早朝の6時過ぎ、さあ、ご飯を炊きにいきますよ。と宿のご主人から声が掛かる。そういえば昨夜、今朝はお釜でご飯を炊くと言っていたな、と思い出し、身支度を整えて、飯炊き小屋に向かいます。
飯を炊くのは昔から薪にかまどと決まっていますが、ここでは籾殻を燃料とし、だるまストーブのようなものが使われています。籾殻に直接火は着きにくいので、杉の枯れ枝を点火剤とし、その火を籾殻に移します。そおして待つことわずか15分。釜の中の、ぽこぽこという音がカンカンという音に変わると炊き上がり。蓋を取って箸で米を数回突つき、息抜きをさせます。そして蓋をして待つこと15分。ふっくらもちもちのご飯が炊きあがりました。
籾殻で炊いたご飯は初めてですが、薪で炊いたものよりもちもち感が強いように感じました。とてもおいしいです。このごはんを三杯もいただいて、満腹満腹。
朝ご飯はとにかくたいへん満足で、この日もいい一日になりそうです。なごり惜しんで朴の木の田舎屋を出発。
今日は南に下り、信越国境の山に上ります。
まずは下の国道まで出ますが、この日は宿付近のループ道は激坂側を下ってみました。この坂の先には少し上り返しがありますが、それはほとんど気にならないものだったので、ここは宿に行くときは穏やかな方の道を、宿から出るときは激坂道を使うとよさそうです。
今日の安塚八景小黒谷は、晴天の朝日を浴びて一層輝いて見えます。
そしてその向こう、北に聳える米山も一段ときれいです。
国道に下り切越に出ると、南に信越国境の山々が見え出しました。あのあたりは関田山塊と呼ばれるようです。
これからその中の山の一つに向かい、野々海峠を越えて長野県に入ります。
切越の先の田んぼの横には、稲の天日干しをする稲架掛け(はさかけ)がありました。
R405を下り続け、小黒の集落を通過。
小黒川が流れる和田までやってきました。
道脇には真っ赤なサルビアと赤白ピンクのベゴニアが咲いています。
和田からは小黒川を遡ります。
ここは右岸にR403が通っていますが、私たちは左岸のカントリーロードを行きます。
R403には少し車の通りがありますが、こちらのカントリーロードはジオポタ独占道路です。
和田の次の集落樽田の国道沿いには道の駅があるので、カントリーロードを離脱し、そこに寄ってみます。ここが当面の最終補給点であり、最終WC地点でもあります。
この入口にはでっかい雪だるまくんが。そういえばこのあたりには雪だるまなんとかと名がついたものがあるので、雪だるまが地域のイメージキャラクターなのかもしれません。
道の駅のすぐ南で船倉川が小黒川に流れ込みます。その船倉川に沿ってR405を上っていきます。
R405に入ると間もなく、『安塚八景 いすすぐらの滝』の標識が現れます。
川辺に寄って見ると、木立の向こうにかろうじて落ちる滝の姿を認めることができました。もう少し近付けばよく見えるかなと思ったのですが、滝近くからは木々の影になって、残念ながらこれ以上の姿は見られませんでした。
道はほぼ一定の勾配で上り続けています。岩戸の集落に入ったようです。
雪深いこの地方の民家の屋根は急勾配で、『雪割り』という、雪の自重で積もった雪を割って滑り落ちるように工夫された棟が載っています。
船倉川に小さな川が合流すると、狭い谷が開け、棚田が現れるようになります。
谷の向こう側にもこちら側にも棚田。こうした少し広いスペースの棚田は、きれいな段状に並べられます。
このあたりは蕎麦もちょっと有名らしく、ところどころで蕎畑も見られます。
この時期はその畑は真っ白な花で覆われています。
ゆっくりペダルを廻し、徐々に高度を上げていきます。上船の集落を通過。
この集落から船倉川の谷を離れ堀切川の谷に向かいます。ここからひと尾根越えるのですが、すでにだいぶ上ってきており、ここからピークまではほんの僅かで、少し上るとこれまで上りっ放しだった道が下りに転じます。
すると道は急に細くなります。
『この道でいいの? これ、本当に国道?』 とサリーナが疑わしげな眼差しを向けてきますが、ちょうどそこにおにぎり形のあの国道の標識が現れました。この道、紛れもない国道なのですよ。
穏やかに下る道の先に、あっちこっちから小さな尾根が出てきて混じり合うようなところが見えます。
そこにできた小さなスペースにも、棚田と畑が作られています。
二度ヘアピンカーブを曲がると、杉の木立の下に集落が見え出します。
どうやら菖蒲に着いたようです。
あとで気付いたのですが、菖蒲はこのあたりでは比較的大きな集落で、郵便局をはじめ、小さな商店などがあったようです。
その通りは保倉川の東を通るR405ですが、私たちは保倉川の支流の堀切川を遡るので、そのメインストリートは覗きませんでした。
歴史がありそうなお寺の横をかすめ、カントリーロードを行くとすぐに菖蒲の集落を抜けてしまいます。というか、この道沿いにはほとんど民家は建っていないのです。
村はずれで小さな畑で作業する高齢の農民を見かけました。かつてはもっと広い土地を耕していたはずですが、あとを継ぐ者もおらず、今はかろうじて自分が食べるだけの作物を作っているということでしょう。
先に頭が平らな山が見えてきました。あの山は今日の出発地付近からもよく見えていたものです。どうやら道はあすこに向かっているらしい。
実は今日の目標は野々海峠と決めたものの、視覚的にどこに上るのかはよく分かっていなかったのです。あの山はいくつかのピークから成っていて、西から菱ケ岳、三方岳、天水山、山伏山で、いずれも標高が1,000mちょっとのよう。といって、どのピークがどれなのかは。。
とにかく先に見える山を目がけて、ゆっくりと上って行きます。
堀切川を渡り、菖蒲から上ってくる r348に入るころには、周辺にたくさん棚田が現れます。
川のあっちにもこっちにも。
先ほどまで前方に見えていた山の大部分がいつの間にか手前の山陰に隠れ、見えなくなり、その西端の山だけが見えるようになります。
あれは菱ケ岳でしょうか。それとも...
とにかくこのあとは、あの山を目がけて上るようになります。
道端に小さな『菖蒲高原↑』の標識が現れるようになります。道は相変わらず一定の勾配で上り続けています。
緑の木々の中に、なにか真っ赤なものを発見。近づいてみればそれは、紅葉でした。だいぶ標高が上がってきたとみえ、こうした紅葉した木々も少し現れ出しました。
左野々海池・菖蒲高原、右キューピッドバレーの道路標識があり、これを左へ行くと、大きなカーブがあり、その路肩が大きく広がり見晴台になっているところに辿り着きます。
この見晴台からは北の山々が一望にできます。
左手には今朝小黒谷から見た米山が、右手には刈羽黒姫山(かりわくろひめやま)が見えています。そしてその手前にはかなり広い範囲で広がっている棚田が。
この見晴台で一息付き、上りを再開すると、そこからは斜度がぐんと緩くなります。
どうやら菖蒲高原に入ったようで、周囲にはすすきの原っぱが広がります。そして先には先ほどまで見えていた菱ケ岳らしき山の隣の山が見えるようになります。
原っぱの先にちょっとした建物が見えてきました。菖蒲高原キャンプ場のレストハウスのようです。
レストハウスならお茶くらい飲めるだろうと立ち寄ってみましたが、もうシーズンが終わったのか、人気はなく、借りようと思ったトイレも閉まっていました。
キャンプ場のコテージ群を通り過ぎると、そこからは勾配がきつくなり、うねうねとカーブを描いて上って行きます。
そのカーブが終わり直線の道になると、後ろにはあの北の山々がどこまでも延びているのが見えます。
この直線の道の先はヘアピンカーブの連続。気合いを入れてペダルを踏みます。このヘアピンカーブを抜けた先が野々海峠です。えっこらよっこらと上って行くと、周囲の木々がうっすらと紅葉を始めているのに気が付きます。ここの標高は1,000mほどあるのです。
なんとかヘアピンカーブの終盤まで来ました。そのコーナーからは、北の山々すべてが見えています。ここは絶景! 上ってきた甲斐があったというものです。
しばしこの眺めを楽しみ、最後のカーブを曲がります。ここで上りは終わりかと思ったら、斜度はかなり緩いものの、上りはまだ続いているのでした。
両側から木々が覆いかぶさり視界がないまっすぐな道を、へこへこと上って行きます。500~600mほど進むと、数台の車が止まるところに出ました。どうやら野々海峠に到着したようです。ここまで菖蒲からでも標高差は740m、平均斜度は7%で、少々きつかった。
峠には特に眺望があるわけでもなく、休憩をするにもベンチもなければ、座ってゆっくりできるようなところもありません。
そこでこの峠での休憩はあきらめ、この先にある野々海池へ向かいました。野々海峠から先は長野県です。
両側から木々が覆いかぶさるこの道は、うねうねと細かいカーブを描いて穏やかに下って行き、なかなかいい感じです。しかし肝心の池は木立に隠れまったく見えないので、池での休憩もあきらめ、少し上にある深坂峠に向かいます。
野々海峠も深坂峠も標高は1,090mほどで、池の畔とのギャップは40mほどしかないので、この上りはあっという間です。
深坂峠は北側の眺望が開けていました。刈羽黒姫山が正面に見えています。ここにはちょっとした空地があったので、山々の素晴らしい眺めを楽しみながら、一休み。
しばしの休憩のあと、深坂峠から下ります。野々海峠からここまでが長野県で、この先はまた新潟県に戻ります。
ここから今日の終着地のまつだい駅まではほぼ下りっぱなしなので、もう安心です。
この下り道は北側の開けた谷に面しているので、とても気分よく下れます。
遥か彼方に見える米山や刈羽黒姫山を眺めながら下って行くと、手前の谷は徐々に変化していき、様々な表情を見せてくれます。
下りは早い。あっという間に谷が消え、両側が木々に覆われるようになります。
その木々もうしろへ飛び去り、前方が開けると、大厳寺牧場に到着。
この牧場のレストランで昼食です。昨日同様、このレストランもこのあたりでただ一軒だけのものなので、営業時間内に辿り着けるかどうかちょっぴり不安でしたが、途中の休憩が少なかったこともあり、予定より少し早く着くことができました。
大厳寺牧場からは松之山に下ります。
勾配は穏やかなれど、明らかな下りが続いています。やっぱり山に上ったあとの下りは壮快です。
この谷には、初日に尋ねた松代下山を流れていた越道川が流れています。
松代下山では極めて狭かった谷ですが、ここではかなりゆったりとした広さがあり、そこに広がる棚田も比べ物にならないほど多い。
道がR405に合流すると、松之山です。この合流点のすぐ先で湯本から兎口に抜ける道に入ろうと思っていたのですが、うっかり通り越してしまいました。
道がR405からr80に変わるとすぐ、松之山温泉の入口があります。
松之山にはちょっとした温泉街があり、日帰り入浴ができるところもありますが、この日は先を急ぎたい気分で、これには寄らず直進します。これは、少々疲れていたせいもあるかもしれませんし、また道が下りで快調に進んでいたからかもしれません。
もちろんもう、兎口経由で行こうという気も薄れ、r80をひた走ります。R353に変わった道を松之山新山まで進み、そから国道をショートカットすべくカントリーロードに入ります。
すると、これまで建物が並んでいた景色が一変、またあの山の景色になります。
そうそう、このすぐ近くにはブナの林、美人林があるのですが、今回はこれもパスすることに。今日は野々海峠ですべてが終わったのです。
美人林は旅の前半に組み込んでおけばよかったかなと、ちょっと反省です。
このあたりには杉の木もたくさん生えていますが、通りではあまり目に付きません。山にたくさんあるから、道脇に二三本生えていても気付かないのかもしれません。大荒戸の集落に入ると、珍しく杉林の中を行くようになります。
その中に庚申夫婦杉という立派な木が立っていました。この根本には庚申塔があるので、名称はそこから来ているのでしょう。
だいぶ下ってきました。残す距離はあと僅か。
ここで初日に見たものとほぼ同じ山の景色に出会います。東頸城をぐるぐると巡って、松代近くに戻ってきたのです。
先にまつだい駅の前を通るR253が見えてきました。松代の隣の集落、千年まで下ってきたのです。
R253に出ると、ほくほく線のまつだい駅はすぐそこ。
予定よりだいぶ早くまつだい駅に到着した私たちは、列車を一本遅らせ、駅に付帯するまつだいふるさと会館でしばしまったり。
駅のプラットフォームから、大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレの作品である草間彌生の『花咲ける妻有』を眺めて、帰途に着きました。
東頸城のこの三日間で走った距離はたいしたことはありません。しかし累積登坂高度は4,000m超えとなり、これはこの地域がいかに山の中であるかを示しています。そこにはまさに大地のアートといえる、狭い谷間に築かれた無数の棚田があり、それを支える集落と人々の生活があります。