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上海

上海+蘇州 1

開催日 1992.12.28(月)- 1993.01.03(日)

淮海中路の自転車軍団
淮海中路の自転車軍団

旅の紹介

◆ 租界時代のエキゾチックな雰囲気を残す上海、中国最大の人口を持つ上海、中国最大の商業都市上海、超高層ビルが建ち始めた上海、そうは言ってもまだまだ自転車が活躍している上海、上海雑技団の上海。いろいろな顔の上海を楽しみます。

地図:Googleマップ(航空写真でご覧ください。地図表示ではポイントの位置がずれます。)

1992.12.28(月) 外灘

外灘(バンド)外灘(バンド)

短い冬休みを過ごそうとやってきた1992年の年末の上海。

上海虹橋機場から路線バスに乗り、延安西路で乗り換えて外灘(バンド)までやってきました。

外灘(バンド)その2外灘(バンド)その2

外灘は黄浦江(ホアンプーヂアン)に面する山中東一路(チュンシャンドンイールー)の一部で、広い遊歩道が川に面して延びています。

ここは地元の人と中国人のお上りさんでいつも賑やかです。このころはまだ外国人旅行者はほとんど見掛けなかったです。

外灘(バンド)その3外灘(バンド)その3

外灘には租界時代からの立派な建物が建ち並んでいます。

時計台のある上海海関(税関)は1927年造、とんがり屋根は高級ホテル和平飯店、その隣は中国銀行です。

外灘(バンド)の対岸外灘(バンド)の対岸

黄浦江の対岸では新しい高層ビルがいくつも建設中です。

この黄浦江の東側のエリアはこれからどんどん開発が進みそうで、新しい上海の顔になりそうなプロジェクトがいくつも立ち上がりそうな、そんなところです。

上海大厦上海大厦

外灘を北に進むと、蘇州(スウヂョウ)河に架かるグレーの鉄の塊のような、ごっつい外白渡橋が現れました。この橋を渡った所に茶色の壁のような建物が立ちはだかります。これが私たちの宿、上海大厦(シャンハイ・ターシャ)です。

昼下がりの15時に到着。威圧的な外観とそのてっぺんの『aiwa』の看板がなんとも妙な雰囲気ですが、この宿のインテリアはちょっとレトロな感じでそう悪くもありません。

夜の外灘夜の外灘

夕方、和平飯店から西に延びる繁華街の南京路を散策して外灘に戻ると、遊歩道の街灯が緩いカーブを描いてどこまでも延びていました。

1992.12.29(火) 外灘、自由市場、豫園、黄浦江遊覧、大世界遊楽場

朝食の『ちまき』を買う朝食の『ちまき』を買う

この日は豫園(ユイユェン)をメインにして外灘周辺を歩くことにしました。朝食は和平飯店の近くで、ほかほかの『ちまき』を買いました。

ちまきはなんとおじさんの前にある金属製の器の中から出てきました。こんなところから出てくるのは始めて見ました。そしてそのお味は、やっぱり日本で食べるのとはひと味違いますね。とてもおいしいです。

揚げパン?揚げパン?

黄浦江には遊覧船があるというので、その乗場を探しつつ外灘を南下します。遊覧船乗場はすぐに黄浦公園のところで見つかり、1.5kmほど外灘を行ったあと、豫園方向に向かいます。

街中はどこも露店でいっぱいです。これは細長い揚げパンのようなものを作っているところ。

お好み焼き?お好み焼き?

その隣では大きなお好み焼きのようなものを。

とにかく街中どこでもこんな調子だから、そこら中からいい匂いがしてきます。

歴史ある建物で布団干し歴史ある建物で布団干し

上海といえば少し前の時代の租界が有名でしょうか。清とイギリスは阿片戦争を終結させるため、1842年に南京条約を結びます。これによって開港した上海に設定された外国人居留地が租界で、当初はイギリスとアメリカ合衆国、そしてフランスのものがありました。

そのころの建物は徐々に少なくなりつつありますが、まだあちこちに残っています。しかしそんな歴史的な建物であっても、そこに現在居住しているのは現代の上海人ですから、窓の外はご覧の通り。やっぱり洗濯物干しと布団干しはアジアの特権です。

椎茸を量る椎茸を量る

こんな疎開時代の建物を眺めながら歩を進めると、食材を扱う店が多くなってきます。こちらは八百屋さん。

路上にほんのちょっとした台を出して、そこに商品が積まれています。この店では日本ではもう見かけなくなった天秤秤を使って椎茸を量っていました。このあたりには魚屋さん、乾物屋さん、洋服小物屋さんと、なんでも揃っています。

豚足屋豚足屋

ここでは何でも商売になります。これは確か豚足屋だったと思います。

豚足は日本では肉屋の商品ですが、ここでは肉は扱っていないようです。

魚屋魚屋

こちらは魚屋さん。ぶくぶく泡がでる水が入った桶に種類ごとに並べられています。

『さあ、買った買った〜、今日はエビがおすすめだよ〜』 という言葉に釣られて足を止めた奥の女性は真剣な眼差しで品定めをしています。

通りを跨ぐ洗濯物通りを跨ぐ洗濯物

洋服屋や雑貨屋が集まるゾーンを過ぎると、道が狭くなります。その上には洗濯物がずらり。

このあたりは建物から直角に竿を出し、それに洗濯物を吊るす流儀らしい。大抵は竿の先は電柱などに掴まるのですが、そういったものが遠くにある場合は竿ではなくロープが張られます。

豫園が近づいてきました。

豫園近くの通り豫園近くの通り

豫園商場といわれるこの周辺は豫園の門前市が商店街として発展したもので、点心を売る店や土産物屋やその他の専門店がびっしりと並んでいて老舗も多く、各地からやってきた中国人がわんさか、行ったり来たりしています。

この外側、人民路と中華路で囲まれた円形のゾーンはその昔は上海城とよばれ、16世紀半ばに倭寇の襲撃を防ぐために作られた城壁が廻っていたそうです。ここは租界時代にも中国人だけが住んでいた地域で、今なお木造の建物が密集している、中国の臭いがとても強いところです。

豫園豫園

お店群の中を掻き分けるようにして着いたのがここ、豫園です。『豫』は『愉』のことで、『楽しい園』という意味を持つの明代の庭園。

豫園の中には中国各地から集められたという奇岩がたくさん。入口付近には池があり、その中に軒先が跳ね上がったいかにも中国好みの2階建ての東屋、湖心亭があります。ここにギザギザに架かる九曲橋を渡り中に入ると、そこはなかなか気持ちのよい茶屋でした。歩き疲れたのでこの茶屋で休憩です。

豫園の龍壁豫園の龍壁

豫園の内部は塀で5つのゾーンに仕切られています。それぞれの中にはいろいろなお堂や池があり、ぐるっと廻ればなかなか楽しいです。

が、わかりやすい楽しさはこの龍でしょうか。龍は皇帝の象徴なので普通は装飾に使うことを禁じられているそうです。でもここには龍がいます。この龍、爪が4本しかないので龍じゃあないそうな。龍って爪が5本なんだって。

新装開店?の花新装開店?の花

昼食は近くの豫園商場の点心店で、蒸し餃子、蒸し饅頭6種とお茶で15元/2人也。

さて、昼食のあとは外灘へ戻り、黄浦江の遊覧船に乗ることにしました。またまた市場を眺めながらぶらぶら行きます。

これは新装開店?の花。黄色の菊に赤い帯、そこに黄色の文字といかにも中国風です。

新装開店?の花路上で遊ぶ子供たち

ちょっと前までは日本の道もそうでしたが、路上は子供たちの遊び場でもあります。

こういうところでは小さな子から大きな子まで、様々な年齢の子らがわいわいがやがや。こうやって遊んでいるうちに子供たちは自然と社会性を身に付けていくのですが、管理された公園くらいしか遊び場のない日本では、子供たちはそれをどこで身に付けるのでしょうか。

黄浦江遊覧黄浦江遊覧

外灘の黄浦公園にある埠頭から黄浦江を遊覧する船に乗りました。9元/人也。船は黄浦江をゆっくり下り、長江(揚子江)との合流点までの30kmを往復します。大型の客船からジャンクまで、ありとあらゆる船が行き交うのを眺めながら時を過ごします。

しかしこの船のデッキはかなり寒く、景色は単調なのですぐに飽きてしまいました。13時半に出発して、戻ったのが17時なので3時間半の遊覧です。これはちょっと冗長過ぎです。

黄浦江の夕日黄浦江の夕日

陸に上がったら、夜は蟹でも食べよう、と向かったのは上海ガニで有名な王宝和酒家。

ところが上海ガニってのは有名なだけあり、一杯二千円ほどととても高価なのです。 それで上海ガニは諦めて、カニ豆腐、カニ玉、タケノコと高菜の炒め物、小龍包とお酒にしました。95元/2人也。しかし、隣のおばさんは上海ガニをムシャムシャと食べていた!

大世界遊楽場大世界遊楽場

夕食のあとは、昼間見掛けたちょっとあやしそうな大世界遊楽場という所に行ってみました。ここ、なんてたって『大世界(ダスカ)』が気に入りました。(笑)

強烈なネオンがギンギンギラギラのここは大衆演芸場で、ちょっとした遊園地のようなものもあります。入場料2元/人也。中にある『魔奇世界』というなんともすばらしい名前の看板の下には、『一部立体的 一座新奇的 魔宮』とあります。なんだかこれは面白そうと入れば、どうやらのお化け屋敷よう。真っ暗闇の中をジェットコースターで廻るもので、お化けの人形が置いてあるようなのですが、暗くてほとんど見えない上に、このジェットコースターが、ガクガク、ガッチーン、ビューン、ガタ、ガッターンという具合にとても廻りを見る暇がないほどの代物。すごくアホらしくて面白い!(笑) これは別料金で2元/人也。

大世界遊楽場の手品大世界遊楽場の手品

その他、大昔日本の遊園地にもあった射的なんかもありましたが、これまた的がとってもレトロでいいのです。

演芸のほうは、手品や雑技、京劇といったものがやられていて、こちらも日本で見られるのとはちょっと違って、少し滑稽で面白いといえば面白い。

とにかく一見の価値のあるところでした。お薦めです。(笑)

1992.12.30(水) 人民公園、玉仏寺、フランス租界、淮海路

壁新聞壁新聞

翌日はこの大世界遊楽場の近くの人民公園から、その南のフランス租界あたりをぶらぶらすることにしました。朝食はホテルでおかゆと饅頭をいくつか。中国のおかゆはとってもおいしくて朝ご飯にぴったりです。

人民公園に向かっていると路脇に掲示板があります。ここは結構な人が足を止めて、新聞を読んでいました。これによく似た日本の景色は町内会のお知らせ掲示板ですが、ここの新聞はごく普通の新聞のようでした。

人民公園人民公園

人民公園に着くと、そこには朝早くにもかかわらず大勢の人々が集まっていました。

赤い扇子を持って踊りのようなことをしている人々、これは太極拳かな?

人民公園人民公園

日なたのテーブルに集まっているのは男が多く、トランプや将棋を楽しんでいます。

そのテーブルを取り囲んで野次馬が何人もたかっているので、一つのテーブルには10人以上が張り付いています。

人民公園人民公園

こちらはのんびり、ぼんやりと日なたぼっこをしながら新聞を読んでいます。

外灘といい、この人民公園といい、本当にたくさんの人がいます。上海の人々は外で過ごすのがとても好きなようです。

上海市第一百貨商店上海市第一百貨商店

人民公園の東北の角には上海最大のデパート、上海市第一百貨商店があります。

上海の大きな建物は租界時代に造られたちょっとレトロなものが多く、この上海市第一百貨商店も1934年に建てられたものだそうです。

円形歩道橋円形歩道橋

その前は南京路と西蔵路が交わる大きな交差点で、ここには珍しいリング状の歩道橋が架けられています。

これが現地ではちょっとした観光地になっているようでした。

リング状の歩道橋に集まる人々リング状の歩道橋に集まる人々

その上は歩道橋が落っこちてしまうのではないかと思えるほどの人でいっぱい。

百貨店の中も人でいっぱいです。その割に店員が少なく、ここでカシミアのセーターでも買おうと思ったのですが、商品を見せてもらったりするのがものすごく大変で、断念。

上海市第一百貨商店からは西へ向かい、玉仏寺へ。門前の食堂でワンタンスープと蒸し餃子の昼食は7元/2人也でした。

淮海路を行く人々淮海路を行く人々

さらに行けば上海展覧中心というばかでかい敷地のばかでかい建物に出ました。ここはショッピングセンターのようなもので、家具や絨毯に始まり漢方薬までとありとあらゆるものが売られています。さきほど買い損ねたカシミアのセーターを格安でGET。

上海展覧中心からは南下して淮海路(ホアイハイルー)に入りました。

大きな荷を担ぐ人々大きな荷を担ぐ人々

この交差点を人々は大きな荷を担いでどこへやら。

淮海中路はフランス租界の中心で、旧蒋介石邸などの立派な建物があります。

トロリーバスの架線トロリーバスの架線

そんな建物を見てもいいですがそれより、ぐわ〜〜と道の端から端まで並んで走る自転車の群れ(TOP写真参照)や、もう日本ではなくなったトロリーバスなどを眺めるのが楽しい。

紙芝居のおじさん紙芝居のおじさん

横丁に入ると子供たちがたかっているところに出ました。

一体何事か? と覗いてみると、これまた日本では消えてなくなった紙芝居のおじさん。紙芝居が終わらないと飴は買えないんだよ!

飴を買う子供たち飴を買う子供たち

というわけで、画面に見入る子供たちです。

紙芝居が終わった所でちょっと変わった形の飴が子供たちに配られます。おいし〜〜い! といい顔。

淮海中路付近の煉瓦造の古い建物と超高層ビル淮海中路付近の煉瓦造の古い建物と超高層ビル

偶然、租界時代の古い建物の前に出ました。その向こうには超高層ビル。

上海は中国最大の人口を持つ中国最大の商業都市になりました。急速に近代化現代化の波が押し寄せ、超高層ビルがどんどん立ち始めています。

あの超高層ビルがこれからの上海の姿であることは想像に難くなく、この煉瓦造の建物もそう遠くない将来、間違いなく建て替えられることになるでしょう。

路上の縫製屋路上の縫製屋

ここには路上の商売がたくさんありますが、これはちょっと珍しいです。

大きなミシンで何を縫っているのかと思ったら、それはスポーツバッグでした。うしろには靴が置かれているのが見えるので、ここは普通の洋服や布ではないものの縫製屋さんのようです。

続々新装開店続々新装開店

さて、帰り道の南京路での夕食です。

海鮮三種とキヌサヤの炒め物、ブロッコリーの炒め物、鳥唐揚げのレモンソース、桂魚蒸、老酒で140元/2人也。

上海雑技団上海雑技団

上海の夜はやはりこれでしょう。上海雑技団!

昨夜行った大世界遊楽場はそれなりに面白いですが、やはり大世界とはいかずローカルさは拭えません。しかしこの上海雑技団の方は、もう世界的に有名と言ってもいいものになりました。入場料は20元/人で大世界遊楽場の10倍!

ほとんど体操選手かと思われるような軽い身のこなしに、頭とお尻がひっくり返ってしまうくらいに柔らかな体の持ち主が、次から次へと妙技を披露してくれます。パチパチ!

さて、明日は東洋のベニスともいわれるという運河のまち蘇州に行きます。

1993.01.02(土) 虹口公園、旧日本人街

外灘を行く人々外灘を行く人々

年が明けた1993年の1月2日、蘇州から上海に戻って来ました。外灘はこの前上海を出た時とまったく変わりません。

ここ中国は旧正月だからか、特別お正月らしい賑わいはなく、ほとんど平常と変わらぬ空気が流れています。

熱烈祝賀上海熱烈祝賀上海

この赤い垂れ幕には『熱烈祝賀上海』とありますが、これは新年の祝いなのかどうなのか、ちょっとわかりませぬ。

虹口公園入口虹口公園入口

さて、この日は上海の北にある虹口公園(ホンコウゴンユェン)に行ってみました。

中国では新正月も休みなのか、ここにはとても多くの人々がやってきています。

虹口公園入口付近の物売り虹口公園入口付近の物売り

そんなところには必ず物売りがいます。正面では果物を、左では団子のようなものを売っています。

こうした出店のほとんどが、荷車を合体したように改造された自転車です。もしかしたらそういう商品があるのかもしれませんが、商うものによって荷台の大きさなどが異なるので、おそらくオーダーものだと思います。

玉子売り玉子売り

これは玉子のようですが、味付け玉子でしょう。

お父さんは子供のために殻を剥いてあげています。

虹口公園虹口公園

虹口公園の中には大きな池や築山があり、日本でも有名な小説家であり思想家でもあった魯迅の墓があります。

広州から上海に移住した魯迅が住んだのがこの近くで、よくここを散歩していたそうです。

虹口公園付近の果物屋虹口公園付近の果物屋

虹口公園を出ると人々がたむろしているところがありました。

うしろの店ではバナナなどの果物を売っていて、その前に腰掛けが出されています。簡単な設えですが、パリのカフェに通じるものがあります。

サトウキビサトウキビ

この横で妙なものを見掛けました。竹のような木のようなものが路上に組まれて置いてあります。その隣ではおじさんがせっせとその木のようなものを鉈で削っています。

どうやらこれはサトウキビらしいのですが、いったい何に使うのでしょう? ジュースにするの? 

旧日本人街旧日本人街

虹口公園から南下すると旧日本人街です。

旧日本人街の立派な家旧日本人街の立派な家

このあたりには大正から昭和の初期にかけて、魯迅やその友人の内山完造をはじめ多くの日本人が住んでいたようです。

ここは日本租界とも呼ばれたそうですが、建物は日本風というわけではなく、どこかちょっとヨーロッパ調です。

旧日本人街の煉瓦造の建物旧日本人街の煉瓦造の建物

中には唐破風でかつてはお寺だったらしきものなどもありますが、ほとんどは煉瓦造のこんな建物が並びます。

連続したアーチが綺麗ですが、その窓に干された洗濯物がいかにもアジアという感じですね。

突き出た洗濯竿突き出た洗濯竿

その洗濯竿は壁から突き出ているようにみえますが、よく見るとその先端は電線の上に載っています。

日本だったら怒られますねぇ〜(笑)

柄のない竹箒柄のない竹箒

そんなところの路上では、柄のない竹箒のようなものが売られています。

これはかなり雑に作られているように見えるのですが、これで完成品なのでしょうか。

柄のある箒柄のある箒

こちらは柄のある箒。おじさんが丁寧に一つ一つ作っては塀に立て掛けていました。

一日いくつ売れるかな?

揚げ小龍包のようなもの揚げ小龍包のようなもの

歩き疲れて小腹が空いたら、ちょこっと点心でしょう。

これは小龍包を揚げたようなもの。

旧日本人街付近旧日本人街付近

車はもちろんのこと、まだモーターバイクさえ少なく、ほとんどの人が自転車に乗っています。

日本の景色であれば1950年ころでしょうか。しかしこのすぐ向こう側には超高層ビルが立っているのです。それが上海です。

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