東京から新幹線と北越急行ほくほく線を乗り継いで、やってきたのは新潟県のまつだい駅。
この周辺には多くの棚田があり、また、大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレの舞台となっています。棚田では今まさに稲刈りが始まり、トリエンナーレは会期はつい先日終了したばかりですが、多くの作品はその後も残され、鑑賞することができます。
ちなみにトリエンナーレとは、イタリア語で『3年に一度』の意で、ここの芸術祭は2000年から3年に1度開催され続けています。
その作品でまず目に付くのが、駅のプラットフォームからも見える、草間彌生の『花咲ける妻有』。
ということで今回は、棚田巡りとアート巡りです。
まつだい棚田マップとトリエンナーレの地図を見ると、まつだい駅のすぐ南に、棚田と多くのアート作品があることがわかったので、まずそのエリアに向かいます。
地図をよく見ていなかった私たちは長命寺の前で渋海川の南に渡ってしまいましたが、これを渡らず北の道を行くと、多くのアート作品があったようです。
しかし南側の道脇には、早々に田んぼが現れます。
城盗り橋から南へ進むとすぐ、道は上りに。
ここからは、まつだい駅周辺に広がる棚田がよく見えます。
今回のイベントの総合タイトルに含まれる頸城は、ここ十日町市を東端とし、糸魚川市を西端とする新潟県のかつての郡部の名称で、のちに東、中、西に分れました。このあたりはその中の東頸城郡にあたります。
頸城は、直江津で日本海に注ぐ関川の周辺を除くとどこも山ばかりで、平地はほとんどありません。そのため、田んぼは山間に作られた棚田が多いのですが、つまりこれは坂道だらけということでもあります。
ということで、今日は最初から上りっ放しです。
上り坂のカーブの先に、大きなカラフルな鉛筆が何十本もぶら下がっています。長短と長さが異なるこれらの鉛筆一本一本には世界の国の名が書かれていて、横から見るときれいで楽しいのですが、下から見上げると、尖った芯がこちらを向いて、ちょっと怖い。パスカル・マルティン・タイユーの『リバース・シティー』。
さらに上って行くと、今度は棚田の中に真っ赤な人が立っています。これもアート作品で、大岩オスカールの『かかしプロジェクト』。この作品は2000年に始まった芸術祭の初回展示作品で、周囲の緑や田んぼの黄金色と、かかしの赤の対比がきれい。
まつだい駅南側のこの一帯には、こうしたアートが40~50点ほど点在しています。
この先は松代城方面と小屋丸方面に道が分れます。アート作品群の多くは松代城方面へ延びていきますが、私たちはここから小屋丸方面へ上ることにしました。ここからは棚田巡りに重点を移すことにしたのです。棚田マップによると、松代下山に棚田のヴューポイントがあるようなので、まずはそこを目指します。
県道350号から松代下山方面へ向かう道に入ると、周辺の山は深い緑。
道は相変わらず上りで、この両側にも小さな棚田がたくさん。
この上りの途中で、稲刈りをしている田んぼがありました。そしてその先では、刈り取った稲が天日干しされています。
この地方の天日干しは独特で、立てた木や竹の間に横木を渡し、稲束を掛けるのです。これを稲架掛け(はさかけ)といい、稲束を掛ける木を『はさ』または稲架(はざ)と呼びます。この方法で天日干しされた米は『はさかけ米』と呼ばれ、香りと甘みがあり、冷めてからもしっとりとして味が落ちず、 いつまでも美味しくいただけるそうです。
はさかけを眺めながら進んでいくと、数軒の民家が現れるようになります。池之畑の集落のようです。
どうやらここで上りが終わったらしく、小さな切り通しを抜けます。
すると視界がぱっと開き、谷に向かって落ちる斜面にも民家が建っているのが目に入ります。
谷のずっと向こうには、長岡から魚沼あたりなのか、北東に続く山並みが見え、
南を見れば、信越国境の山々が見えています。
ここは山の稜線付近を道が通っているので、見晴らしがいいのです。
池之畑からこの尾根伝いの快適な道を下って行くと、松代下山に到着。
そこには越道川が流れ、それに沿ってちょっとだけ棚田がありました。しかしここの棚田は期待していたほどではなく、そのうちの幾枚かは残念ながら放棄されてしまっているようでした。谷はひどく狭く、したがってそこに作られる棚田もごく小さなものなのです。
しかしここで驚いたのは、川の遥か上の狭いスペースにも棚田が作られていたことです。おそらくどこかからプローチはできるのだと思いますが、少しでも平らなところがあればそこを田んぼにするという人の営みは、やはりすごいと感心させられます。
先の池之畑もこの松代下山もその集落はとても小さく、数軒の民家があるだけです。その民家のいくつかの横をかすめ、松代田沢に下ります。
そうそう、このあたりの民家の屋根の棟は『雪割り』という特殊な尖った形状を持っています。この地方は大層雪深く、積もった雪の自重で雪に亀裂を生じさせ、自然に屋根から落ちるようにしてあるのです。
松代下山からはかなり細い道になり、これがまたすんなり下りというわけにはいかず、上ったり下ったりを繰り返すのでした。
松代田沢は出発地のまつだい駅のすぐ東の集落で、ここで再び渋海川の流れに出会います。ここからR253を少しまつだい駅方面へ向かい、今度は逆に北側に入っていきます。
私たちの案内役は、例の棚田マップ。R253の北側には何箇所か棚田ヴューポイントがあるのです。その一番近くの菅刈を目指します。
R253を離れると道はまた上りに。ここでも『はさかけ』がされています。
この道は、田舎道ということ以外に特段な特徴がある道ではないのですが、かつての松之山街道だそうです。
松之山街道は、北国街道の高田(上越市)と三国街道の塩沢宿(塩沢町)を結ぶ80kmほどの街道でした。現在それは古道松之山街道として、歩道や休憩所が整備された散策路となっているようです。
その松之山街道を上って行くと、菅刈の集落です。ここではあの『はさかけ』が行われていました。稲の一束一束を丁寧に横木に結わえ付けていきます。かなり労力を要する大変な作業です。
ここで作業をしていた農家の方に聞くと、このあたりでは『はさかけ』を保存する運動のようなものが行われており、体験農業も盛んで、田植えや稲刈り体験もできるのだそうです。ちょうどこの時は、東京からやってきた家族が、はさかけの体験をしているところでした。
ここの棚田ははさかけをしていたすぐ目の前にあります。
しかし下からではよくわからないので、上から眺めようと集落の中を上って行きます。これがまたきついのだ。
へこへこと上って、棚田の上に到着。この前の台風で倒れたのか、稲の一部は横になっていました。こんなふうに倒れた稲はそのままでは稲刈り機で刈り取れないので、起こすのですが、それは竹竿で稲をなでたり叩いたり、はたまた下に突っ込んで持ち上げたりを繰り返すというものです。
そうそう、今は棚田といえどもほとんどのところで稲刈り機が使われます。棚田は搬入路が狭く、一枚の面積が小さい上、平面的にも凹凸があるので、こうしたところで使われる稲刈り機はとても小型のものです。
菅刈の棚田を眺めたら、さらに上にある芝峠の棚田に向かいます。
道は結構な勾配で上っています。
その勾配が少し落ち着くと、左手に田んぼが現れるようになります。もちろんここも棚田です。
そして高台に大きな建物が見えてきます。まつだい芝峠温泉雲海です。
道が上の r219に合流すると、そこからはほぼフラットになります。
この道のすぐ横にまつだい芝峠温泉雲海が建っているので、このあたりに芝峠というのがあるのだろうとは思うのですが、この施設以外に芝峠の名は出てこず、どこがその峠なのかははっきりしません。
ここは温泉の名に雲海とあるように、棚田に加え雲海が見られる場所として有名なようです。
雲海はほぼ朝方にしか現れないのでこの時は見られませんでしたが、谷の形状からして、いかにも雲海が現れそうなところです。白い雲海で満たされた谷の向こうの遠くに、山並みだけが見える景色が目に浮かびます。
まつだい芝峠温泉雲海の裏手にある駐車場に、芸術祭のアートが三つほどあるのでそれを鑑賞したあと、芝峠からr12に下ります。蓬平を経由すればさらなる棚田が見られるようなのですが、蓬平からは上り返しがありそうなので、ここはショートカットし、素直に r219を使います。
r12を横切りr426に入れば、道は穏やかな上りに。ここは田野倉というところのようで、少し広い棚田がありました。
昨夜松代に泊まったシロスキーは、今朝方このあたりまで散策したといい、低く雲が立ちこめた棚田がきれいだったそうです。この写真はその時の午前7時少し前のものです。
撮影地点が棚田と同レベルなため、この写真では雲海には見えませんが、高所から見ればここは雲海に見えたかもしれません。
田野倉の棚田を横目に、次の棚田ポイントの蒲生(かもう)へ向かいます。
このあたりは次から次へと棚田が現れます。
穏やかに上って、蒲生の棚田に到着。
ここは細長い棚田が連なっていて、遠目にはミニゴルフ場が並んでいるかのよう。
蒲生の交差点から、まつだい駅前から続くR253に入ります。この国道が本日走る道の中で、ほとんど唯一の二車線道路です。
そろそろ昼飯時。ここは国道沿いの集落なので、食堂が一軒くらいあるかと思って注意しながら進みますが、それらしいものは見当たりません。そこで、このすぐ先にあるとわかっている、峠の茶屋を目指します。
蒲生の集落を出るとほどなく、右手に棚田が現れます。
道のすぐ下に棚田があり、その先の小山の先も棚田になっているようです。このあたりは儀明(ぎみょう)というところのようです。
ここの棚田は一枚一枚がとても複雑な形をしています。こうしたものを見ると、棚田そのものが芸術祭のアートに劣らぬ、大地のアートという気がしてきます。
この棚田を眺めたら昼飯です。峠の茶屋は予想に反し少々混んでいて、30分ほど待ちました。客は私たち以外は全員車なので、数分走って松代まで行けば待たずに済むと思うのですが、ここで並んで待っているということは、この峠の茶屋は名店なのでしょうか。
それはともかく、私たちにとって昼飯が食べられるのはここしかないのでじっと待って、なんとかテーブルに付きました。
さて、昼食のあとは、そのすぐ横にある棚田の中を行きます。
実はここは国道をそのまま進むつもりだったのですが、棚田の中を行くコンクリート舗装の道が見えてしまったのです。
しかしそんな舗装がいつまでも続くわけがなく、すぐに地道に。ということで、あえなく撤退です。
峠の茶屋からはこのあたりの棚田でもっとも有名な星峠の棚田に向かいます。
儀明峠トンネルの手前にある儀明の集落でR253を離脱し、大和田原へ向かう道に入ります。この道もまた当然のごとく、上り。北東には、これまでも見えていた山並みが遠くに見えています。そして道脇にはここにも棚田が。
いつしか下りに転じた道が大和田原の集落に入り、そのまま下り続けてしまいそうになりますが、星峠への道はこの集落の中から分岐していました。私たちがうろうろしているのを見たおばあさんが、『星峠に行くんならそこを曲がるんだよ~』と声を掛けてくれました。
この分岐後の道は、カントリーロードもカントリーロード、ぼさぼさと草の生えた野原の中を進んで行きます。この時期がお彼岸だったのを思い出させるように、この原っぱにはススキがいっぱいです。そして写真には写らなかったけれど、ここにはきらきらと陽の光を反射させた赤トンボが無数に飛んでいました。秋もだいぶ深まったのですね。
いったん下った道が上りに転じると、この上りもちょっと厳しい。
けれど、それと引き換えに、道脇には黄金色の棚田が現れるようになります。
わっせわっせと上って行くと、星峠の棚田の案内板が立っています。
ここまで見た棚田にはこうした案内板はなかったので、この先にある星峠のそれがどれほどのものか、関心が高まってきます。
小さな駐車場とトイレがあるところに辿り着きました。どうやらこのあたりが棚田のビューポイントのようです。
トイレの裏の一段高くなったところに上ると、眼下に棚田が広がります。さすがにここは、このあたりでは一番の規模のようです。その規模に加え、複雑な地形が棚田をより立体的に見せ、遠くの山並みまで見渡せるのがいいです。(TOP写真)
この駐車場から少し南に廻り込むと、同じ棚田が微妙に変化して見えます。ここはちょっとした視点の変化で変わる棚田の姿が楽しめるのもいいところ。
星峠はどうやらこの下を通るR403のトンネルのところのようなのですが、このあたりで単に星峠といえば、この棚田を指すものにまでなっているようです。
たっぷりとこの棚田を楽しんだら、棚田の松代はおしまい。十日町市から上越市に入ります。
やってきた道を少し戻って、枝道の激坂を上るとそこは小豆峠というところのようで、ここが十日町市と上越市の市境です。
その小豆峠から下り出すと、北に長いひな壇のような棚田が見えてきました。あれはほくほく大島駅の近くの棚田のようです。
上越市では、まつだい棚田マップのような地図が見つからなかったのですが、もちろんここにも多くの棚田があります。
道のすぐ下にもこんなすばらしい棚田が広がっていました。
小豆峠からはカントリーロードを豪快に下り、R403に出てからも下り続けます。
上越市大島区の棚岡まで下ると、そこにはいい感じの保倉川が流れています。
棚岡からは県道13号線でひと丘越え、安塚区の和田に向かいます。
この道、県道ですって。ほとんどどこかのサイクリングロードと見まごうほどの幅しかありません。ということで、車はまったくといっていいほど通らず、快適です。まっ、この辺りの道はここに限らず、車の通りは極少なのですが。
鄙びた県道13号線から、さらに鄙びた道に入り、和田に下ります。その途中からは、南に長野県との境に横たわる山々が見えています。
三日目にはあのあたりの山を上って、ちょっとだけ長野県に入るつもりです。
和田からはR405で西へ向かいます。この道が国道だって。このあたりは自転車にはとても走りやすいところなのです。上りがいっぱいあることを除いては。国道も車が少なく快適なのです。
でも、やっぱりここも上りなのね。しかし、もう本日の宿のある朴の木は目と鼻の先なので、朴の木川に沿って上るこの国道を、ゆっくり上って行きます。
切越の外れから、朴の木集落への道が分岐します。ヘアピンカーブの途中から入ったこの道は、10mも進むと急坂になり、さらに20mほど進むと激坂に。
路面はコンクリートからさらにそれに溝が切られているものへ、そして亀甲模様が施されるようになります。周囲には木が生え、その木が道を覆って、路面には苔が生えるようになります。斜度が急激に上昇し、超激坂に。自転車に乗るのはおろか、押しても10mほどで息が上がってしまうほどです。
『こら、サイダー、こんな道、なんで通るの!』 と怒りのサリーナ。
『へ~、すんまへん。わしもこの道がどんなもんか知らんかったもんで。。』 とサイダー。
押して休んで、押して休んでを繰り返し、やっとこすっとこ、まともな道に出ました。下の国道から朴の木へは別にもう一本道があり、こちらはごく普通の道だったのです。
『やれやれ、これでなんとか宿にたどり着けそうね。』 と少し怒りが治まってきたサリーナ。
合流地点でしばし休憩して、今度こそ宿にまっしぐらと思いきや、ここからも上りが続いているのでした。
しかしこれは序の口だった。菅沼で二三の民家が現れるとそこから道は急に下り出し、朴の木川を渡ります。宿まであと1km。
橋の先には、ヘアピンカーブがいくつも続く激坂が待っていた。ここまで相当な上りをこなし、先ほどのへんな道で精神的なダメージを受けた身には、この上りは厳しかった。山影に沈んでいく美しい夕日もほとんど目に入らず、とにかく黙々よろよろと超低速で坂を上って行く。
最後のヘアピンカーブを曲がり切ると、少し高いところに大きな建物が見えてきました。なんとか今宵の宿に辿り着いたのです。
この宿、普通の宿にしては妙な外見をしています。このあと聞いたところによると、ここは平成四年まで学校として使われていたのだそうです。かつてこの周辺には100戸ほどの民家があったそうですが、徐々に減少し、廃校せざるをえなくなったといいます。現在この周辺には、僅か10戸ほどの民家しか残っていないとのことです。
へとへとの私たちは、まず部屋でしばしまったり。その後ゆっくり風呂に浸かり、この日の汗を流しました。この風呂、特段に上等ではないけれど、木の大きめの湯舟でゆったり寛げます。そのあとは食事です。値段からして想像できるように特別なものは何もないのですが、山の中らしく山菜が中心で、妙な刺身なんかがないのがかえって好ましい。そしてさすがに米どころの新潟県だけあり、酒とごはんがとてもおいしい。もっともごはんに関しては、最終日の朝に、よりおいしいものをいただくことになるのですが。
棚田とアート巡りの今日は、予想の通りの楽しいイベントになりました。上りも想定通りのきつさで、私たちにとっては目いっぱいといったところ。とにかく上っては下り、下っては上りの繰り返しでした。
明日はここ朴の木を拠点にして、近場を巡ります。特にこれといった見どころはないのですが、自転車ならではの変化に富んだ景色が楽しめると思います。そうそう、妨ヶ池からは北の山々の眺めが素晴らしいと聞きます。もちろん今日と同じく、道は坂ばかりのはずで、どんな坂が待っているのか、これも楽しみの一つです。