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上海+蘇州 2
開催日 | 1992.12.28(月)- 1993.01.03(日) |
◆ 春秋時代に呉の都が置かれた二千年以上の歴史を持つ蘇州を巡ります。ここは『東洋のベニス』と呼ばれ、様々な運河が街の中を網の目のように巡り、周囲を外城河が流れます。水が豊かで風光明媚、静かに時が流れるところです。
地図:Googleマップ(航空写真でご覧ください。地図表示ではポイントの位置がずれます。)
1992年の年末も年末、12月の31日大晦日に上海から蘇州へと列車で移動。
上海の駅の窓口で『蘇州まで2人ね!』と中国語で言ったら通じたのがうれしかった。列車の切符は買うのに苦労することが多々ありますからね。
私たちが乗ったのは軟座(1等みたいなもの)で、日本でも良くある2人づつが向かい合わせの席でしたが、乗客がまったくいなくて独占状態でした。現地の方はみんな硬座なのです。
軟座の内装は、窓の下半分の目線部分がレースのカーテンで覆われていて、座席にもレースのカバーが掛けられている、ちょっとレトロな車両です。
上海から1時間ちょっとで着いた蘇州の駅は思ったより大きな立派な駅でした。
駅からは人力車(自転車で引く)で上海から予約した蘇州飯店に向かいました。
蘇州は水の都、運河の街で至る所に水路があります。
『東洋のヴェニス』とも呼ばれるそうですが、なんとここは二千年以上前の春秋時代に呉の都が置かれたところで、ヴェニスよりも歴史が古いそうです。
また、『蘇湖熟、天下足』 蘇州と湖州の作物が豊かなら、中国全土の食料をまかなうことができる。『上有天堂、下有蘇杭』 天には極楽、地には蘇州と杭州がある。このように様々に言われてきました。
蘇州の観光エリアは自転車で廻るのに丁度良い大きさで、あちこちにレンタサイクル屋さんがあります。
そこで、ホテルで朝食をとりちょっと休憩したあと、自転車を借りました。
旧市街は昔から区画がほとんど変わっていないらしく、大通りはまずまず立派ですが裏道はみんな狭い。
この町の主だった交通手段は自転車のようで、男も女も自転車に乗ったり押したり。
そんな裏道は庶民の生活が見え隠れして、楽しい。
民家の軒先には洗濯物が干され、その前を荷車に物資を積んだ人々が行き交います。あっ、この荷車も自転車です。
ちょっとした街角には物売りがお店を広げています。ここでは白菜や落花生といった日常の生活野菜が売られています。
蘇州の旧市街は外城河に囲まれた東西3km、南北4kmほどのエリアですが、留園、西園、寒山寺の3カ所の見どころはこのエリアから西に数kmほど離れたところにあります。まずはこの離れた見どころに向かうことにしました。
蘇州の中心部をぐるっと取り巻く外城河はこのあたりで一番大きな運河で、周囲は23kmほどあるそうです。
そこでは様々な物資を運ぶ船がいつも行ったり来たりしています。
『歓迎光臨』と書かれた看板があるここはどうやら生鮮市場のようです。
肉、魚、そして野菜が所狭しと並んでいます。
肉屋では日本ではあまり見かけない風景が見られます。
そもそも日本の肉屋は自分の所で捌いていないところもあり、仮に捌いていたとしても、それは店の裏、客が見えない所で仕事をします。ところがこちらでは店先で切り刻んでいます。日本ではまずお目にかからないブタの頭が、カウンターの上にデ〜ン。
ここでは小腹が空いても大丈夫。
お好み焼きのようなものや、
肉まんなどが並んでいます。
ここは点心の国中国ですから、こういったものはどこで食べてもおいしいです。
このころの中国は都市部の若者は人民服を脱ぎ始めましたが、お年寄りや地方ではまだまだ活躍しています。
そうそう、人民帽も。
日だまりでは家の前に女たちが腰掛け、編み物などをしています。
こうした家の玄関先が女たちの社交場です。
運河に出ました。
ここでも女たちが玄関先に座っています。
中国ではどこでも洗面器が大活躍。鉄にホーロー引きされた白いものが一般的で、これにきれいな絵柄が入ったものなどはホテルの客室にも置かれることがあります。レトロな魔法瓶に入ったお湯をこの洗面器に移し、顔を洗うのです。
この家の前にもいくつか洗面器が並んでいます。食材を入れたり、調理したおかずを入れたり、洗面器は何にでも使われます。
こうした景色を眺めながら、日なたを自転車で走るのはなかなかに楽しいです。
留園に着きました。ここは北京の頤和園、承徳の避暑山荘、そしてこの先にある蘇州の拙政園(せっせいえん)と共に、中国の四大名園といわれているところです。
ここは明代に起源を持ち清代に改築された庭で、池の周りに石灰岩の太湖石(この近くの太湖周辺で産出する穴の多い複雑な形の奇石)がたくさん積まれ、東屋や茶館などが配されています。
留園の隣には西園があります。境内に入ると何やら白くけぶっています。屋外の一角に赤い蝋燭と赤い線香が供えられていて、そこからモクモクともの凄い煙が上がっているのでした。
ここは元代初めに帰元寺の名で起こったものの、留園の所有者がこちらも手に入れて庭園とし、西園と名付けたそうです。その後またお寺になったりと紆余曲折あったそうですが、19世紀半ばに消失し再建。ということで、ここは100年と少し前の建物のようです。羅漢堂には500体もの羅漢像が安置されています(撮影禁止なので写真はお見せ出来ませんが)。これは圧巻!
お昼はこの西園で精進料理。冷菜4種、じゅん菜スープ、八宝豆腐、甘い蒸し物みかん作り、飲物で60元/2人。
西園のあとは寒山寺を廻り、街中に戻りました。
蘇州の街は上海に比べると未現代的といえば良いのか、歴史的な建物が多いといえば良いのか、とにかくとても落ち着いています。道に車はほとんどおらず、走っているのは自転車ばかりなのも、この印象を増幅させます。
そんな蘇州ですが、上海と共通していることといえば、やっぱりこちらも露店がいっぱい出ているということでしょう。
餃子だかシュウマイだかを作って路上で売る人がたくさん。これはお好み焼きかな。笑顔が素敵なお嬢さん。
ここはちょっとおもしろいです。竹で作ったものばかりが並んでいます。
手前から竹のお箸、ぐちゃっと積まれているのはなんと竹の洗濯バサミ、その右は中華鍋などを洗う竹のたわし、その先は竹の衣紋掛け、おばさんの籠に入っているのは竹の鍋敷き、その他もろもろ、竹だらけです。
タイムスリップして1950年代にやって来たような蘇州ですが、そんな蘇州にも建設ラッシュの波が。しかし上海と違ってさすがにこのあたりには超高層はないようです。ここでは古いエリアを取り壊し、3階建てほどの建物に建て替えているようでした。
そうそう、アジアの建物は木造が多いのではと思われる方が多いかもしれませんが、このあたりはレンガブロック造です。実は木造の建物というのはアジアでも、私たちが思っているほどには多くはないのです。
西の方の観光はひとまずこれでおしまい。ホテルに戻ります。夕食はそのレストランで、ワンタンスープ、麻辣豆腐、八宝銀杏炒め、紅魚尾醤油味、ビールと紹興酒で75元/2人也。
年が明けた1993年の1月1日。今日は私たちにとっては元日ですが、中国は旧正月なので、こちらの人々の生活は普段とほとんど変わりありません。今日は外城河で囲まれた旧市街を巡ります。
まずはホテルの南側に広がる公園をぶらつきながら、外城河の杭州行きの船乗り場まで散歩。そこで人力車(自転車の)の顔付の悪そーな兄さんに声をかけられる。
『おい、あんたらどこまで行くんだい、安くするから乗りなよ!』 今日巡る旧市街は狭いエリアなので、実はレンタサイクルではなく人力車で、と思っていたのでこれは丁度よい。けれどこの兄さん、口の聞き方といい人相といい、いかにも信用できなさそうだったので、『私たちは歩いて廻るから、人力車には乗らないよ。』 といってなんとか断りました。
しかし、一日人力車をチャーターするなら早い方が良い。ということで、この兄さんが立ち去ったあとにやってきた別のお兄さんと交渉。この方は話し方といい顔付といい、とても穏やかで信頼出来そうです。交渉が成立して今日はこの人力車にお世話になることにしました。
一旦ホテルへ戻り、身支度を整えて旧市街巡りに出発です。
まずは腹ごしらえと向かったのは蘇州の中心部、観前街にある松鶴楼。ここはなんでも創業1732年の老舗とかで『松鼠桂魚』というのが売りらしいのですが、実はここで何を頼んだのかは忘れてしまいました。しかし、同じテーブルになった女の子とお父さんと母さんの3人の家族との筆談が楽しかった。
この女の子、私たちが聞いたことのない言葉をしゃべっているのが気になって仕方がない様子。お父さんとお母さんに、こちらをちらっと見てはなにやらひそひそと話しかけています。
そこでこの女の子に話しかけてみました。ニーハオしかわからない私たちは紙切れを取り出してそこに、『私は日本人です、あなたは?』 とか書き出しました。すると『私は中国人です。あなたはどうして蘇州にいるんですか?』と答えが帰ってきます。むずかしい字はお父さんが代筆してくれます。こうして食事中、この子とのおしゃべりを楽しんだのでした。言葉がしゃべれなくても、漢字というツールを利用して意思疎通できるのはとても便利ですね。
庭園やお寺というのは一日にいくつも見ると、どれがどれだか分からなくなります。
ここ中国の庭園は、でこぼこが多い奇妙な石があちこちにあり、池があり築山があり、丸い出入り口があり、白い塀がある。どこも皆同じように見えてしまうから困ったものです。
こちらは獅子林。 14世紀の中頃、元代末期に造られたもので、獅子林という名は太湖石と呼ばれる空洞だらけの奇岩が獅子のように見えることから付けられたらしく、ボコボコ、がちゃがちゃな石がそこらじゅうに置かれています。
池を取り巻くようにして回廊や遊歩道があり、上海の豫園の入口にあったようなギザギザに架かる橋を渡ると、お決まりの東屋があり、そこを通り抜けると迷路のような岩山へ渡ることができます。
こちらは確か拙政園。留園と共に中国の四大名園といわれているところです。
16世紀の初頭の明代の造営。蘇州ではもっとも有名な庭園でとても広く、5万平米もあるそうです。
ここにもあちこちに大小の池があり、たくさんの建物がその周りを取り囲んでいます。
獅子林より大きく伸びやかな印象で、建物、庭ともに少し日本的な感じもします。
これは北寺塔。高さ76m、9層の八角形の塔です。
報恩寺というお寺にありますが北寺と言った方がわかりやすい。お寺は3世紀ごろの呉の時代に建立されたと言われていて、塔ははじめは11層あったそうですが、12~13世紀の南宋時代に煉瓦と木を使った現在の姿に改修されたといいます。
北寺塔から下を見れば、白い壁に黒い瓦の家々が続きます。
北寺塔から蘇州のメインストリートの人民路を見ればこんな感じ。
車がほとんどいないのがわかりますね。
再び外城河にやってきました。これは蘇州の城壁の外側に作られたお堀のような運河であると同時に、北京から杭州までを結ぶ、総延長2,500kmに及ぶ京杭大運河の一部を成しているそうです。2,500kmの運河とは、さすが中国ですね。
この外城河にはいつでも行き交う船の姿があります。
蘇州はたった二泊しかできませんでしたが、もっとゆっくりしていたいと思わせるものがある、気持ちのいい街でした。
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