今日は天竜川サイクリングの最終日。諏訪湖から流れ出た天竜川は、213kmを旅して太平洋の遠州灘に流れ込みます。私たちはその流れを追い、300kmの旅を終えます。
静岡県立森林公園の朝は青空。
その青空の中、森林公園の森の中を行き、二俣のまちに向かいます。
森を抜けるとほどなく、天竜川の流れに出会います。
鹿島橋を渡り、
それに並行して架かる天竜浜名湖線の鉄橋と天竜川を眺め、
かつては鉄道が通っていたと思われるトンネルを抜けます。
このトンネルを抜け出たところが二俣のまちです。
裏通りにはクラシックな建物が残っているなと思いつつ、表通りに出ると、
そこは正直に言えば衰退した商店街で、良く言えばレトロな建物が並んでいるところでした。この通りは昨日、本田宗一郎ものづくり伝承館でいただいた地図によると、クローバー通りとあります。
写真左手に見える看板建築には『オーシャンウヰスキー』とあり、その外壁はオーク樽をイメージしたのか、板張りになっています。しかもコーナーにはRが取られている!
で、この店は今でも酒屋なのかというと、確かに入口のすぐ上には清酒の看板が掛かってはいるのですが、間口の半分はこんなです。
一瞬つぶれたスナックかと思いましたが、表にはそう古そうには見えない、赤い『お好み焼き、焼そば、はなこ』の看板(上の写真参照)が掛かっています。いや〜、なんとも不思議な感じ。
クローバー通りを北へ進むと、オーシャンウヰスキーの並びに、ここで唯一の木造三階建の陣屋旅館があります。
かつて二俣は天竜川の水運と秋葉街道により栄えており、たくさんの旅籠があったそうです。陣屋旅館もそのうちの一つで、昭和40年代まで営業されていたとか。
陣屋旅館の斜め向かいには、洋館の二俣医院が建ちます。
1916年(大正5年)年竣工だというこの建物は現役で、現在もここで診療が行われています。
二俣医院の真向かいはこれ。フジカラーの看板のカメラ屋さん、その名もセイコー時計店、黒い段々は何なのかわからねどのブティック。
特に変わったというものでもないけれど、何だかおかしい。
クローバー通りをさらに北へ進み、横町に入ると、『マルカワの蔵』という案内板が立っています。
マルカワの蔵は元の酒蔵を改装し、アートギャラリーとして使っているようです。この時は朝早くの時間帯だったため、ここも含め、すべての店のシャッターが閉まった状態だったのが残念でした。
さらっと二俣のまちを巡ったあとは、秋野不矩美術館へ向かいます。この美術館と二俣のまちの間に流れるのは二俣川。
ここに来て、さっきまで青かった空が厚い雲で覆われてきています。今日は午後、雨になるかもしれないとのこと。浜松まで持ってくれるといいけれど。
秋野不矩美術館は二俣川の東の山の入口にあります。二俣公民館の横にある専用のアプローチ道に入ると、赤やピンクのツツジが咲き出します。
そのツツジの横の急な斜面に、みょうちくりんな建物が現れ出します。崖の上の城のようでもあり・・・
急な坂道を上って行くと、建物の正面に出ました。
両側に三角形の屋根。真ん中はズドンとした四角い箱のようです。
四角い箱の壁はワラと土を混入した着色モルタルで土壁風、三角屋根の下の壁は天竜杉の板張り。三角屋根は諏訪産の鉄平石貼り。
壁からにょきっと突き出ているのは雨樋で、ヒノキとサワラの半丸太をくりぬいたものだそうです。
内部にも自然素材が多く使われています。床はホールがたたきに板張り。展示室は一階が籐ござ、二階は大理石貼り。壁は漆喰が基本です。
秋野不矩は美術に少し興味がある方なら大抵の方が知る、日本画の大家です。この時は常設展ではなく特別展が行われており、彼女の作品が少なかったのが残念でした。
秋野不矩美術館からは二俣川に沿って天竜二俣駅へ向かいます。
こうして見ると、二俣のまちが小高い山に囲まれているのが良く分かりますね。
天竜二俣駅には、今日はほとんど見ることができなくなった転車台があり、見学ができます。
私たちの中に特別な鉄道ファンはいないのですが、転車台はもう減っていくばかりなので、ここの見学ツアーに行ってみました。
ツアーの案内人によれば、天竜浜名湖線は、日本が第二次大戦に向かおうとする中、浜名湖付近で東海道本線が敵軍の攻撃により不通になった際のバイパスとするために建設されたとのこと。そして実際、そうした状況下で、この線には東海道線を通るはずだった列車が何本か通ったそうです。
1987年(昭和62年)に国鉄が手を引き、現在は第三セクターが運営していますから、当然赤字路線なのでしょう。駅舎は開業当時のものではないにしろ、古い木造で、現在もその一部が事務所などに使われています。蒸気機関車の時代に使ったという風呂も残っています。
こうした古い駅舎の間を通り抜けると、その奥に扇形車庫があります。
扇形車庫はその名の通り、列車の格納場が扇形に並んでいるのです。
転車台はこの扇形車庫の前にあります。
転車台は、蒸気機関車など基本的に一方向にだけ動く車輛の、方向転換のために使われます。この上に蒸気機関車を載せて、ぐるっと回して進行方向を変えていたのです。
ところがその後の列車は二方向に進むことが出来るようになったため、転車台は必要なくなったのです。
そのため、世の中から転車台はどんどん消えていったのです。現在国内で可動している転車台は30ほどのようで、この中には昨今のSLブームで蒸気機関車を復活させたために、転車台を新設した駅もあるそうです。
扇形車庫の横には鉄道歴史館があります。
これは半世紀ほど前の駅の執務室の中でしょうか。
現在はコンピューター制御でモニター状に表示される車輛の位置を示す装置も、かつてはこんなものだったのですね。
天竜二俣駅の転車台ツアーを終えたら、天竜川の川岸に出てその流れを眺めます。
諏訪湖を出て山に挟まれた伊那谷を下ってきた天竜川は、ここでようやくその山から開放され、大きな扇状地を作り上げます。ここから先の天竜川の上の空は、これまでと違ってとても広くなります。この川が昨日まで深い山合いを流れていたあの天竜川とはとても思えません。
ここから25kmほど下ると天竜川の河口です。天竜川の両岸にはちゃんとした道があるのですが、それはちょっと交通量が多そうなので、私たちはしばらくの間天竜川から少し離れ、田圃の中を行くことにします。
このあたりの田圃はまだ田植えの準備に取りかかったばかりのところが多いようです。
一面が赤紫色の畑。あまり見たことのない風景ですが、これは『しそ』です。
水が張ってあったりなかったりする田圃、赤紫色のしそ畑、そして緑の麦畑の中を抜けると、小さな川の土手に出ました。
この土手道は快適なのですがそう長くは続かず、すぐに地道になってしまったので、下に降りてまた田圃の中を行きます。
ここの田圃はたった今、田植えが終わったばかりで、きれいに苗が並んでいます。
向こうにある小高い山と田圃が良いバランスです。
天竜二俣駅から10kmほど走ったところで、先ほどの小川が天竜川に合流すると、私たちも天竜川の岸辺に出ます。ちょうどその先の河川敷には、河口まで続く左岸自転車道の起点があります。
そこでさっそく土手を下り、この自転車道をどんどこ。さて、その自転車道はというと、幅は5mほどで直線基調、路面状況良し。しかし川側は樹木が茂り眺望なし。自転車道というより、車が通らない普通の道を走っているような感じです。
このあたりになると天竜川はかなり広くなり、1kmを超えるようになります。
ちょっと天竜川の見晴らしがあるところに出たので、ここで弁当休憩です。
この自転車道は河口までの間にいくつも橋をくくり抜けますが、これはr261の天竜川橋。
こちらは東海道本線の鉄橋です。
ちょうどこの鉄橋をくぐろうとしていた時、東海道本線の列車がやってきました。なんとその車輛数はたったの三両。このあたりの東海道本線って、いつもこんなに車輛数が少ないのかしら。
先に巨大風車が見えてきました。この風車が見え出すと、河口まではもうすぐです。
河川敷にパラグライダーがたくさん広げられているところまでやってくると、道脇に『1.2km』の標識があり、その向こうに天竜川の河口とおぼしきところが見えます。標識の数字はおそらく海までの距離でしょうね。
そしてよく見ると、河口の先には堤防のようなものが見えます。そしてその東端の一部だけが切れていて、その先が海になっています。
この堤防のようなものは砂州でした。これはあまりに見事に河口を塞ぐようにしてあったので、はじめは人工的な構造物かと思いましたが、どうやらそうではなく、自然に出来たもののようです。
道がその砂州に近付き、ほぼ90度方向転換したところで記念撮影。ここが天竜川が遠州灘に流れ出す口なのです。
手前が天竜川、その向こうに砂州、そしてそのさらに向こう側が遠州灘。
左端で砂州がなくなり、天竜川が遠州灘に流れ込む口が見えます。この口、天竜川の幅に比べるととても狭くて、本当にここが天竜川の出口なのかと疑いたくなるような幅しかありません。
先ほどまで真っ白だった空に、所々青い色が見え出しました。お天気も復調ぎみで、私たちの天竜川完走を祝ってくれているようです。
213kmの旅をして太平洋に流れ込んだ天竜川を見届けたら、竜洋海洋公園内にある掛塚灯台に向かいます。
小高い緑の基部の上に、末広がりの円筒形の白い灯台が見えてきました。これが1897年(明治30年)完成の掛塚灯台で、中央に見える帯より下部はRC造、上部は鉄骨造のようです。出入口はグラウンドレベルにはなく、5mほど上がったところにあります。元は浜辺に建っていたそうですが、老朽化や地震対策のため2002年(平成14年)にここに移築されたそうです。
掛塚灯台の向こうには『風竜』という名を持つ、タワーの高さ60m、1枚の羽根の長さ40mの大風車が建っています。ここの空は青空!
ここで遠州灘を背景に、天竜川下り完走の記念撮影を。
掛塚灯台を背景にもう一枚。
竜洋海洋公園のボート乗場で一服したら、新掛塚橋で天竜川を渡り、右岸へ出ます。
その新掛塚橋から見た天竜川の河口です。
右岸に渡ったら、左岸の竜洋海洋公園方面を眺めます。
たくさん風車が並び、その中に背の低い掛塚灯台がかろうじて見えます。
『でへへ〜、天竜川、完走でけたで〜〜』 と、にっこり笑顔のジーク。
右岸の土手道を河口へ向かうと、左岸でも見た砂州がここでも見えてきます。
この砂州は右岸にくっついていて、陸続きになっているのが良く分かります。
右岸からも天竜川の河口を眺め、砂州の付け根をぐるりと廻るようにして浜松側の海岸線に出ました。
これまで走ってきた掛塚灯台から天竜川の両岸、そしてこの先に流れる馬込川に突き当たるまでは浜松御前崎自転車道の一部となっています。しかし現在、この浜松側の自転車道付近では大規模な防潮堤を造る工事が行われており、この先は通行止めのようです。
馬込川の先には中田島砂丘があります。東西4km、南北0.6kmほどの広がりがあるこの砂丘は日本三大砂丘の一つともいわれ、夏にはアカウミガメが産卵にやってくることもあり、それなりの観光地になっています。入口付近はよく整備されており、この時は観光客がたくさん来ていました。
この砂丘は天竜川によって運ばれた砂が堆積してできるそうですが、その天竜川にダムが造られたため、運ばれてくる砂の量が減少し、砂丘も減少を続けているといいます。
そこで流出する砂を少なくするために堆砂垣(たいさがき)の設置などの措置が取られました。しかしこれは基本的な解決にはならないそうです。
ここでは風紋が見られるらしいのですが、私たちが歩いた範囲では残念ながら、それとはっきりわかるものは確認できませんでした。これは条件の良い日、まだ人が足を踏み入れない時刻でないと見ることはむずかしいように思えます。
現在ここでは、砂丘を東西に突っ切る大規模な防潮堤の工事が行われています。高く盛土した上に砂を被せ、景観に配慮するそうですが、さて、どうなることやら。
砂丘の先の海岸までやってきました。太平洋に面した遠州灘は風が強く波が荒いと聞いていましたが、この日の海は比較的穏やかだったようです。
さて、中田島砂丘で本日のイベントはすべて終了。馬込川沿いの自転車道を辿り、浜松駅に向かいます。
この自転車道で中田島砂丘から高砂公園まで行くことができます。
高砂公園から馬込川に流れ込む水路沿いに入れば、この道も車が少なくまずまずです。
東海道新幹線の高架橋に突き当たると右手に遠くから見えた超高層ビルが現れ、それに向かって線路沿いを行くと、すぐに浜松駅に到着です。
諏訪湖から流れ出る天竜川を辿り、なんとかここまで走り切ることができました。
『やったぜい!』 のシロスキー。
『バンザーイ!』 のジーク。
『お疲れさまでした〜』 のサリーナ。
いや〜、今年のゴールデンウィークも楽しかった〜
◆ひとこと by ジーク
前日までの数々の上りを上った末に、最後のこれまたキツイ上りを上って泊った「森の家」は、上り甲斐のあるとても素敵な宿でした。豊かな緑の中にエントランス棟・宿泊棟・レストラン棟が渡り廊下で結ばれた伸びやかなつくりで、最後の夜を心地よく過ごすことができました。
天竜二俣には「秋野不矩美術館」が観たくて以前に一度訪れたことがあったのですが、天竜二俣駅の「転車台&鉄道博物館」は初めてでしたし、天竜川に流れ込む二俣川の右岸沿いの「まち」・・・蔵や歴史的な建築物・看板建築など見どころの多い「まち」にも再訪できて、すごく楽しめました。
天竜川沿いの道を河口めざして下り、やがて平野部の彼方にピーンと一本だけ目立って建つ「浜松駅ビル」が見え始めた時には「いよいよ終わりだ!」との感慨一入! 最後はその「浜松駅ビル」の1階にあるお寿司屋さんでの名残惜しい「打ち上げ」で、無事旅を締めくくることができました。
振り返れば数多くのきつい坂上りもあってこその楽しい8日間! その8日間をを走り終えて、充実感に満たされたわが人生の「忘れられない旅」となりました。こんなに魅力的な旅をさせてもらい、今はジオポタへの感謝の気持ちで一杯です! ありがとうございました! !