1997.08.23(土)
窓の下は赤茶一色だった。ゴビ砂漠!
それがいつの間にか緑一色に変わり(TOP写真)、その中に白い一本のうねうねとした筋が見えてきた。
その筋はいつしか枝分かれして複雑な模様を描くようになる。
そのうち別のすっとした筋。
飛行機がぐっと高度を下げると、それらはどうやら川と道らしい。人工的なものはこの道以外になにも見えない。そう、時折白い点のように見えるのはゲルだろうか。
複数の線が交わるところに幾何学的な模様が見える。
よく見ればそれはどうやら遊牧民の集落のようで、塀に囲まれた中に白い丸いテントが見える。あれはゲルだ。ゲルには囲いのない草原の中にぽつんと置かれるものと、こんなふうに囲いの中に置かれるものとがあるようだ。
モンゴルの総人口200万人のうちの60万人が集まる大都市ウランバートルに着陸すると、エンヘの友人ボロルマが待っていてくれた。ちなみにウランバートルとは『赤い英雄』という意味だそう。
『エンヘさんから良くしてあげてねと言われています。なんでも聞いてね。』 路線バスで町の中心部へと向かう中で、ボロルマからいろいろな情報を貰った。
『泊まるところは決めていますか?』 とボロルマ。
『エンヘは○○ホテルはどうかと勧めてくれたんだけれど?』
『あそこはモンゴル人がほとんどで、夜騒ぐからかなりうるさいですよ。お湯も出ないし… よければうちに泊まってください。一部屋の小さなアパートですが、私は彼氏のところに泊まるから。』
というわけで、いきなりボロルマのアパートへと向かう。そこは郊外の8階建ての高層団地で、広場には小さなキオスクがたくさん並んでいる。建物にはエレベーターがちゃんとある。ボロルマの住戸は確かに1DKの小さなものだが、風呂もキッチンも整備された清潔な部屋だった。
『じゃあ、ここにお世話になりますからよろしくね!』 彼氏の家は向いのアパートで至極便利。
このあと、市の中心部にあるスフバートル広場を散策して、ウランバートルをちょっとだけ覗いた。
スフバートル広場はモスクワの赤の広場のようなもので、国の主要な建物がその周囲を取り囲んでいる。これらは当然ながらみんな立派で、ギリシア神殿のようなものが多い。
広場の中央には、広場にその名を冠したダムディン・スフバートルの騎馬像が立っている。
遊牧民の子として生まれたスフバートルはモンゴル独立のために戦った軍人で、『近代モンゴル軍の父』として英雄視されているという。
広場を取り囲む建物でもっとも大きなものは政府宮殿。
その宮殿の真ん前にあるのは、なんとスフバートルの廟。これを見ただけでもスフバートルの偉大さというのが感じられる。
1997.08.24(日)
『どこへ行きたいですか? 今日は休みですから案内しますよ。』 とボロルマ。
『やっぱり最初はザハ(市場)!』 ということでバスに乗りやってきました。
ここに来れば手に入らないものはないというくらいに凄い。
大きいものはゲルや車、衣類はもちろん煙草やお茶、犬や小鳥まで。お茶は、これは土の固まり? という感じの真っ黒な直方体なのにちょっと驚き。
ここで値切るのが当たり前の人にちょっと忠告。この国に値切るという概念はどうやらないらしいんです。なんてったって社会主義国家ですからね。
ボロルマに 『まけてちょうだい! ってなんていうの?』 って聞いたら
『… あ〜、それはこの国には言い方がないんです。無理して言うなら○○だけれど、言わないほうがいいですよ。けんかになるかもしれませんからね。』 とのこと。
大きな木の車輪のようなものを担いで帰るおじさんがいます。
あれはいったいなんだろう。この正体はあとでわかります。
ザハの近くの通りはいつでも大渋滞。車はほとんど全部が古いソ連製のもの。
馬が牽く荷車が待機しています。おそらく彼らは荷物運びを商売としているのでしょう。
ザハを出てぶらぶらしていると、妙な塀のあるエリアに来ました。
板塀で囲まれた向こうにはなにがあるんだろう?
その出入口らしいところにはちょっとした装飾がほどこされています。この文様はあちこちで見かけるので、かなり一般的なものらしいです。
中を覗くとそこにはひっそりとゲルが置かれていました。ゲルとはモンゴル遊牧民族の伝統的な住いで、中国領の内モンゴルではパオと呼ばれ、簡単に言えば円形のテントのようなもの。遊牧(移動)するのに適した大きさと材料、工法で作られたすばらしいものです。
『ウランバートルに住む人でも、やっぱり伝統的な住み慣れたゲルでの生活が良くて、こうしてゲルで生活している人々が沢山いるんです。』 こうしたものは定住ゲルと呼ばれ、周辺ではなんと羊やヤギが放牧されていました。
『今はアパート住いだけれど、私も本当はゲルに住みたいのよ。』とはボロルマ。職のため仕方なくウランバートルに住み、仕方なくアパート住まいという人はかなり多いそうです。
野外のザハから食品を扱う屋内のザハにやってきました。
ここは穀物などを売っているところだったと思うけれど、みんな白衣を着ているのにびっくり。
食品ザハには果物も売っていますが、これは野外。
りんごを売っていたので四つちょうだいと言ったら、これがなんと量り売りで、その秤というのが何キロも量るような巨大なものでびっくり。微妙な調整で秤の目盛りを動かすおばさんと、その目盛りをじっと見つめるボロルマ。
ひとしきり食品ザハを巡ったらガンダン寺へ向かいます。
ガンダン寺は私たちに馴染み深い仏教寺院なのですが、チベットの影響を大きく受けています。
これは形は少し違うけれど、香炉。線香の煙りを身にしようと手を伸ばす人たちです。
ガンダン寺の境内はかなり広く、たくさんお寺があります。
ここはヴァジュラダーラ寺院で、日本のお寺とはずいぶん赴きが違い、石とレンガでできています。
手前で赤い服を着て寝そべっている人はかなり御高齢のおばあさん。五体投地をしているのです。
本来の五体投地は出発地より目的のお寺まで本当に地面を尺取り虫のようにして進むのだと思いますが、ここには斜にした簡単な寝台のようなものが設えてあり、この上で幾度も五体投地をすることにより、目的地までしたのと同じことだとされているようです。
ラマ教、密教系のお寺に行けば日本でも目にすることがあるマニ車。ドラム缶のようなものになにやら呪文のようなものが書いてある。クルクルと廻せばお経を唱えたことになるという便利なもの。このまわりを廻るときには時計廻りと決っているそうです。この奥には人の背より大きい巨大マニ車も。
味なおじいさんがクルクルクル、クルクルクル。
ガンダン寺の一番奥にあるのは高さ42mの観音堂。入口上部は細かい組木で、全体のカラフルな色彩とともに目を牽かれます。
ガンダン寺は1727年に雍正帝によって創建され、その後観世音菩薩像がつくられますが、これは1938年にソ連に持ち去られてしまいます。ソ連の影響を受けた政権は寺院を破壊し、千人といわれる僧侶が粛清により次々に処刑されました。しかし1944年から復興が始まり、1990年までにほぼ復興します。この観音堂は1996年に再建されたもので、中には26mもある観音像が安置されています。
ガンダン寺でひと休みしていると子供たちが寄ってきました。
ガイドブックを珍しそうに覗き込む子もいれば、『おまえは何人だ、どこからきた?』とさかんに聞いてくる子もいる。このなかにはストリート・チルドレンもいるのだろうか。
ガンダン寺のお参りが済んだら、ホトルマンドル(ゲル博物館)に向かいます。
ガンダン寺は南にメインの参道がありますが、東にもサブの参道があります。その道がこちら。右手の屋根に幟が立つ小屋はキオスクのようなものです。
そのうち定住ゲルがあるゾーンにやってきました。
こうしたゾーンは街の外辺部にあるようで、これはおそらく政策的なものでしょう。
昼食はナランレストラン(HAPAH)でシチューとマントウを。800Tg(1.07US$)也。
ホトルマンドル(ゲル博物館)にやって来ましたが日曜日は休みらしく、観光客はだれもいません。係りの人に『今日は休みですか?』と聞くと、『ちょっと観るだけならいいわよ。』と入れてくれました。
こちらは移動用の台車が付いた特殊なゲルで、階級の高い人の移動先で使うものや戦車?のような用途のものがあるらしい。
そして世界最大、直径24mの豪華なゲル。
このゲルはパーティーや結婚式にも使えるようで、300人も収容可能だそうです。休みでない日には案内役が解説してくれるとのことですが、モンゴル語だけだって。
トーノと呼ばれる円形の明り取り。
どのゲルにもみんなこのトーノがあり、被せた布で光量が調節できるようになっています。 ザハで木製の車輪のようなものを担いでいたおじさんは、これを持っていたんですね。
ウランバートルの見どころのほとんどは鉄道線路の北側にあるのですが、二つばかりはその南側にあります。
線路を渡り、セレベ川とトーラ川も渡った先はザイサン丘。この丘のてっぺんには、モンゴル軍とソ連軍が協力して大日本帝国軍とナチス・ドイツ軍を破ったことを記念したザイサン・トルゴイという戦勝記念碑があります。
この丘からはウランバートルの眺めが素晴らしいです。このペイジの最初の方にウランバートルの街の写真がありますが、それはここで撮ったものです。
モンゴルは寒冷地なので、ちょっと高いところは森林限界を超えてしまい、樹木は育ちません。向かいの山にちょっとだけ木が生えているのが見えますが、モンゴルの山の多くは草が生えているだけです。
ザイサン丘からの眺望を楽しんだら、ウランバートルの街に戻ります。この途中、セレベ川とトーラ川に挟まれたゾーンにボグドハーン宮廷博物館があるので寄ってみました。
この建物は、モンゴルにおける活仏の名跡であるジェブツンダンパ・ホトクトの第八代の冬の宮殿として1893年から1905年にかけて建造されたもので、釘を使わない木組みのみでつくられていると言われています。ところが開館時間をちょっと過ぎてしまっていて、中は見られず。日は長く、まだ17時を回ったばかりなのに、残念。
今日はウランバートルの見どころをさっと巡りましたが、明日はここを離れ、モンゴル最古の寺院があるハラホリンへ向かいます。どうやって移動するかはこれからボロルマと相談です。