大宮駅から東に延びるメインストリート
都心近郊の田園を楽しむポタリングです。
都心から僅か20分の大宮は隣に新都市がある大きな都市ですが、そのすぐ近くには田畑が広がる田園地帯があります。今日はその田園を楽しみます。
万葉親水公園付近
大宮駅前のケヤキ並木の大通りから氷川神社の参道を通り、住宅地を抜けて出たのがこちら、見沼代用水西縁(みぬまだいようすいにしべり)の脇を通る道です。
進行右手の木立の中にひっそりと流れるのが見沼代用水。日本で走るのは久しぶりのデュエルンを先頭に進みます。
見沼代用水西縁
大宮県営球場の正面から延びる『はなみずき通り』の突き当たりにある橋を渡ると、鬱蒼とした木々の中に見沼代用水西縁の流れが見えます。昨夜から今朝まで降った雨の影響でか、水かさはかなりあるようです。
見沼代用水は江戸時代は徳川吉宗の代、享保年間にこのあたりの新田開発のために普請された灌漑農業用水だそうで、利根川から取水し東(東縁)と西(西縁)の二本に分れ、この一帯の田んぼに導かれます。
桜並木の下を行く
橋で方向転換し、ここからは一路西縁を南に向かいます。
まずは鬱蒼とした木々の中を進み、空が広くなると学校や住宅地の縁を通り、大型の施設がなくなると左手は畑に変わります。そして道端は色付いてきた桜並木に。
西縁の砂利道
この桜並木の下の道はしばらくは快適な舗装路ですが、そのうち砂利道に。
この砂利道はよく締まっているので自転車でも問題ありませんが、土手下には舗装路も通っているので好みで走り分けできます。
コスモス畑
畑の中に一面ピンクのゾーンが現れました。近づいてみればそれはコスモスの畑です。
満開です。切り花や鉢植えとして出荷するには遅すぎるので、おそらくこの畑は種を穫るためのものでしょう。
コスモス畑の脇を行く
『このコスモスはすごいですね~』
とバイクフライデーに乗るカンちゃんが行き、
『いや~、みごと、見事!』
とブルーノに乗るヒロちゃんが続く。
見沼の畑
見沼田圃の名のとおり、このあたりは元は江戸の胃袋を満たす一大米作地帯であったはずですが、現在はご覧のとおり田んぼはほとんど見られず、そのほとんどは畑や住宅地に変わったようです。
畑にしても荒れ地になっていたり、極小さな区画の家庭菜園のように、本格的な耕作地ではないようなものも見受けられます。
氷川女体神社の赤い橋
こうした土地を眺めながら進むと用水に架かる赤い橋が見えてきます。氷川女体神社の入口です。
今日の出発地点の近くにある氷川神社が『男体社』、そしてこちらが『女体社』なのだそうです。橋の先の階段を上ると、ひっそりとその社があります。
見沼氷川公園
氷川女体神社の向かいにあるのは見沼氷川公園。
ここにはコウホネが浮かぶビオトープ池やちょっとした休憩ができるベンチとテーブルがあります。
西縁に沿って続く桜並木
見沼氷川公園で一休みし、さらに西縁に沿って進みます。
相変わらず土手の上には桜並木が続いています。
見沼通船堀公園入口
JR武蔵野線の線路を越えると見沼代用水の西縁から分岐し東縁に続く見沼通船堀があり、その角には見沼通船堀公園があります。
公園の入口でブロンプトン組4名が合流、西縁の終点に向かいます。
西縁終点へ
見沼通船堀公園から先の見沼代用水西縁の周りは市街地となり、住宅団地や密集した住宅地の脇を抜けて行きます。このルート上には小さな公園があったり、民家の庭に生るザクロが見られたりとそれなりに楽しめますが、
『やっぱり街中より田園風景の方がいいよねぇ。』
ということで、広い地方道1号線に突き当たったところでおしまいに。
見沼通船堀公園の竹林
地方道1号線から引き返し、見沼通船堀公園に入ります。
この公園は竹林とちょっとした広場だけのこじんまりしたものですが、よく手入れされた竹林の中を進むのは気持ちいい。
見沼通船堀の西縁側
見沼通船堀公園からは見沼通船堀沿いを東に向かいます。
この堀は見沼代用水の完成直後に開通した運河で、西縁と東縁の間に流れる芝川を中心に、西縁側と東縁側に分れます。またここは見沼代用水ができる前の時代、農業用水の貯水のために見沼が見沼溜井として整備された時に、見沼への流入水を堰き止めるために造られた八丁堤の跡でもあるようです。
鈴木家住宅
通船堀はその名のとおり船を通すために造られた堀で、江戸幕府からその通船の差配役を任されていたのがこちらの鈴木家。
ひらたぶね復元モデル
鈴木家の付属施設の一部は公開されており、その中には当時このあたりを通っていた船の復元(1/2サイズ)モデルもあります。
先に見た見沼通船堀の水路は、どう見てもこの船の倍の大きさの船は通れそうにないと思うのですが、現在の水路は当時の大きさがないのか、それともこれとは違う船が通っていたのか?
芝川と桜橋
西縁と東縁の間にある芝川は現在はこんな感じ。
芝川には見沼田圃の落ち水を排水する役割があり、鈴木家の展示資料によれば、『ひらたぶね』はこの川を竹竿を使って進み、荒川に出てからは櫓を漕いで江戸に向かったそうです。
東縁側の閘門
さて、見沼代用水と芝川は3mほどの水位差があり、そこを船が行き来できるようにするために考えられたのが閘門(こうもん)です。
二つのゲートの外側に水位の違う水面、一方のゲートを開き船をゲートの中に導き入れ、ゲートを閉じ、反対側のゲートを開き船を出す、というかなり古くからある手法で、世界的にはパナマ運河が有名です。ここの閘門式運河はそのパナマ運河より200年近く古いそうで、日本の閘門式運河の中でも最古の部類だそうです。
ここでは年一回8月ごろに実際に船を通すデモンストレーションが行われているとか。
見沼通船堀の東縁側
見沼通船堀の閘門は西縁側と東縁側にそれぞれ一組、合計二カ所あります。
静かな通船堀の脇を進めば見沼代用水の東縁に突き当たります。
見沼代用水の東縁、通船堀付近
東縁には自転車道である『緑のヘルシーロード』(写真では用水路の対岸)があります。
『緑のヘルシーロード』は利根川の利根大堰から見沼代用水の東縁に沿ってここの南、東京外環自動車道の少し南まで続き、東縁そのものはさらに南の日暮里・舎人ライナー線の見沼台親水公園付近まで続いて行きます。
緑のヘルシーロード沿いの畑
私たちは『緑のヘルシーロード』で上流の利根大堰方面、北に進みます。
右手に住宅地、左手に畑を見ながら進めば、
川口自然公園
ほどなく川口自然公園に出ます。
川口自然公園は湿地を残した自然が残る公園で、ちょっと楽しそうな池があり、散策路が巡らされています。入口付近には芝生広場もあり、ここでお弁当休憩。
緑のヘルシーロード
このあたりの見沼代用水沿いはその両側が道になっていて、その片方が『緑のヘルシーロード』。
多くの箇所は幅2mほどで、自転車でのんびり走るにはちょうどいい。快適に進んで、寄るつもりだった『見沼自然の家』と『浦和くらしの自然民家園』を通り越しちゃった。ま、いいか。。
代用水原形保全区間
国昌寺までやってきて道が90度方向を変えるあたりになると、路面はアスファルトからインターロッキングになり、用水際のフェンスも茶色の偽木のようなものになります。
ここは見沼代用水の原形保全区間で、川岸や川底にコンクリートの護岸工事がされておらず、開削当時に近い姿をしているようです。対岸の林は、さいたま緑のトラスト基金による保全地『見沼田圃周辺斜面林』です。
原形保全区間にあるトラスト取得地の竹林
その先に竹林が見えてきました。これも『見沼田圃周辺斜面林』の一部のようです。
手入れの行き届いた竹林
見沼代用水に架かる総持院橋を渡るとその竹林の前に出ます。竹林はきれいに手入れされていて、とても気持ちいい。
この竹林から『見沼田圃周辺斜面林』の中を散策できる小径があるようなのですが、この時その入口付近はウォーキング大会の人でいっぱいだったので、総持院を抜けてその裏手にある鷲神社に向かいました。
鷲神社
畑の中を行く道の正面に朱色の鳥居が見え出します。珍しいことにこの鳥居の上には瓦が載っています。ここが鷲神社です。
普通はひっそりとしていて人っ子一人いないようなこの神社も、どういうわけかこの日は人の山。
鷲神社の獅子舞
近づけば神社の中から、ピーヒャラピーヒャラポンポンポンという音。
獅子舞です。大獅子を中心とした三頭の獅子が舞う姿は華麗で勇壮。この獅子舞は五月と十月の年二回行われ、五月のはお神楽を舞って家々を廻るそうです。
獅子舞を堪能したあとは、村の人が振る舞う味噌おでんをごちそうになりました。
見沼自然公園
鷲神社から再び『緑のヘルシーロード』に戻り北に進めば、すぐに見沼自然公園です。
この大きな公園の芝生広場には見沼代用水を造った井澤弥惣兵衛為永の像が建っています。公園の正面入口近くでは狂い桜が大きな白い花を咲かせていました。
見沼の田んぼ
この見沼自然公園付近になると、ようやく見沼田圃のその田んぼが見られるようになります。
刈り取られた稲が田んぼの中で逆さまに吊るされ天日干しされています。こうした田んぼも農家が作っているところは少なくなっており、市民団体などが借り受けてボランティアや農業体験のような形で運営されているところが多いそうです。
狂い咲きのひまわり?
小さな真っ赤な社を過ぎると、道端にはひまわりが!
満開のようですが、狂い咲きなのか、今頃咲く種類なのかは? 背が低いからこうした種類なのかな。
コスモス畑と東縁の土手
西縁で見たコスモス畑がこちらの東縁にもありました。ここも満開です。
その先に見える土手の中を見沼代用水は流れています。その土手脇では用水を田んぼに導く取水升を見ることができます。
七里総合公園
ひまわりとコスモス畑の次は見沼代用水東縁と加田屋川の間にある細長いゾーンに造られた、自然いっぱいの七里総合公園。
このあたりは本当に公園が多いですね。
七里総合公園脇の東縁
東縁と『緑のヘルシーロード』はなおも北に延びています。しかし七里総合公園の先で周囲の景色はがらりと変わります。
東縁脇の農家
田んぼや畑はほとんどなくなり、住宅地になるのです。写真は古くからある農家のようですがこうしたものは少なく、新しいちっちゃな住宅が沢山並んでいます。
かつて見沼という沼があったのが七里総合公園あたりまでのようなので、その北側は昔から田んぼではなかったのかもしれませんが、どうなのでしょう。
東縁西縁分流点
開発された住宅地を抜け、R16大宮バイパスと東北本線の線路を越えると瓦葺という地名のところに出ます。
ここが見沼代用水の東縁と西縁を分ける分流点(正確には綾瀬川の対岸にある)です。写真左の水路は東縁に、そして右の水路は西縁に流れて行くのです。
綾瀬川
この分流点のすぐ先を綾瀬川が流れています。
見沼代用水はこの綾瀬川からではなく、ここから30kmも北の利根川から取水されており、かつては懸渡井(かけとい、木製の水道橋)で綾瀬川を越えていたそうです。現在は伏越(ふせごし)という樋を地中に埋める工法で綾瀬川の下を潜ってこちら側に辿り着いています。
瓦葺の田んぼと大宮バイパス
分流点から南を臨めば、刈り取られた田んぼの先に大宮バイパスが延びています。
『緑のヘルシーロード』はこの分流点から先も利根川の利根大堰まで延びて行きますが、私たちはここで西縁を辿り、大宮駅に向かいます。
住宅地の中を走る見沼代用水西縁沿いを行く
田んぼは大宮バイパスでおしまいになり、それから南は東縁の北部同様、完全な市街地になります。
民家の脇を抜けて流れる用水の脇の道はちょっと分かりにくいところがあったり、砂利道になったりすることもありますが、これは大した問題ではありません。ただし交通量の多い道を何本か渡るので、ここは注意が必要です。
大和田公園が見え出すと、大宮の中心部に到着です。
氷川神社の神池と神橋
大宮といえば氷川神社。なんと『大宮』とは大きな宮のことで、元はこの氷川神社を指した言葉なのだそうです。
ということで、その氷川神社にお参りに。
氷川神社楼門前にて
日中はいつも人でいっぱいのここも、もう夕暮れが迫る時刻なのでそれほど混雑してはいませんでした。
目映いばかりの楼門の前で、記念の一枚。
氷川神社にお詣りしたら紅葉し始めた木々のある参道を抜け、大宮駅前に到着です。
今日の見沼代用水の周りのコースは、ほとんど都心といえるような場所にぽっかりと空いた異次元の空間のようです。特に南部は田んぼこそ少なくなってはいるものの、まだなんとか農地が残っていて魅力的です。しかしこうした農地の維持もそろそろ限界に近づいているようです。この問題はここ見沼に限ったことではなく、日本のあらゆるところで起きていることです。
『緑のヘルシーロード』がいつまでも緑であり続けられるように、ここの農地が今後もなんらかの形で残ってほしいと思います。