今日はまず、美ヶ原高原から絶景の日本アルプスを眺める予定。ところが昨夜の天気予報では朝9時ごろから曇りとなり、そのあと少し雨がパラつくらしい。早朝だけは晴れてくれ! そう祈りながら眠りについたのでした。
早5時に目覚めると、空にはまだ青みがあるものの、だいぶ雲に覆われてきています。時が経つにつれ、その青みがどんどんなくなっていき、6時にはすかり白くなってしまいました。昨夜の予報より少し早く天気が崩れ出しているようです。あ〜〜ぁ。。。
山を見るなら水蒸気が上がらない朝が一番です。私たちの宿では早朝、日の出ツアーと北アルプスが眺望できる王ヶ鼻(おうがはな)散策ツアーがあるというので、昨夜、後者に申し込みをしていました。これは朝食前に王ヶ鼻までバスで連れて行ってくれるもので、大助かり。しかし今日はダメですね。
しかしまあ、せっかく申し込んだんだし、どうせ朝食まではやることもないので、行ってみることにしました。
6時15分に宿を出発。宿から王ヶ鼻までは4kmほどですが、美ヶ原の中は砂利道で、かなり急勾配のところやちょっとした悪路もあるので、バスでもそれなりに時間がかかります。ガタゴトとバスに揺られること15分。王ヶ鼻の入口に到着です。
王ヶ鼻は美ヶ原高原の西端に、台地から突き出たようにしてあります。
王ヶ鼻の入口から王ヶ鼻までは歩いてすぐ。先にもっこりした岩の塊のようなものが見えてきました。あそこが王ヶ鼻です。
そこには『美ヶ原高原 王ヶ鼻 標高2,008m』と刻まれた石碑が建っています。
ここの岩は薄い板状のものが積層されたような板状節理です。これを建築材料として使用すると鉄平石と呼ばれるものになり、かつては屋根材として、また床石などに使用されました。
その上にはなぜかお地蔵さんが立ち、小さな社もあります。私たちをバスで送ってくれた宿の主人によると、かつて松本の人々は高い山でもっとも南にある御嶽山を信仰したそうで、その御嶽山まで行くのは大変だったため、代わりにここにお参りしたのだそうです。
その松本の街がうっすらと下に見えています。しかしお城ははっきりしません。
晴れていれば、晴れていれば、この先に北アルプスが見えたのに。。。
まあ、これでまた美ヶ原に上る口実ができたかな。とサイダーが宣う。
アルプスは見えませんが、近くの山並みだけでもけっこう絵になるところです。
『ここのところずっと晴れていて、山がきれいに見えていたのに、今日は残念だったね。』と申しわけなさそうに主人が言い、帰りに、美ヶ原の最高峰の王ヶ頭(おうがとう)標高2,034mに寄ってくれました。
ここにも神社があります。これも御嶽山信仰のものでしょう。ちなみに王ヶ鼻と王ヶ頭の名称は、松本から見るとそれぞれ鼻と頭に見えることから名付けられたものだそうです。
宿に戻って朝食を済ませたら、さっそく松本に向けて出発です。ここは山の上なので、下より天気がくずれるのが早いからです。
8時15分、美ヶ原の宿を出発。するとすぐに雨が降り出しました。こりゃあいかん、急げ〜。 と言ったら、ジークが雨装備をしていないという。なんとまあ。。
そんなこんなで出遅れに出遅れ。まあ今日は時間だけはたっぷりあるから、いいか。
美ヶ原はもう少しすると美しい緑の草原になり、牛が放たれます。しかし残念ながら牧畜農家は減少し、牛の数はかなり減ってしまっているそうです。
美ヶ原の天辺にはもの凄い数の電波塔が建っています。なんでもここで、東京タワーや富士山からの電波を中継して、全国に送っているのだそうです。せっかくきれいな山なのに、この乱立はちょっと残念ですね。
さて、その電波塔団地までは激坂です。ここは自転車を押すのも大変。
王ヶ頭をかすめ、王ヶ鼻への分岐から進路を北に取り、美ヶ原自然保護センターまで下ってきました。
ようやくここから舗装路です。この美ヶ原自然保護センターあたりからの眺望もいいそうですが、この日は望むべくもなく、さっさと下り出します。
下り出すとすぐ、左手に谷が延びているのが目に入ります。
この谷をどんどこ下ると、松本の東に出るようです。
美ヶ原自然保護センターからの道は美ヶ原高原道路(r62美ヶ原公園沖線)。この道、サーッと下って、穏やかに上り返します。
周囲が白いのは霧というよりは、雲の中へ突入したためで、霧雨状態。ところが頂上付近では、まともにこの雲の中に入ってしまい、ほとんどホワイトアウト。もちろんそこは霧ではなく雨つぶが。まったく視界がきかず、ちょっと怖い。
美ヶ原高原道路はピークを越えると、やや下って美ヶ原スカイライン(林道美ヶ原線)に合流します。
美ヶ原スカイラインという素敵な名を与えられたこの道は、晴れていればきっと景色がいいのでしょうね。
しかしこの日は視界が利かず、僅かに視界が開けても、見えるのはごく近くの山だけでした。
美ヶ原スカイラインは松本までずっと下りです。
この道の印象は、スカイラインというよりやっぱり林道と呼んだ方がより相応しいような気がしました。
写真は明るいところで平坦基調ですが、森の中に細かなヘアピンカーブが続くところがたくさんあります。この日は天候に恵まれなかったのですが、お天気の日はなかなかいいのではないでしょうか。
長〜い、長〜い下りを経て、美鈴湖に到着。この下りは12km。しかもうねうね道だから本当に長いです。
美鈴湖は農業用に造られたものだそうですが、湖面にデッキが渡され、そこで釣りを楽しむ人々の姿がありました。
美鈴湖から北に延びる谷です。その先には幾重にも山が重なっているようです。
美ヶ原を含むこの一帯は松本の東に位置し、中信地方と東信地方を隔てる筑摩山地です。信州の山はどこも深い。
さて、美鈴湖の畔で一服したら松本へ向かいます。
ここから松本へ下るには今下りてきた美ヶ原スカイラインをそのまま行ってもいいのですが、私たちは美鈴湖の西から南へ延びる林道湯ノ原線を使います。この林道の方が鄙びていて自転車向きのように思ったからです。
ただしこの林道は、初っ端、美鈴湖から高度で60mほど上らなければなりません。その出だし部分には桜がまだ大分残っていました。
その後は林道らしい快適な下りになります。上部は松林とまだ芽生えぬ広葉樹、下方は初々しい緑の木々に覆われています。
美鈴湖から30分近く下るとようやく、下に松本の街が見えてきました。
ほとんどなんにもない美ヶ原から下りてくると、ここはまったくの別世界に思えます。
久しぶりに道が平らになり田畑の中を進んで行きます。
振り返れば、今下りてきたばかりの山と、美ヶ原スカイラインへ上る谷が見えます。今朝出発した美ヶ原はこの山並みのずっとずっと右手にあります。
松本の中心部までは、小川沿いに自転車道が設えられていました。
このあたりは一般道でもあまり交通量はないのですが、自転車道ならさらに安心して進めます。
松本城付近までやってくると、雨。ついにやってきてしまいました、この時が。しばらく様子を見て今後の対策を検討しようと、近くのそば屋に飛び込みます。時は11時。
天気予報によれば、午後二時過ぎには雨は止み、その後は晴れるようです。しかし二時までこうしているわけにはいきません。かといって、走るのもいやだな〜
計画では松本平を南下し、塩尻峠を越えて諏訪盆地に入る予定でしたが、ここは茅野まで電車で移動し、諏訪大社上社の二宮に参拝したあと、諏訪湖の畔の宿に向かうことに決定。
もちろんその前に、国宝松本城に立ち寄ったことはいうまでもありません。
松本から電車に揺られること50分。茅野に到着です。
走り出すとすぐ、大きな鳥居があります。これは間違いなく諏訪大社の参道を表すものでしょう。
ほどなく上川の神橋を渡ります。
川の向こうには、諏訪大社上社の二宮を抱える山が見えています。ここは南アルプスの北の端です。
二宮ある諏訪大社上社のうち、まず向かうは前宮(まえみや)。この本殿はR152から山に200mほど上ったところにあります。地図を見て諏訪大社上社前宮と書いてあるところに向かうと、道はひどく細い。
実はR152に面して入口の鳥居が建ち、これを入ると内御玉殿(うちのみたまどの)があり、本殿はこのさらに後ろという構成になっているのですが、私たちはこれを知らずに、横道から本殿に向かってしまったのです。
で、こちらの右手の小さな社が内御玉殿。内御玉殿はどうしたって『うちみたまでん』としか読めませんが、正式には『うちのみたまどの』と呼ぶそうです。
左手の大きな建物は十間廊(じっけんろう)。柱間が十間あるから十間廊。
この内御玉殿と十間廊の間の階段を上ると普通の道路に出ます。その道を100mほど行くと本殿の正面に至ります。写真左端に第三の御柱が見えています。この三之御柱の脇には『水眼の流れ』という清流が流れています。
有名な諏訪大社だから境内はもの凄く広くて、周囲には広大な森が広がってるのかと思っていましたが、少なくともここは違いました。
ところでここは前宮。前宮なら後宮もあるのか、と考えたくなりますが、それはありません。
この『前』はどうやら本宮(ほんみや)より『前』、つまり本宮より以前からあったお宮という意味だと考えられているようです。
諏訪大社は本殿を持たないといわれており、上社の御神体は背後の守屋山だそうです。しかしここは拝殿のうしろに本殿という、よくある構成のように見えます。その本殿に見える屋根は諏訪神社でよく見かける流造ではなく、切妻屋根です。
これはあとの三宮を見てわかったのですが、ここで拝殿に見えるのは拝門で、そのうしろの本殿に見えるものが拝殿のようです。
ここは諏訪大神が最初に居を構えたところで、諏訪信仰発祥の地と伝えられているといいます。
諏訪大社といえば御柱ですね。御柱は各宮の中心を囲むようにして、それぞれ四本立てられます。
この四本には順位があり、一之御柱から四之御柱までとなっていて、一之御柱が一番長く、以降だんだん短くなっていくそうです。ちなみにこの柱の樹種は樅と決まっているそうです。
六年に一度(七年に一度といわれるが、これは七年目の意)立て替えられる御柱を山から里へ曳き出す山出し(木落し)は、その豪壮さで知られています。
その激しさを伺わせる跡が御柱に残っています。柱は綺麗な方を良く見える側に配置しますが、その後ろ側を見ると、ざらざらした平らな面を見ることが出来ます。これが山の斜面を引きずり降ろされた、生々しい傷跡です。
こちらが前宮でもっとも長い一之御柱。
諏訪大社上社の前宮と本宮の間には、神長官守矢史料館(じんちょうかんもりやしりょうかん)があります。
かつて諏訪神社上社には神長官という神官の一つである役職があったようです。守矢家はその神長官を明治時代まで勤めてきた家とのことで、その敷地内にこの史料館は建っています。
一風変わったこの建物、屋根は美ヶ原の王ヶ鼻で見た鉄平石と天然スレート、壁は藁入りの土壁と木板、床は土のタタキというもの。
そして外観上もっとも目を引くのは、入口に立てられた四本の柱。ん〜ん、御柱?
この建物はそう大きいものではありません。一階にロビー展示室と常設展示室、二階に収蔵庫だけです。
入口を入ると正面に、先に行くほど細くなる階段。これは空間を広く見せる、だまし絵的な効果を狙ったものでしょうか。その先に見えるのは跳ね上げ式の木製梯子で、通常は跳ね上がっています。これも空間を広く見せるためでしょう。まあ、あと遊び心?
ここにあるのは諏訪神社の祭礼に関するもので、古文書が多いそうです。これらはほとんど私たちには解読不能ですが、武田信玄の書状がたくさん残っているようです。
ロビー展示室では、前宮の十間廊で行われる御頭祭(酉の祭り)の復元展示がされています。この祭事は、かつては鹿の首70頭余りを供えるものでしたが、現在は剥製の首三頭で行っているそうです。
これは同敷地内にある御左口神社。御左口はミシャクジと読むようです。というより、ミシャクジに御左口という漢字を当てたのでしょう。柳田國男はミシャクジを、もとは大和民族に対する先住民の信仰、といっているようです。それはともかく、御左口神は諏訪大社の神事では非常に重要な役割を果たしていたそうです。
このすぐ近くにはミシャクジが降りる木があるといい、その周辺は縄文時代の墓だったことがわかったそうです。神社の四隅には御柱が立っています。このように御柱は諏訪大社の四宮のみではなく、そのゆかりのある神社にも立てられるのです。
御左口神社の南西の畑の中には、神長官守矢史料館を設計した藤森照信の遊び心いっぱいの作品が二点あります。
『空飛ぶ泥舟』と高過庵(たかすぎあん)。
飛んだ泥舟。茶室です。中に入ってみたい。
屋根は手もみ銅板。煙突がかわゆい。
米誌タイムの「世界で10の危険な建物」ベスト9位の栄冠に輝いた。
ちょっと高すぎたかな。。。 これも茶室だって。
近々、低過庵を造るそうな。
さて、藤森遊びはおしまい。諏訪大社上社本宮へ向かいます。
鳥居をくぐり表参道を行くと、正面に石橋と銅の鳥居が見えてきます。上社本宮に到着です。
前宮と違い、この境内は一ヶ所に纏まっていて周囲は深い森。歴史ある高名な神社が持つ独特の雰囲気がすでに伝わってきます。
本宮にはこの表参道以外に北参道があり、そちらにも大鳥居が建っています。
この北参道の鳥居の内側は広く開けた空間で明るく、表参道側とは対照的な雰囲気です。
元に戻って、表参道の石橋を渡り、銅の鳥居をくぐると布橋門。その横には二之御柱が立っています。
そのさらに横には樹齢千年ともいわれる大ケヤキが。
布橋門の先には屋根の付いた布橋が架かります。
これをどんどこ行くと、左手に二つの宝殿があり、その間に弊拝殿前の斎庭とを隔てる小門が建っています。
布橋を渡り切り塀に沿って進むと、左手に塀重門が現れます。
これは北参道の鳥居の正面に位置しています。
塀重門のさらに先にこれとまったく同じ門が開き、ようやく参拝所の前に辿り着きます。
参拝所は一般の参拝者が入っていくことが出来る最後の社殿で、ここで奥に控えている幣拝殿に参拝を行います。一般的な神社では参拝を行う拝殿は立派なことが多いですが、この参拝所は華美な装飾はなく、かなりあっさりしています。
それに比べ奥にある幣拝殿は立派です。随所に豪華な装飾が施されています。
本宮は本殿を持たず、御神体として守屋山を祀っています。通常は御神体に向かって参拝するものですが、ここは南西にある守屋山ではなく、南東を向きます。その方角にあるのは前宮です。
参拝が済んだら引き返しますが、復路は布橋の下を行くことにしました。
一段高いところにある、長い建物が布橋です。
これは布橋の下にある神楽殿。神楽は現在ではお祭りの音楽と思われている方もいるかもしれませんが、これはその名のとおり、神様に奉納される歌舞です。
この神楽殿は建物も立派ですが、二基納められている大太鼓がすごい。これだけ大きなものは滅多にお目にかかれません。残念なのはここの神楽は途絶えてしまっていて、大太鼓も年一回、大晦日に打たれるだけになってしまったことです。
さて、これで諏訪大社上宮の参拝はおしまい。
参道の鳥居をくぐって諏訪湖へ向かいます。
諏訪は両側を山に挟まれた土地で、僅かな平地には田圃が作られ、上川あるいは宮川から分流した農業用の用水路が何本もあります。
その用水路の横をどんどこ行けば、
水が張られた田圃の先に、諏訪湖の向こう側の山並みが見えるようになります。
今日の午前中までは高所にいたので、これまで田圃に水が入っているのは見ませんでした。かなり標高が下がったここでは、すでに田植えの準備が整っているようです。
うしろには山並み。静かな流れの水路。民家の軒先には遅い桜が咲き、足元にはピンクの芝桜。
のどかな景色が続いて行きます。
諏訪湖の畔に出ました。広く穏やかな湖の先に、先ほどからずっと見えていた山が続いているのが見えます。しかし残念ながらそこには、期待していた北アルプスの姿はありませんでした。仕方がないのでここはさっと切り上げ、温泉へ。ということで諏訪湖から望む北アルプスは明朝に期待を。
結局この日は、本企画最大のイベントである美ヶ原高原から日本アルプスを望むという夢は叶わず、松本平を南下し、塩尻峠を越えて諏訪盆地に入ることもできず、ちょっと残念でした。しかしゆっくり諏訪大社上社にお詣りできたので、これはよし。
明日は諏訪大社下社にお詣りしたのち、この諏訪湖から流れ出す天竜川を下って太平洋の遠州灘へ向かいます。
◆ひとこと by 企て人サイダー
GWのメイン企画が天竜川と決まったところで、その前が空いているな、せっかくだから天竜川の前半で眺めることになる南アルプスと中央アルプスを別の角度から眺めようじゃないか。できれば北アルプスも観たい。そうだ、美ヶ原に上ろう。と思いついたのでした。
こうして、中央線沿いを北上してビーナスラインというルートができたのですが、これはちょっときつい。特に二日目の奥蓼科から美ヶ原までのルートは、まったくもってジオポタ向きじゃあない。でもGW企画は天竜川があるから、これは場合によっては単独で行ってもいいか。そう思いつつ一応案内を出すと、ジークとマージコから反応が。二人とも興味はあるけれど、ちょっと自信がないかな、という雰囲気。
ルートを少々アレンジし、上りをできるだけ押えて再提示すると、なんと二人とも参加ということに。結果、実に素晴らしいコースで楽しい旅になったのでした。やっぱり旅は相棒がいた方がいいね。
初日の八ヶ岳と甲斐駒ヶ岳は予想を遥かに凌ぐ素晴らしさ。これはお薦めです。二日目も前半は期待のとおり、南アルプスと中央アルプスが望めて満足。美ヶ原までもなんとか上り切れました。
三日目は美ヶ原で絶景の北アルプスを眺めるというのが第一の目的でしたが、これは叶わず、残念。しかも雨降りということで、急遽後半を茅野の諏訪大社上社に振り替えたのですが、これはゆっくり時間をとれて廻れたのが良かったです。一方がダメでも別の方は良し。なにか人生のひとコマようですね。