプのようなゲームをいつまでも続けていました。これから漁に出る?
私たちがホテルに戻ると、ちょうどそこにケンリョウさんのデリー大学時代の友人サフーさんがやってきました。プリーにはサフーさんの家があり、お招きいただきました。
オート・リクシャーに乗って街に出ます。この街は街灯もなにもなく、車もあまり通らないので夜はかなり暗い。道端ではランタンを灯した物売りが並んでいます。
ランタンの下では衣類から食料、なんだかよくわからない機械の部品など、ありとあらゆるものが売られています。
こちらは八百屋さん。ランタンの下の野菜はどれもおいしそうで、店主の笑顔が良かった。
こんな街の中にサフーさんの家はあります。3階建てのコンクリートの建物の2階がお宅です。6畳ほどの部屋に用意されていたのは、バナナの葉っぱをお皿にした伝統料理。このお皿はなかなか便利、食べ終わったらそのままポイっとしても大丈夫。サフーさんが注いでくれているのはこのあたりで造られているビールです。部屋の灯りは天井に裸電球があったと思いますが、十分というにはほど遠い照度しか得られないようです。
このあと近くのレストランに移動し、夕食をいただきながら今後の旅の予定や雑談をして時を過ごしました。たまたまサフーさんは休暇中なので、この付近をいっしょに廻ってくれることになりました。その上、彼がデリーに戻る時期が私たちがデリーに到着する時期と同じなので、デリーで再会することにしました。
話が盛り上がってずいぶん時間が経ち、いつの間にか夜中になっていました。サフーさんの家からは再びオート・リクシャーでホテルに向かいます。
しかし、来る時は2台でしたが帰りは1台しか掴まらなかったので、しかたなく無理矢理に全員乗り込みます。私たち6人とドライバーで合計7人、このちっこいオートバイタクシーのどこにどう乗ったのか、もうはっきりとは覚えていませんが、体の半分は車体の外に飛び出していたでしょう。もちろん夜道は真っ暗闇で、どこを走っているのかさっぱりわかりませんでした。
1992.01.07(火) プリー → ブバネーシュワル
発着地 | 時刻 | 備考 |
---|---|---|
プリーの宿 | 発09:50 | South Eastern Railway Hotel 07:00 起床 07:30 漁村までジョギング 08:30 朝食/オムレツ、ジュース、パン、紅茶 |
日本山妙法寺 | ||
ジャガンナート寺院 | ヒンドゥー教寺院、12世紀のカリンガ様式 | |
テンプルロード | ||
プリーの宿 | 発13:15 | 専用車 |
プリーの海岸 | 昼食/ホテルThe Hans Prachi/マッシュルームスープ サラダ、ツナフライ、カレー2種、ビール、紅茶/リッチ! |
|
ダウリギリ | Dhauligiri、Shanti Stupa(平和塔) | |
ブバネーシュワル | 着18:00 | New Kenilworth Hotel 20:30-22:00 夕食/ホテル向かいのレストラン/ サラダ、チャバティ、カレー3種(豆、チーズ、鶏) 旨い! |
1Rs(ルピー)=6円 |
プリーは漁村であると同時にヒンドゥー教の4大聖地のひとつです。クリシュナの分身であるジャガンナート神を祭ったジャガンナート寺院があるからです。このジャガンナートは『世界の主』という意味だそうで、実はこのあたりの土着の神様だったのが、あとでヒンドゥー教の神様クリシュナとくっついたそうな。
そのジャガンナート寺院に至る大通りがこちらです。
この大通り、かなり広いのにいつでも人、自転車、サイクル・リクシャー、そして牛さん(TOP写真参照)と大賑わいです。
しかし、6月下旬から7月上旬に行われるラタ・ジャートラという山車のお祭りの時にはこんなものではないそうです。それこそこの通りがびっしりと人で埋め尽くされ、動くことも出来ないほどになるそうです。
道端ではジャガンナート寺院のための作業でしょうか。石工がなにやらおっきな石をノミでこつこつとやっています。
そんなところの近くには、いつでもどこでも子供たちが暇そうにして眺めているものですね。
大通りの先に高い塔が見えてきました。あれがジャガンナート寺院です。
さすがに4大聖地と言われるだけあり、かなり立派です。今この大通りを行く人たちの中にも、あそこを目指している人はたくさんいるのでしょう。
大通りから一本それた路地には庶民の生活があります。建物は大抵2階建てで、高くても3階建てです。
1階は道路から1mほど上がっていて、テラスのような使われ方をしています。たいていそこでは男がゴロゴロしていて、道には運搬用の自転車が溢れています。
そんな路地の正面にジャガンナート寺院が聳え立ちます。
路地のガチャガチャ感と、寺院の屋根の凹凸が、妙に合っているように思えます。
さて、そのジャガンナート寺院、12世紀に建てられたお寺でカリンガ様式という造りだそうです。奥から、一番高いものがホワイト・パゴダと呼ばれた高さ65mの高塔(シカラ)を持つ本殿、ピラミッド状のものが順に三つ、拝殿、舞楽殿、供物殿。全体は高さ6mの二重の壁で囲まれています。
ここはヒンドゥー教徒以外は入れないので、私たちは向かいの建物の屋上から観ました。ここの高塔に近いものが太陽神寺院にもあったというわけですね。
この屋根の像、愛嬌ありますね。写真は玄関となる建物だったと思いますが、こんなのが拝殿や供物殿の屋根にびっしりと載っています。
ジャガンナートは元々は土着の神様だったことは述べましたが、その姿はこのようなものとして表わされています。→ジャガンナートの姿 ここではクリシュナ(=ジャガンナート)の兄のバララーマ、妹のスバドラーとともに祀られているので、こうした像は彼らのいずれかではないかと思います。
ジャガンナート寺院近くをぶらぶらしていると、こんな建物がありました。窓にはガラスは入っておらず、腰と欄間は透かし彫りのようで、風通しが良さそうです。
こうした開口部はおそらく内部に扉があって、雨風が強い時には閉じられるのだろうとは思いますが、かなり大胆です。ギリシャ・ローマ風の柱などの設えから見て、少なくともかつては格式の高い建物だったのではないかと思いますが、いったい何でしょう。ジャイプールにはもっともっと凄い『風の宮殿』というのがありますがね。
街角にはところどころ井戸があります。このあたりの民家には水道がないところもあるのだろうと推測するのですが、こうしたところに水汲みに来る人の姿をあちこちで見掛けました。
その隣にいらっしゃるのは水の神様サラスヴァティーでしょうか。この向かいの壁には神猿ハヌマーンがいます。ハヌマーンはけっこう人気のようで、あちこちで見掛けます。
オープンエアの地べたで商売するこの店は何かと思ったら、植物の種屋さん。
小袋には植物の絵が描かれているのでだいたいは想像できるのですが、まったく知らないものもたくさんありました。
ジャガンナート寺院からだいぶ離れると道は少し落ち着きを取り戻し、人々の生活が見えるようになります。
暇そうなサムローが道端に止まり、頭に籠を載せた女は買い物から帰ってきたところでしょうか。家族とおぼしき三人は水浴びです。
さて、インドと言えばヒンドゥー教、ヒンドゥー教と言えば牛! そんなもんでとにかく牛さんはそこら中におります。もちろん誰も虐めたりしないから、どこでも我が物顔。ん〜〜ん、はっきり言ってじゃまだな〜。。
聞いてみました、インドの人に。もし間違って車で牛を轢いちゃったらどうなるかって。そうしたら、
『しらんぷりして一目散に逃げる』 んだそうな。あ~、やっぱりね~。
プリーはヒンドゥー教の聖地として有名なところですが、街中はぐちゃぐちゃがちゃがちゃと楽しく、のんびりした漁村という顔も持ち合わせていました。
プリーはこれでおしまい。次ぎはここから50kmほど離れたブバネーシュワルに向かいます。
海岸線を行くと、そこには現代的な風力発電と現代的な火葬場がある一方で、藁葺き屋根の農家の壁には、米の粉で絵を描くという伝統が残っていたり、通りの民家は今にも屋根が朽ち果てそうだったり。
郊外に出ればただひたすら田園が広がります。ちょっと休憩をと車を下りたところの少年に、
『喉が渇いたからヤシの実取って来て。』 と頼むと、少年はニコッとして大きなタオルのようなものを手にしたと思うと、スルスルスルとヤシの木を上って行きました。子供の笑顔はいつでもどこでも素敵です。
ブパネシュワールから8kmほど南にあるダウリの街に入りました。
ここはアショカ王のマウイヤ朝とカリンガ国の戦いであるカリンガ戦争の舞台だったところで、アショカ王の勅令が刻まれた碑文が見つかっています。この碑文の上には、オリッサの初期の仏教彫刻である岩から削り出された象の像があります。
この碑文のところから見えるダヤ川の畔の丘、ダウリギリに上って一休み。
そのてっぺんには白いドームがあります。これは仏塔。
カリンガ戦争はインドの歴史の中で最大かつもっとも悲惨な戦いだったとされます。この戦いで赤く血に染まったダヤ川を見たアショカ王は仏教に改宗し、ここを仏教の中心地にすることにし、寺院や仏塔を建てたといわれています。
新しく建てられた仏塔から夕日を眺めたのち、ブパネシュワールへ向かいました。