いよいよ今日からドゴンの村へ出発だ。いったいどんな世界が待っているのだろうか…
7寺半、カンプマンで我らがガイド・バビロンと落ち合うがいきなり問題が発生! 私たちは少々値切ったので行きはブッシュ・タクシー(乗り合いタクシー)。ところがこれは午後でないと出ないという。仕方なくタクシーをチャーターすることにするがもちろんバビロン持ちだぞ。
バビロンがタクシー探しに奔走する中、私たちは屋外の本当の露店、というか単に鍋と釜を路上に出しただけのおばさんがやっているところで朝食。魚の煮込みぶっかけごはん。これが10円くらいなのだが結構おいしい。しばらくするとタクシーとの交渉が成立したらしくバビロンが戻ってくる。
さてようやく出発だ。私たちとバビロン、そしてバビロンが雇ったポーターのママドゥの4人。まず町で食料やら水やらを買込む。食料は主にパスタ。バビロンによればドゴンの村の主食はとても旅行者には無理なのだそうだ。そして水はへなへなのペットボトル入りを何十本も。もちろん彼らは現地の水で平気なのだが、こちらも旅行者にはむずかしいらしく調理用も含めて。
車はあっという間に郊外に出た。湿原地帯(このあたりはずっとそうだ)を抜けどんどん飛ばす。しかしさすがバビロン、ロスしたタクシー代を取り戻そうと私たちの車は途中からブッシュ・タクシーと化するのでした。
川の水と緑がなくなり、真っ赤な大地が続いています。
周囲はいつの間にか湿原地帯から乾燥地帯に変わったようです。
ドゴン族の村へのアプローチはいくつかありますが、私たちが向かうのはそれらがある百数十kmに及ぶバンジャガラの断崖の南端に近いバンカスという村。
ドゴン族の村でもっとも有名なサンガはこの断崖の中央部付近にあり、そこへのアプローチも可能なのですが、我らがバビロンによれば近年観光化が進み、あまりお薦めではないらしい。日程に余裕があり1週間以上であれば、サンガを加えた旅も良いだろうとのこと。
バンカスはモプティの南東100kmほどのところにありますが、そこまでの間、私たちのブッシュ・タクシーは途中にある村に寄って行きます。
こうした村の建物が土でできているのはモプティの旧市街と変わりませんが、平面が円形で茅葺屋根の建物や、四角形だけれど上が窄まっていて頭が丸いものなどが出てきます。
ある村で子供たちにカメラを向けると、ちょっとポーズしてくれました。
左端の子は頭に洗面器のような器を載せています。こんな小さな子でも頭に物を載せられるんですね。
妙な形のこれはたぶんモスクでしょう。上の写真の建物の壁と見比べてもらえればわかりますが、この建物は日干しレンガの構造の上にさらに泥を塗ったものです。
泥が塗られるのは構造である日干しレンガを長持ちさせるためですが、化粧の役割もあるのかもしれません。この上塗りがない構造物は、あまり重要でない塀などか、メンテナンスがされないで放置されたために泥が落ちてしまった建物です。
これは別の村のモスク。
泥で造るから形は自由。まるで粘土細工のようです。
ブッシュ・タクシーで走ること2時間半。バンカスに到着したようです。
着いたのは人の背丈くらいの木がたくさん並び、その上に木の枝などが敷かれた妙な構造物があるところ。ここはマーケットで、この構造物の下に品物が並べられるようです。マリはもの凄く直射日光が強いので、これは日よけなのでしょう。
この時は日にちが違うのかはたまた時刻が異なるのか、お店はほとんど出ていませんでした。それでも頭に籠を載せて歩いている人がいるので、何箇所かでは店が開かれているようです。
マーケットを抜けて村の中に入ると、痩せたヤギさんがうろうろ。
荷車を牽いたロバがやってきました。泥の建物にロバはよく似合います。
家の屋根の上に草が見えます。このあたりではこうした光景を良く見掛けます。
これはおそらく草を干しているのでしょう。草は家畜の餌や建物の断熱材として使われているようです。
泥の家々の間にこれまで見掛けなかった建物が現れました。上の方に扉が付いた小窓のようなものがあります。
これはドゴン族の典型的な穀物倉庫です。おそらく反対側の面の下の方には、あの窓と同じ物があるはずです。稗やトウモロコシなど収穫した穀物を上の扉から入れ、下の扉から取り出すのです。
モスクにやってきました。
ここの土の色はモプティと違い、かなり赤っぽい。
で当然、その土で造られた建物も赤くなります。
このニョキニョキした丸みを帯びた角にはどういう意味があるのでしょう。
壁から突き出ている木の枝は雨樋です。円筒状のもありますが、これは半割状ですね。
これはモスクの出入口だと思いますが、とっても狭いです。
バンカスの家々はこんなふうに並んでいます。
手前と右端の四角い建物が母屋。中央やや右の竪に長い建物が穀物倉庫。
頭が乳房の形なのは女の倉庫で、この中には炊事道具や家財道具が入っているそうです。
ここにはありませんが、ドゴンには茅葺き屋根のようなとんがり帽子の男の倉庫もあります。
さて、家の中はというと、こんな感じ。この建物は普通の家より大きく、なにか特別な用途に使われるもののようですが。
泥の床(地面)と泥の壁、そして屋根はそこいらに生えている木を組み上げ、その上にさらに細い枝を渡し、その上にまた泥!
外の日向は言葉では言い表せないほど暑いのですが、こういった家の中は驚くほど涼しい。
出た! ドゴンの象徴的な建物ドグナ(集会所)。
ここバンカスは平地にあるのですが、ここもドゴンの村なのでしょうか。多くのドゴンの村は断崖の中腹や直下にあるのですが、昔は平地に住んでおり、徐々に追いやられて現在の場所に移ったのだそうです。
集会所にはドゴン族の祖先である8人を象徴した8本の柱が立ち、オープン・エアで背が低いのが特徴で、屋根には1m以上も木と草(ミレットなど)が積まれています。機能としては村の長老たちが重要な物事を決めるときに集まる場所だそうで、ある宗教的な意味付けもされているのだとか。
さて、ここは現代的な生活ができる最後の村。現代のビールをあおり、いざバンジャガラ断崖の麓の村カニコンボレへ向け、出発!
ここからは車の道はありません。ホース・カーです。真っ白な馬を引き連れて青年がやってきました。12kmほど先のカニ・コンボレまで、この馬のお世話になります。
左より我らがガイドのバビロン、ポーターのママドゥ、トゥアレグのサイダー、そして馬引きの青年。
しかしこの馬車は一頭立て。大人五人も乗せて走れるのか? とにかく後ろの荷台に乗り込み出発です。
ガタッ、ゴトッ、とのろのろと進み出します。しかしちょっとした段差で荷物はゴロゴロ動き出し、ヤワなペットボトルのいくつかは破け出す始末。クッションもなにもない荷台にはとても座って居られたもんじゃあない!
ちょっとした上りになっただけで、馬はゼーゼーハーハー… 全員下りて押し上げることになるのでした。挙げ句の果てに、周囲になにもないここはちょっとした風も嵐のようになります。ブオ〜という音とともにやってきたのはまさに砂嵐! これはハルマッタンと呼ばれるサハラ砂漠から吹いてくる貿易風かもしれません。とにかく身をかがめ何度となく砂嵐が去るのを待ちますが、服の中はもうジャリジャリ!
このホースカーに揺られること2時間。先に断崖が見えて来ました。あれがドゴン族が住むバンジャガラの断崖でしょう。
ほどなくその麓にあるドゴンの最初の村と聞くカニ・コンボレに到着です。
村に入ると、なんだかやたらに人が大勢います。マーケットが開かれているようです。こんな小さな村にどこからやってきたのか、物凄い賑わいです。
このあたりには常設の店はなく、週(5日)に1回、別々の集落に立つ市が唯一の買い物の場なのだそうです。そんなわけで、ずいぶん遠くの村からも買い出しにやってくると言います。
商品はすべて地面に並べられます。左の丸々太ったヤギさんもおそらく商品です。
もしかすると上の写真のロバさんも?
ここは定番の八百屋さん。サツマイモのようなものやトマトが見えます。
この写真の中央付近や下の写真の手前に見えるまん丸の器はひょうたんで、これはこちらではかなり一般的に使われています。このひょうたんは実は食べず、もっぱらその皮を容器として使うために育てられるようです。
このあたりの女たちはみんなカラフルな衣装を身に纏っています。
真っ黒な肌にはこのきらびやかな衣装がとてもよく似合います。
とにかくこのマーケットは人の渦、渦、渦!
奇妙な姿の大きな木があります。これが有名なバオバブです。
バオバブは精霊が宿る木として信仰の対象になっているそうです。見るからに神秘的。
この市が開かれている木々の下から外を見ると、見覚えのある形が真っ黒なシルエットとなって見えます。日差しが強烈なこの国では、日影や日陰部分は真っ黒に見えます。
それは小さいけれど整った形のモスクでした。
このモスクの出現にはちょっとびっくり。モスクがあるということは、ここはすでにドゴン族本来のアミニズムではなく、異なる文化が入っているということです。
ここの土は真っ赤だったバンカスとは異なり、やや黄色を帯びていますね。
モスクの出入口の上には1900だか1988だかの数字があります。この数字は建てられた年を示すのか、修復した年を示すのか判然としません。というのも、モスクは数年に一度、村人の手で補修され、外壁の泥も塗り替えられるからです。
いずれにしてもこの村には、いつのころからかイスラム文化が入り込んでいたということです。
モスクは内部には入れませんが、外廻りは自由に見学出来るところが多いようです。屋根に上ってみました。
ツンツン棘が生えたような塔は、やはりユニークとしかいいようがありませんね。
そのツンツン棘は木材で、屋根を構成するところや、壁の補強として、また内外の足場となるところに通されます。
カニコンボレの市を眺めたら、ここからは徒歩で次の村へ向かいます。ピグミーというあだ名(小さいから?)のおじいさんのポーターを雇い、17時半に村を出ました。
畑の中にバオバブの木が立ち、その後ろにはものすごい断崖が切り立っています。下から見上げると恐ろしいほどの。
『次ぎはジギボンボって村だよ。この崖の向こうだよ。』 とバビロン。
『えっ、もしかしてこの崖登るの…』 と絶句するサイダーとサリーナ。
そして登ったのはこんな崖…
さすがに崖を垂直に登るわけではありません。すこし穏やかな崖の隙間のようなところを、足場を確認しながら一歩一歩ゆっくりと登り出します。
『おいバビロン、俺たちゃア山岳部じゃあないんだぜ…』 とすぐに泣きが入るサイダーでした。崖登りの写真がないのはとても撮ってなんかいられなかったからですよ〜
とにかく登って登って、なんとかかんとかようやく崖の上に出ました。
なんとそこは見渡す限りの平原で真っ平ら。私たち以外は誰もいません。この地面がたった一枚の岩でできているような感じで、所々に草がチョボチョボと生えるだけの、なんとも不思議なところです。
そう、火星みたいな。
夕暮れが迫っています。バビロンやポーターたちが歩く速さといったらすごい。私たちの倍くらいの速さで進みます。ちょっと気を抜くとどんどん離れて行きます。
『お〜い、早くしないと日が暮れちゃうよ〜』 とバビロン。
明かりはすでに消えかかっている日の光しかありません。ガイドがいるとはいえ徐々に心細くなってきます。夕闇のなかを黙々と歩き続けるサイダーとサリーナでした。
そしてようやく真っ暗になる直前に、へんてこりんな帽子の屋根が見え出しました。ついにジギボンボに到着です。へろへろへろ〜
バビロンが村長に挨拶に行き、私たちには小さな小屋が与えられました。あの泥の家です。少年がどこかからバケツに半分くらい水を汲んできてくれました。シャワー用です。このあたりでは水はひどく貴重で、現地の人はコップ一杯の水で歯磨きから前身を拭うまでするそうです。とにかくこのバケツの水でさっぱり。
食事ができるまではその辺をぶらぶら。民家を訪ねるとありました、稗のビール。家人が御馳走してくれました。独特の香りがほんのりとあり、ちょっと酸っぱい。一応泡が出ます。生温いのでビールを飲んでいる感じとは違うけれど、まあまあおいしい。食事はチキン入りマカロニとトマトサラダでした。この村の北側には辛うじて車でアプローチできる道があり、ツアーの事前調査で来ている英国人など、旅行者も少しいます。こういった人々と話し込み、情報交換をします。
23時 夜も更けてきました。さて、そろそろ寝ようと小屋へ向かいます。空には満天の星。小屋の内部は例の、地面の土に泥の壁、木の天井です。たったそれだけ。衣装箪笥はおろか寝台さえありません。電気はもちろんなく、明かりはまったくなし。その地面にアウトドア用のマットを敷き、リュックを枕にし、ベルギー用として持って来ていたコートを羽織って寝ます。朝晩は結構冷えるのです。
しばらくすると天井から、ガサッ、ゴソッという物音。
『へ、ヘビだ~!』 と飛び起きたサイダー。携帯ライトで天井を照らしてみますが姿は見えません。
『ネズミなんじゃあないの~』 と意外と度胸のサリーナです。
『ネズミならタタタタッって行くよ、きっとヘビだぞ!』 と不安なサイダーでした。かつては日本の天井裏でも様々な物音をたてる生き物たちがいたはずなのですが、ここのところすっかり御無沙汰ですね。