オリッサ州の州都ブバネーシュワル(Bhubaneswar)は紀元前に存在したカリンガ国の都でした。カリンガ国はマウリヤ朝のアショカ王によって滅ぼされますが、カリンガ戦争を期にアショカ王が仏教に改宗しそれを広める地としたのが、私たちが昨日立ち寄ったダウリギリです。
しかしマウリヤ朝が滅ぶとこの地には古代ヒンドゥー教と言えるバラモン教が、そしてヒンドゥー教が根付き、これらはカリンガ建築と呼ばれる寺院を造り出しました。その数は最盛期には7,000もあったとされます。
今日ここには、主に6世紀から13世紀の寺院が多数残っています。今日はこれらの中の代表的な寺院を三つ巡ります。
私たちのホテルは州立博物館や観光局などがある比較的便利なところにありますが、大都市の喧噪とは無縁のところ。道路には人力で穴が掘られその脇を大きな藁草を積んだ牛車がのろのろと通り過ぎて行きます。
朝食の前にちょっと散歩に出てみました。
道端には様々な露店が出ていて、こちらは魚屋さん。ビニールシートを地面に広げ、コイとおぼしき魚をなんとナタでバシバシと打ち付けるようにして捌いています。ところ変わればなんとやらですが、これにはちょっとビックリ!
こっちは八百屋さん、まあこれは普通ですね〜。
ところがこの野菜、見た目は日本にあるものとそれほど変わりませんが、食べてみてびっくり。大根も人参も、その他のあらゆる野菜にしっかりとした『味』があるんです。これらを食べると、日常的に私たちが日本で食べている野菜にはほとんど味がない!と感じるくらいなのです。本当におどろきです。
ちょっとした建物の周りに大勢の子供たちが集まっていました。なんだろう、と近づいてみるとどうやら小学校のようです。カメラを構えたらみんな集まってきてハイ、ポーズ!
ちょっと遠くまで歩いて来てしまったので、帰りはリキシャーを拾いました。2ルピー(12円)也。
ホテルに戻り、朝食をとった後はお寺巡りに出発です。オートリキシャーでまずムクテーシュワル寺院へ向かいました。
インドでは水場があればそれはいつでもどこでも沐浴場となりますが、これはムクテーシュワル寺院の中にあったきちんと整備された沐浴場です。
ムクテーシュワル寺院はシヴァ神に捧げられた10世紀建立のヒンドゥー教寺院で、このあと1世紀に渡って建築されることになる、ラジャラーニ寺院やリンガラージ寺院を始めとするオリッサ地方の寺院群の元になった重要な寺院とされています。
ここはヒンドゥー教寺院の基本形を良く表わしています。それは日本の神社と同じで、一番奥が本殿、その手前が拝殿。
※ 一般的には本殿はガルバグリハ、拝殿はマンダパと呼ばれますが、ここオリッサ地方ではそれぞれ、デウル、ジャガモハンと呼ばれ、ピラミッド状の屋根が載った拝殿はピダー・デウルと呼ばれます。
ここには他の寺院にはないものもあります。それはトカナと呼ばれるアーチ門です。このトカナがすばらしく、小さなお寺にもかかわらず全体の構成は整った美しさを持っています。
トカナは仏教建築の影響を受けたといわれていますが、それは山門のことでしょうか。これまではこのような門はなかったようです。
仏教建築の影響といってもそれはおそらく全体の配置の中でのゲートとしての性格であり、形状はまったく異なります。
トカナは太くて短い柱を持ち、表裏ほぼ相似形で、水の精で天女ともいわれるアプサラスの象など、優美な装飾が施されています。
本殿内には神が宿る像が安置されますが、開口部は拝殿側に出入口が一箇所あるだけで、窓はありません。
本殿の上には高塔(シカラ)が載っています。その上には聖なる果実アンマロクを象った円盤状のアーマラカが戴り、てっぺんに水瓶形の頂華(カラシャ)が見えます。
高塔の高さは10.5mでこの手の寺院としてはかなり低いです。
しかしそこに施された彫刻は見事で、人物や装飾模様がびっしり。中央には踊るシヴァ神ナタラージャと、怖〜いキルテムカーの像があります。
この寺院の名前は『自由を与える主』という意味だそうです。
ちょっとエロティックにも見える自由な姿の彫刻!
ここでは毎年ダンスフェスティバルが行われ、伝統的なオリッサの音楽とオリッシーと呼ばれる古典舞踊が繰り広げられるそうです。なんといってもここのご本尊のシヴァ神は舞踊神ナタラージャですからね。
ムクテーシュワル寺院を堪能したらその周辺をぶらぶら。このあたりにはには有名なお寺が集まっているのです。
ラジャラーニ寺院は11世紀の建立とされ、高さ18mの高塔を持つ本殿とピラミッド型屋根の拝殿から成ります。
残念ながらここには御神体が残されていないのですが、シヴァ神を祀っていたのではないかといわれています。
このお寺の高塔はクラスターにより構成されていて、先ほどのムクテーシュワル寺院のものとは少し異なり、より複雑になっています。
高塔の下半分は人物像で埋め尽くされています。
このお寺は地元では『愛の寺院』と呼ばれているそうです。
ヒンドゥー教のお寺の像って、いつでもどこでもダンスをしているようで、楽しい。
この地域で一番大きなお寺がこのリンガラージ寺院。11世紀から12世紀にかけて建立されたこの寺院の高塔の高さは55mもあり、全体としては50もの寺院があるそうです。
中央寺院は四つの要素で構成されています。本殿、拝殿、舞楽殿(Nata-Mandira、ナト・マンディル)、そして一番手前に供物殿(Bhoga-Mandara、ボガ・マンダラ)。
寺院名のリンガラージは『リンガの王』の意味だそうで、シヴァ神に捧げられています。リンガはシヴァの象徴的な形で、多くの場合は円柱が垂直にそそり立つ男根形をしており、シヴァを祀る寺院などで良く見られます。面白いことにここはヴィシュヌとシヴァを合わせた形のハリハラとして崇拝されており、ヴィシュヌの像があるそうです。
ここはヒンドゥー教徒以外は入れないので、塀の外から眺めましたが、なかなか風格があるお寺でした。
お寺が集まったエリアから、新市街の南西にある丘に移動しました。ここには紀元前1世紀ごろのものといわれるジャイナ教のウダヤギリとカンダギリという僧院があります。
当時この一帯はカリンガ国が支配しており、その領域は南インドにまで及んだそうですが、最終的にはマウリヤ朝のアショカ王に敗れ衰退しました。そのカリンガ国の王カラバルが信仰したのがジャイナ教で、ここはその僧侶たちが瞑想する場所だったといわれています。
カリンガ国を征服したアショーカ王によって
この僧院は岩をくり貫いて造られた洞窟のようなもので、一般的には石窟寺院と呼ばれます。鬱蒼とした森の中にひっそりとその洞窟群はあります。東西相対する二つの丘のうちの東の丘がウダヤギリ、西の丘がカンダギリ。
ウダヤギリは18窟から成る僧院で、祠堂はないそうです。房室の前面に柱廊が設けられたもの、それがないもの、二層になったところなどがあります。
これはウダヤギリの中で最も大きなラーニー・グンパーと呼ばれるもの。
2階部分は柱廊ですが1階部分にそれは見られません。しかしその壁には柱などの装飾が施されています。
2階の柱廊の内側を見てみると、そこはいくつかのゾーンにわかれており、柱頭には装飾の彫刻が施されています。
その奥の壁面にいくつもの房室が並び、その上にレリーフがあります。
食べ物を運ぶ天女のようなもの、弓を引く男、踊る女などが見えます。
これはより単純な房室で、ただ岩山をくり貫いただけに見えます。ここにはこれらの他、カエルが大きな口を開けているように見えるに『虎の石窟』や、ガネーシャ石窟といったものがあります。
この石窟群の西南方にあるカンダギリ石窟群はウダヤギリと同時代のものだそうですが、15窟で少し規模が小さいようです 。
本日の観光はこれでおしまいなのですが、宿に戻る途中に建てられたばかりの集合住宅があったので、寄ってみました。
コンクリート造の立派な建物ですが、同じ形状のブロックが何百と並んでいて、ちょっとびっくりします。
そして偶然、一昔前の集合住宅に出会いました。階段室型の二戸一で、前庭を持っていますが、建物も庭もあまりメンテナンスされていませんね。
さて、これでブバネーシュワルはおしまい。夕方の便でバラナシ(Varanasi)へ移動です。ちょっと遅めの昼食を取ったのち、空港へ向かいました。空港は町の中心部からわずか数kmのところにあるのですぐに到着。
ロビーで滑走路を眺めながら時間を潰していると、どこからの便だか、インド国内航空の旅客機がものすごいスピードで目の前を通り過ぎて行きました。
『お~、今の見た? あれちょっとスピードオーバーじゃない…』 という声が。
そしてしばらくすると、ナンジャカンジャナンジャカンジャ と場内アナウンスが。これを聞いた我らがガイドは、目の色を変えてどこかへとスッ飛んで行きました。しばらくして戻ってきたガイド、
『今日のバラナシ行は欠航になりました。さっきの飛行機がバラナシ行になるはずだったのですが、オーバーランして車輪が壊れて飛べなくなったそうです。』
『えっ、えぇ~~、そ、そんなぁ~ …』 と全員。。
こうして今日バラナシへ飛行機では移動出来なくなってしまったのです。
『ど、ど~する~?』
『インド国内航空以外の便はないの?』
『バスで移動するってのは?』
インド国内航空以外の便はないし、バスでの移動となるととんでもない時間がかかるそうな。さて困った…
『そんじゃあ、バラナシを飛ばして次の予定のアグラに向かうってのは?』
『そんなぁ~、バラナシは絶対行きたいよ~』
とこれも纏まる気配なし。
『じゃあ、行程はきつくなるけれど、一旦デリーに出て、そこから空路でバラナシに入るってのはどお? デリー行きの便ならここからもあるはずだよ。』
どうやらこの案しか無さそうである。という訳で、今度はデリー行きの便の押えに走る我らがガイド。まあこういう時はガイドがいると助かりますね。しかし、バラナシ行の客の多くは同じように考えている。エアラインのカウンターはもうむちゃくちゃである。なんとか係員を捕まえた我らがガイド、こっそり袖の下になにやら入れたらしい。
とにもかくにもこうして、なんとか私たちはデリー行きの便に乗り込むことが出来たのでした。