バンジャガラ断崖の下にあるドゴンの村エンデ。
朝、散歩していると、小さなロバが草をむしゃむしゃ。ヤギやニワトリもそのへんをうろうろしています。かつてはどこの日本の農村にでもあった、のどかな風景です。
ニワトリが地面をつついている横に井戸がありました。ロープに括り付けられているのは黒いゴムで出来た袋。これでくみ上げた水を素焼きの壺に移し替えて、頭に載せて運びます。
家の中の炊事場は土間に一つ炉があるだけで、極少量の鍋釜と杵や臼があるだけの質素なものです。
お母さんの横では子供が輪回しをしていました。なつかしい。って、これ、知らない人が多いでしょうね。
アニミズムのドゴンには様々な神話があり、あちこちにある木の扉などの彫刻にその世界観が表わされています。
たとえば、よく描かれている亀は宇宙を表わし、蛇は先祖が姿を変えたものとか…
この柱の彫刻は人の姿をしていますが、水の精霊、人間の祖ノンモかもしれません。
スツールにも人の姿が彫られています。このスツールは一本の木から掘り出されています。
近くでは子供たちが木で出来た長方形の箱のような器を使った、双六のようなインというゲームに興じています。実はこの器さえもノンモの箱舟から来ているのだそうです。
これら神話の世界を詳しく知りたい方は、TOPペイジで紹介している参考書をどうぞ。
そこらじゅうに生えているバオバブの木ですが、中にはこんなふうに枝の途中がもっこりしたものが見られます。
これは他の植物に寄生されているのです。乾涸びたこんな土地で、バオバブも大変ですね。
今日はドゴンの世界のトレッキングの最終日です。バンジャガラの断崖を登ってベニマトゥを経由し、ドゥルーまで歩き、そこから車に乗り換えて壁画で有名なソンゴに行きます。
10時ごろエンデを出発し、崖の下の平地を北東へ向かいます。前方の丘の上に奇妙な形の岩の塔が見えます。このあたりの地層は花崗岩だと思うのですが、それでもあそこまで侵蝕されるものなのでしょうか。
前を行くのはフランス人のツーリストとそのガイドのムサ(通称ボチボチ)たち。彼らも私たちと同じところへ向かうので、このあとしばらくいっしょに歩きます。
マリはフランス語圏なのでツーリストはやはりフランス人が多く、次いでドイツ人といったところです。
三角帽子の倉庫は毎度ですが、手前にこれまで見たことのないような大きな倉庫が見えます。
見たところ上部と下部に小窓があるのでこれは穀物倉庫のようですが、それらはほとんどが平らな屋根で、このように帽子を被っているのはめずらしいです。
なかなか迫力のあるバオバブの木。その向こうの塔はモスクですね。
ここは断崖の下なので平地です。ドゴン族は農耕民族で村の周囲に畑を作っていますが、これもその一つです。今は作物がありませんが、ここで育てられるのはおそらくミレットでしょう。
平地だからと言ってここのようにどこでも作物が育つわけではありません。周囲はほとんど砂漠と言っていいようなところで、近年はますます砂漠化が進行していると言います。
左手にはずっとバンジャガラの断崖が続いています。
そのうちヤバタルとドゥージュルーという村を通過しますが、どちらも厳格なアニミッシュらしく、村へ入ることはできません。
崖の庇のすぐ下に造られた倉庫群です。
下から見ると、よくもまああんなところに造ったもんだと思わざるをえません。
面白いことにここから見ると、下の倉庫はみんなとんがり帽子ですね。
断崖の割れ目にやってきました。ここには緑の畑が広がっています。こうした畑は土地が平らでそこに土さえあれば、村からいかに離れていようと、断崖の中の極小さなスペースであろうと作られます。
しばらく歩き、昼も過ぎておなかが減ってきたころ、目の前に奇妙な岩が見え出しました。ここからは崖登りになりますが、その写真はありません。とにかく写真なんか撮っていられないくらい、この崖登りはきついのです。
13時半、なんとか崖を登り切ると、そこの地面も崖と同じ固そうな岩。
最初は気付かなかったのですが、この岩の地面の向こうにとんがり帽子が見えてきました。ようやくベニマトゥに到着です。
エンデの上の倉庫群は断崖に擬態していましたが、この村は地面に擬態しています。
そこにある材料だけで造られた家と倉庫。これはすべてのドゴンの村に共通しています。
ここで私たちを出迎えてくれたのは村長さん一家。ドゴンの人々は依然アニミズムと深い関わりを持って生活しており、ほとんどの場合写真を撮ることは拒否されるのですが、さすが村長、私たちの記念撮影に快く応じてくれました。
サリーナの隣が村長さん、一番前でいかにも偉そうなのがその第一婦人、右の三人の女性たちはおそらく第二〜四夫人でしょう。影になって見にくいところにいるのが子供たち。第二夫人は恥ずかしいのか写真を撮られるのがいやなのか、ちょっと顔を隠しています。
到着するとすぐに私たちの食事の準備が始まりました。
いつの間にか周囲に人が集まってきました。いったい何事だろうと見ていると、
どこからか一頭の豚が引きずり出され、あっという間に絶命。
ドゴンの村人の生活は質素で滅多に動物は食べないそうですが、今では貴重な収入源である旅行者が訪れた時などに動物を捌くのだそうです。
食事の準備ができるまで辺りをうろうろしてみると、ミレットを突いて粉にしているところに出くわしました。
ドゴンの人々の主食はこの粉を練ってそばがきのようにした『トウ』というもので、野菜などのソースを付けて食べます。これを揚げてパンにしたもの(仏:galette de millet)もあります。
しかしこの日の私たちの昼食のメニューは、豚のシチューに豚付きのマカロニとパパイヤというものでした。
食事の後さらに散策を続けると、男たちが木の枝を集め、簾のようなものを作っているところに出会ました。簾状のこういったものは小屋の梁の上に乗せたり、寝台に使われています。
手前には彼らの子でしょうか、小さな子供たちが近くで何をするでもなく、作業を見守っているかのよう。
ベニマトゥの家は一昨日訪れたジギボンボ同様に石で造られています。崖の下と違い、崖の上は土が少ないのでしょう。
ドゴンの一軒の住宅の構成は、塀で囲まれた中の母屋や倉庫など複数の建物から成り、これらは村の構成同様、人体を模しているとマルセル・グリオールらは言っています。頭部に台所、目には2つの換気口、お腹に寝室、右腕は男の倉庫、左腕は女の倉庫、そして足に玄関という具合だそうです。
しかし残念ながら、ここでも明確にそれらを認識することは出来ませんでした。
面白いことに倉庫には泥が塗られています。これはジギボンボも同様でした。
倉庫の中には大切な穀物類が保管されているので、雨風からそれらを守るためには石では具合が悪いのでしょう。
村の外を見回すと少年たちがたむろしているところに出ました。
中の一人は槍のようなものを持っています。動物ハンティングに使う物でしょうか。
その向こう側ではニョキニョキと岩が立ち上がっています。
ドゴンの人々はアニミズムの世界に生きていますが、現実社会から逃れるすべはなく、異文化も受け入れています。
というか、受け入れざるをえないのでしょう。
ここでバンジャガラの断崖の縁に行ってみました。
この崖、下から見上げてもかなり高く感じるのですが、上から見下ろすと怖いほど。本当に断崖絶壁です。
ここからは下に、先ほど通り越してきたヤバタルやドゥージュルーといった村々が見渡せます。
このバンジャガラ高原の断崖は150kmほど続き、25万人ほどのドゴンの人々が暮らしているということです。
ドゴンの村々を巡るトレッキングは午前中2〜3時間、午後の遅い時間に2時間ほど歩くのが一般的。
陽射しの強い昼過ぎはとても歩けないので、村でのんびり休憩です。
私たちのガイドと取り巻きたち。左端、厳ついけれどしっかりしたガイド・バビロンことアルマン。右端はポーター・ママドゥ。紅一点はママドゥの彼女?エレナ。奥はバビロンのガイド仲間のひょうきん者ボチボチ(何故かボチボチ行こう!だけ知っている)ことムサ。
さ〜てボチボチ行こう! ということで、17時にベニマトゥを出ました。向かうドゥールーはやはり崖の上にある村でそこまではほぼ平地なのですが、途中に崖があるようで、少々アップダウンがあります。
19時にドゥールーに到着。真っ暗闇の断崖はかなり恐怖でした!
ボチボチたちも私たち同様このドゥールーに宿泊だったので、夜は彼がガイドしたフランス人としばし情報交換しました。