快晴の静岡ツーリング初日、清水駅前に集まったのは7人です。早速自転車を組み立て、荷物を積んで4日間のGWの旅の始まり!
しばらく走ると「清水マリンパーク」に到着。ここは、ヨットハーバーやイベント広場などがある海辺の公園です。珍しいものとしては港湾荷役機械「清水テルファー」が、国の登録有形文化財としてそのまま残されています。
清水マリンパークから少し街なかに入ったところに、清水次郎長の船宿「末廣」があります。現在の建物は、明治19年に次郎長が開業した建物を復元したもので、清水港の振興に尽力した次郎長の歴史などが展示されているそうですが、開館は10時からなので我々は外観だけを見学。
そして、そのすぐ近くには清水次郎長の生家もありました。ここも10時開館なので外観だけ。
次郎長さん、次はゆっくり見学に来ます…
清水港の南端をぐるっと回って「第一水面貯木場」の横を通り、三保半島に入ります。今は「貯木場」としては使われておらず、マリーナが整備されています。
このあたりはずっと自転車道が通っていますが、実はこれは清水駅と三保駅を結ぶ旧国鉄三保線の廃線跡。
自転車道は色とりどりの花が咲く住宅地を抜け、旧三保駅まで続きます。終点の旧三保駅は昔のホームや機関車も残る公園になっています。
三保半島北端の真崎まで、三保内浜海水浴場脇を北上。青空の気持ちのよい海辺ですが、正面の山の向こうの空には雲がかかり「今日は富士山は雲隠れかなあ。。」
いえいえ、富士山はそっちの方向じゃないよ!
北端の真崎に到着し、北東を向いてみると…「あった~!!」 海の向こう、緑の山並みの上の雲のそのまた上に、富士山の真っ白な先端が顔を覗かせていました。
日本を代表する風景をたっぷり眺めたあとは、三保半島の東岸を南下。総延長7km、5万4千本の松の「三保の松原」を走ります。
小さな三保飛行場を抜けると、まずは真っ白な清水灯台に到着。これは明治45年に建てられた日本で最初のRC造の灯台だそうです。
清水灯台からは、駿河湾と松林の間の快適な自転車道「太平洋岸自転車道」が続きます。我々は南下しているので富士山を後ろに背負って走っているのです。こんな感じ(TOP写真)。
そして、三保の松原の観光スポットに到着。天女が羽衣をかけたという「羽衣の松」です。
「羽衣の松」はここから内陸500mのところにある御穂(みほ)神社のご神体ですが、現在の「羽衣の松」は実は三代目。初代は1707年の宝永大噴火で海に沈んだとされており、二代目は立ち枯れが進み、2010年に現在の松に世代交代したそうです。
羽衣の松のそばの海岸に出ると、松林の上に富士山の頂きが。
ところで、海を眺めると東側に大きな陸地の影が見えます。「あれ、こんなところに島があったっけ?」と首をかしげる面々。正解は駿河湾を隔てて見える伊豆半島でした。
さらに太平洋岸自転車道を4kmほど走ったところで、国道を横切り内陸側に進むと、いよいよ本日唯一の難所、日本平の上りに入ります。
日本平は標高280m。上りは避けて久能山からロープウェイで行こうと思っていたのはレイナですが、その乗り口まで1000段以上の階段があると聞き、自転車走行を決意!
上り始めて間もなくJリーグ「清水エスパルス」のサッカー場を通り過ぎ、さらにわっせわっせと上っていきます。
上りの途中ではときどき視界が開け、茶畑の緑の彼方に清水の市街が広がって見えます。随分上ってきました。
茶畑の新緑がまぶしい道を、ゆったり組は休憩を挟みながら上っていきます。いつの間にか姿が見えなくなったのは、健脚のジークとシロスキー。
景色や茶畑のおかげで意外に楽しく上れたね~ というわけで、ワイワイと展望レストランでお昼です。静岡名物桜えびのかきあげ、そして知る人ぞ知る「黒はんぺんフライ」!
食事のあとは、四方の景色が楽しめる丘で太平洋と富士山をバックに記念撮影。ところで日本平は神話にも登場し、火攻めに遭ったヤマトタケルが草薙の剣で草をはらい、危機を脱して勝ちどきをあげたところなんだそうです。
日本平をダーっと下り、再び太平洋自転車道に戻ります。3kmほど走ったところに久能山の入口がありました。今回は行きませんでしたが、ここには二代将軍徳川秀忠が家康を祀った国宝の久能山東照宮があります。
そして、このあたりの海岸沿いでは石垣イチゴ栽培が盛んです。イチゴ狩りができる農園がいくつもありました。
川を渡るため自転車道が海辺をいったん離れるところで、こんなものを発見。しらす干しです。左は少し大きめのしらす、右はちょっと小さいしらすを干していました。
自転車道は安倍川にぶつかり、川沿いを1km弱ほどさかのぼって橋を渡ります。
橋を渡り市街地を抜けると丸子川にぶつかり、自転車をかついで土手に上るとまた自転車道に復帰しました。
「快適な道ですねえ~」とルンルン走るレイナとサイダー。ここは丸子川に沿って内陸を走るルートですが、これも「太平洋岸自転車道」の一部になっています。
ところで旧東海道は太平洋岸より内陸側を通っており、現在の静岡市中心部が府中宿。そこから安倍川を渡り、丸子川を遡って鞠子宿に至ります。つまり、この自転車道は途中から旧東海道のルートになるわけです。
新緑の丘と川を眺めながら軽快に走るシロスキーと、追うサリーナ。
そして丸子(鞠子)宿に到着。ここは東海道20番目の宿場です。とろろ汁の丁字屋は400年の歴史を持つとのことで、歌川広重の東海道五十三次『丸子(鞠子)』そのもの。
お店の中は、天井に太い梁が通りいろりがあって、雰囲気満点です。お昼は済ませてしまったのでシャーベットやアイスクリームを賞味しましたが、濃厚でおいしい! 次はぜひ歴史ある自然薯のとろろ汁を試したいものです。
一休みしたあとは、再び丸子川沿いの自転車道を走り、旧東海道で古くから山越えの難所として知られる宇津ノ谷峠に向かいます。
そんな道中、川沿いに見事な黄色い花をつけた並木がありました。なんという花でしょうか?
P.S. イペ。ブラジルのシンボル的な花で、日本では沖縄では植えられているけれど、その他の地域ではあまり見られないそうです。建材としてはウッドデッキに用いられるようです。
丸子を過ぎたあたりから川沿いではなくなり、国道1号と並走するようになります。そんなところで民家の前のくだもの屋さんを発見。さっそくオレンジをゲットするのは柑橘系にちょっとうるさいヨンチェス。
しばらく行くと宇津ノ谷峠にさしかかり、国道1号は「新宇津ノ谷隧道」と「平成宇津ノ谷隧道」の昭和・平成のトンネルを通過していきます。
我々は旧街道を上り平安時代の「蔦の細道」をたどると、静かな山の中の宇津ノ谷の集落に着きました。40戸ほどの小さな集落ですが、石畳に切妻の木造家屋が並び、街道の面影を残した魅力的なところです。
各戸には木の板で屋号が掲げられ、集落の中央あたりには豊臣秀吉が立ち寄り、羽織を与えたという「御羽織屋」があります。
旧街道は、宇津ノ谷集落から激坂を上って続きます。ハヒハヒ、と上るサリーナ。
上ったところに「明治トンネル」がありました。明治に入り、東海道の交通量が増大したことからつくられたトンネルで、日本初の有料トンネルだったとか。トンネルができるまでは、もっと大変な難所の峠だったんですね~
煉瓦づくりのトンネルは、今でも現役で通行可能です。ただし、もともと車は通行できません。
明治、大正、昭和、平成のトンネルがある宇津ノ谷峠。明治トンネルは近世東海道の歴史を知る貴重なものとして、2010年に国の史跡に指定されています。
峠を下りしばらく行くと、旧東海道の次の宿場、岡部宿に到着です。ここには江戸時代に建てられた立派な建物の大旅籠柏屋があり、当時の旅籠の様子の展示や休憩コーナーが設けられています。
入館時間の16時30分は過ぎていたので外で写真を撮っていると、係の人が戸を開けてくれて「中庭まで入って見学してもいいですよ」と親切に言ってくださいました。
170年の歴史ある建物は重厚なつくりです。建物内部はみせの間、台所と、1・2階に客室があるそうです。
そして中庭を囲んで蔵などの建物が並び、ギャラリー、物産館、レストランとして使われています。真ん中でこいのぼりが元気に泳いでいました。
岡部宿から、自転車道はさらに岡部川沿いに続いています。この岡部川は、しばらく行くと朝比奈川に合流。
朝比奈川沿いに入ると、川幅が広くなり自転車道もゆったり。周囲には田園風景が広がっています。
そろそろ陽が傾き始め、本日ゴールの焼津はもうすぐです。朝比奈川に入ってから、レイナのすごい引きでバリバリ走らされる面々。ハヒハヒ。。
そして焼津の宿、「土筆旅館」に無事到着。シンプルですが快適で、夕食には生しらすにうな重も出て、すばらしいコストパフォーマンスの宿でした。
◆ひとこと by レイナ
大井川、素晴らしかったです。
寸又峡まで遡上しても川幅が広く、水量も多く、新緑の美しさ、いくつもの吊り橋のスケールの大きさにも驚きました。
江戸時代の宿場町だったところをたくさん走り、数百年の昔にも思いを馳せました。
かつての旅人の歩く速度と、私たちのツーリングの速度と、いったいどっちが速いだろう?とか。
日本にしかない歴史や文化的な遺物を守っていきたくなる気持ちがわかる気がします。
食べ物もとても美味しかったです。マグロ、桜海老、しらす、黒はんぺん、そしてよもやのウナギ!
おっと、バリかつお君も忘れてはいけませんね。
贅沢な宿でなくても食事が美味しいと満足度が上がります。
自転車ツーリングでなければ決して行かなかったであろうポイントや宿を堪能しました。自転車乗りでよかった~。
それにしても、みんなと一緒だと底力が出るものだなぁと改めて思いました。
距離が短い設定のP組コースだけでも走り切れるかどうか不安で、参加する前は、いざとなったらどこで離脱するか、そればかり考えていたのに、終わってみればちゃんとみんなと同じコースを走れていました。
ただただ嬉しいです。
みなさん、ありがとうございました!