昨日は節分、鬼退治の日でした。冬の寒さがピークに達したこのごろです。
しかし今年の冬は晴れ間続きで、日中はかなり暖かいです。そこで春の訪れを告げる花でも見に行こうと、やってきたのは武蔵小金井駅。
春の妖精とも呼ばれるスプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)の一つである節分草(セツブンソウ)が野川公園に咲いていると聞きつけたので、それを観に行きます。
武蔵小金井駅から住宅街を進むと、ほどなく野川の畔に出ます。
野川は武蔵小金井駅の隣の国分寺駅近くにその源を発し、国分寺崖線に沿って流れ下り、多摩川に注ぎ込む短い川です。
この周辺にはかつての武蔵野の面影を残す緑地がいくつか残っており、それらで『武蔵野の森』を形成しています。
天神橋から野川沿いを行くと、すぐ右手は武蔵野公園の原っぱになります。
ここから右岸の道は地道に。左岸は舗装路のようでしたから、地道が嫌いな方はそちらへどうぞ。
武蔵野公園は東京都の公園や街路に植える苗木を育てる苗圃を中心に、雑木林が配されています。
ちょっとだけ園中に入り、苗圃の周囲をぐるり。ここは自然豊かで気持ちいい。
武蔵野公園の先は野川公園です。公園の端っこに自然と作られたシングルトラックを進んで行き、自然観察センターへ向かいます。
自然観察センターで自然観察園の地図をもらい、節分草の様子や現在見ることができる植物の情報を入手して自然観察園へ。
野川公園は東八道路の南北に分れており、自然観察園はその北のゾーンを流れる野川のさらに北側にあります。
ここはちょうど国分寺崖線に接しており、向こう側が高台になっているのが良くわかります。
野川に架かる橋から上流方向を眺めると、右手に高台が連続している様子も。
こうした崖面はハケと呼ばれているそうです。このあたりを舞台とした大岡昇平の『武蔵野夫人』は、
土地の人はなぜそこが『はけ』と呼ばれるかを知らない。
という書き出しで始まり、続いて国分寺崖線の地質について説明しています。
節分草は、自然観察園の入口を入って東にある、ひょうたん池とかがみ池の間のかたくり山に咲いているとのことなので、まずそのかたくり山へ。
『そういえばキルピコンナが、その大きさにびっくりするよって言っていたけれど、節分草って、でっかいのかな〜』 とマージコ。
『節分草どこだ〜』 と探していると、
『あ、あった〜。こっちこっち、こっちに咲いてるよ〜』 とサイダー。
『えっ、えっ、どこ〜』
『えっ、こ、これぇ〜〜』 と驚きの声はサリーナとマサキン。
そうなんです。節分草はそれと知らなければ見過ごしてしまうほど、とってもちっちゃいんです。
あまりの小ささと、ほんの1mほどの区画の中にちょこっとしか咲いていないので、みんなびっくりです。
スプリング・エフェメラルと言われるものにはこの節分草の他に、ユキワリイチゲ、イチリンソウ、フクジュソウ、カタクリなどがありますが、これらはみんな小さく、春先に花を咲かせ、夏まで光合成をして地下茎や球根に栄養を蓄え、以降は地下で過ごすのだそうです。
そして次の春に、こんなふうにまた土の中から顔を出すのです。
節分草の花の大きさはというと、ほら、こんなにちっちゃい。左に写っているのが人差し指ですから、せいぜい親指の爪くらいの大きさしかありません。
さらに驚くことには、この小さな花を咲かせるまでには数年かかり、最初の一年目は小さな葉っぱを一枚出すだけだそうです。
節分草の名はもちろん、節分のころに咲くことから来ており、今がちょうどその時期です。
ただ、今年は例年より少し早めのようで、先週末あたりがピークだったようです。
この時は朝の10時前だったからか、みんな花は下を向いていて、じょうずに写真が撮れませんでしたが、なんとか写ったものを。
節分草は茎先に一輪だけ花を付けます。白い五枚の花びらのように見えるのは実は萼で、本当の花びらは退化して、黄色い雄しべに見える蜜槽と呼ばれるものになっているそうです。
節分草の区画のすぐそばにはミスミソウ(三角草)も咲いていました。この花は雪の下でも常緑で、雪割草とも呼ばれるそうです。
これもスプリング・エフェメラルといっていい気もしますが、常緑だからそれに含めないとも。
さらにこんなものが。通りがかりの人が教えてくれたのですが、これも花だって。
いったい何ていう名?
あっ、カンアオイってものだそうです。
今日はいい天気。香しいのは白梅。
ピークはかなり過ぎていますが、ソシンロウバイ(素心蝋梅)も。
春の訪れを告げるのはやっぱり梅、そして水仙かな。
野川公園の自然観察園の散策は意外と楽しく、予定時間を超過。
キルピコンナと待ち合わせの武蔵野の森公園へ急ぎます。
武蔵野の森公園は調布飛行場の周りに整備されたもので、その中の展望の丘からは調布飛行場に離着陸する飛行機がよく見えます。
ポコッと盛られた展望の丘の上は、日だまりポッカぽかで気持ちいい〜
セスナのようなちっちゃな飛行機が着陸したあと、10:45発の神津島行と思われる20人乗りほどの小型飛行機が、ちょうど離陸して行きました。
飛行機は小さいけれど滑走路までの距離も短いので、かなりよく見えて、ここは意外と楽しいです。
小型機の離着陸を堪能したら、再び野川沿いに戻ります。
このあたりの野川の両岸は遊歩道のようになっているので、のんびり行きます。
『今日はポカポカでよかったですね〜』 と先ほど合流したキルピコンナが、隊列の最後尾からみんなを守ります。
野川は一時は生活排水が流れ込み悲惨な状態になりましたが、下水道の整備により近年は徐々にきれいな流れを取り戻しつつあります。
しかし流れ込む水量が減少したことで、特に冬場には水が涸れ、湿原状態を作り出し、葦などが繁茂するという変化も見られるようです。こうした状況を改善するためか、この時はあちこちで改修工事が行われていました。
京王線の線路を渡り、さらに小田急線のそれをくぐると次大夫堀公園です。
ここは民家園になっており、江戸時代の名主屋敷や民家などが保存展示されています。
入口の正面に建つのは旧城田家住宅で、1846年以前に建築されたと推定されています。
二階部分の小さな窓が特徴です。
この建物は辻(交差点)に建っていたもので、江戸時代末には酒屋を営んでいたとか。土間に大きく張り出した板間があり、その上は厨子二階(つしにかい)--天井が低い屋根裏部屋のようなもの--になっています。外から見えた二階部分の小窓はこの厨子二階のものです。
ここの民家園のいいところは、ただ建物や民具が並べられているだけでなく、日常的に利用されているところ。この囲炉裏にはいつでも火が入っていて、土間は売店として利用されています。
ぽかぽか陽気のこんな日は、縁側でゆっくりお茶でも。
家の前の梅の木にはメジロが蜜を吸いにやってきていました。
そのさらに先の一角は、ちょっとした作業場のようになっています。
これは大鋸(おが)で木を挽いているところ。鋸がサビサビだから挽くのに苦労していますね。
これは屋根葺きに使う茅でしょうか。
どうやら干してあったのをまとめて、片付けているところのようです。
この作業場の横は小さな畑になっており、綿などが栽培されています。その綿から採れたのがこちら。真っ白と茶色とがあります。
これが置かれていた旧加藤家住宅は養蚕を行なっていたので、スノコ天井や煙出し櫓などが見られます。ここでは毎年春になるとおカイコさんを飼いだし、秋になると繭から生糸をつぐむそうです。
この民家園でもっとも大きな建物が、名主だったこの旧安藤家の住宅。
農家と名主の役を果たすための二つの機能を併せ持った大型住宅で、とにかく立派。
なんと床の間が付いた部屋が二つも。
ここの板の間には機織り機が二台置かれており、自分で染めたという糸で反物が織られていました。
こんなふうに、建物の中も日常的に利用されているのはとてもいいことですね。
板の間の隣は、農家ゾーンの中心となる土間。
露出した真っ黒な太く曲がった梁が、なんともいいですね。
旧安藤家住宅の庭先には蔵が建っています。これは旧秋山家住宅の土蔵で、穀倉として使用されていたものだそうです。
ここでは名主屋敷の外蔵としての位置づけで配置されているようです。
さて、この民家園の見どころはもう一つあります。それがこちらの鍛冶屋。
今ではほとんど見ることができなくなった鍛冶屋ですが、その現場をここで見ることができるのです。ふいごで風を送って火を起こし、鉄を真っ赤になるまで熱したら、金槌でトンテンカンテン。いやー、これは楽し。
次大夫堀公園には次大夫堀が流れています。これは正式には六郷用水というそうですが、江戸時代の代官、小泉次大夫が指揮して造らせたことからそう呼ばれるようになったとか。
次大夫堀は主に農業用水として使われたもので、1945年に廃止されましたが、ここは当時の雰囲気を再現し復元したもののようです。
楽しいイベント満載の次大夫堀公園は、もっと時間を費やしてもいいところですが、シンチェンゾーとの待ち合わせに遅れそうと、次大夫堀公園をあとにし岡本公園へ急ぎます。
岡本公園はその隣にある静嘉堂文庫(せいかどうぶんこ)周辺の緑地とともに、ちょっとした森を形成しています。その前に流れるのは丸子川で、これは先の次大夫堀が名を変えたものだそうです。
岡本公園の中に一軒だけの民家園があります。この旧長崎家住宅も江戸時代のもので、庭先の梅がいい塩梅です。この梅の木の足元にはミツマタが植えられています。聞けばやっぱり、これは採って紙漉きの原料にされるそうです。
合流したシンチェンゾーを先頭に丸子川沿いを行き、二子玉川駅の近くでハケを上ります。ここは例の国分寺崖線の端っこなのです。高度差は大してありませんが、このあたりには急坂が多いので、上りたくない方は川沿いをどうぞ。
東急大井町線を跨ぐ橋に出ると、そこは今日ではまったく富士山が見えない富士見橋。その先の日本美術収集で有名な五島美術館の入口を眺め、大きなお屋敷が建ち並ぶ上野毛の住宅地の中を進んで行きます。
その中の一軒の塀の向こう側から、いい形のしだれ梅と紅梅が顔を出しています。なんとこの梅にメジロがやってきています。本日二度目となるメジロとの遭遇でした。
ところで今回のメンバーの中に、メジロとウグイスの違いがわからないというものが。ウグイスは、声はすれども姿は見えず、の類で、その姿を知っている人は意外と少ないようです。メジロが比較的鮮やかな緑色をしているのに対し、鶯はほとんど灰色に近く、ごくわずかにオリーブ色がかっています。
『梅に鶯』っていいますね。ところが梅にやってくるのはメジロで、ウグイスはまずきません。『梅に鶯』は梅にやってくるウグイスを言っているのではなく、ましてや梅にやってきたメジロをウグイスと取り違えたものでもありません。これは取り合わせのよい二つのもの、よく似合って調和する二つのもののたとえで、春の訪れを告げる代表である梅と鶯は取り合わせが良い、といった意味のものです。
このあとは丸子川まで下り、下り切ったところにある善養寺と野毛六所神社に立ち寄るつもりでしたが、うっかり坂道を上り出してしまったので、この二つはパスすることに。善養寺にはカヤの巨木、黄金仏、ガネーシャ、河童像などがあり、ちょっと面白そうだったのですが。
坂を上ったところにあるのは野毛大塚古墳。まん丸の円墳に見えますが、下の方に台形の出っ張りがあり、これは帆立貝形古墳というものだそうです。
野毛大塚古墳に上ったあとは等々力渓谷です。冬のこの日、寒かったらここはパスしようと思っていたところです。だって渓谷だからね。寒い日はもっと寒くなってしまう。
多くの場合、等々力渓谷へ入るときは等々力駅近くのゴルフ橋から降りると思いますが、自転車の私たちは逆の南側からアプローチします。
するとまず現れるのが不動の滝。等々力渓谷はその名の通り深く切れ込んだ谷で、底を流れる谷沢川は周辺から20〜30mほど落ちています。この崖からはかなりの水が滲み出しており、それが滝状になって流れ落ちるのがここです。
不動の滝の横にある階段を上ると、清水の舞台のようなものが見えてきます。
これはいったい何でしょう。見晴台でもなさそうで、一般の人は立ち入れないようになっています。
階段を上り切って清水の舞台の下をくぐり抜けると、等々力不動尊の拝殿の前に出ます。
正面には不動尊と書かれた大きな赤い提灯がぶら下がっています。赤い提灯はお寺ではあまり見かけないようにも思いますが、どうなんでしょう。あっ、浅草の浅草寺には巨大な赤提灯がぶら下がっていますね。
この境内には、赤というよりピンクと赤紫の中間のような色の梅が咲いていました。
かなり派手ですね。
大きな庭石の前には水仙です。
1.5cmほどの真っ赤な実を見つけました。この実なんの実、気になる実でした。
等々力不動尊から戻り、等々力渓谷を北へ進んで行きます。途中には横穴というのがあったのですが、帰りにと思っていたら行くのを忘れてしまいました。
それはともかく、狭い遊歩道の両側は崖で、鬱蒼とした木々に覆われたここは、一瞬どこにいるのか分からなくなるような、そんなところです。
どこのジャングル?
等々力渓谷の次は九品仏へ。その途中には五重塔が建つ伝乗寺と宇佐神社があります。
宇佐神社は奥州平定を成した源頼義がその帰りに造営したと伝わる神社で、道路から少し上ったところに建っています。小さな神社ですが、境内はよく整えられ気持ちいい。このうしろの森は、5〜6世紀のものと考えられている八幡塚古墳。
環状八号線を渡ると、九品仏駅方面へ向かう道はちょっとした商店街になっています。
店先の商品などを覗きながらのんびり進んでいき、九品仏駅を過ぎると、次の交差点から浄真寺に続く松並木の参道が始まります。
突き当たりにある浄真寺の総門までやってくると、空を集団で移動する鳥が。よく見るとその色が黄色から黄緑で、鮮やかなのにびっくり。これはワカケホンセイインコというものだそうで、ペットで飼育さてていたものが逃げ出し、繁殖してしまったものだそうです。お寺にインコという取り合わせがまた、かなり面白い。
さて、インコを眺め総門をくぐって閻魔堂で怖い顔の閻魔大王さまとにらめっこしたら、その先に立つ六地蔵に手を合わせます。六地蔵は、それぞれに六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)の入口に立ち、衆生の救済をするというありがたいお地蔵さんです。
左に曲がると大きな仁王門をくぐります。
仁王門の突き当たりには三つの阿弥陀堂が建ち、それぞれに三体ずつ、合計九体の阿弥陀様がおられます。
こんなふうに九体も阿弥陀様がおられるのは、京都の浄瑠璃寺とここだけだそうです。
これらの阿弥陀様には極楽往生の九階層を表す上品上生(じょうぼんじょうしょう)などの名前が付いており、これらをあわせて九品というそうです。ここからこの寺は九品仏と呼ばれるようになったとか。
ここにも本堂はありますが、本尊はこれらの阿弥陀様のようで、九体のうちの一体が本堂に置かれるようです。
九品仏で本日のイベントはすべて終了。最後は賑やかな自由が丘に出て、駅前の伝統的な居酒屋であがり。
今日は30kmに満たないポタリングでしたが、野川沿いには豊かな自然が残り、見どころもたくさんあって、朝から晩まで目一杯楽しむことができました。