不老ふ死温泉の海岸露天風呂
今日はいよいよ青森県の津軽半島に入って行きます。昨日までは少々アップダウンがありましたが、今日のコースは完全にといっていいほどのフラットコースです。朝方は雨がちらついていましたが午後には晴れるとの予報で、お風呂に浸かっているうちにこれは上がりました。
黄金崎の不老ふ死温泉の海岸露天風呂で日本海を眺めたあと、寒さのため別行動をとるジークと分れ、サイダーとサリーナが、いざ出発。
黄金崎付近の海岸線
今日はほぼR101大間越街道の一本道ですが、できるだけカントリーロードを見つけて進むようにします。黄金崎から国道までの道はなかなか快適です。
横磯からのカントリーロード
大間越街道に出、横磯まで進むと海岸方向に向かう分岐があったので入ってみました。小さな漁港を過ぎると大間越街道に上る激坂が現れます。これを上るのはちょっといやだな、と思い先に進んでみます。小さな畑の脇をかすめ、、、
横磯付近の海岸散策路
ちょっとあやしそう、と思う間もなく、こんな道に。小さな標識に散策路とあるのである程度までは行けるだろうと、これを行ってみます。
横磯付近の海岸散策路part2
道はダートだけれど、ひっそりとしていてなかなか気持ちのいいところです。これをどんどこ行くと、道はかなり荒れてきて、そのうち松林の中に。
入前崎
その松林の先は入前崎(にゅうまえざき)の絶景でした。入前崎の名は『お日様が海に入る前の崎』からだそうで、ここにはめずらしい集魚林があると案内板にあります。これまで通ってきた松林がそうでしょうか。海の中のあちこちの岩場の上では釣り人が糸を垂れています。
岡崎海岸
さらに松林の中を進み、階段を下ると岡崎海岸に出ました。ここでワイルドロードはおしまい。大間越街道に上ってこれを進むと、ほどなく深浦の集落に到着。
深浦の円覚寺
天然の良港である深浦は歴史あるところで、縄文時代の石器が出土しており、あの坂上田村麻呂が津軽蝦夷討征のためここに拠点を置いたといわれているところでもあります。ここにはその際建立された観音堂などに起源を持つ円覚寺が建っています。
変わった形の火の見やぐら
円覚寺のすぐ側の『風待ち館』には北前船の模型をはじめとする歴史的な資料が展示されています。深浦は江戸時代の中頃から明治時代まで、北前船の交易で繁栄したようです。
深浦の街中を行く
またここには多くの文人が訪れており、かつて太宰治などが宿泊した旧秋田屋旅館は『ふかうら文学館』になっています。このあたりを語るときかならず出てくるのが太宰の『津軽』で、彼はその執筆のための取材で三週間津軽を廻った折りに、この深浦も訪れているのです。
旧秋田屋旅館・ふかうら文学館
『津軽』の中で太宰は深浦のことをあまりいいようには語っていないと思いますが、ともかくここを訪れた太宰は、この秋田屋旅館の横の郵便局で葉書を買い、東京の留守宅へ短いたよりを出すのです。そしてこの旅館に泊まるのですが、その部屋は『きたない部屋』だったそうです。しかし復元された太宰が泊まったとされるそれは、なかなか上品な部屋でしたよ。
深浦の五能線とサリーナ
旧秋田屋旅館の『ふかうら文学館』を見学して深浦の街を出ると、ちょうどそこに五能線がやってきました。ジークはこれに乗っているはずだけれど、気がついたかな?
広戸付近
道はR101大間越街道の一本道。左に日本海を見ながら、どこまでもどこまでもこのR101を行きます。
とどろき付近
今日のコースには特別な見所はなく、五能線とどこまでも続く日本海だけです。この海岸線は秋田の八森岩館海岸のように複雑に入り組んではおらず、穏やかです。いつの間にか青空となった今は海の色もきれいな青に変わり、こんな穏やかな海岸線もそれなりに味わいがあります。
道の駅ふかうらのいか焼き
『いか焼き村』とイカ形の大きな看板が出ている『道の駅ふかうら』が現れたのでここで小休憩。このあたりはイカが名産なのでしょうか。店先で少し干したイカを焼いていました。店の中にはカニや大きなヒラメなどの海産物が並んでいます。この道の駅の裏手の海の中には、弁天島や大島など三つ並んだ奇岩が立っています。
千畳敷付近
道の駅ふかうらを出ると、岩礁が現れ出します。小さな港を過ぎると先にちょっとした奇岩が見えます。
千畳敷西端の奇岩
そこは千畳敷。千畳敷は江戸時代の寛政年間にあった大地震で海底の地盤が隆起して現れた海床だそうです。ここにはかぶと岩をはじめとする奇岩がたくさんあります。
千畳敷
ここは千畳はおろか一万畳もあろうかという、ちょっと見にはコンクリートを思わせる平たい薄緑灰色の岩が続きます。そうした岩の割れ目に時々波が押し寄せ、バシャーンと潮吹きも。
鯵ヶ沢に向かう
千畳敷からは鯵ヶ沢に向かいます。北金ヶ沢の手前で国道を離れ、海岸道を行きます。ここで国道を行けば、大イチョウや関の古碑群などがあるようなのですが、こちらの道のほうがずっと快適なのです。穏やかな下りのカーブの先に北金ヶ沢の街と岩木山(いわきさん)が見え出しました。
北金ヶ沢の漁港から岩木山を望む
岩木山は青森県の最高峰で津軽富士とも呼ばれる単独峰で、このあたり一帯のどこからでも良く見えます。
柳田付近
ひっそりとした港や田畑を眺めながら海沿いをどんどこ。
赤石川から岩木山を望む
岩木山は一時手前の山に隠れて見えなくなりますが、鯵ヶ沢の手前の赤石に流れる赤石川に差し掛かると、再び顔を出します。このあたりは海沿いに国道のバイパスがあり、こちらは旧道らしく、車が少なくて快適。
ドライブイン汐風のヒラメのヅケ丼
その旧道がバイパスをくぐって海側に寄ると、道脇にドライブインが現れました。そそろそおなかがすいてきたのでここでお昼に。
鯵ヶ沢では『ヒラメのヅケ丼』を売り出し中のようなので、これを試してみます。これが大正解。ヒラメは高級魚ですが、ここの丼には厚切りのヒラメの切り身がびっしり。下味が付いているのでそのままでもおいしく、また醤油をちょっと垂らしてもいけます。
イカ干し
このドライブインの隣は魚介類の販売店になっていて、その店脇ではイカが干されています。先の道の駅でイカを焼いていたように、このあたりはイカが多く揚がるようです。
鯵ヶ沢の漁師町
ヅケ丼で満腹になったら、午後の部の始まりです。
すぐに鯵ヶ沢の街に入ったようで、ここはなんと漁師町という名の町です。
鯵ヶ沢の港
旧道の突き当たりは鯵ヶ沢の港でした。この港は堤防がいくつも張り巡らされた大きな港ですが、意外とひっそりとしています。GWだから港も休みなのでしょうか。
鯵ヶ沢の中村川河口から岩木山を望む
この港に沿って進んで行くと、中村川の河口に出ます。そこには斜張橋の遊歩道があり、岩木山が大きく見えています。太宰によれば、津軽の西海岸から見る岩木山は、
まるで駄目である。崩れてしまつて、もはや美人の面影は無い。
そうです。どうでしょう?
鳴沢川沿いを行く
この先の鳴沢川から先は海沿いに道はありません。そのあたりは七里長浜といい、穏やかな長い海岸線が続くようなのですが、これは時間があったらということに。五能線もここから内陸に向かうので、私たちもほぼその線路に沿って進みます。
鳴沢駅付近から見る岩木山
地図で見れば鯵ヶ沢で海岸線がくびれ、いよいよここから先が津軽半島という雰囲気です。岩木山をぐるりと廻るようにして進み、ほぼ真南に岩木山が見えるようになった鳴沢駅付近から進路を北に取ります。
広域農道メロンロード
入った道は広域農道で、標識にはメロンロードとあります。道脇の畑の中のビニールで覆われた中はきっとメロンなのでしょう。この道、車は少なく走りやすいものの、まっすぐでつまんないかな。。
メロンロードと岩木山
しかしこの道から振り返って見る岩木山の姿はすばらしい。西海岸から見える岩木山をけなした太宰は、この近くの生まれ故郷、金木から見たそれを、
満目の水田の尽きるところに、ふはりと浮んでゐる。実際、軽く浮んでゐる感じなのである。したたるほど真蒼で、富士山よりもつと女らしく、十二単衣の裾を、銀杏(いてふ)の葉をさかさに立てたやうにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮んでゐる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透きとほるくらゐに嬋娟たる美女ではある。
と褒めたけれど、このあたりはそれに近いかしら。
沼の間を縫って行く
さて、このあたりで驚くことは他にもあります。それはこのあたりにはおびただしい数の沼があるということです。走れば沼、走ればまた沼...
ベンセ沼から湿原に向かう
そうした中の見どころにベンセ湿原があります。それはベンセ沼、大滝沼、平滝沼に囲まれたゾーンで、メロンロードから西にちょっと入ったところにあります。
ベンセ湿原のミズバショウ
ここは6月になると黄色いニッコウキスゲで埋め尽くされるそうですが、この時期はミズバショウが少し咲いているだけで、訪れる人もおらずひっそりとしています。
平滝沼公園の脇を行く
平滝沼の東には桜で有名な平滝沼公園があります。しかしこの時期、ここの桜はまったくといっていいほど咲いていませんでした。
この公園の東には亀ヶ岡石器時代遺跡があります。これは縄文時代晩期の集落遺跡で、大きなメガネを掛けたような遮光器土偶が出土したことで知られています。この遺跡から出土した遺物を展示しているつがる市縄文館も近くにあるのですが、有名な遮光器土偶は今は東京国立博物館に納められてしまったので、レプリカの展示とのことで、ここはパスします。
松林になった広域農道
広域農道は果てしなく続いています。あ~、あきるぅ~
メロンロードとあった標識はいつの間にか見かけなくなり、周囲は畑ではなく松林が続くようになります。
湊明神宮
真っすぐだった道に変化が現れ、ちょっとしたうねりを感じると松林の先の視界が広がり、湊明神宮の鳥居が現れます。明神沼南端に位置するこの神社はかつては『浜の明神』と呼ばれていたようで、十三湊(とさみなと)への出船入船の守護にあたった湊神社の前身であるといわれています。
明神沼の脇を行く
十三湊は、中世、鎌倉時代から室町時代にかけて栄えた湊町で、数々の貿易を行っていたと伝えられる幻の都市だそうです。当時の資料に寄れば、ここは博多や堺と並ぶ湊の一つとされ、北国第一の湊としてその繁栄ぶりが伝えられているとか。津軽の豪族安藤氏が拠点を置いて栄えたとされながら、南北朝の津波によって壊滅したという伝承があり、ここは長い間幻の港町とされてきましたが、近年の発掘調査により、港湾を備えた大規模な遺跡であることがわかったそうです。
十三
明神沼の脇をどんどこ行くと、久しぶりに集落が現れました。十三に到着です。このすぐ東には十三湊遺跡がある十三湖(じゅうさんこ)があるはずなのですが、なかなかそれは姿を現しません。
十三湖
集落の外れまでやってくると、ようやく十三湖が現れます。この湖には岩木山に源を発し広大な津軽平野を流れる岩木川をはじめ、全部で十三の川が流れ込んでいるといわれています。この湖は淡水と海水の入り混じる汽水湖で、ヤマトシジミの産地として知られており、幻の鳥と言われるオオセッカや天然記念物のオオワシなどの姿も見られるそうです。
ということで、今宵はシジミを。
◆ひとこと by ジーク
天気予報では半分ぐらい雨降り!と覚悟していたのに、終わってみればほとんど雨は降らなかったばかりか、見どころに合わせたかのごとくお陽さまと青空が現れてビックリ! で、総合評価★★★
普段はのんびり一人でポタっているので、こんなに速いスピードで何日も走り続けるのは年に一度のこのGW企画だけなのですが、だから一人では決して体験できない旅を今年もまた満喫させてもらって感謝!感謝!です。
若きサイダーやサリーナと伍して頑張って走ったんだけれど、3日目ごろからお尻が痛くなって長時間走るのがつらくなり、4日目からはお二人と別行動をさせてもらいましたが、それはそれで楽しいコースでしたので、以下ご紹介!
4日目は、サイダーとサリーナを見送った後、黄金崎の最寄り駅の艫作から『JR五能線』で終点の五所川原まで行き、『立佞武多の館』で立佞武多(たちねぷた)の実物を観て圧倒されました!!
そこから北へ1時間ほど走って金木(かなぎ)というの町へ行き、ここで生まれた太宰治!の太宰治記念館『斜陽館』や、ここが津軽三味線発祥の地だったと知った『津軽三味線会館』を訪ね・・・ あとは2時間ほど逆風に苦しみながら宿へ向かって走り、・・・結局この日は36kmほど走って、やっと到着した宿で先に到着していたサイダーとサリーナと合流して大宴会。
5日目は、サイダーとサリーナを見送った後タクシーで龍飛崎へ先回りし、何度も彼方に北海道を眺めたり、時々カラオケで歌うことのある!石川さゆりの『津軽海峡冬景色』を聴いたり・・・ 龍飛岬だと思っていたら龍飛崎! 岬だと思っていたら崎!
青函トンネル記念館で地底深くもぐったりして、たっぷりのんびり時間を過ごしながらサイダーとサリーナに合流しようと思っていたのですが、合流し損ねたんです! すれ違い・・・ ジークは次の日に大阪で所要があり、この日はバス+鉄道+ANAで仙台まで行き泊、翌日のANAで帰阪して午後のお仕事へ行きました。