宇都宮駅西口にて
桜は終わり、つつじが早くも満開、新緑の鮮やかな緑が徐々に深くなりつつあるこの季節、晴れならば最高の陽気となるところですが、残念ながら空は一面の雲。
しかしそんなことにはめげずに宇都宮にやってきた私たち。うしろの彫刻は元気そうじゃあありませんか。でもこの日は最高気温15°Cとちょっと寒い。
旧篠原家住宅
宇都宮駅を出るとすぐに旧篠原家住宅があります。
篠原家は江戸時代から醤油醸造業を営み、明治に入ってからは肥料商も営んでいた宇都宮有数の豪商で、この土蔵造の母屋は1895年(明治28年) に建てられたものだそうです。第二次世界大戦の空襲でこの裏手にあった醤油工場は焼け落ちてしまったそうですが、母屋と石蔵などはなんとか難を免れました。その醤油工場があった場所には現在、大きなホテルが建っています。
旧篠原家住宅近景
母屋の外壁には黒漆喰が塗られ、一階部分にはこのすぐ近くで産出する大谷石(おおやいし)が貼られています。店先には商家の特徴である木の格子の建具が見られ、1・2階を合わせると100坪もあるという堂々たる風格の住宅です。
店の内部に入ったところには、ケヤキの一尺五寸角という太い大黒柱が建っています。
石蔵
この母屋の他にも、石蔵三棟が残っており、これらの外壁にも大谷石が使われています。
宇都宮市街を行く
旧篠原家住宅からはその外壁の一部に使われていた大谷石の産地に向かいます。
宇都宮駅から続く大通りをどんどこ。大谷まではこの大通りを行くか、裏道を行くか悩むところですが、こちらにはしばらく歩道が整備されているのに対し、裏道には歩道がなく、それなりに交通量があるということで、企て人コンタは大通りを選択。
二荒山神社
宇都宮の中心部、駅から西に1kmほどのところには小高い明神山があり、そこに二荒山神社(ふたあらやま[ふたらやま]じんじゃ)が建っています。その歴史はかなり古く、宇都宮はこの神社の門前町として発展してきたようです。ここの社殿は、かつては伊勢神宮のように20年ごとに建替えられていたとか。
二荒山神社からも大通りを西へどんどこ。街の中心部を過ぎて戸建住宅が目立つようになると、そうした建物の塀には大谷石が積まれています。
大谷付近
12kmほど走り、姿川に出会うとどうやらこのあたりが大谷のよう。道脇には切り出された大谷石が積まれ、外壁に大谷石が貼られた建物が現れます。大通りから一歩入ったこのあたりは、宇都宮の駅前とは大分異なり、ずいぶん静かになります。
大谷の平和観音
道が大きくカーブする手前でちょっとした参道のような道に入れば、そこは路面に大谷石が敷き詰められており、その先にすくっと大きな観音様が現れます。この観音様は太平洋戦争の戦死者を悼み、戦後すぐにこの大谷石採石場跡の岩壁に彫られたもので、なんとその高さは27m。この岩壁はもちろん大谷石(凝灰岩)です。
この平和観音を国の重要文化財などになっている大谷観音と勘違いしてはいけません。大谷観音は大谷寺(おおやじ)にあり、それはここのすぐ裏手にあるのです。
平和観音から大谷寺へ
平和観音の前はちょっとした公園になっており、観音様の横はこのように垂直に切り立った切り通しになっています。ここは大谷石の岩肌がよくわかります。
大谷寺入口
この切り通しを抜けた先に大谷寺はあります。そのうしろはごつごつとした岩山。
大谷寺
大谷寺は実は大谷石の天然の洞窟の中にすっぽりと包まれたお寺で、810年弘法大師による開基と伝えられます。その本尊はこの岩壁に彫られた高さ4mの千手観音(大谷観音)で、これは磨崖仏としては日本最古のものだそうです。ここには千手観音のほかに、釈迦三尊像、薬師三尊像、阿弥陀三尊像と伝えられる磨崖仏もあります。
残念ながらこれらの撮影は禁止されていてここで紹介はできませんが、必見です。
大谷寺の石仏群
そうそう、ここの資料館には大谷観音の防災工事の際発掘された、縄文時代最古の人骨が展示されています。それはなんと一万一千年前のもので、20歳前後の男性、身長154cmで、しっかり歯がそろっていました。この洞窟はこうした人々の住居だったのです。
大谷石はたいへん柔らかいので、ついついそこになにか彫ってみたくなるのでしょうね。この石仏たちは大谷寺の屋外の岩壁の前に並んだものです。もしかすると縄文人もカチカチやっていたかも。
大谷寺から大谷資料館へ
大谷観音を眺めたら、すぐ近くにある大谷資料館に向かいます。このあたりはほとんど人気がなく、ひっそりとしています。
大谷資料館
大谷資料館は大谷石の採掘場だったところで、大谷石関連の資料が展示され、地下には巨大な採掘場跡を利用したイベントスペースがあります。この空間は140mx150m、深さは平均30mで、もっとも深い所は60mに達するとか。ここも必見!
内部は5°Cと、ちょっと寒い。
通気口?
上を見上げれば、四角い穴が。これは通気口でしょうか?
写真ではうまくこの空間を表現できていませんが、ここが単に岩をくり貫いて作られただけの空間だと思うと、ちょっと恐ろしいほどです。このあたりにはこうした採掘場があちこちにあり、時々陥没事故があるというから、、、
近年この近くに、三十数年ぶりに新しい採掘場が作られたようです。
現帝国ホテルのレリーフのレプリカ
大谷石を世に知らしめたのは、なんといってもフランク・ロイド・ライト設計の旧帝国ホテルでしょう。荒々しくも繊細な大谷石の特徴を生かした名建築でしたが、すでに取り壊され、現在はその一部が明治村に残されています。この資料館には現帝国ホテルにあるレリーフのレプリカが展示されています。
景観公園
大谷資料館を出るとすぐに姿川の流れに出会います。そこには大谷石の奇岩が並んだ並んだ。その前は景観公園として整備されています。
大谷街道
今日は前半に見どころが多かったので大分予定時間を超過し、すでにお昼です。ということで、ここから姿川沿いを南下する予定でしたが、まずは昼食をと、少し街の方向へ戻ることにしました。
大谷街道r70を戻ると、運良く東北自動車道のところにレストランを発見、ここでコストパフォーマンス抜群の中落ち丼をいただきました。
カントリーロードを行く
昼食を済ませて外に出ると、空からパラパラと。今日のお天気は午後50%の雨予報なのです。
姿川の上流には自転車道はなく土手もないので、避難も考え、しばらくはできるだけ最短距離で南下することにします。
姿川の土手
最初の方の明保通りは少し車の通りもあったのですが、鹿沼街道を過ぎるとそれも少なくなり、お天気もなんとか持ちそうだと、カントリーロードを使い、徐々に姿川に寄って行きます。
ちょっと姿川を覗いてみよう、ということで土手に上ってみるも、やっぱりそこに道はないのでした。しかも自転車に乗っては進めないほど草ボウボウです。まあ、いつものジオポタです。
先に科学館のロケット
なんとかこの土手の先で普通の道に出て、やり直し。この先は気持ちのいい田畑の中の道になってきました。
先になにやらタワーのようなものが見えてきました。企て人のコンタによれば、あれは科学館のロケットだそうです。
科学館のH2ロケット
子ども総合科学館(わくわくグランディ科学ランド)は、プラネタリウムや天文台、そして風力発電の風車などがある施設で、その中にこのH2ロケットも展示されています。これは見上げるとかなり大きい。
田舎道をどんどこ
子ども総合科学館からも田舎道をどんどこ行きます。ここ、本当に宇都宮? という景色が続きます。
東武宇都宮線
まわりは田んぼと畑だけです。そんな中、チンチンという音が聞こえだすと、それは東武宇都宮線の線路でした。
再び姿川の土手
この線路の先、地図に川中子とあるあたりでちょっと休憩です。
そろそろ姿川に自転車道があるはず、とそこから再び土手に上ってみますが、残念ながらまだのようです。でもここはさっきよりましだね、と、どんどこ。
姿川
姿川の自転車道はこの先の弥五郎次橋、東武宇都宮線の安塚駅の南でr65が川を渡るところから始まっていました。この自転車道は、ここから小山市の黒本橋まで16kmほど続くようです。
河川敷の姿川自転車道
それはまず左岸の河川敷の中を通って行きます。これでは川が増水した時は走れないな、と思っていたら、案の定、『増水時通行禁止』だって。どうしてここは自転車道を土手の上につくらなかったのでしょうね?
土手上になった姿川自転車道
しかしその河川敷の自転車道はいつの間にか土手上に。ここは菜の花が満開できれいです。
うしろに北関東自動車道
やっと自転車道になりましたねぇ~、ここはいいですねぇ~ と企て人のコンタがどんどこ。
グリムの国?
田んぼの中に突然姿を現したのは、おとぎの国? あれは下野市の保育園や福祉施設などで、なんでもグリムの世界をモチーフにしたものだとか。
民家のシバザクラ
グリムの国の先で、先頭コンタが突然方向を変えました。一体何事かと思ったら、チェーンの油切れのようで、近くの家に寄り道。たっぷり油をもらいましたとさ。
しかしその家の庭先には、こんなすばらしいシバザクラが咲いていたのでした。これは見事。
石橋中学校付近
油をさしたチェーンはスムースになったようで、再び姿川に戻ります。そこには下野市の石橋中学校が建っているのですが、これはなんでも著名な建築家によるものだそうです。その前の土手は桜並木で、このあたりはつい最近まで花見で賑わったことでしょう。
姿川右岸の菜の花の中を行く
姿川の自転車道はこの先のR352日光西街道で右岸を行くようになります。ここも菜の花いっぱいです。
ところでこの自転車道ですが、巾は1mちょっとと狭く、対向車が来たら除けるのに一苦労しそうですが、その心配はまったくありませんでした。対向車はおろか、人っ子一人ここにはおらず、ジオポタ貸し切りの道なのでした。
姿川・自転車道・八重桜
菜の花がおしまいになり行く手に八重桜が見えだしました。都心ではすっかり散ってしまった桜も、このあたりではまだ結構残っているようです。
天平の丘公園に向かう
このあたりには桜の名所が結構あるようで、近くの天平の丘公園もその一つだといいます。せっかくだからと姿川を離れ、その天平の丘公園に向かうことにしました。天平の丘公園に向かう道脇にも八重桜が植えられています。
天平の丘公園付近
行く手一面が濃いピンクの霞のようになっています。あのあたりがどうやら天平の丘公園のようです。地図にはこのあたりの地名は国分寺とあり、国分寺跡や国分尼寺跡の文字も見えますから、かつてはこのあたり一帯が下野の中心的なところだったのかもしれません。
天平の丘公園の林
天平の丘公園は、きれいな自然林と桜、そして多くの史跡があることで知られています。しもつけ風土記の丘資料館や民族資料館もあり、周辺には、吾妻古墳や琵琶塚古墳などが点在しています。
この木なんの木、なんとかサクラ
公園の林の中をちょっと行くと東屋があり、その先が広場のように開けています。その林の端っこにこんな花が咲いていました。なんとかサクラというそうですが、本当かな?
満開の八重桜
広場風の空地の先にはびっしりと八重桜が。この公園の桜の目玉はこの八重桜だそうです。
八重桜
まさに今、満開です。
古墳風モニュメント
その広場風のところには、古墳がある、と思ったら、これは古墳をモチーフにしたモニュメントで、本当の古墳はこの少し南にオトカ塚古墳というのがあるらしいのですが、お天気がずいぶんあやしくなってきました。ということでその古墳には行かず、ここで退散と決定、駅に向かいます。
天平の丘公園から自治医大駅に向かう
雨脚が強くなってきました。天平の丘公園の桜に別れを告げ、きれいな桜にもツツジにも目をくれず、先を急ぎます。
自治医大駅
なんとか大降りになる前に自治医大駅に到着。
この自治医大駅の少し北東には、当時日本に三か所しかなかった戒壇があった下野薬師寺跡があるのですが、これはこの次ということに。