1996年の元旦に催されるケンちゃんとジャネの結婚パーティーに招かれ、年末、香港にやってきました。
九龍(ガウロン)の尖沙咀(チムシャツィ)で後日宿泊する宿を探し、簡単に食事を済ませてから向かったのは中港城碼頭です。元旦までの数日を中国の広州で過ごすため、ここから広州行きのフェリーに乗ります。
中港城碼頭の前は、シャネルだのカルティエだののブランドショップが並んでいてちょっとびっくり。そしてもの凄い人です。中国は旧正月なのでこの時期の民族大移動はないのですが、新正月に休む人もいるのかもしれません。
夜9時に香港の中港城碼頭を出航したフェリーの2等客室は、ちょっと油臭く、2段ベッドがずらりと並んだ薄暗い客室でした。このフェリー、観光客はあまりいず、ほとんどが中国人で、みんな大きな袋や段ボール箱などを抱えています。香港で品物を仕入れて大陸中国で商売するのでしょうか? フェリーには小さな団らん室のようなものはありましたが、おじさんたちに占められたテーブルと椅子、そしてパチンコ台みたいなものが1つ置いてあるだけ。外は見えないし、やることもないのですぐに横になって寝てしまいました。
夜が明けてみると船はずんずん川を遡っているようです。朝食をとり終わると6時に広州の洲頭咀碼頭に着きました。そこは海に面していないからなのか、港という感じではなく、ただ珠江の護岸に着いただけという雰囲気です。
下船したらまず、市民の憩いの場という雰囲気の、お年寄が太極拳などをしている珠江沿いの遊歩道を行きます。
そして、その向こうに架かる、人も車も自転車もモーターバイクもグチャっと通っている大きな人民大橋を渡り、珠江の北岸に出ます。
そこにちょっとレトロな感じの愛群大酒店があったので、ここに荷を解くことにしました。
ここは一般のホテルとちょっと違って服務員が各階にいて、その人が部屋の錠を開けてくれます。珠江のほとりで眺めはなかなかよろしい。
観光は越秀公園から。この公園には広州のシンボル『五羊』の石像があることで有名です。『五羊』とは、昔広州に5人の仙人が口に穂をくわえた5頭の羊を連れてやってきた、という伝説のことです。
公園はかなり広く、たくさんの池や体育施設などもあり、その中に『鎮海楼』という14世紀後半の明代に広州城の城楼として建てられた建物があります。現在は広州博物館 になっていて、広州の歴史と風俗がわかるようになっています。 この建物、俗称『五層楼』の名の通り5階建てのちょっとしたビルという感じで、これが14世紀に建てられたとはちょっと信じがたいものでした。敷地内にはアヘン戦争時代の大砲などもありました。
鎮海楼からはぐちゃ〜っとした道を通り南下、町の中心付近にある六榕寺のほうへぶらぶら歩きます。
街角の物売り、おしゃべりしている人、遊ぶ子供たち、そして頭の上では洗濯物が風に揺れています。
六榕寺は南朝の5世紀後半に建てられた古刹だそうです。
香炉があるのは日本のお寺と同じですが、大きな線香がたくさん炊かれています。
広州で最も古い建物だという仏塔は八角形で9層、高さ57m。
この塔は外観が色彩豊かで花弁が重なり合った花のように見えることや、天辺が花弁に似ていることから『花塔』とも呼ばれるそうです。
塔に上れば周辺の街並みが一望でき、外観では9層だったのが、内部は17層になっているのがわかります。
六榕寺からはすぐ近くの光孝寺に向かいます。
このあたりの裏通りはがちゃがちゃしていてなんとなく楽しい雰囲気です。ちょっと小腹が空いたのでなにかつまもうと見渡せば、うまい具合に腸粉(チョンファン、北京語では拉腸(ラーチャン))屋さんが。
腸粉は米の粉を蒸したワンタンのような薄い皮に、肉、魚、野菜などを入れて軽く丸めたもので点心の一種です。
醤油ベースの甘じょっぱいタレをかけて食べます。丸めた皮が腸のように見えなくもありませんね。葛餅みたいにぺろんとした食感でおいしい。
『未有羊城、先有光孝』
羊城は広州のことで、広州がまだない頃に光孝寺があった、という意味です。とにかくここは古くからあるお寺のようです。
さっきの六榕寺の塔は高さや形など、いかにも中国だなあという感じを受けましたが、こちらは日本にもありそうな馴染みのある様式に近いと思います。
それでも屋根の反っくり返り方などは、やっぱり中国です。
本日の観光はこれでおしまい。夕食は大三元酒家の一つ泮渓酒家で。街の西にある茘湾湖のほとりのなかなか良いロケーションにあり、広州一の規模を誇る酒家だそうです。中庭に大きな木があり、屋外で飲茶を楽しむことも出来ます。回廊や赤い欄干の橋を渡って案内された部屋のテーブルにつき、エビチリソースなどをいただきました。
翌日、朝はホカホカの湯気の立つ蒸し器に惹かれ、街角の食堂でアツアツの腸粉の朝食。
さて本日は、珠江に面する沙面からスタート。沙面は明代から外国人商人の居留地で、日本で言えば長崎の出島のような人工島だそうです。そんなわけでこのあたりには立派な洋館が並んでいます。その一角にある沙面公園にはたくさんの人が集っていました。
太極拳をする人々がいるかと思えば、テーブルを囲んで麻雀をしている人々もいます。
トランプや将棋をしているのはよく見かけますが、麻雀というのは初めて見ました。朝日を浴びて公園でやる麻雀だからか、のんびり楽しそう。我々ものんびり散歩を続けます。
沙面から北上すると、広州最大の自由市場、清平路の清平市場があります。
市場に向かう路地のあちこちでは、野菜を仕分けしたり店の準備をするおばさんたちが見られました。
かごに入れた野菜や果物を路上で売っている人たちが増え、市場の雰囲気になってきたなあと思ったところに、ちょっと殺風景な『清平市場』と書かれた看板が。
そこをくぐると… びっくり仰天の市場ワールドが広がっていました!
いくつもの通りにまたがって、所狭しと野菜、魚、肉などの店が開げられています。
頭の上の看板に『三鳥』とある下では、カゴの中に3種の鳥が。ニワトリ、アヒル、ガチョウです。
その隣では蟹がわさわさ動いています。
道ばたに置いた箱の中から取り出しているんですねえ。最初の箱はほぼ売り切れたようです。
その隣ではかわいいウサギ。
ペット屋ではありません。食用です。
そんなところの通りはと言うと、人が多くて写真が撮れません。
こちらは干物専門店です。
腸詰やら、ぺしゃんこになったアヒルも。
こちらは魚やさん。丸いまな板の上に乗せられた魚は、背の高い中国式の包丁で頭と身に分けられて行きます。
頭は上を向けて並べられるので、目玉がずらっと並んでちょっと不気味な感じです。魚の頭だけの商品は日本ではあまり見かけないですね。あとで香港人のジャネに聞いてみたら『頭が一番おいしいでしょ〜』とのコメントでした。あっ、日本でも鯛のアラとかあるか。
ほかにもまだまだたくさんあります。ムササビ?、亀、ネズミ、蛇、アルマジロなんてのも。
それからバケツに山盛り入ったタガメもいました。タガメなんて、日本ではほとんど見かけなくなりましたね。
漢方薬のエリアでは、ヤモリとかタツノオトシゴとか、ありとあらゆる干物がずらり。
近くの路地に入ってみると、子供たちがなにやら足で蹴っています。
よく見ると蹴っているのは羽根突きの羽根を二回りほど大きくしたようなものでした。蹴鞠じゃなくて、蹴羽根?
市場を夢中で歩き回っていたらもうお昼タイムで、お腹が空いてきました。香港行きの列車の時刻を調べなければならないので広州駅へ向かい、駅近くで昼食にすることにしました。
この途中、かなりの規模で建物が解体されているエリアがありました。広州も建設ラッシュということなのでしょう。
さて午後の部の観光は、町の中央から少し西側の落ち着いたゾーンの一角にある陳氏書院(陳家祠) です。
ここは19世紀末の清朝末期に『陳』姓の氏族が祖先を奉るために建てた祠堂で、学校としても使われたそうです。
前院、後院、東院、西院と4つの建物から成り、それぞれ80m角で中庭があります。
外部に対してはどちらかというと閉鎖的で、内部は開放的な広東の祠堂様式とのこと。中庭では祠を一生懸命スケッチする子供たちがいました。ここには静かな学びの場という雰囲気がまだあるようです。
屋根、柱、窓、欄干など至る所に施された中国古典や故事にちなんだ彫刻が見事。
ここは獅子が守っていますね。
楽しい彫刻を眺めたら陳氏書院をあとに、いったんホテルに戻って休憩。その後、夕食はホテル近くの潮州城魚翅大酒楼で。潮州は広東省の東端にあり、潮州料理は乾物や魚醤、塩などで味付けしたうま味と塩のあっさり味が特徴だそうで、海鮮料理も多いとか。蟹の炒め物、魚の蒸し物など、おいしい料理に大満足でした。
翌日も快晴です。ホテルの近くにある船着場に行ってみました。珠江には波止場がいくつもあって、そこをフェリーがつないでいます。
今日は香港に戻る日であまり時間がないので、適当なフェリーに乗って珠江の川散歩をすることにしました。
この船で向かったところは、珠江を少し上った西の対岸の白鶴洞村というところでした。白鶴洞村には特に何があるというわけでもなく、またフェリーで戻ってきましたが、途中、川から沙面の眺めなどを楽しみました。
広州最後の食事は昨夜と同じ潮州城魚翅大酒楼で、早めの昼食を。焼きソバとプレーン饅頭という軽めの選択でしたが、両方とも上品な味でなかなかいけました。食材広州は嘘じゃなかった!
これで広州とはお別れ。列車は広州駅を13時半に出発し、16時過ぎに香港に到着。日本からやってくるチコとユーリンと合流して、大晦日の晩餐です。
さて、明日は元旦。ケンちゃんとジャネの結婚パーティーです。