ドゴン族の神話の一部をかいつまんで紹介しておきます。
宇宙の創造神アンマは泥を投げ、太陽と月と星を造った。次にアンマは粘土から女の形をした大地を造りそれを妻とするが、この交わりは不完全だったため、両性ではない単性の男ユルグが生まれる。次にアンマは大地に雨を降らせ、双子の精霊ノンモを生み出す。
ノンモは水でできた存在で、大地に農耕をもたらした。ノンモは光の世界を支配する存在になり、アンマに代わり天地の管理を行うようになる。一方、単性のユルグは妻を求め、母である大地と交わってしまう。この近親相姦により、大地は不浄な地となり秩序が失われる。交わりにより言葉を得たユルグは闇の世界を支配する存在となる。
次にアンマは粘土から両性具有の人間を造り、これに割礼を与えると男女各4人の8人が生まれた。この4組がドゴンを代表するの4つの部族のそれぞれの始祖となった。
ドゴンの村ジギボンボ。
朝の目覚めはニワトリが鳴く声で。
昨夜は気が付かなかったのですが、このジギボンボの村の家屋は泥ではなく、石で造られていました。四角い平面で頭が平らなのが家屋です。遠くに見える塔はモスクです。ここにも異種の文化が入り込んでいます。
家屋は石でできていますが、倉庫は泥でできています。
このとんがり帽子の茅葺き屋根のようなものは男の倉庫で、中には農耕道具などが入っているそうです。
四角い窓の開いた大きな建物はオゴンの家です。
ドゴンの特別な役割の人々には、最高首長のオゴン、薬師(精霊とやりとりする人)、鍛冶屋などがおり、これらは基本的に世襲制で、彼らは特別な家に住んでいます。本来オゴンは政治的な首長でもありましたが、現在は政治には関わりを持たないようです。
稗から作られたドゴンのパンとも言うべきガレット・デ・ミレッで簡単な朝食のあと、8時半にジギボンボを出発します。
ジギボンボはバンジャガラ断崖の上にある村ですが、今日は崖を下って、崖下にあるエンデまで歩きます。村を出るとそのすぐ外側には畑が作られていました。ドゴン族は農耕民族なのです。
30分ほど歩くとオゴソゴという村の横を通過しますが、この村は古来よりのアニミズムを守り続けているため、外部の者は村へは入れないそうです。
ここの建物も石造りです。昨日まではもっぱら泥の家でしたが、このあたりは石がたくさん採れるからでしょうか。
このあとは崖の上り下りを幾度となく繰り返します。崖の上の方に小さな穴が開いた妙なものが見えます。バビロンによればこれは古いピグミーの住居だそうです。ピグミーとドゴンは神話上深い関係にあるようです。
※ 実はこれはピグミーのものではなく、11〜16世紀にかけてバンジャガラの断崖に住んでいたテレム人の住居らしい。テレム人は背が低かったようで、時々誤ってピグミーと表現されることがあるらしいのですが、テレム人とピグミーはまったく別だそうです。
地面に黒い帯が見えます。
地球の割れ目と言ったらちょっと大げさですが、上り下りする崖はこんなところです。
崖の縁までやってきました。見ての通り、赤茶けた岩の断崖が遥か彼方まで続いています。
この断崖、いったいどこまで続くのかまるで想像ができない景色です。
この断崖絶壁の上でちょっと休憩。
下を覗くと結構怖い。
近くに畑がありました。
村からここまではかなり距離があるのですが、このあたりは岩ばかりで土があまりないため、作物ができるような土地は少なく、土と平地があればどんなに遠くても畑にするのでしょう。
断崖の上り下りが終わるとそのあとは真っ平らなところを行くのですが、この地面も岩でできています。
岩場なのでほとんど草木が生えていず、この風景は殺伐としたというか、どこか恐ろしい感じすらします。
ここはユルグの世界?
岩の大地を進んで行くと、崖の下にワリアという村が見えてきました。先ほど通過したオゴソゴ、このワリア、そしてこれから向かうテリーは元は同じグループだったそうですが、12Cごろに崖の上に住む人々と下に住む人々に分かれたのだそうです。
この写真でわかるかと思いますが、崖の下は広大な平地で砂漠のようなところです。ポツポツと生えている木はその多くがバオバブ。
歩いて歩いて歩いて、なんとか断崖を下り、赤茶けた大地をしばらく行くと立派なバオバブの木が現れました。その向こうにはさっき下ってきた断崖が、そしてその下に建物が見え出します。
テリーに到着したようです。時刻はちょうどお昼ごろ。ジギボンボを出て3時間半ほど歩いたことになります。
このテリーの村の最高首長であるオゴンはしばらく前に亡くなっており、今その座は不在だそうですが、その長子が25歳になるとオゴンを引き継ぐそうです。
最初は気付きませんでしたが、この断崖の中腹には建物らしきものがずらり。よく見ればそれらは倉庫群です。
テリーの村の構造はちょっと変わっていて、断崖の中腹に穀物倉庫と古い住居が、そして下に現在の住居があります。
手前の建物は母屋で、ジギボンボと違いそれはここでは泥で造られています。ここは石も豊富にあるはずですが、石を積むより日干しレンガを積んで泥を塗る方が簡単なのでしょう。
下のゾーンにある穀物倉庫の正面です。
この倉庫には開口部が3つあり、上部の50cmほどの開口が入れ口、下部の少し小さめの2つが取り出し口です。
倉庫の中はたいていいくつかの区画に分かれていて、稗やモロコシといった穀物が入っています。
日常的に使う穀物は低いゾーンにある倉庫に入れられ、上のゾーンの倉庫は保存食が入れられたり、予備として使われているようです。
ドゴンの倉庫には3種類あり、中央に見える平らな屋根が穀物倉庫。その隣のとんがり帽子は男の倉庫で農機具などが、そして手前の丸みを帯びた頂部だけが写っているものは乳房の形の女の倉庫で、炊事道具や家財道具が入れられるそうです。
※ この時は女の倉庫は屋根が泥のままで乳房の形をしているものだと思い込んでしまったのですが、これは単にとんがり帽子がダメになって、なくなっただけかもしれません。
村を散歩していると倉庫なのか土産物屋なのか、ドゴンのお祭りに使う様々なものが置かれたところがありました。その壁の一部には伝統的な仮面が展示されています。左から、兎、羚羊(カモシカ)、猿、でしょうか。
ドゴンに仮面はなくてはならないもの。4月から6月ころなら村々で仮面の儀礼が見られるそうです。この儀礼は死と深く結びついているもので、60年に一度のシギの祭りと3〜5年ごと行われる葬送の儀礼ダマがあります。赤い腰蓑を着け、もろもろの動物や天と地、他の種族を表わす仮面などを被って踊られます。これは非常に有名ですから、テレビなどで目にしているかも知れません。
ちなみにこの仮面は木彫りでかなり重量があるのですが、歯にくわえて固定するそうです。ドゴンの人たちはよっぽど歯が丈夫なんですね。
ちょっとおっかない顔つきのこの男は、ポーターのママドゥ。彼は英語を話さないのであんまり話ができませんでしたが、いろいろ世話を焼いてくれました。
ドゴンの家や倉庫の扉は木でできていますが、そうしたものには様々な装飾が施されています。
実はこうした彫刻にはドゴン族の神話の世界が表わされているようです。もっとも多いのは人ですが、これは実は創造神アンマが造った双子の精霊ノンモで、上と下では手の向きが異なります。
中段の右端に見えるのはワニで、これは陸と水の両方に住む力強い動物と考えられていて、神の化身で家や家人を守ってくれるとされているようです。
ちなみにマリの首都バマコはワニの住む所という意味だそうで、昔は本当にワニも住んでいたらしいです。
崖の下までやってきました。下から中腹の倉庫群を見るとこんなです。
この村にやって来た時、すぐには崖の中腹にある倉庫群に気付かなかったのですが、その理由はこの写真でわかると思います。倉庫は泥でできていて、その泥は土、すなわち崖の岩が細かくなったものであり、つまるところ倉庫群と崖とは同じ色なのです。
崖の中腹まで上ってみると、どうしてこんな不便なところに建物を造るんだろうと考えさせられるくらいに、足場が悪く大変なところです。ドゴン族は周囲から攻撃を受け、14世紀ごろにこの地に逃れて来たそうなので、こうした高みに集落を築いたのは、そうした外敵からの攻撃を逃れるためだったのかもしれません。
この倉庫群は地層に擬態しているようにも見え面白いのですが、足下の崖は崩れかかっているように見えるし、上部には崖が張り出し、天井となっている岩が今にも落っこちて来そうでちょっと怖い。
倉庫の高さは3〜5mといったところ。
壁の頂部付近の細かい材木は屋根を構成する材料で、中央部の太いそれは建物の補強と内部の足場として使われるもののようです。
ここには様々な宗教的な場所もあり、こちらはサクリファイス(割礼)の場所だとか。
赤と白と黒の紋様にはそれぞれの色に宗教的な意味があり、赤は(確か)血を表わします。
上のゾーンからの眺め。
サンガ付近を調査した民俗学者マルセル・グリオールらによれば、ドゴンの村は全体が人体の形を成しており、頭部に集会所、胸の部分に長老の家、両手の位置に女の家、足の付け根の部分に男性器の象徴である石の塔と女性器の象徴である石、そして足の先の部分に社や祭壇が配置されるのだそうですが、ここでは判然としませんでした。
我らがガイドのバビロンによればサンガ付近の一部はそのようになっているが、すべてのドゴンの村にそれを当てはめるのは無理があるとのこと。
ここの村にもあるのだと思いますが『女の家』と言うのがあって、女は月経中はその中に籠らなければならず、男は近寄ることを許されないそうです。
村の一部には立ち入り禁止の区域があります。もともとアニミズムのドゴンの人々は精霊と深く関わっており、そこはなにかそんな場所なんだそうです。
穀物倉庫の扉周りは壁より泥が多く盛られ膨らんでいることが多いのですが、これが単なる装飾なのか、他に機能や意味があるのかはわかりません。
ドゴンの人々がバンジャガラの断崖にやって来る以前の11世紀ごろから16世紀ごろまで、このあたりにはテレム人が住んでいたそうです。この倉庫群の一番上には、かつてテレム人が住んでいたという、崖の隙間を泥で塞いだような住居が残っています。
ドゴンの人たちはこの崖の中腹に造られた住居を見て、テレム人は魔法が使え飛ぶことが出来る、と信じているそうです。
この穴は現在はドゴン族の墓として使われているようで、近づくなと言われたような。もっとも、遥かな高みにあって転げ落ちそうなんだよね。
これは小さいけれどモスクでしょう。なんだかかわいらしい動物のように見えませんか。
ドゴン族は元々アニミズムでしたが、現代の文化文明の波からは逃れようもないということでしょう。しかしそうした新しいものも、ドゴンの世界に取り込んでしまったというような姿ですね、これは。
ここで台所を覗かせてもらいました。
台所にはさほど現代文明は入っていないようで、せいぜい金属製の鍋が一つ二つあるくらい。その他のものはみんなひょうたんか木か焼物でできています。
そうそう、バオバブの木はそこらじゅうに生えており、この実は食用や調味料として用いられます。あ、お酒にもなりますよ。
16時過ぎまでテリーで過ごし、日が傾き少し涼しくなったころ、次の村エンデへと向かいました。日中は本当にやけどするくらいの暑さで、歩くどころではないのです。
一時間ほど歩いてエンデに到着。
面白いことにドゴンの村はみんな似ているようで、少しづつどこか違います。
ここは通りに住宅が並んでいるのが都会的。なんだかテラスハウスのよう。
倉庫も並んだ並んだ。
多くの倉庫は一棟単体で立っていますが、中にはこんなふうに二つの倉庫の間が埋められ、くっついているものもあります。
穀物倉庫の中を覗くと、なにやら見知らぬものがびっしり。
おそらくこれはミレット(トウジンビエ)だと思いますが、私が知っている稗とはちょっと違い、穂が固まりのようになっています。
さて、村に入ったらバビロンが村長のところに挨拶に行き、私たちには宿泊用の小屋が与えられます。これが私たちの今宵の宿。内部の写真は暗くてありませんが、そこにはまったく何もなし。いえ、土の床と土の壁、小枝を束ねたような木の天井があります。
そうそう、これまでドゴンの村のトイレ事情を紹介していませんでしたので、ここで。ドゴンの村にトイレはあります。そこには地面にポッコリと小さな穴が開いています。ただそれだけ。程度の良いところはその周囲に囲いがあり、そうでないところは何もありません。もちろんドアはありません。ま、そんなところですが、用は足せますよ〜
さて、トイレの周囲を見渡すと、こちらもテリーのようにうしろに断崖があり、その中腹に穀物倉庫群が並んでいるのが見えます。見えますか穀物倉庫群、この写真の上の方ですよ。
この上の穀物倉庫群と下の建物の間にも倉庫群が並び、そこにオープンエアの集会所(写真の左の人のうしろ)もあります。この集会所はドゴンではとても重要なもので、大切な物事を決める時などに長老たちが集まる場所だそうです。
西日を浴びた崖は黄金色に染まり、その中に倉庫群が完全に溶け込んでいます。
先ほどまで民家の庭先では女たちが稗を突き、近くで子供たちがすごろくゲームのような遊びをしていましたが、みんなもう家に入り、食事の準備を始めたようです。
杵と臼とはそのまま庭先にころがされています。
これはちょっとした小屋の軒先の柱に彫られていたものです。
仮面と同時にアニミズムを強く感じさせるのが彫刻。プリミティヴと見ればそうだし、現代美術だと思えばそう見えもします。