伊勢市駅
11月の連休はお伊勢参りです。新幹線から近鉄山田線に乗り換えて伊勢市駅にやってきた面々は、駅前でさっそく自転車を組み立て出発準備を整えます。
伊勢神宮は今年、20年に一度の式年遷宮の年であり、つい先日、神様が本殿から新殿へと遷る遷御(せんぎょ)が行われたばかりとあって、駅前は大賑わい。
伊勢市駅から外宮参道を見る
伊勢神宮には参拝のしかたというものがあり、正式にはなかなかむずかしいもののようですが、とりあえず外宮が先、そのあと内宮という順番だそうです。というわけで、まず外宮に向けて出発。
ところが、外宮の参道入口に建つ白木の大鳥居の先は、真っ黒い人の頭でいっぱい。
大通りで外宮へ
そこで私たちは混雑している参道を避け、一本西の大通りで外宮に向かうことにしました。
メインの参道はきれいな石の舗装の歩車融合路ですが、こちらは歩道と車道が分離されていて、灯籠のような街灯が建っています。
外宮入口
この道を500mほど進んだ突き当たりに伊勢神宮の外宮はあります。ここは衣食住の神様、豊受大御神(とようけおおみかみ)をお祀りしていているそうです。
敷地に入ればそこには砂利が敷かれています。じゃりじゃりじゃりとそこを進めば『下乗』と書かれた札が目に入ります。ここで馬から下りろ、というほどの意味でしょう。ということで近くの駐輪場に自転車を止めて、ここからは徒歩で進みます。
手水舎
火除橋(ひよけばし)を渡ると手水舎です。神社に付きものは手水ですね。
っと、どっちの手を先に洗うんだっけな...
鳥居から森に入る
手を洗って身を清めたら、白木の鳥居をくぐって森の中に入ります。
外宮の森を行く
この鳥居をくぐるとがらっと雰囲気が変わり、人が多いのに、しんとした静けさを感じるようになります。
これこれ後ろの人、ここは神聖な場所ですから、大声を出したり、ガッツポーズをしたりしてはいけません。目ッ!
再び鳥居をくぐる
もう一つ鳥居をくぐると、その先に
旧正宮
古いほうの正宮が現れます。これが今からちょうど20年前に建てられたものなのですね。
旧正宮の先に新正宮
その塀に沿って進むと、真新しい白木の塀が現れ、その向こうに神明造(しんめいづくり)の新正宮が見えてきます。
神明造は、掘立柱、切妻、平入、屋根は茅葺きが基本です。柱は円柱で棟持柱があり、棟の上には鰹木という俵を細長くしたような木が何本か横たわっています。外観は直線が基調で、出雲大社に代表される優美な曲線を描く大社造とは対照的です。
新正宮
白木の塀や鳥居は匂わんばかり。
四丈殿の屋根
一番手前にある四丈殿の屋根。この屋根から斜めに突き出した千木(ちぎ)は先端が垂直に切り落とされる外削(そとそぎ)で、これは外宮のすべての建物に共通です。
外宮正宮の鳥居前にて
一般参拝者はこの鳥居をくぐったところでお参りします。
正宮にはいくつかの建物があり、中心施設である正殿は四重の塀に囲まれた中にあるので、ここからは見えませんが、それは神明造の中でも唯一のもの、まねして建ててはいけないものという意味で、唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)という形式で建てられています。まあ、四丈殿を大きくしたようなものと思えばいいでしょう。正殿の棟には先に金色の金属が被せられた9本の鰹木(かつおぎ)が列んでいます。
伊勢街道
外宮の次はおかげ横町でも散策しようと思ったら、これが大混雑で入る余地なし。
ということで、伊勢街道でまっすぐ内宮に向かいます。
内宮の大鳥居前にて
伊勢街道の突き当たりに内宮の大鳥居が建っていました。
内宮は天照大御神(あまてらすおおみかみ) を祀り、三種の神器(鏡・玉・剣)の1つ、八咫鏡(やたのかがみ)をご神体としているそうです。
大鳥居と宇治橋
大鳥居の先には五十鈴川が流れ、宇治橋が架かっています。この橋もかつては式年遷宮と同じ年、架け替えられていました。昭和時代に式年遷宮が4年遅れたことがありますが、この橋は遅れずに架け替えられたので、現在は式年遷宮の4年前に架け替えられています。
橋の上はご覧の通りの大混雑。
五十鈴川上流を見る
人の波に乗ってこの宇治橋を渡ります。
五十鈴川は穏やかできれいな流れです。その上流を見れば橋が流木などで壊れないように木除杭(きよけぐい)が立てられています。その先には前山でしょうか、ぽっこりとした山が見えています。内宮のお参りのあとはこの五十鈴川に沿ってあの山の手前を廻り、同じような高さの山を上るのです。
献酒
宇治橋を渡りきると、大型の仮設テントがあり、お神楽が奉納されていました。
そしてその先には献酒の樽が並んでいます。カラフルなこれらはみんな三重県のお酒のようです。
紅葉と一の鳥居
境内の木々の中には黄色く色づきはじめたものもあります。
一の鳥居の手前の手水舎で身を清め、
二の鳥居
鬱蒼とした森の中を進んで行きます。
二の鳥居を過ぎると、
神楽殿
神楽殿です。
江戸時代、お蔭参りとよばれた伊勢神宮への参拝で、人々はここで大々神楽をあげることがあこがれだったようです。
大木の中を行く
森の奥へ進むにつれ、周囲の木々は大木ばかりになります。
石段と内宮正宮
森の中に石段が現れると、そこが内宮の正宮です。
鳥居から正宮を見る
掘立柱、茅葺き屋根、四重の塀といった基本形は外宮と同じですが、内宮の千木は水平に切られる内削で、正殿の鰹木は外宮より1本多く、10本となります。
我らがエリンによれば、式年遷宮は今年だけの行事ではなく、20年間少しずつ行事が進められ、その集大成として20年目に神様のお引っ越しがあるのだそうです。ここには白い石が敷き詰められていますが、これは御白石持行事という行事で旧神領に住む人々が一つずつ敷き並べるのだそうです。このどこかにエリンが奉献した白石があるんだって。
外弊殿
伊勢神宮は外宮を先に、内宮はそのあとでというようにお参りの順番がありますが、外宮、内宮ではまず正宮にお参りしなければならないそうです。というわけで、正宮にお参りしたら境内にある別宮にお参りしてもいいですね。別宮はいわば分家のようなもので、外宮、内宮のそれぞれにいくつかあります。
これは荒祭宮(あらまつりのみや)に行く途中にある外弊殿(げへいでん)で、中には古い神宝が納められているそうです。ちょうど標識のうしろに棟持柱が建物本体から少し離れて建っているのが見えます。これを見て高床式倉庫のようだと思われた方もいると思いますが、神明造はまさにその高床式倉庫から発展し、穀物の代わりに神宝を納めるように変化したと考えられているそうです。
池
池の畔は少し紅葉が始まっています。
池の鯉
お伊勢さまの鯉だと、やっぱりどこか気高い...
おはらい町入口
外宮、内宮の二つの神宮を巡ったあとは、赤福でも食べよう、と思ったら、こちらも大行列。ありゃりゃ。。
内宮から剣峠へ向かう
というわけで赤福は諦めて、いざ剣峠へ向けて出発。内宮の駐車場の間から森の中に入って行きます。
ここから剣峠までは13kmで、300mほどの上りです。
穏やかな上り
五十鈴川に沿って、道は穏やかな上りに。
行く手の山
伊勢から熊野灘の間には標高こそ高くないものの、複雑なひだを描く山が重なり合います。
こうした山間を五十鈴川のせせらぐ音を聞きながら進んで行きます。
余裕で進む
序盤は極々穏やかな上りなので、みんな余裕で進んでいきます。
ちょっと上り
そのうち、所々で5%ほどの勾配のところが出てくるようになります。
カーブとアップダウンを繰り返す
しかしそれ以上には急勾配にならず、小さな下りも交えて徐々に上って行きます。
この道はこうした小さなアップダウンがあり、カーブも多く、変化に飛んでいて楽しい。
快調レイナ
ずっとこれくらいの勾配だといいですね~ と、ここまで快調のレイナ。
快調エリン
私もこれくらいならなんとかなります~ と、まだまだ元気なエリン。
企て人ヨンチェス
みんながんばって上ってね~、そうじゃあないと今日中に宿に着かないからね~ と、企て人のヨンチェス。
急斜面
左手は五十鈴川の谷、そして右手には苔むした岩がちな急斜面が迫ってきています。
徐々に山深く
ここは伊勢神宮の裏山で、神宮の宮域林、ご神域なのです。
古くは遷宮に用いる檜はこの森から切り出されたものでしたが、材料不足から近年は木曾のものが使われるようになり、今回はそれもかなわず、青森のあすなろが使われたようです。
上る上る
峠道は中盤に入ったようで、勾配は5%程度が続くようになります。
ススキの原
桧の森を抜けるとぱっと視界が開け、ススキの原に出ました。ここには民家が数軒建っています。
この先だったか、大きく『大型車通行不能』と書かれた標識が建っていました。この先は『車道巾1.8m 急カーブあり』とのこと。とにかくここまで出会った車はたった一台だけで、この道はほとんど自転車道のようなものになっています。
ニヒルなレイが行く
峠まであとどれくらいですか~ と、一見ニヒルに見える(本当は温和でやさしい)レイが聞く。
あ~、あとちょっとで~す と、後ろから企て人のヨンチェス。
ちょっと休憩
剣峠まであと3km。この先は勾配が増し休憩できるポイントがないので、その前の平場で頂上アタックに備えてちょっと休憩です。
ここで、本日別動隊でお伊勢参りをしているジーナとウガンがくれたお手製ケーキの補給食をパクパク。おいしい~
勾配がきつくなる
さて、小休憩のあとは、剣峠アタック。
勾配は6%からところにより8%と上昇。
落ち葉の中を行く
道は苔むしていたり、落ち葉や枯れ枝がぱらぱらと落ちているところも出てきます。
つづら折れを上る
森はいっそう深くなり、つづら折れが続くようになります。そしてコーナー部では10%超えのところも登場。
足を着きそうになりながらも、必死でペダルを回すレイナ。がんばれ~
最後のふんばり
いくつつづら折れを廻ったでしょうか。周囲が明るくなり、いよいよ峠が近いと感じられるようになります。
切り通しの峠
先に切り通しが見えてきました。切り通しということは、あそこが峠に違いない、と最後のふんばりです。
剣峠到着
切り通しがぐんと高くなり、ついに剣峠に到着!
やった~ ここまで全員、自転車を押すことなく上り切りました。
剣峠の碑の前で
切り通しを抜けると道脇が少し広がっていて、そこに『剣峠』と書かれた碑が建っています。
そしてすぐ近くには野口雨情の詩碑と水たまりのような小さな池も。剣峠の名はこの小さな池で佐々木小次郎が剣を洗ったことからとされていたようですが、これは史実ではないということで、今では周囲の山の稜線が剣のように見えるから、ということになっているようです。
剣峠からの眺め
さて、その剣のように見える眺望とはこれです。ちょっと剣のようには見えないけれど、重なる稜線を刃紋と見たのでしょうか。
写真では判然としませんが、重なる山並みの向こうには熊野灘が見えていて、なかなかの眺めです。
剣峠からの下り
峠で一休みしたあとは一気に熊野灘の五ヶ所湾に下ります。
五ヶ所湾側は伊勢側同様にヘアピンカーブが連続し、落ち葉や枯れ枝が落ちているところがあるので慎重に下ります。途中『白滝』の標識がありこれはちょっと面白そうだったのですが、散策している時間がなく、止むなく断念。
みかん畑の脇を行く
ぐわ~んぐわ~んといくつもカーブを過ぎ、里に下りてきました。この横はみかん畑で、黄色の実がたくさん成っていました。
切原の集落
この伊勢から剣峠を経て五ヶ所に抜ける県道は五ヶ所街道と呼ばれるようで、五ヶ所側に下った最初の集落、切原が現れます。
民家の庭先の真っ赤な柿がいい感じ。
五ヶ所の集落
切原のすぐ先は五ヶ所湾に面する五ヶ所の集落です。
先に小さな山が見えるように、このあたりは海岸まで山が迫っており、ごく一部の平地に集落が形成されています。
五ヶ所川
道は五ヶ所川に沿って延びています。このすぐ先が河口で、その先には
五ヶ所湾
五ヶ所湾が広がっています。
熊野灘から複雑に入り組んだこのあたりの湾は様々な養殖が盛んで、的矢湾は牡蠣、英虞湾は真珠、そしてここ五ヶ所湾は青のりだそうです。日本の青のりの40%が伊勢志摩産だそうですから、この湾では20%くらいが採られているかもしれません。
五ヶ所湾到着で喜ぶ面々
青のりの養殖用支柱を眺めながら、五ヶ所湾到着を喜ぶ面々です。
しかし、ここであまり喜んではいけません。最大の難所、剣峠を越えたとはいえ、まだ行程の4割も残っているのですから。
R260
五ヶ所からは国道を行くしかありません。この道はこのあたりの幹線道なので少々交通量が多いので、注意して進みます。
神津佐の湾
神津佐で国道が90°方向を変えると先にトンネルがあります。
ここはトンネルに入らず湾沿いの迂回路を行きます。ここは車が通らず快適。
夕暮れの湾に浮かぶ養殖筏
日が大きく西に傾き、夕暮れ時を迎えています。
湾の中には牡蠣の養殖筏が浮かんでいます。
下津浦の牡蠣養殖筏
この道はいったん国道に合流しますが、すぐ先の下津浦で再び湾を廻る道に入ります。
道沿いは堤防のコンクリート塀ですが、その裏では湾の漁業施設を見ることができます。筏の上で作業している方に聞けば、これは牡蠣の養殖をしているところだそうです。
桧扇貝
こちらはたった今、湾から引き上げた桧扇貝(ひおうぎがい)を処理しているところ。
サイクリングの良さは、こうしたちょっとしたところに気軽に立ち寄れるところですね。
下津浦の湾にて
この湾でちょっとした見学をし、一息ついたら、あとは賢島に向けてひたすらペダルを回します。
日没まであと40分しかないのです。
桧山路川沿いを行く
下津浦からは県道に入ります。国道に比べぐっと交通量は少なくなりますが、変わりにちょっとした上りになり、ひと丘越えます。このあたりはリアス海岸なので、指のように突き出た小さな半島を横断して行くのです。
桧山路の集落からは桧山路川沿いに快適な道が延びていました。
迫子浦
浜島の湾に下って、またまた小さな上りをこなすと迫子です。ここにも養殖の竿がたくさん立っています。
ここで最後の休憩をとり、いざ賢島へ。暗闇が迫る中、ここからもアップダウンが続き、へろへろ~っと賢島に到着すれば、宿の直前に激坂が現れ、あちゃ~。。
いや~、おつかれさまでした。