今日はメキシコ・シティーからサン・クリストバル・デ・ラス・カサスへ移動です。サン・クリストバルはグアテマラに近い南部の内陸にある町で、周辺にはインディヘナの村々がたくさんあります。このサン・クリストバルを拠点にしてインディヘナの村をいくつか巡る予定です。
朝、空港に行くと予定の便は出発時刻が変更になっていました。1時間半ほど遅れてD.F.を出発した飛行機は、1時間半ほどでトゥクストゥラ・グティエレスに到着。そこから40分ほどミニバスに揺られて、市内でサン・クリストバル行きのバスに乗り換え、さらにガッタン、ゴットンと揺られること2時間。バスはようやく16時過ぎにサン・クリストバルに到着しました。
バスを降りると、そこの空気はD.F.とはまったくちがうものでした。この町は標高2,000mを超える高原にあり、空気は済んでいてさわやかの一言です。しかし長時間の移動で疲れたので、評判のいいホテルにチェックイン。しかしここはちょっと値が張る(165$=6,100円)ので翌日からは別の宿(60$=2,200円)に。三分の一ですからね。
翌朝は食料品のメルカード(市場)の散策から。
市場というのはどこでも面白いものです。そこで流通しているほとんどのものが見られるので、生活の裏側もなんとなくわかるからです。男たちが被る帽子がいかにもメヒカーノという感じ。
そうそう、ここは真夏だというのに朝晩はセーターとジャケットが必要なほど冷えます。
写真の女性はウールのストゥールを羽織っています。
市場は地元の人でとても賑わっていました。
ここは食料品の市場なので、ちょっとかじるのにトマトを買ってみました。野生的な匂いと味でおいしい!
市場からはコレクティーヴォ(ミニバス)に乗り、近くのシナカンタンというインディヘナの村に行くことにしました。
距離は10kmほどありますがバス代は2$(70円)/人でした。バスには地元の方がたくさん乗って来るので、持っているものや服装などが間近に見られるし、会話も聞こえてなかなか楽しいです。
シナカンタンに着くとそこは民族衣装を身に纏った人々でいっぱいです。この日はサン・ロレンソのお祭りだそうで、サン・ロレンソ教会の前の広場はこの赤い衣装で埋め尽くされていました。
きれいな刺繍が施された半袖のポンチョの下のほうには房が付いています。写真には写っていませんが、ぺったんこの麦わら帽子を被り、その帽子にもきれいなリボンが付けられています。
ここの教会のインテリアはかなり興味深いものがあります。まず驚くのは床に敷きつめられた草、そしてその床に直接立てられたローソク。薄暗い光にかすかに見える周囲のキリスト像や聖人の像には民族衣装が着せられています。この宗教はいったいなんなのか、一瞬わからなくなるほどです。
あとから入ってきたキリスト教は土着の宗教と入り交じって、ここ独自のスタイルを築き上げたのです。教会の内部は写真が撮れなかったのが残念。
教会が見える丘の上に登ってみました。
畑の作物はトウモロコシのようです。ポツン、ポツンとある建物は住まいや農業用の作業小屋です。そういった建物の間からきれいな色彩が見えると、それはこれからお祭りに出かける女たちでした。
シナカンタンの家の中には日干しレンガでできているものもあります。
写真は標準的な大きさの家だと思いますが、かなり小さいですね。敷地内にはこうした母屋と、納屋の類の建物がいつくかあるのが一般的です。
シナカンタンから一旦サン・クリストバルに戻り、昼食後にもう一つのインディヘナの村に行きます。
ここで昼食に入ったレストランの名はチャムラといい、偶然にも午後に行く村の名前と同じでした。焼肉と香草、玉ねぎ、チリ、レモンをタコスで包んだものが本日のランチです。
サン・クリストバルはスペインの支配後ほどなく整えられた町で、19世紀末までチアパス州の州都でした。
そんなわけで、今もなおコロニアルな建物があちこちに残っています。
午後は再びコレクティーヴォでインディヘナの村へ向かいました。
今度の村はサン・フアン・チャムラです。
この村は午前中に行ったシナカンタンと同じツォツィル族系だそうですが、衣装はだいぶ異なりシナカンタンよりずっと地味で、男も女も黒です。
子供たちのそれはブルーが主体ようで、写真は街角に集う少女たち。幼いのにキリっとした顔立ちで凛々しい。
チャムラをぶらぶらしているとちょっと変わったものを見つけました。
民家の入り口には植物で作られた小さなアーチがあります。魔除けかなにか、おそらくそんなものなのでしょう。
子供たちはいつでもどこでも元気。
日干しレンガの壁に立てかけられた薪の前で、彼らは兄弟なのか近くの友だちなのか、とにかく元気に遊んでいる子供たちの姿がありました。
シナカンタンではお祭りで賑やかでしたが、こちらのチャムラはいたって平常です。いかにもコロニアルな教会の前に出ました。
この教会の中に入れば、そこには午前中のシナカンタンのそれによく似た光景が現れました。床に敷き詰められているのは松の葉っぱのようです。蝋燭が土間に灯され、キリストそのほかの聖人たちの像は今度は民族衣装ではなく布に包まれています。そして像の肌の色はたしか黒だったはず。極少ない礼拝者はボソボソとなにやら唱えているが、それはスペイン語ではなくまったく理解不能な言葉です。このあたりのインディヘナはまだ独自の言語を持っているのだそうです。
できるものならインデイヘナの民宿にでも泊まりたいところですが、こういった村には宿泊できるところがないので、やむなくサン・クリストバルに戻りました。
サン・クリストバルの市のなかにはインディヘナの店もたくさんあり、多くは露天で商売しています。これは屋根付きの店舗は高いお金を払わなければならないため、入れないからだそうです。
そういった店の中で衣類や布などを扱っているエリアを覗いてみました。
サント・ドミンゴ教会の広場はチャムラ村の織物でいっぱいです。着ているシャツの柄に似たヘアバンドを見つけたサイダーはそれを即ゲット。
民族ごとに異なるセンスで独特の模様が施された布はちょっとした芸術品です。
お気に入りの織物を見つけたサリーナもさっそくそれをGetしました。
この市のちかくにはヒスパニック・バロック様式のサント・ドミンゴ教会があります。
このファサードには見事な彫刻があるようなのですが残念ながら見られず、尖塔の後ろ側だけちらり。
サント・ドミンゴ教会近くの店を覗きながらぶらぶらしていると、ある店の奥からおじさんが声を掛けてきました。
『ねえ、あんたたち、ちょっとお入りなさい。私はねぇ〜、ゆうべ夢を見たのさ。神様のお告げでねぇ、今日日本人に遭うってねぇ。あぁ〜、なんていう偶然なんだろう、今日こうしてあなたたちに遭えるなんてねぇ。あの夢は正夢だったんだよ。お〜、そうだ、このバラを差し上げよう。』
そう言うとおじさんは花瓶に挿してあったピンク色のバラを抜いてサリーナにくれたのでした。
おじさんと分かれた後は、街一番の高台にあるサン・クリストバル教会に登りました。
ずっと続く階段を登り出すと、すぐにへ〜こら。ここは2,000mを超える高地。ちょっとした高地トレーニングをした気分です。
さて、高台からのサン・クリストバル眺望を楽しんだら、そろそろパレンケに移動しよう、というわけでバス乗り場に行きました。
しかし残念ながら本日の便は売り切れとのことで、明日の便の切符を買いました。明日はマヤ文明のパレンケです。