1995.09.05(火)
バリ島、ウブッ(Ubud)です。
ウブッはバリ島の伝統舞踊を始めとする文化活動がさかんな地域で、昨夜はボナ・ヴィレッジでケチャという舞踊を楽しみました。トランスレイト状態の少女が火の上を渡り、松明を囲んで上半身裸の男たちが『チャッチャッ』と声を上げながら渦のようにうごめく、凄まじいエネルギーが爆発する壮絶なダンスです。ストラヴィンスキーの春の祭典も真っ青!
このケチャ、伝統的なサンヒャンという集団催眠による宗教的な儀式が元だそうですが、インドの古代叙事詩ラマヤナを題材とした創作劇だそうで、まだ数十年の歴史しかないそうです。暗くて写真に撮れないのが残念でした。
さて今日は、朝、プリ・ルキサン美術館を見学し宿の近くをぶらぶら。そのあと、5kmほどの所にある小さな村のペジェン(Pejeng)とブドゥル(Bedulu)にレンタサイクルで行ってみることにしました。
ライステラスと椰子の林が広がる美しい風景の中を快調にペダルを踏みます。バリ島の田んぼは稲の二期作や三期作が行われており、こっちの田んぼでは田植え、あっちの田んぼでは稲刈り、という風景も見られます。
田んぼに降りてみると子供たちが楽しそうに遊んでいます。家にでも帰るのか、凧を持った男の子がこちらに向かって勢い良く、狭い畦道を走って来ました。
この地域にはゴア・ガジャ(Goa Gajah)やイエ・プル(Yeh Pulu)といった遺跡や寺院が集まります。
まずゴア・ガジャに行ってみることにしました。
ゴア・ガジャは象の洞窟という意味で、象がいないバリ島でなぜこのような名が付いたのかは不明だそうです。洞窟の入口の上の彫刻が象に似ているからとか、近くを流れるプタヌ川がかつて象の川と呼ばれていたから、などの説があるようです。
もっとも、ヒンドゥー教や仏教では象は神様のような存在だから、そういったものからの影響かもしれません。
名前同様に洞窟の紀元もわかっておらず、伝説では巨人クボ・イワが指の爪で彫ったとか。
この洞窟の入口は悪魔の口とか魔女の口と呼ばれていて、ここから中に入ることが出来ます。この魔女はバリ島で『悪』を象徴するランダらしい。
洞窟の内部にはヒンドゥー教の神シヴァのリンガ(男根の象徴)とそれと対となるヨニ(女性の象徴)が祀られており、その横にシヴァの息子で象の頭を持つガネーシャの像があります。リンガ崇拝は子孫繁栄に繋がるとされ、ガネーシャは『富の神様』だからか、ここでも人気があるようです。ゴア・ガジャの名はこのガネーシャからとも言われているようです。
ゴア・ガジャは11世紀に造られたとされる遺跡で、洞窟の前には当時の国王のためのものと考えられている、二つの四角い沐浴場があります。
この沐浴場には6体(元は7体)の女性像の噴水があり、その手に持った瓶から今でも水を注いでいます。
このすぐ南にはプヌタ川が流れており、川辺の崖にストゥーパが彫られ、加工途中の石材が無造作にころがっていました。
続いてゴア・ガジャから1kmほどのところにあるイエ・プルへ。
この入口は田んぼの横の小径で気持ちいい。
イエ・プルは14世紀末の修行所と言われていますが、良くわかっていないそうです。
ここには長さ25mのレリーフがあります。昔のレリーフはそのほとんどが宗教的なものですが、ここのものは人々の日常生活を切り取ったようなものばかりです。物語として左から右に読めるようで、ヒンドゥー教の神クリシュナの生涯を表わしているとも言われています。彫りが深くて現代的にも見えます。
ここで唯一宗教的なモチーフはガネーシャです。このガネーシャ像は先ほどのゴア・ガジャのものにそっくりで、両者には何か関係があるのかもしれません。
神様の前には必ず供え物があります。右の女がやってきて、ガネーシャに花を供えていました。
イエ・プルの近くでお昼をと高台にあるレストランに入り、ライステラスを眺めながらナシ・ゴレン(チャーハン)やミー・ゴレン(塩焼そば)といった定番をとっていると、すぐ横で丁度食事を終えた若者が声を掛けてきました。
彼の名はカレ。ガイドをしているのだろうけれど、物腰といい話し方といい、押し付けがましいところがまったくない生真面目そうな好青年。意気投合というか、私たちは明日アグン山まで行こうと思っていたところだったので、丁度具合が良かった。明日の行程を打ち合わせてカレに車の手配とガイドをお願いすることにしました。
そのカレ、午後は時間があるからとこの付近を案内してくれました。これはカレの家の近くの富豪?の家の門。門の裏には衝立てのような壁が建っています。これは悪霊が入ってこられないように、とのこと。
そしてここがカレの家。小さいけれど緑豊かで真っ赤な花も咲いています。
カレの部屋は6帖くらいで、床も壁もモルタルにペンキ、ベッドと小さな箪笥が置かれただけの質素なものです。
ここからは眼下の椰子畑と棚田の眺めもすばらしい。
カレの家を出たらサムアン・ティガ寺院(Pura Samuan Tiga)へ。
一人の女が頭に大きな供え物を載せて裏口から中に入って行きました。
サムアン・ティガ寺院はバリ島でもっとも古い寺院の一つとされ、内部にはシヴァと仏の像があるそうです。これは宗教の和解の象徴とされているといいます。碑文によればここは1,001年頃に、大乗仏教徒とヒンドゥー教のシヴァ派の信者の間の和解の集会所として使用されたそうです。
現在のバリ島は土着の宗教にヒンドゥー教や仏教が結びついた、バリ・ヒンドゥーと呼ばれる独自の宗教を持つ島です。ここにヒンドゥー教が渡って来た時、仏教も同時に渡って来ており、これらは緩やかに土着の宗教と結びついていったと考えられます。そのためバリ島ではヒンドゥー教の寺院でありながら、仏教のストゥーパがある寺院も珍しくないのです。
バリ島のヒンドゥー教寺院は2つまたは3つの領域から成ります。2つの場合は、奥側が神様の領域である内庭で、これは必ず山側にあります。手前側は人々の領域である外庭で、道路側には割れ門が立ちます。これらの間には奥の門とでも言うべき立派な門があります。3つの場合はこれらの間にもう一つ中庭ができ、門が立ちます。
写真は外庭で、木造のバレと呼ばれるあずまやが並びます。バレはお祭りの時にガムラン音楽を演奏したり、供え物の準備をしたり、ダンスや闘鶏の舞台となるものなどがあるようです。
女たちが供え物を頭に載せて運んで来ました。
みんなとても大きな籠を持っています。
女たちは中央の門の横にある割れ門をくぐって奥へ行きました。
ここの中央にある門はかなり芸術的なので奥の門かと思いましたが、中門のようです。この奥にさらにもう一つ門があるので。
この門の上部にはジャワ島のカーラに相当するボマ(Boma)がいます。これは邪悪な霊が入ってくるのを防ぐためとされます。
女たちのあとに付いて行くと、そこは真ん中の庭のようで、あずまやでお供えを作っていました。
女たちが持ってきたものはここに置かれ、仕分けされ、再び供え物として作り上げられるようです。
ここはメインのお供えの場のようで、テーブルにたくさん供え物が置かれています。
門の内側には様々な建物が立ち並んでいて、奥には茅葺き屋根が何重にもなったメルーと呼ばれる塔が立っています。この塔を伝って神々が降臨するとされています。
この寺院の構造はかなり複雑で、最初に言った領域はいくつになるのか、実は良くわかりませんでした。
街角にさりげなく置かれた供え物も美しい。バリはブーゲンビリアをはじめとする美しい花の宝庫で、寺院に限らずあちこちの道端のちょっとしたところにも花の供え物があります。
これはチャナンといい、毎日のお祈りの時に使うもので、ココナッツやバナナなどの葉っぱで作った入れ物に、色とりどりの花とパンダンの葉を刻んだものなどが入れられます。様々な物に神が宿ると考えるバリ・ヒンドゥー教では、家の部屋や車の中にも供えられます。
ペジェンの巨人といわれる3mの巨大な像があるクボ・エダン寺院(Pura Kebo Edan)を経て、ペジェンでもっとも古い寺院(1329年建立)だというプセリン・ジャガッ寺院(Pura Pusering Jagat)にやってきました。中門の両脇に通用門としての割れ門を配置しています。
プリセン・ジャガッは『世界の中心』という意味だそうですから、なかなか壮大な意味を持つ寺院ということになりますが、ここはペジェン王国の中心だったといわれているようなので、まんざらでもなさそうです。
シヴァ神を祀っており、ゴア・ガジャ同様、リンガとそれと対となるヨニがあるからか、ここはカップルで来て子孫繁栄をお祈りする方が多いとか。
入口には長い竹ざおのようなものが立っています。これはあちこちで良く見かけますが、なんなのかは? お祭りの時にはこれにカラフルな布が巻き付けられ、幟のようになります。
プナタラン・サシ寺院(Pura Penataran Sasih)もペジェン王国の王立寺院だったようです。ここで見るべきものはただ一つ。
写真正面のあずまやの中、屋根の影でほとんど見えないところに、『ペジェンの月』と呼ばれる巨大な銅製の鼓があります。なんとその長さは2m以上もあるそうで、一体鋳造の鼓としては世界最大だそうです。でも高いところにあるので、よく見えないんだよね。
伝説によればこの鼓は、おっこちてきた月!
路上でおばさんがなにやら売っています。
バナナの葉っぱに野菜やらなにやらを入れ、たれをかけたら出来上がり。200Rp(10円)也。まあおやつですね。
1995.09.06(水)
今日はジープで私たちのホテルにやってきたカレの案内で、ウブッから40kmほど北にあるキンタマーニ高原からアグン山のブサキ寺院を巡ります。
まずはウブッとキンタマーニ高原の途中のタンパッシリン(Tampaksiring)にあるグヌン・カウィ(Pura Gunung Kawi)を目指します。
駐車場に車を停め、険しい石の階段を下って行き岩璧をくり貫いた門をくぐると、草木に囲まれた谷底の、岩場がくり貫かれたようなところの下に出ます。これがバリ島で最大にして最古の遺跡と言われるグヌン・カウィです。
この溶結凝灰岩の岩壁がさらにくり貫かれ、その中に建物のようなものがあります。この妙なものは11世紀のバリ王族の霊廟といわれていますが、正確なことは不明だとか。くり貫かれた岩場のくぼみの高さは7mで、霊廟はここに9つあり、1kmほど離れたところにもう1つあるそうです。
ここもゴア・ガジャ同様、巨人クボ・イワが一晩で造ったという伝説があり、現在はバリ・ヒンドゥーの聖地になっているそうです。
グヌン・カウィを出てその辺を散策していると、アヒルがヨタヨタ。
その向こうには竹籠がたくさん並んでいます。よく見ればその中には大きな鶏が一羽づつ入れられています。これは闘鶏用の鶏だそうです。バリの男は闘鶏が大好きなんだそうな。
タンパッシリンの散策は続き、どこかのお寺に入ったようです。
どこの村にもお寺はあります。お寺はいつも供え物でいっぱい。そんな供え物はお寺の片隅でみんなが集まって創っています。女たちは椰子の葉を加工して飾り花のようなものを。
男たちも椰子の茎のあたりでしょうか、竹ひご状に加工したもので篭のようなものを編んでいます。
バリでは伝統的に男と女は別の場所で別々の物を創るのだそうです。
出来上がった供え物はたいていは女たちによって運ばれるようです。
こちらはお供え場なのでしょう、沢山の供え物が並んでいます。供え終わってにっこりと微笑むおばあさんの表情が印象的でした。
お供えはいたるところに。そしてお参りはごくごく丁寧なものです。
お寺ではこの女性が腰に巻いているように、帯をするのが正しい服装とのこと。
お参りのときはごくごく神妙な顔つきをする女たちも裏に廻ればワイワイガヤガヤ。これはどこでも同じかな。
ここでも供え物を創る女たち。
バリではお寺以外の場所にも祭壇がたくさんあります。
ここではかなり高いところに祭壇が作られていました。お祭りでもあるのでしょうか。
タンパッシリンの散策を終えた私たちは、その後もカレの車で北へ。どんどん高度を上げ、うねうねとした道を上り続けると、ついにキンタマーニ(Kintamani)のプヌロカン(Penelokan)に到着。
キンタマーニはバトゥール山周辺の高原地帯で、プヌロカンは『見るべき場所』という意味だそう。ここには素晴らしい展望があり、バトゥール山とそのカルデラであるバトゥール湖(キンタマーニ湖)が一望に出来ます。360度に視界が広がるここはまさに絶景。
面白いことに、このバトゥール湖から流れ出る川は一本もありません。田んぼの水はどうしているのだろうと思ったら、湖の水や降った雨が溶結凝灰岩の大地に染みて、あちこちから水が湧き出ているのだそうです。そうした水源から整備された長い用水路を通って、田んぼの隅々まで水が行き渡るようにしてあり、水不足に対してはスバックという水利組織で水を管理しているといいます。
カレによればなんと、バトゥール湖の畔には温泉があるといいます。
『登山の帰りに温泉はちょうどいいねぇ〜』 とちょっと興味をそそれれましたが、バトゥール山に登るには半日ほどかかるとのことなので、温泉もこの次に。
展望台からの眺めを楽しんだら、バトゥール湖の守り神である女神デウィ・ダヌを祀るウルン・ダヌ・バトゥール寺院(Pura Ulun Danu Batur)に向かいます。
ウルンは『先端』、ダヌは『湖』と言う意味で、これらの名を持つ寺院は他にもあり、ブラタン湖の畔にはこちらも有名なウルン・ダヌ・ブラタン寺院が立っていますが、ここバトゥールが本山だそう。ちなみにバトゥールは『聖なる』という意味だそうです。
この寺院はかつてはその名の通りにバトゥール湖の畔にありましたが、1926年のバトゥール山の噴火により破壊的な被害を受けたため、現在の位置に移設されたそうです。
ここは水を司る最高寺院としてブサキ寺院に次ぐ格式にあるといいます。
この寺院の建設はまだ完成していませんが、それでも大規模な敷地の中にはメルがたくさん立ち並んでいます。
社と合わせるとその数は数百にも上るそうです。
ウルン・ダヌ・バトゥール寺院は女神デウィ・ダヌ以外にもう一つ祀っているものがあります。それは『仏』です。ここは元々は仏教寺院だったのだそうで、本殿の社もヒンドゥー教と仏教と二つあります。
もちろんここにはヒンドゥー教の神様ガネーシャもいらっしゃいます。
ウルン・ダヌ・バトゥール寺院の後、キンタマーニを下りた私たちが次ぎに向かったのはアグン山の麓のブサキ寺院。快適に飛ばしていると、道の下の畑に一台の車が落ちている。これを見たカレが急ブレーキ。
『ちょっと待ってて、友だちの車みたいだから。』 下りてきた深刻そうなドライバーと一言二言交わすカレ。やっぱり友だちの車のようです。
『友だちがちょっと困ったことになって、彼が乗せていたドイツ人のカップルをこちらに乗せてもらってもいいかな?』 といます。偶然にも彼らの目的地はブサキ寺院とのことで、私たちはまったく問題なし。
ということでここでドイツ人のカップルをピックアップし、ブサキ寺院(Pura Besakih)へ向かったのでした。
聖なる山アグン山の山腹、標高1,000m付近に立つブサキ寺院はバリ島でもっとも重要な寺院で、ヒンドゥーのトゥリサクティ(三位一体)、ブラフマ、ヴィシュヌ、シヴァを祀る30ほどの寺院からなるそうです。
その前は草が刈り込まれた広い広場で、その向こうに長い階段があり、さらにその上にそそり立つようにして割れ門が立っています。その割れ門の先には壮麗なコリ・アグン(中門)が見えます。
ここがブサキ寺院でもっとも大きくて、もっとも重要なプラタナン・アグン寺院(Pura Penataran Agung)です。
割れ門をくぐり中に入るとこんな塔が。これはやはりメルなのだろうと思いますが、これまで見てきたものとはかなりスケールが違います。
この後ろには聖なる山アグン山が控えているのですが、この時それは雲の中でした。
プラタナン・アグン寺院でもっとも重要な場所、パドマサナ(padmasna=蓮座)。
カラフルな日傘のようなもののうしろにある三つの黒っぽいものがそれで、これらは、ブラフマ、ヴィシュヌ、シヴァの座です。たいていの寺院は最高神のための蓮座が一つ置かれるだけですが、ここではヒンドゥー教の三神のそれぞれの蓮座が設けられています。
バリ・ヒンドゥーには本殿もその中に祀られる像もありません。この座こそが、神が降臨してくるとされるもので、もっとも重要なものなのです。
プラタナン・アグン寺院は段状のテラス状になっているため、上に行くと見晴らしが良くなり、アグン山の裾野がずっと彼方まで延びていくのが見えます。
そしてここには神様が地上に降りてくる時に通るとされるメルがたくさん立ち並んでいます。
これは壮観!
ヒンドゥー教のひょうきんものたちがお寺を見張ります。
ここからは下にずっと果てしなく、私たちの宿泊地ウブッあたりまでを見渡すことが出来ます。
お寺の前でこんなものを売っていました。バリは南国、様々なフルーツが売られており、どれも安くておいしい。
これはサラック。サラックは赤茶色の皮が蛇皮みたいだからかスネークスキンフルーツとも呼ばれ、梨と百合根を合わせたみたいな感じでちょっと硬かった。
手前はおなじみのマンゴスチン、そして奥はパッションフルーツ。
パッションフルーツは、カエルのタマゴのようなツブツブの種がたくさん入っており、ゼリー状でちょっと甘酸っぱい。サイダーはパッションフルーツで口の中がベトベトに。
さて、これで本日のメインの観光はおしまい。ウブッに戻ります。
夜はオカ・カルティーニ(Oka Kartini)でワヤン・クリッ(Wayang Kulit=人形を用いた影絵芝居)を。
ワヤン・クリッは主にインドのインドの古代叙事詩『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』が主な演目で、言葉がわからないのが残念でしたが、とても幻想的。写真は影の主たちです。この主たちがいったん幕の裏に隠れると、蝶のように舞ったり、七変化を遂げたりと神秘的な世界を繰り広げます。
今日はウブッと山方面を楽しんだ私たちですが、明日はバリ島ならではの見物を。ゴア・ガジャの近くで執り行われるお葬式に出ます。