ヒンドゥー教の一大聖地バラナシだ!
予定より1日遅れてバラナシに着いた私たちは、まだ暗い早朝に起き出し、ガンジス川の日の出を見に出かけました。ボートに乗り込みゆらゆらとガンジス川を漂いますが、まだ暗い上に朝靄が掛かっているようで、周りはよく見えません。
蝋燭に火を灯した花かごを川に浮かべます。 これはバラナシに巡礼に訪れた人々が必ずすることだそうです。
しばらくして空が明るみだすと、ようやく遥か彼方からお日様が顔を出しました。
思わずここではお日様に向かって手を合わせてしまいます。
対岸はガートがある西岸と違ってほとんど何もありません。ただ太陽が昇る地となっています。
こんなに朝早くでも人々は活動しているようで、漁師のものなのか、小舟が一艘、ニ艘。
私たちのボートはガートの側を通りながらゆっくり進んで行きます。
漕ぎ手のお兄さんがボートを漕いでみるかというので、さっそく試してみるケンリョウさんとサイダーでした。このボート、かなり重くて漕ぐのはけっこう大変。
さてガートですが、これは川岸などに設けられた階段状の施設のことです。
つまり水辺へのアプローチを可能にする施設ということですが、ここガンジス川のガートはそれに留まらず、テラスや休憩所といったものが設えられています。
バナラシのガンジス川の西岸には約6kmに渡って無数のガートがあります。
ここはかなり高さのあるガートです。ガートは雨期の増水を見込んで造られており、堤防の役目も果たしているそうです。
バラナシのガンジス川といえば、インド中から、いや世界中からというべきでしょうか、人々が集まる大沐浴で有名です。
しかしガートで行われるのは沐浴だけとは限りません。洗濯をしたり、食器を洗ったり、口をすすいだりということが沐浴する人々のすぐ隣で行われます。
ここでは何人かが川に入り沐浴していますが、一番手前の人はコップに水を汲んで口をすすぐところのようです。
ここは洗濯場です。みんな洗濯物を頭に載せて集まってきています。
カンガー(ガンジス川をこちらではこう呼ぶ)は人々の生活の場なのです。
ここで我らがメンバーの紹介を。まだ朝早いのでみんな眠そう!
左から、まだほとんど寝ているハッちゃん、ようやくお目覚めのコウノさん、観音さまのようなユウコさん、仏さまのようなケンリョウさん、そして赤一点サリーナ、カメラはサイダーでした。
トンガリ屋根はヒンドゥー教の寺院です。
たいていの寺院の高塔は遠くからでもよく見えるのですが、ここは斜面地なのでうしろの建物に隠れてあまり良く見えません。しかし舟が進むにつれ、こうした高塔がたくさん現れます。
建物が密集しているところにやってきました。
ここはガンジス川の数あるガートの中でももっとも賑わいのあるダシャーシュワメード・ガートで、メイン・ガートと言ってよいところです
ガンジス川に沿ってはホテルやレストランなどいろいろな建物が立っていますが、中にはマハラジャの館だという宮殿のような建物もあります。
まだ朝早くなのでガートはガラガラかと思いましたが、結構な人出です。もっともこれはかなり少ない方だそうで、ピーク時にはあの階段が見えないくらいに人で埋め尽くされるといいます。
朝早くなのになぜこんなに人が。
それは沐浴は朝日に向かって行うのが最も良いとされているからです。人々は日の出前にやってきて、日の出と同時に沐浴を始めるそうです。確かに先ほどボートに乗り込んだ時はもっとずっとたくさんの人がいました。
ガートの近くにはお寺が並んでいます。本殿の上に立つ高塔があちこちにニョキニョキ。
真っ赤な外観の寺院の多くは『血と破壊と死』を司るドゥルガー女神を祀るお寺なので、ここに見えるものもそうかもしれません。
この寺の前には日傘がたくさん並んでいて、その前には比較的大型の舟が停まっています。
日傘があるところはテラスになっていて、そこは休憩所や説教の場として使われています。
ここからはお寺が五つ見えます。そのうち一番右のものは、えっ! ガンジス川の中?
いったいなぜあんなところにお寺の屋根があるのか・・・
その下のガートはなにやら複雑な形状をしています。
お寺などの建物が地形に沿って段状に幾層も積み重なり、川辺まで延びています。
そして川には筏のようなものが出され、そこで大勢が身体を拭いたり着替えをしたりしています。
筏の向こう側はコンクリートの箱がいくつも置かれたようになっており、それらの間に狭い階段が設えられています。コンクリートの箱の上はテラスで、日傘が置かれています。
今は一年で一番寒い時期。暑い国というイメージがあるインドですが、この時はおそらく10°Cを下回っていたと思います。
そんな中でも人々は裸になって沐浴をするのです。
このガートはほとんど人がおらず静かです。
人気のガートとそうでないところの差はなんなのか、アクセスの良さや、設備といったものでしょうか。
この方はガンジス川の畔で一心不乱に笛を吹き続けています。
インドでは物乞いをする人も多いのですが、この方はその類いではなさそう。音楽を神様に捧げているのでしょうか。
このあと白い煙が立ち上るガートを通りました。火葬場だそうです。ここはあとで陸上から見学することにして、ボートは引き返しました。
ボートを降りてガートに立つと、そこは人で溢れていました。
痩せこけたヤギはどこから出て来たのでしょうか。牛はいつでもどこでもそのへんをほっついていますが、ヤギは飼主がいると思うのですが。
ガートの上からガンジス川を覗けば、そこには沐浴する人の姿があります。
ヒンドゥー教では沐浴を行うことで、罪を流し功徳を増す、と信じられているそうです。沐浴とは一般的には身体を洗い清めることですが、ヒンドゥー教の儀式としては次のような一連の動作になるようです。
川に入り、太陽に向かい、水を汲み、祈りの言葉をささやき、汲んだ水を太陽に捧げ川に注ぎ、その後、自身の頭などに水を掛け、身体を浄める。
そうは言っても人によりやり方は少しづつ違うようです。ジャブンと頭まで水に浸かる人、腰まで入って顔や肩に水を掛ける人、金たらいのようなものに水を汲み、体を拭う人など様々です。
ところでガンジス川ですが、ご覧のように水は濁っていてきれいではありません。現地の方はこの水で口を漱ぐとのことですが、とてもやる気にはなりませんでした。
ガートの上には唐傘風のテントを張った休憩所のようなところがたくさん並んでいます。右のおじさん、これから沐浴するのでその前に身支度ということなのか、左のおじさんに髭を剃ってもらっています。ここは床屋さん?
場所によってはヨガで瞑想をしていたり、ヒンドゥー教でも特別な宗派なのか、一糸纏わぬ姿で全身に白い粉を付け、呪文のようなものを唱えている人など、ありとあらゆる人がここにはいます。
長い旅をしてこのバラナシのガンジス川の畔までやってきた人々でしょうか。ある人は毛布に包まり横になり、ある人は何をするでもなく、ただぼーっとガンジス川を眺めています。
この脇では、偉い坊さんかなにかなのでしょうか、川縁に立つ一人の男を取り囲んで人々が集まっています。どうやらこの男はバラモンらしく、周りの人に説教をしているんだとか。(TOP写真)
ガートの周りには様々な建物が立っていますが、その一番下で大きな布を広げているところがありました。
遠目には染め物のように見えましたが、近づくとそれは洗濯物のようでもあります。
これはサリーでしょう。サリーはインドを始めとする南アジアで女性が着用する民族衣装で、このあたりの女性は全員これを着ています。その長さは5m、長いものは8mほどあるようです。
ベランダの手摺にはもう干すところがなくなったのか、この人は手に持って干しています。いったいいつまでこうしているのかな〜。。
このあとボートから見た火葬場マニカルニカー・ガートへ行ってみました。ここへはインド各地から荼毘に伏されるべく、遺体が集まって来ます。遺体は白い布に覆われ、時に赤や金色といったきらびやかな布に包まれ、竹で作られた担架に乗せられて川辺まで運ばれます。
ここに来るとまず異臭が鼻を突きます。死臭。
ガートに積み上げられた薪の上に無造作に遺体が置かれると同時に、薪に着火されます。ただボーボーと燃えていく死体。足は積まれた薪からはみ出し、そこだけが依然として人の姿をしている。
涙を流しつつお別れというのは別の場所でやられているのかもしれませんが、ここではとにかく、事務的、機械的に、流れるように事は運んでいきます。遺体が次から次とへ運ばれては焼かれ、運ばれては焼かれ。焼かれる前の順番待ちの遺体はガートの途中にただポンと置かれるだけ。
バナラシのガンジス川の近くで死んだ者は、輪廻から解脱できると考えられていて、インド中から死を待つためにこの地にやって来る人々もいるそうです。彼らはムクティ・バワン(解脱の館)という施設で、ただ死を待って過ごしているとか。
焼かれたあと残った灰はガンジスに流されるそうです。しかし、中には火葬されずにガンジス川に流される人々もいます。赤ん坊、妊婦、そして蛇に噛まれて死んだ人は黄色い布に包まれ、舟に乗せられ、沖で川に流されるそうです。貧困ゆえ火葬に出来ない人々は、それこそ闇夜に紛れてひっそりと。
驚くことにこの火葬場の前で泳いでいる人がいます。裕福な人々は金銀などの装飾品を身に着けたまま荼毘に付されます。その装飾品も灰とともにガンジスに流されるのです。彼らはこうした金目のものを川底から拾っているのです。
ここは撮影禁止なので写真はありません。
さて、ガートの散策を終えたらその付近の通りを覗いてみます。
きれいな花やおまんじゅうのようなお菓子が並んでいますが、これらはみんなお供え物で、花はバラとマリーゴールドが定番。お菓子はミターイーと呼ばれます。
ここに並ぶ店はすべてが宗教関係のものを扱っていると言っていいでしょう。ちらっと覗いたこのお店には、金ピカの飾りがたくさん並んでいました。
こうしたお供え物は、ガンジス川のガートで毎日日の入から1時間ほど行われるアールティー(祈りの儀式)にも使われるようです。
通りを抜けた先に金色のお寺が見えました。これはヴィシュワナート寺院(Vishwanath Temple)、俗称ゴールデン・テンプル。本当にゴールデンでピカピカです。
私たちが歩いて来た道はこのお寺の参道で、ヴィシュワナート・ガリーというものでした。ガリーは『小道』という意味だそうでが、確かに狭い!
このお寺はシヴァ神に捧げられたもので、リンガ(男根石)が本尊。このあたりではもっとも重要な寺院だそうです。寺院名は『世界の主』という凄いもので、現在の建物は18世紀のものだそうです。金ピカなのは、あるマハラジャが1t もの金を寄付したからだそうな。功徳を積むと来世でより上の身分に生まれ変われると信じられているのです。
ガート周辺の散策を終えていったん宿に引き上げます。
インドはどこでもですが、このバラナシの街中もぐちゃぐちゃ。あちこちでほっくり返される狭い道。そこに押し寄せる人と車。
リキシャーと牛も!
昼頃、バラナシから北に10kmほどのところにあるサルナートへ向かいました。
バラナシの伝統的な産業は絹織物だそうで、これは主にサリーなどに加工されるようです。ここで絹織物工場を覗いてみました。この工場、ほとんどに手作業と言って良いようなやり方で絹を織っていました。手で紐をひっぱり、足でがちゃがちゃ。完全オートメーションの工場を見るよりよっぽど楽しいです。
ここでパジャマを購入。着心地最高〜
サルナート(Sarnath)は仏教の四大聖地のひとつとされるところで、釈迦が悟りを開いた後に、初めて説法を説いたところと言われています。
ここにはダーメーク・ストゥーパなどがありますが、基本的には遺跡なので大した面白みはありません。はがき売りの少年が寄ってきて、買ってくれとせがむのですが、あまり良い出来のものではなかったので買いませんでしたが、後で思えば、その少年はもちろん裕福なわけはなく、少しでも生活費の足しにしようとしていたのでしょうから、2~3枚だけでも買ってやればよかったかな、などど思ったりもしました。
ここは当時鹿が多く住む林だったそうで『鹿野苑』と呼ばれ、奈良の鹿公園の元になったところだそうです。
サルナートを歩いていると建物が現れました。ムルガンダクティ寺院(Murgandha Kuti Temple)です。
このお寺は妙な形に見えますが比較的新しく建てられた仏教寺院です。中にはサールナートから出土した5世紀頃の作と考えられる初転法輪像のレプリカが置かれています。これはお釈迦さまが初めて説法した姿だそうです。しかしこの像、なぜか金ピカです。ここでも功徳を積まれた方がいらっしゃるのでしょう。
さて、サルーナート見学も終わり昼食後に次の目的地のアグラに向かうべく、空港へ。到着後しばらくすると、なんとまたまた飛行機が飛ばないというではないか。ナニ〜〜ィ… しかし前回のことがあるので、ここは全員冷静です。アグラまでは列車でも行けると言うので早々にここを立ち去り、郊外にある鉄道駅へと向かいました。
アグラ行きの列車は真夜中発ということなので、適当にぶらぶらと時間を潰します。20時ごろ駅でターリーの夕飯。ターリーはインドの定食とも言うべきもので、いくつかの料理が大皿に盛られて提供されるもの。大抵いくつかの小さな器にカレーなどが入れられています。豆、チキンカレー、チャパティとごはん、そしてヨーグルト。ターリーはどこでもリーズナブルな値段でおいしい。
しかしこれでまた、超絶に忙しい旅になってきたな・・・