東京の区巡り第三弾は豊島区。ある豊島区在住者によれば、『豊島区って、なんにもないのよね~』とのこと。
どれどれ、本当になんにもないか、行って見よう。
スタートはJR大塚駅。ここは都内で唯一残るチンチン電車、都電荒川線も走っています。カメラを構えている間にそのチンチン電車は行ってしまいました。都電って意外と速いんだね!
今日は都電の線路とオーバーラップして走る区間が多いので、まあそのうちすれ違うだろうということで、駅前を出発。
200mも走れば、巣鴨村の鎮守、天祖神社に到着。
ここには樹齢500年という夫婦銀杏の大木があります。その周囲にはおみくじが山のように結ばれています。夫婦銀杏だから縁結びのお願い?
天祖神社から雑司ヶ谷に向かえば、やってきました、チンチン電車(TOP写真)。たった一両だけの、かわいらしい電車です。
雑司ヶ谷霊園は池袋駅からわずか1kmほどのところにありますが、あの超高層ビル群のすぐ近くとは思えないほど、緑が多く、ひっそりとしています。
都心の緑地は、公園、道路、そしてこうした比較的大規模な霊園だとか。
雑司ヶ谷霊園のすぐ横には清立院があります。このお寺には雑司ヶ谷七福神の毘沙門天がおられるので、寄ってみます。お正月に谷中七福神と新宿山ノ手七福神を巡ったので、今日雑司ヶ谷七福神を廻ると21福神!
毘沙門天は暗いガラス戸の向こう側におられたので、代わりに十一面観音をどうぞ。
清立院の次は雑司が谷旧宣教師館です。この建物は1907年(明治40年)にアメリカ人宣教師のマッケーレブが自らの居宅として建てたもので、マッケーレブは帰国するまでの34年間をこの家で生活をしたそうです。
この建物は、豊島区に現存する最古の近代木造洋風建築で、カーペンターゴシック様式という様式によるものだそうです。
当時は珍しかっただろう張り出し窓がありますがこの形状は、1階が台形状なのに対し、2階は斜めの張り出しではなく直角に出ているのが面白い。
廊下は日本の縁側にガラス戸を入れたような雰囲気で開放的。
天井は竹の格子の中に板張り。日本的な網代天井を思わせるものがあります。
ここには古い小さな足踏みオルガンとクラヴィコードが置いてあり、係の方に許可を得て、弾かせてもらうことができます。
オルガンはなつかしい音。クラヴィコードは聞いたことも見たこともない方が多いと思いますが、鍵盤を押すとその先に付いているタンジェントという細い金属のピンのようなものが押し上がり、弦を突っつくようになっています。デリケートでとても小さな音。
次は清土鬼子母神。
清土はこのあたりの旧地名で、このあと行く鬼子母神堂に祀られている鬼子母神像はその清土で掘り出され、この境内にある三角井戸『星の井』あたりで清められたそうです。
ここには吉祥天がおられます。
吉祥天は一般には七福神には入りませんが、よく弁天様や福禄寿の代わりにされることがあります。ここでは寿老人の代替のようです。
ぐぐ~っと坂を下って、神田川沿いに出ます。ここの神田川は豊島区と新宿区の境を成しており、川を渡ると新宿区です。
面影橋は神田川に架かる小さな橋ですが、現在はその橋の名より、都電荒川線の一停留場としての方が認知度が高いでしょうか。都電荒川線はこの面影橋駅から一つ東の早稲田駅が起点です。
面影橋からずんずんと坂を上ると雑司が谷鬼子母神です。
参道には大きなケヤキ並木が。
鬼子母神堂は区内最古の建造物だそうで、その周囲には立派な木がたくさん。
中でも大イチョウは見事です。
境内を入ると鬼子母神堂との間に、鄙びた駄菓子屋の上川口屋があります。
店主のおばあさんによれば、この店の創業は1781年で、234年前から営業しているよおって。おっどろき~
ここの鬼子母神(きしもじん)の鬼の字は、本当は田の上のチョンがありません。
解説によれば、ここに祀られている鬼子母神像は、
鬼形ではなく、羽衣・櫻洛をつけ、吉祥果を持ち幼児を抱いた菩薩形の美しいお姿をしているので、とくに角(つの)のつかない鬼の字を用い
とあります。
この境内には大黒堂もあり、大黒様も鎮座しておられます。
見るからに、大黒さま~
鬼子母神から坂を下ると、都電の鬼子母神前駅のすぐ近くに大鳥神社があります。
ここも鬼子母神と縁のあるところで、明治の神仏分離後に、鬼子母神の境内に祀られていた鷲明神をここに遷座したそうです。
ここには恵比寿神がおられます。
ん~ん、鯛がちょっとねぇ。。
お次は観静院。
こちらにおわしますは、弁天さまです。
弁天さまはもっと女性的なのがいいな~
観静院の奥には法明寺があります。これは区内最古のお寺だそうです。
なんと室町時代には、鬼子母神が安置されて茶屋などが軒を連ね門前町を形成したそうですから、当時はかなり勢力のあるお寺だったのでしょう。先の鬼子母神堂は実はこのお寺の飛地境内にあるのです。
この境内で、あっ、梅が咲いている、と思ったら、なんとそれはサクラでした。
なんていう品種かな。花はとてもちっちゃい。
さて、法明寺横の細い道をちょちょいと行くと、道端にある布袋尊に出会います。
七福神は大抵は神社かお寺にありますが、こちらはただのビルの前の小さなスペースにおわします。ところで、隣の小さき方はどなた?
路端の布袋さまの前には、こんな面白い建物が。
めがね博物館となっていますが、ただの眼鏡屋さんだと思います。しかし壁一面のめがねはなかなか迫力ありますぞ。
さてさて、雑司ヶ谷七福神の最後は仙行寺です。
このお寺はシアターグリーンのすぐ脇です。
ここにおわしますのは福禄壽さまなのですが。
右手の小さなガラスケースにはこれらが納められており、その前に福禄寿と書かれています。え~と、福禄寿さまはどの方でしょうか。。
それはともかく、ここで雑司が谷七福神は完。お正月の14福神と合わせて、21福神巡りを達成!
午後の部は、近代建築の三大巨匠の一人に数えられるフランク・ロイド・ライト設計の自由学園明日館から。
フランク・ロイド・ライトは少しでも建築のことに興味がある方なら誰でも知っている巨人で、日本では旧帝国ホテルの設計で知られています。
その帝国ホテルが取り壊された今日(玄関部分のみ博物館明治村に移築)、首都圏で一般的に見ることができる唯一のライトの作品が、この自由学園明日館。
ライトはプレイリースタイル(草原様式 Prairie Style)から出発し、最終的にはニューヨークのグッゲンハイム美術館に見られるような超モダンな建築に行き着くけれど、この時期の特徴は幾何学的な装飾で、これは旧帝国ホテルにも見られるものです。
この日は建物の公開日で、内部まで見学できました。
食堂ではホリデーコンサートが行われ、身近に音楽が楽しめるのも良かった。
ライトの次は日本の美を。
目白庭園はとても小さな庭ですが、こんなところにこんな庭が、と思わせるところがいいところでしょう。
良くある池を中心とした回遊式庭園で、この日はお着物会の集まりでもあったのか、きれいな和服姿の方が大勢いらっしゃいました。
あっ、木の枝にメジロが。これは本当ですよ。
東京都心の高級住宅地として思い浮かべるのはどこでしょうか。田園調布? いえいえ、それは都心ではありません。まあ都心と言うても広うございましていろいろありますが、この目白は外せないのであります。
かつてこのあたりには11代将軍徳川家斉の側室が建てた感応寺があり、その敷地はのちに尾張徳川家の屋敷となります。ここには今でもその尾張徳川家のご当主が住んでいるようですが、その敷地内に外国人専用の高級賃貸住宅を造り、徳川ヴィレッジとしたのです。これが、目白が高級住宅地になった理由の一つだそうです。
敷地内はもちろん関係者以外立ち入り禁止なので、詳細はわかりませんが、まあ、豊かな環境この上なしです。昔ここに住んでいたある方のお宅におじゃましたことがあるのですが、そこには住み込みのメイドさんが二人おられましたよ。なになに、ここは駅からちょっと遠い? ←庶民の発想。ここに住まわれている方々は、みなさま運転手付きのリムジンで移動なさいます、です。きっとね。
こちらは尾張徳川家所蔵の美術品などの管理や一般への公開などを目的にした徳川黎明会で、名古屋市にある徳川美術館の運営も行っています。ここには尾張家の藩政史料を集めた徳川林政史研究所があるそうです。
『目白の森』はまさにちょっとした森です。ここは江戸時代にはくぬぎ山と呼ばれていたようで、現在もその面影を留めています。
この地は明治時代以降も開発から取り残されていましたが、ご多分に漏れずバブルのころ、ここにマンション建設の話が持ち上がります。しかし地域住民の強い要望で豊島区の公園となったそうです。住民パワー強し豊島区!
豊島区と言えばここを外すわけにはいきません。トキワ荘。
トキワ荘は言わずと知れたマンガの聖地。かつて、手塚治虫を始めとし、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫らが居住したところとして知られています。現在、そのトキワ荘の跡地には印刷会社の社屋が建っていますが、その前にひっそりと、かつてのトキワ荘のモニュメントが置かれています。ここは私有地なので、見学はそれなりの節度を持って。
トキワ荘があったところのメインストリートは、現在は『トキワ荘通り』としてPRしているようで、そこいら中に『トキワ荘通り』の名が。
この通りの中に、最近オープンした豊島区の施設である『豊島区トキワ荘通りお休み処』があります。
その一階には、トキワ荘ゆかりのマンガ家の漫画本などが置かれていて、自由に読むことができます。
二階には、かつてのトキワ荘の一室が再現されています。この施設は、こじんまりしているけれど、ちょっと楽しい。
トキワ荘関係をもう一つ。トキワ荘通りを西に行くと南長崎花咲公園があります。その一角にあるのがこの『トキワ荘のヒーローたち記念碑』。内容的には先のモニュメントやお休み処の展示とダブりますが、公園にあるのがよろしい。
豊島区はここから西にもまだ広がっていますが、そこにはただただ住宅地が広がるだけだそうなので、西はこの南長崎花咲公園までとし、北東へ向かいます。
西武池袋線の線路を越えると椎名町の商店街です。狭い通りの両側にお店がびっしり。
こういう空間は通りが広いと間が抜けて見えるけれど、ここはこの狭さがいいですね。
この商店街の突き当たりにあるのが長崎神社。ここは長崎村の鎮守で、5月の第2日曜日に奉納される獅子舞が有名。
かつてこのあたりは武州豊島郡長崎村でした。長崎という名からして、ここは九州の長崎と関係があるのかと思っていましたが、どうやらそうではなく、鎌倉時代末期に北条氏に仕えていた長崎氏が支配していたからという説が有力らしい。
長崎神社から山手通りを渡り東へ進むと、ほどなく谷端川(やばたがわ)緑道が現れます。戦前はこの川沿いに、新進画家のアトリエ群がたくさんあったそうです。
ここにはかつて谷端川が流れていましたが、それは暗渠の下水道となり、その上が緑道となったわけです。この緑道の完成は1991年(平成3年)でそれほど古いわけではありませんが、その造りはちょっと、、、 少なくとも自転車ではワイルドタイトでちょっと怖い。
豊島区には有名な大学が少なくとも二つあります。一つは目白の学習院で、もう一つがこの立教大学です。
ミッションスクールらしい華やかさがあり、本館は蔦が絡まるレンガの外観です。この他、歴史的建造物にチャペルや第一食堂といったものがあります。
さて、立教大学からは再び谷端川緑道を辿り、北に進めば、緑道は東武東上線の下板橋駅でおしまいとなります。谷端川緑道はこのあたりでは豊島区と板橋区の境を成しています。下板橋駅からは、板橋区との境界近くを進み、巣鴨へ。
R17を渡ると、そこには2001年に閉校となった豊島区立朝日中学校の校舎などを利用した『にしすがも創造舎』があります。ここには戦前、大都映画巣鴨撮影所がありました。さらにその歴史を辿れば、1919年(大正8年)開設の天然色活動写真株式会社に行き着きます。まあかつて一時期、ここで映画が作られていたということです。
にしすがも創造舎からさらに東に行くと、都電の西ヶ原四丁目駅に出ます。
ここが豊島区の北東端で、周囲は北区になります。
西ヶ原四丁目駅のすぐ近くには妙行寺(みょうぎょうじ)があります。ここは四谷怪談のお岩さんの墓があることで知られています。
四谷怪談は江戸の雑司ヶ谷四谷町(現豊島区雑司が谷)が舞台で、鶴屋南北の歌舞伎で有名です。ご存知のとおりそのストーリーは、『貞女であるお岩が夫の伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす』というもので、特にお岩の顔が醜く変化する様が見せどころ。
しかし、実際のお岩さんはまったく異なるようで、この異なり方にも諸説あるようですが、ここにあった解説では次のようになっています。
お岩は夫の伊右衛門と折り合いが悪く、病気になって亡くなった。その後田宮家には災いが続いたが、妙行寺のお坊さんのお経で一切の因縁が取り除かれた。
巣鴨庚申塚は、江戸時代には中山道の立場(宿場間の休憩所)として栄えたそうです。
現在ここには猿田彦大神が合祀されています。猿田彦は天照大神に遣わされた神様が天降りの際の道案内をしたことから、道の神、旅人の神とされるようになり、中世に庚申信仰や道祖神と結びついたようです。
ここは巣鴨地蔵通商店街の北西の入口でもあります。
巣鴨地蔵通商店街の北西入口
さてさて、本日の旅も大詰めです。ここはおばあちゃんの原宿こと、巣鴨地蔵通商店街。
この商店街には四の付く日に市が立ちます。
巣鴨地蔵通商店街
ここは平日でもにぎやかですが、この日は24日とあって特に大賑わいです。
日本の中で、もっとも成功している商店街の一つでしょう。
巣鴨地蔵通商店街の中には高岩寺があります。ここは『とげぬき地蔵』と呼ばれています。
『とげぬき地蔵』の名は、ある方が針を飲んでしまった際、地蔵菩薩の御影(お地蔵さんが描かれた紙)を飲み込むと、その針を吐き出すことができ、吐き出した御影に針が刺さっていたという言い伝えによるそうです。
ご本尊の地蔵菩薩像(延命地蔵)は秘仏で非公開なので、代わりに人気なのがこちらの『洗い観音』。
自分の治癒したいところを洗ったり、タオルで拭くとご利益があります。
巣鴨地蔵通商店街の南東の入口にあるのは真性寺。ここには大きな江戸六地蔵尊がおられます。石の台座の上に座るこのお地蔵さまの高さは2m68cm、蓮花台を含めると3m45cmだそうです。
六地蔵と言うからにはここの他に五体のお地蔵様がいらっしゃるということですが、残念ながら今日、内一体は現存しないそうです。お正月に巡った新宿山ノ手七福神の太宗寺にあったお地蔵さまは、残る四体のうちの一つでした。
このあとは、染井霊園、染井銀座商店街、しもふり銀座商店街、染井稲荷神社、門と蔵のある広場、妙義神社と巡り、駒込駅で上がるつもりでしたが、巣鴨名物の塩大福を食べてここで上がろうと全会一致で決定。
いや~、豊島区、意外と見どころがあり、裏道はほとんど車が通らず、快適な自転車道のような道ばかりで、なかなかよかったです。