12月に入ると日本の紅葉は終わりとなり、クリスマスの季節になります。しかし東京近辺の紅葉は遅い。そこで紅葉狩りの第四弾を。前回は奥多摩でしたが、今回はそこから奥を取った『多摩』地区です。出発地の駅はその名も『多摩センター駅』。
多摩は東京のベッドタウン、『多摩ニュータウン』として開発されたところで、その第一次入居はこの東隣の永山駅周辺の諏訪・永山地区でした。そこからどんどん西へと開発されていくことになるのですが、ここ多摩センター駅周辺は多摩ニュータウン全体の都市センターという位置付けがされ、1974年(昭和49年)に京王線が、その翌年に小田急線が開通し、そして2000年(平成12年) には多摩都市モノレールの駅ができています。
開発される前のこのあたりは南多摩郡多摩村といい、丘陵地に集落が点在する農村地帯だったそうです。
そんな何にもないところに突然、団地ができ、駅ができ、スーパーデッキが架けられ、複合文化施設のパルテノン多摩が建てられました。周囲に何もなかったころの駅前からパルテノン多摩はとても遠く、そしてそれは本当にギリシャの神殿のように聳え立って見えました。
今日は多摩村だったころの雰囲気を残す所を走ります。
駅前はいつの間にか建物で埋め尽くされており、キティーちゃんのサンリオピューロランドもやってきて、今ではこの周辺は立派な都市に成長しました。
スーパーデッキを南へ進んで行くと、あのパルテノン多摩まではすぐで、それは今ではごく普通のビルディングにしか見えないから不思議です。
パルテノン多摩のうしろに廻り込むとそこは広々とした多摩中央公園で、広葉樹が最後の紅葉を見せています。
多摩中央公園の南には落合団地が広がっています。
新しく開発される都市では、計画的な交通網の整備が可能です。ここには歩行者専用道路のネットワークがあり、自転車もこれを使って快適・安全に移動できます。
交通量の多い南多摩尾根幹線道をオーバーパスすると、一本杉公園に入ります。
駅前からここまで、ほとんど車の道を通らずに来られるのはうれしいことです。
団地や公園もすでにかなりの歴史を持っているので、そこにある木々も立派に育っています。
一本杉公園にはケヤキとカエデの見事な紅葉がありました。
一本杉公園を出て恵泉女学園大学の裏を通り、妙櫻寺の駐車場から小径に入れば、その先が本日のメインイベント会場の町田市小野路町(おのじまち)です。
このあたりは多摩丘陵の原風景を残すところといわれています。
道は小さな畑の中を行く舗装路で、その畑の向こう側には、ナラやクヌギなどの雑木林がオレンジ色になっています。
浴びているのは朝日なのに、まるで夕陽を浴びているように見えます。
この道が下の道に合流すると、そこは布田道(ふだみち)と呼ばれる道です。布田道はかつて布田五宿(ふだごしゅく、現調布市)と小野路宿を結び、幕末には、調布生まれでのちに新撰組組長となる近藤勇が通ったとされます。
通った先は、どうやらこの下にある小島鹿之助(現小島資料館)のところだったらしい。 近藤はこの付近の若者たちに剣術を教えるため出稽古にやってきて、小島は近藤に漢学を教授していたそうです。
鎌倉街道の宿場町で、江戸時代には大山詣で賑わったという小野路ですが、そこを通る道はこんなに細かったのですね。
布田道を西へ進んで行くと『関谷の切り通し』があります。
むかしの道というのはみんなこんな調子でしたが、それが残っているのが珍しいというのが現代の事実。
ちょっともったいないですね。
関谷の切り通しから西へ下り、いったん都道156号町田日野線に出たら、そこからさらに西の山の中へ入ります。この先は、図師小野路歴史環境保全地域というものになっているようです。
森の中の細道の急坂を上ると、パッと視界が開き、小さな畑が築かれたところに出ます。
この畑はすぐにおしまいになり、道は再び森の中へ消えて行きます。
この森の中で、ボランティアの方たちが掃除をしていました。
きれいな森はこうしてなんとか守られているのです。
いったん万松寺谷の舗装路に出て、再び西へ向かえば、六地蔵があります。この奥には萬松寺が建っています。ここでお地蔵様の赤い頭巾の数をよく数えてみると、あれれ、七つある。どこでどうしたわけか、いつの間にか一体が追加されたようです。
地蔵尊の左にある四角い石には『左 大山道、星谷道』と彫られています。大山道は伊勢原にある大山阿夫利神社への道ですが、はて、星谷道とはな。星谷道(ほしのやみち)は坂東三十三観音札所八番の星谷寺への道らしいです。
この道標が示す左へ進むとすぐ、万松寺谷戸に出ます。谷戸はほとんどの場合奥が狭いのですが、ここは奥が広いという変わり者です。
道は万松寺谷戸を突っ切って急に上り出します。少しえっこらよっこらすると、
森の中に小さな畑がありました。
ねぎ、にんじん、キャベツ、白菜などが並んでいます。
ここからいよいよ小野路の佳境に入ります。森は相変わらず広葉樹主体の雑木林で、適度に陽の光が差し込むのが気持ちいい。
ただしこのあたりはちょっとした上りの上に、足元にはゴロゴロと石ころがそこら中にころがっています。
ここには12世紀に小野路城(小山田氏の小山田城の支城)が築かれます。その城址近くには、小町井戸という湧き水があります。湧き水といっても今は、ただの小さな水溜まりにしか見えませんが。
この小町井戸、小野小町が病にかかった時にここで目を洗ったら全快したというもの。小野小町がねぇ、どうしてここまで遥々やってきたのかな。。
道の西に一際小高いところがあります。そこが小野路城址のようです。
小町井戸の少し南にはこの城址に上る階段があり、それを上ると土塁や空堀が残り、主郭だったところに小さな社が建っています。
私たちはこの階段ではなく、小町井戸から南西へ向かい、ぐるっと廻り込むようにして小野路城址にアプローチしました。
上を見上げれば、高い木々が最後の紅葉をかろうじて残しています。
小野路城址からは『奈良ばい谷戸』を下ります。
このあたりには谷戸がたくさんありますが、奈良ばい谷戸は西側の谷戸の中ではもっとも大きなものです。
ここには炭焼小屋があり、その前には孟宗竹がたくさん積み重ねられています。
ここで焼かれるのはクヌギやナラではなく、竹のようです。
その前ではボランティアの方々が、藁ボッチを作り、籾殻を焼いています。
農業をする人がほとんどいなくなった小野路の自然環境は、今ではこうしたボランティアの人々によって支えられているのです。
下から奈良ばい谷戸の奥を見るとこんなふう。
奈良ばい谷戸からはひと山越えて都道155号町田平山八王子線に抜けるのですが、小山田緑地のすぐ南に細道があるようなので入ってみました。
右手には小山田緑地の見事な紅葉が見えています。
ところがこの道、畑の突き当たりでなくなってしまい、戻ってやり直し。
日大三高の前に出る細道にシフトします。
なんとか町田平山八王子線まで出て、日大三高入口の交差点から尾根緑道へ向かいます。
この道は穏やかな上りで、桜並木の向こうに紅葉した木々が見えます。
町田市の室内プールでトイレ休憩し、大賀藕絲館(おおがぐうしかん)までやってくると、ここが尾根緑道の入口です。
尾根緑道はここから多摩美術大学近くのR16までの全長約8kmで、これはかつて戦車のテストコースとして使われた戦車道と呼ばれていた道を整備したものです。
さて、ここから第二楽章の始まり始まり。
ここは緑道だけあり様々な木々が植えられており、春の桜の時期もいいのですが、この紅葉の時季も素晴らしいです。
序盤は桜を始めとするいろいろな木々が楽しめます。
そして短い車道区間を経ると、景色が変わってケヤキ並木に。
このケヤキ並木は南多摩斎場で終わり、また様々な木々が現れるようになります。
『ここはきれいやな〜、いい道やな〜』 と、いつも最後尾でみんなを見守るシロスキー。
『小野路にはびっくりしました。東京にあんないいところがあったなんて。ここもいい道ですね〜』 と、トレードマークのテンガロンハットを被るキルピコンナが行きます。
下には、カサコソ、カサカサカサ、と音をたてる落ち葉。
上にはどこまでも続く黄色と赤の紅葉。
前の空間が開くと多摩境駅周辺にある小山内裏公園に入ります。
この公園には多摩境駅を挟んだ東西の二ヶ所に展望広場があり、丹沢方面の眺望が開きます。
小山内裏公園の西の端までやってきました。
先には鑓水小山給水所の塔が建ち、その先に紅葉した小高い山が見えます。
ここで一旦車道に下り、それを渡って給水塔を廻り込むようにして進んで行くと、さらにその先に横たわる低い丘と多摩美術大学が見えてきます。
多摩美術大学の横をどんどこ行き、R16に出るすぐ手前で尾根緑道を離れて住宅地の端っこを下って行くと、ここから第三楽章が始まります。
『あれれ、道がなくなったみたいだよ。。』 そんなことはおかまいなしに、どんどこ先へ進むはサイダー。
『今日は多摩の自然を楽しむイベントだからね。』
『およよ〜、ここ、本当に行けるの?』 と、いつもサイダー道に苦しまされるマージコが仕方なしに続きます。
R16からは相原の住宅地の中を行き、中ヶ谷戸の上にある雑木林を抜けます。
JR横浜線の相原駅を廻り込むようにしてその西に出ると、そこはちょっとした高台になっており、南の眺望が開けています。
写真左端に見えるのは橋本駅付近にある超高層ビルで、右端には丹沢山地の末端が下りてきています。
境川まで下り、住宅地の中をどんどこ西へ進むと田圃の中に出ました。
ここは広田というところのようで、その名の通りにちょっとした平地に田圃が広がっています。
大戸の鄙びたそば屋で昼食後、城山湖に向かいます。ここからが第三楽章のクライマックスです。
大戸の先の雨降からは、コンクリート舗装にスリップ防止の○○が付いた雨降林道の激坂です。なんとこの道、上り出すとほどなく、右手に『22%』の標識が。およよ〜。。。
そこを果敢に攻撃するは、ビジターのタッちゃんと6速しかないブロンプトンのシュンシュン。お〜、スゲェ〜
もちろん他の面々は、こんなところは適当に押したり引いたりして上って行きます。押しても引いてもこの上りは僅か300mしかないので、なんともありません。
雨降林道の激坂が終わると、穴川林道に合流します。こちらの穴川林道は雨降林道に比べると勾配はずっと穏やかです。
雨降林道に続いて穴川林道もバリバリ行くタッちゃん。タッちゃんが乗るこのおしゃれな自転車は、な、なんと電動アシスト車だって。
なんでもタッちゃんはどこかの山で猿と格闘し、すべってころんで足を複雑怪奇骨折。只今そのリハビリ中だそうな。そんな時に電動アシスト車はいいですね。
前方にゲートが現れると穴川林道は終わり、本沢梅園に出ます。
その先で城山発電所を廻り込むようにして進むと、最後は直線のちょっときつい上り。この坂を上り終えると、城山湖を見下ろす絶景ポイントに到着します。
城山湖は本沢ダム(ほんざわダム)建設によってできた人造湖で、純揚水式の城山発電所の上池として使われています。
下池の津久井湖から、電力が余る夜間に余剰発電分の電力を使って水を城山湖に汲み上げ、昼間それを放水して、城山発電所で発電しているそうです。
城山湖から高尾方面に延びる高尾山の裾野にも、まだきれいな紅葉が見られます。
さて、城山湖の眺望を楽しむと、本日の最終楽章に入ります。城山湖からは穴川林道を下って、アイス工房ラッテに向かいます。
ところがこの下りで、サイダーが人生二度目のタイヤバースト。なんとか修理するも、1kmしかもたずに、あえなくここでリタイアとなりました。およよ〜
サイダーを除く他のメンバーはもちろんその後、おいしいアイスクリームにありついたのでした。
アイス工房ラッテからは法政大学の横を通り、殿入中央公園への細道を上って行きます。
企画者はおらねど、
『やっぱりこの道はサイダーの道だねぇ〜』 などと噂しながら、カントリーロードを楽しむ面々でした。
小さな川まで下り、もうひと丘越えて湯殿川に下ります。
湯殿川沿いには快適な遊歩道が整備されていて、これをどんどこ。長沼駅まで進みます。
今日のあがりは長沼公園の端っこにある焼き鳥や。みんなと離れたサイダーは輪行で長沼駅まで移動し、歩いて長沼公園へ向かいます。
ところが予定していた長沼公園内の道が、土砂崩れで通行止めになっていたので、別ルートを探し、公園の入り口で自転車班の到着を待つことにしました。
予定時刻ぴったりにやってきた自転車班がここで無事サイダーと合流し、いっしょに長沼公園へ向かいます。
元の予定ルートは遊歩道として整備された舗装路でしたが、今回行くルートは山道です。
まずは小さな沢を渡って森の中へ。
序盤は緩い上りでここは問題なく進みます。ところが、、、第四楽章は穏やかに終わるはずが、最後にとんでもないどんでん返しが待っていました。
すぐに階段が現れ、これがちょっとばかし続いてアヘアヘ。
『ここに来て階段の担ぎかよ=』 と、みんなの非難を一身に浴びるサイダーでした。
『いや〜、すまんすまん。でも今日は多摩の自然を楽しむルートってことで、、、』
いったん住宅地に出て、再び真っ暗な山道に入るとほどなく、本日の打ち上げ会場の焼き鳥やに到着。
『は〜、ようやく着いた〜』
『いや〜、今日はいろいろあたけれど、おつかれさまでした〜。カンパイ〜〜ッ!』
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