ふじみ野駅前
企画の案内が前日の夜ということもあって、ふじみ野駅にやってきたのはたったの二人。
二人なら今日はダート三昧ってことにしよう! とサイダー。もう一方のムカエルは、エヘヘヘヘ~、と笑うばかり。さて、今日はどうなる?
ふじみ野の駅前はきれいに整備された区画で、広い歩道にケヤキ並木が美しいところです。
いきなりダートに
駅前の整った街区はR254までで、それ以降はどこにでもあるような住宅街になります。
関越自動車道をくぐり抜けると、いきなり幹線を離れあらぬ方向へ向かいます。サイダーのダート三昧企画が始まったようです。
ここで入った道はきれいな緑に覆われた畑の間。この中をどんどこ行きます。
民家と巨大木
三芳町の三富新田(さんとめしんでん)の区画に近づくと立派な民家や巨大な木を持つ家が現れ出します。ここは三富新田の一番外側に位置するところです。まずは外側の様子を伺い、徐々に中に入って行きます。
畑の中を行く
所沢霊園の脇を通ったあと、目当ての三富新田の区画の中心部へアプローチします。ちょっと失礼させてもらって畑の中の道を通らせてもらいます。こういった道は個人所有であることが多いので、礼儀正しく通らせてもらいましょう。
三富新田を行くムカエル
入った先はどうやら三富新田の中のようです。三富新田は江戸時代の元禄年間、17世紀末に川越藩主の柳沢吉保が開拓させたもので、幅6間(11m)の道の両側を短冊状に区画し、一区画は間口40間(72m)、奥行き375間(675m)としました。その区画の中には道路側から屋敷、耕地、そして一番奥に雑木林が配されます。
ムカエルの後ろの土が露出している部分はおそらく1/4戸分の土地で、なんとなくこれで三富新田の巾と奥行きの感じがわかります。
三富新田の区画割り
写真は三富新田の区画割り図です。左端の図が一軒の所有する土地の標準的な割り付けで、上のオレンジ色の部分が屋敷のゾーン。この中に建つ住宅は屋敷林に囲まれます。真ん中の一番大きいゾーンが耕地、そして一番下の緑色のゾーンが雑木林です。
吉保はその後野火止用水を参考にしてこの地に水を引こうしましたが、これは実現せず、11ヶ所の深井戸が掘られたそうですが、これはとても十分なものとは言えなかったようです。それでかどうかはわかりませんが、新田というのに現在は田んぼではなく、ほとんどが畑になっています。
雑木林の中を行く
雑木林はこんな感じで、防風と薪や肥料の材料確保が目的だったようです。現在でもまずまずの手入れがされているようです。
多福寺山門
多福寺は三富新田の中にあり、柳沢吉保がここの開拓民のために建てたものです。ひっそりとした森の中に建つ、かなり立派なお寺です。
ケヤキ並木
r56からr324に掛けてが三富新田のメインロードで、この道の両側に短冊状に区画が並びます。この道の北東側は関越自動車道が通ったため元の区画とは異なっているように見えますが、南西側はほぼ当時の区画のまま残っているようです。通りは当時からのものかどうかはわかりませんが、立派なケヤキ並木になっています。
旧島田家住宅
そのメインロードに面して一軒の古い民家が建っています。これは三富新田の中の別の場所にあった住宅を移築したものだそうです。
旧島田家住宅内部
建物の中に入ると煙りがモクモク。土間に切られた囲炉裏で薪が燃やされているのです。昔の建物は煙りで燻していないと、竹や茅から虫が湧いたり、木が腐ったりしてしまうのだそうです。
奥に小さな文机がいくつも見えるのは、かつてこの家で寺子屋もやっていたからだそうです。
長~い耕地の先の雑木林
この地の名産さつまいもの畑がず~~~っと延びて行き、その突き当たりに雑木林。手前にはもちろん屋敷がありますが、これはたいてい新しい建物に変わっています。
r56で所沢方面へ
三富新田を後にして向かうは狭山湖。ここからは少々車が多い道になるので注意して進みます。
航空公園付近
航空公園の脇になると、そこには広い歩道と自転車道があって安心して走れるようになります。ここはケヤキ並木もきれい。
西武球場
航空公園駅を越えると再び車が多くなります。しばらくして左手にドームの西武球場が見えると、多摩湖自転車道まではもうすぐです。
多摩湖自転車道
多摩湖自転車道に入ると一安心ですが、この自転車道は自転車はもちろん、歩行者やジョガーも多いので、ちょっと注意しながら進みます。
狭山湖周回ルートに入る
多摩湖自転車道からr55に移り、その道が南へ向かう直前にある給食センターの手前が狭山湖の周回ルートの入口です。ここからしばらくは車やモーターバイクの乗り入れは禁止なので、安心して走れるようになります。
簡単なフェンスの扉開けて入ると、周囲はすぐに雑木林となります。しかし道はいきなり砂利道の上りになり、最初からアヘアヘ。
六地蔵
坂を上り終わり、視界が開けたところには六地蔵という石碑のようなものが建っています。並んだ二体のお地蔵様がこの碑の三面に刻まれているので六地蔵なのでしょう。
この下は公園になっていて眺めもいいので、ここでちょっと休憩。
ダート!
六地蔵からも林の中を行きます。道は締まった砂利なので問題は少ないものの、アップダウンもあるので舗装路を行くより何倍も力が入ります。このあたりは散歩をしている人が結構いるので、ぶつからないように慎重に行きます。
ちょっとアヒアヒしてきたころ行く手にゲートが現れ、六道山公園に出ます。ここで再び視界が開け、道は舗装路に。公園の中には煉瓦色の展望台があり、近くのベンチでは家族連れがわいわいやっています。
まだまだダート!!
六道山公園から坂道を下ると舗装路に合流しますが、その手前で右折しダート道に入ります。ここからはさらに木々が深くなり、森の中という雰囲気が強くなります。この道はモーターバイクも走るので、用心しながら進みます。道はちょっとガレ気味のところや、土が露出してぬかるんだところなど、荒れ気味のところが現れるようになります。
狭山湖
昼間なのにほとんど夕暮れのように薄暗い、森の深いところを抜けて進んで行きます。しかもアップダウンがあちこちにあり、ちょっとアヒアヒ。
これまでは狭山湖の周回ルートではあっても湖からは少し離れたところだったので、その湖面はまったく見えません。ようやく狭山湖が姿を現すのは、北湖岸の中程を過ぎたあたりからです。
東湖岸から狭山湖を望む
湖の反対側に何本かの道が延びて行くようになり、砂利道だった道が広くなって舗装路になると、東湖岸が近づいたと感じます。しかし道は再び砂利道に。
このあと、うねうねを二回ほど繰り返すとようやく視界が開け狭山湖の東湖岸に到着です。ここで本日のダートは終了。お疲れさまでした~
東湖岸には東屋のあるちょとした公園が整備されており、そこにはバードウォチャーや眺めを楽しむ人々が集まっています。
多摩湖
狭山湖の堰堤を通り多摩湖自転車道で多摩湖の東湖岸に出ます。こちらの多摩湖にも広い堰堤が整備されています。そこからの眺めは狭山湖のそれからのものと瓜二つです。ここからは堰堤の上を通り抜けましたが、下の狭山公園の中を通り抜けるのも一興です。
多摩湖自転車道で武蔵大和駅へ
多摩湖の南部にも巾は狭いものの多摩湖自転車道は続いており、これに乗って武蔵大和駅方面へ向かいます。
小金井へ向かう多摩湖自転車道
武蔵大和駅を過ぎると多摩湖自転車道は少し雰囲気を変え、西武多摩湖線に沿って住宅街を抜けて行きます。ここは自転車も歩行者もたくさん。生活道路として多くの人が使っているのです。
始めの方は頻繁に横切る車道のところに車止めが現れ、スムースには走れませんが、新青梅街道を越えるとこれは少なくなり、まずまず走れるようになります。
野火止用水沿いを行く
西武多摩湖線の八坂駅からは多摩湖自転車道を離れ、野火止用水(のびどめようすい)沿いを進みます。
野火止用水は別名を伊豆殿堀(いずどのぼり)とも言います。伊豆殿は川越藩主、松平伊豆守信綱のことで、この人は17世紀半ばに玉川上水を開削した人です。信綱はその功績により玉川上水から領内の野火止(新座市あたり)への分水が許され、作ったのがこの野火止用水で、当時は飲料水や生活用水、さらには農業用水としても使われたそうです。
野火止用水沿と彼岸花
これは三富新田で柳沢吉保が手本にしようとした用水でもあります。現在この用水は本来の役割を終え、暗渠化されたところもありますが、このあたりはその周囲に木々が植えられ、なかなか雰囲気のいいところになっています。
水車小屋
小さな公園に水車小屋がありました。かつてはこんな水車で小麦粉を挽いていたようです。
畑道と三富新田、ダートが楽しい狭山湖、豪快に走る訳には行かないけれどそれなりに快適な多摩湖自転車道、そして緑の多い野火止用水と、都市部近郊の自然が残るところのサイクリングでした。