十三湖
今日はいよいよ青森県津軽半島の凸先にある龍飛崎(たっぴざき)に向かいます。
津軽平野の北部にある十三湖の宿で朝食におししいシジミ汁をいただいて、いざ出発。いよいよあの岩木山ともお別れです。
先に権現崎
R339小泊道に合流したのちすぐに海岸道に入ると、先に権現崎が見えてきます。権現崎は日本海に突き出した半島全体の名前だと思っていたのですが、国土地理院の地形図にその名は見当たらず、半島の南西端に小泊岬とあります。権現崎は小泊岬の別名で、岬先端にある尾崎神社に飛龍権現が祀られていることから付けられた名だとか。
磯野の集落
ここは地図に磯野とあるあたりの集落ですが、建物の外壁も敷地を囲う塀も木の板でできているのがちょっとめずらしい。
洗磯崎神社
その先の脇本に入ると、小さな漁港の前に建つのは荒吐神(アラハバキ)を祀ったとされる洗磯崎神社。アラハバキは民間信仰の神様の一つで、昨日近くを通った亀ヶ岡石器時代遺跡から出土したものに代表される遮光器土偶の姿をしたものが、東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)というものに出て来るそうです。
この神社の下の漁港の先は『脇本海辺ふれあいゾーン』で、海の中を行く遊歩道があります。
権現崎に近づく
その遊歩道から国道に上って先に進めば権現崎がぐっと近づいてきます。このあたりは海岸まで山が迫っていますが、アップダウンはほとんどありません。R339は折戸で北に向かいますが、私たちは権現崎の先端まで行って見ようと、R339を離脱して先へ進みます。
ライオン岩
小さな折戸の集落を過ぎるとライオンゲートブリッジというすごい名前の橋があります。ライオンゲートってなんのことだろうな、と思って進んで行くと、こんな岩がありました。ライオン岩だって。なるほどね。
権現崎のr111終点付近
下前の漁港を眺め、下前の集落を通り過ぎて、やってきた道を見返ればこんな感じ。山が海に落っこちたように見えるあたりが、今日の出発地の十三湖でしょう。
行き止まりの権現崎
しかし反対側の行く手を見れば、そこはなんと通行止め。地すべりのためとあり、かなりしっかりガードされているので、この先は断念せざるを得ませんでした。もし先に進めば、この先にあるはずの遊歩道を1kmほど歩いた山頂に尾崎神社があり、その先の展望所から下に小さな白い灯台が見えるはずなのですが。
下前から小泊に向かう激坂
止むなくここから引き返し、下前から岬の付け根の山を越えて小泊に抜けることにします。ここは下前の集落内やそこからの出口の上りがちょっときつい。
小泊港の漁船
ちょっとハヒハヒしつつも、ここは90mほどの上りなのでなんとかこなし、小泊に下りてきました。下り道が突き当たった先は港です。ここにも大きなランプをたくさんぶら下げたイカ釣り漁船が並んでいます。
小泊からの上り
太宰治は小泊にバスでやってきて乳母に会うのですが、そのバスは日に何本もないもので、『津軽』ではバスに慌てて飛び乗ったことが書かれていたと思います。今はもっとバスの本数は増えたに違いありませんが、それでもここは津軽平野からは権現崎の山を越えなければならないし、龍飛からもずいぶんと離れており、今でも陸の果てといったところです。
小泊港に沿うようにして海岸を廻り、集落の中を抜けて、その上にある国道に上ります。
小泊からの下り
よたよたと這い上って国道に出たところがここの最高地点で、そこからは三角山を廻るようにして湾の外に落っこちて行きます。この山は木々の芽吹き間近という感じで初々しく、足元にミズバショウが咲いているところもあります。
竜泊ライン
ぐわ~んと下って海岸に出るとそこには『道の駅こどまり』があります。ここから龍飛崎までの間には集落もなにもないので、ここで補給食を調達します。
小泊から龍飛(竜飛)へのR339は『竜泊ライン』と呼ぶようで、この道の駅の前から龍飛までは20kmと表示されています。
うしろに権現崎
道の駅を出るとうしろには権現崎の裏側が見えています。写真の一番右端がそれです。
青岩・坂本台・うっすらと北海道
そして行く手には、手前に青岩の出っ張り、その先に道が内陸に向かうあたりの坂本台あたりの出っ張りが見え、そのずっと先にうっすらと北海道が。
青岩
穏やかな海岸線を北上するとほどなく青岩です。これはなぜその名が付いているのか良くわかりません。確かに表層は苔むしていてちょっと緑色をしていますが、岩自体は青くないような...
複雑な海岸線を行く
このあたりの道はフラットですが、これまで大きく見れば、権現崎の山と小泊の三角山という大きなうねりがあります。
七ツ滝
この海岸線の見どころ、青岩の次は七ツ滝です。滝は大抵は山奥に行かないと見られませんが、これは道脇に突然現れます。名前のとおり七段になっていて、高さは21mほどだそうです。
徐々に上リ出す
この七ツ滝から2kmほど行くと道は緩い上りとなり、海岸線を上って行きます。穏やかだった勾配が徐々にきつくなり、8%、10%と上がっていきます。(TOP写真参照)
えっこらよっこらと上り詰めれば、坂本台で道は急に内陸に向かい出します。
坂本台からの上り
ここからは激坂で、ヘアピンカーブの連続です。ヒーコラしながらこの坂を上って行きます。
暴風の中をよじ上る
この上りに加え、今日は強風。しかもこのあたりは周囲に風を遮るものが何もないので、ブオォーというもの凄い風。半分は追い風のはずですが、残りの半分は半端でなくきつい。
竜泊ライン最高地点眺瞰台へ
休み休みえっちらおっちらと這い上れば、なんとか先に竜泊ライン最高地点(標高500m)にある眺瞰台が見えてきました。
眺瞰台から権現崎を望む
その眺瞰台からの眺めはすばらしい。
眺瞰台から上ってきた竜泊ラインを望む
ここは上りもそれなりにきついと思いますが、それより風に苦しめられ、予定よりここまでずいぶん時間がかかってしまいました。上ってきた竜泊ラインと日本海を眺めつつ一休み。
眺瞰台から龍飛崎を望む
ここからはやってきた方面は権現崎から十三湖までが見渡せ、反対側には龍飛崎とその先の津軽海峡、そしてさらにその先の北海道までもが見渡せます。ここからの眺望はすばらしい!
雪が残る下り道
眺瞰台でたっぷり眺めを楽しんだあとは、いよいよ龍飛崎に下ります。その下り道の脇にはなんと雪が残っています。おお、寒..
下に龍飛崎
この下りは豪快。まずは風車が建つ龍飛崎を眼下にどんどこ。
先に津軽海峡と松前半島
そしてその先には津軽海峡と北海道の松前半島が。
青函トンネル記念館のもぐら
ビューンビューンと下って、龍飛崎の手前にある青函トンネル記念館に到着。青函トンネルはご存知のように、1988年(昭和63年)に開業した世界最長の海底トンネルです。どうやら近く北海道新幹線が通るようで、このあたりの工事は着々と進んでいるといいます。
記念館には青函トンネルに関する展示があり、青函トンネル竜飛斜坑線によって実際に作業坑として使われた一角を見学することができます。青函トンネルには本州側と北海道側のそれそれに、『定点』と呼ばれる非常用の駅があります。本州側のそれは竜飛海底駅で、そこから地上へはこの『もぐら』に乗るか2,247段の階段を上ることになるそうです。
龍飛崎へ向かう
『もぐら』で地下探検を終えたら、いよいよ龍飛崎に向かいます。このあたりの地形は複雑で、青函トンネル記念館からは下って上って... 海もぐるりと周りにあるので方向感覚があやしくなりそう。
龍飛崎灯台
龍飛崎はススキの草原の中に小さな白い灯台が建つところでした。
龍飛崎から北海道を望む
三方は急激に海に落ち込む崖で、先端には海上自衛隊のレーダーが設置され、東には下北半島、北には津軽海峡を挟んで20km先の北海道の松前半島の先端にある白神崎が見えています。北海道と本州はかつてあった青函連絡船に代わり、現在はJRの津軽海峡線で結ばれていますが、その地下トンネルはこの下を通り、津軽海峡をくぐって、あの白神崎で北海道の地上に出ているわけです。
階段国道
龍飛崎でたっぷりと眺めを楽しんだら、その下にある帯島(おびしま)に向かいます。龍飛崎から帯島へは普通の車道もありますが、それはちょっと遠回り。近道はこの有名な日本唯一の『階段国道』です。これは本当の国道で、国道339号なのです。
もっともここが国道に指定された当初は坂道だったようで、その後名物にするために階段が作られたのだとか。なんとこの上には龍飛崎灯台に続く『階段村道』もあるのでした。
階段国道から見る帯島
階段国道には自転車が通れるようにスロープが設えられているので、これを使って帯島に下ります。しかし階段の段数は362とのことで、自転車を押して下るにしてもちょっと骨が折れます。
龍飛
帯島は龍飛崎の先端に位置し、かつてはその名のとおり島だったようですが、昭和時代の港の整備の折り、堤防で繋げられたそうです。そこには赤い小さな神社が一つあるきりで、他にはなにもありません。
龍飛には観光施設しかないだろうと思っていましたが、帯島の袂は漁港で、道端の建物は漁業関係のものばかり。逆に観光施設はほとんどありません。
先に下北半島
龍飛崎周辺の散策を終え、三厩(みんまや)方面に向かいます。ずっと先には青森のもう一つの半島、下北半島が横たわっているのがうっすらと見えます。(写真左端)
海岸のトンネル
龍飛と三厩を結ぶこの道は階段国道の続きR339です。平坦で車も少ないのですが、この日は風がきつかった。
三厩の旧道を行く
道は基本的に一本道ですが、旧道があったので入ってみました。こちらには家々が並んでいて人々の生活が感じられます。
三厩は義経伝説の残る地の一つで、高台に小さな義経寺が建っています。太宰の『津軽』では東遊記に次のように記されているとあります。
うしろに厩石
むかし源義経、高館をのがれ蝦夷へ渡らんと此所迄来り給ひしに、渡るべき順風なかりしかば数日逗留し、あまりにたへかねて、所持の観音の像を海底の岩の上に置て順風を祈りしに、忽ち風かはり恙なく松前の地に渡り給ひぬ。其像今に此所の寺にありて義経の風祈りの観音といふ。
波打際に大なる岩ありて馬屋のごとく、穴三つ並べり。是義経の馬を立給ひし所となり。是によりて此地を三馬屋(みまや)と称するなりとぞ。
これに続けて太宰は、『故郷のこのやうな伝説は、奇妙に恥づかしいものである。』と言っています。
三厩から龍飛崎を見返る
ここには義経寺、厩石、松前街道終点之碑、三厩村名称発祥之地碑があります。
三馬屋は三厩の古い呼び名だそうで、ここは江戸時代になると本州最終の宿場として栄えたようですが、現在は津軽線の最終駅三厩駅があり、龍飛崎観光の拠点の街になっているようです。
三厩で本日の観光はおしまい。うしろを振り返ればあれが龍飛崎。
前に下北半島
そして前には下北半島。(写真左のうっすらしたところ)
三厩の集落を通り越すと、すぐに今別に入ります。ここは古くから北前船や廻米船の寄港地として発展したところで、松前道(奥州街道)の宿場町でした。江戸時代前期は三厩がまだ宿になっていなかったので、ここが本州最終の宿場だったようで、19世紀初頭には伊能忠敬が測量に訪れています。今別には現在、北海道新幹線の駅が造られています。