今年の冬は寒かったのに、3月に入って急激に気温が上がりました。ここに来て春は急速に歩みを早め、なんと3月17日には都心の桜の開花が宣言されてしまいました。どうなっているんだ、今年は。
ひとまずその話は置いておくとして、今回は冬のイベントの取りこぼしを。山梨県の巌道峠と神奈川県の綱子あたりを走ります。
私たちのクラブは自転車のクラブですが、時々自転車を降りてハイキングをすることもあります。山裾などを走っていて、偶然に良さそうなハイクング路を見つけた時などです。その道が自転車でも行けそうだったら、自転車を連れて入ることもあります。今回はそんなハイキングを伴う行程です。
このイベントに乗った五人が降り立ったのは、神奈川県の西の端にある藤野駅。このすぐ先はもう山梨県です。
藤野駅は相模湖のすぐ西にあります。駅前から下るとすぐ日連大橋(ひづれおおはし)です。橋の下には広い川が流れています。
相模湖の上流は桂川ですが、このあたりは相模湖とも桂川ともつかぬ広さで、地図上には相模湖から流れ出している川の名前と同じ相模川とあります。
日連大橋の先には秋川橋があります。
秋川橋だからその下を流れるのは当然秋川かと思ったら、さにあらず。これは秋山川。この秋山川は先ほどの日連大橋のところで相模川に流れ込んでいます。
秋川橋を渡ると道は上りになり、そのうち道端に彫刻が現れるようになります。この道は『芸術の道』で、全部で30点ほどの彫刻が設置されています。
少しえっこらよっこらして、葛原(とづらはら)で名倉から来る道に合流するとその勾配は落ち着き、周囲の畑には満開の梅が咲きだします。都心はすでに桜の季節だというのに、このあたりではまだ梅が見頃なのです。
北を見れば、あの山並みは陣馬山あたりでしょうか。
木々は芽吹きの準備を始めていて、山全体がほんのりピンク色に変わってきています。
ヘアピンカーブを廻ると道は再び上りになり、岩場の切り通しを抜けます。切り通しのすぐ先には金剛山の登山口があり、道はここでピークを迎えます。
このピークには峠の標示はありませんが、藤野観光協会のハイキングマップでは天神峠となっています。しかしこの天神峠は、本レポートのタイトルの綱子天神峠とは別のものです。このあたりには天神峠という名を持つところがたくさんあるようです。
天神峠を越えるとすぐに南の視界が開け、道は急激に落っこちていきます。
この下りの角度たるやそれはそれは大変なもので、ブレーキレバーをぎゅっと握り締めないといけないほどです。
どんどん下って日向(ひなて)を抜けると、急に目の前に小さな橋が現れます。
その下を流れるのは秋山川の支流で、底から険しい岩壁が立ち上がっています。ここはちょっとした渓谷の趣です。
この橋を渡るとすぐにr35に入り、森の中を進んで行きます。
川まで下ってしまったので、ここはまた上り。軽く見ていましたがスタートからここまでアップダウンが意外ときつく、この先がちょっと不安になります。
道が方向を変え南斜面に入ると前方が開け、先に秋山の集落が見え出します。
穏やかな下りに転じた道はいつの間にか幅員を広げていて、秋山川に沿って奥牧野の集落を抜けて進んで行きます。
鄙びた木造の前川橋に続く小径の入口には石碑がいくつか並んでいます。その中で一番大きな石には『萬霊塔』と掘られています。萬霊ですから、あらゆるものの霊を供養するということでしょう。
こうした古い石碑があるということは、この道が古くからある道だということですね。
秋山大橋が見えてきました。この下を流れるのは秋山川。秋山川は最初に秋川橋で姿を見せた切り、その後は流れる音を聞かせるだけでまったく姿を見せませんでしたが、ここでようやく再会です。
さて、この秋山大橋からいよいよ巌道峠への上りが始まります。
秋山大橋を渡ると奥牧野から見えた秋山の集落に入ります。この集落は段々田んぼがいい感じで、六月にもなれば青々とした稲が一面を覆います。
段々田んぼがあることからも分かるように、この集落内にはかなりの坂があり、ちょっとあへあへ。しかしその分、集落上部からの眺めはなかなかのものです。
秋山の集落を出ると、あとは巌道峠まで一本道が続きます。
その道はこんな感じで周囲には何にもなし。家もなければ見晴らしもありません。このあたりの勾配はあまりきつくなく道幅もまだ広いので、おしゃべりを楽しみながらゆっくり上り詰めていきます。
そんな道端に縄を頭に巻いた石が出てきました。かつてその表面にあったはずの文字はすでに読み取れなくなっていて、これがかなり古い石碑であることを伺わせています。この石のすぐ上にも、これより一まわり大きな石碑が置かれています。
この道は秋山と道志の久保をつなぐもので、この先にある巌道峠は甲斐国志に強盗坂や強盗峠の名で出てくるそうです。甲斐国志は江戸時代の1814年に成立しているので、この道は今から200年以上前からあることになります。
秋山と巌道峠の間には一つだけ集落があります。その安寺沢に入ったようです。
するとすぐに満開の梅の大木が目に入ります。その足元には、簡単な屋根に覆われた草葺き屋根の小屋が建っています。『郷蔵(ごうくら)』という聞き慣れないこの建物は米や雑穀の倉庫で、江戸時代に幕府の命令で全国の村々に設けられたものだそうです。
凶作の時にこの蔵の穀類を貸し出して、農民を救済したようです。
郷蔵の壁は厚板を積み重ねただけの質素なもので、一見校倉造りのように見えますが、角にかみ合わせの交差が見られないので、もっと原始的な構造なのかもしれません。
郷蔵のすぐ先には安寺沢橋が架かっています。
その下を流れるのは秋山川の支流の安寺沢川。
その安寺沢川に沿って集落は延びていきます。
金波美峠(かなみとうげ)へ至る道が分れると、その先で小さな橋を渡ります。
その橋の袂には人が描かれた石碑があります。人の下には『見ざる言わざる聞かざる』のような猿らしきものも。人は右手に輪っかのようなもの、左手にブーメランのようなものを持っています。ブーメランのようなものをキルピコンナは『魚?』と言っていますが、果たしてこの人が持っているものは何なのでしょうね。
この橋で民家はなくなり、道は森の中へ入っていきます。
先の橋で安寺沢の集落はおしまいかと思われましたが、少し進んだところに二軒の民家が現れました。ここが本当の安寺沢集落の末端です。
手前の民家には立派な蔵があり、かつての栄華を感じさせますが、この集落は一体どのようにして生計を立てていたのでしょうか。ぱっと思いつくのは林業ですが、さてどうでしょう。
集落の終わりから先は林道安寺沢線になります。道の幅員がぐっと狭くなっているのが分かるでしょうか。
ここまで来れば巌道峠まではもうひと息ですが、ここからが本当の始まりとも言えます。
さて、いよいよ林道安寺沢線に突入です。これまでおとなしかった道の勾配はこの林道に入った途端に急上昇で、アップアップしながらなんとか進んで行きます。
林道の上り口の標高は450mで巌道峠は790m。距離は3.8kmなので平均勾配8.9%とちょっとしたものです。
直線基調の道がヘアピンカーブに差し掛かると、そこには立派な石碑が建っています。
こうしたところに建つ石碑は大抵は林道の開通記念碑ですが、これはこの周辺の植林に関するものでした。
石碑を廻ると、足のあるサトちゃんとシュンシュンがダッシュ。
残ったキルピコンナ、シロスキー、サイダーはヨタヨタとなんとか上って行きます。
うねうねの連続カーブをこなし、道が穏やかな表情に変わると左手の視界が開け、これまで上ってきた谷が一望できるところに出ます。
春の芽吹きを控え、薄いピンク色に染まってきたこの谷の眺めは素晴らしいです。ここまで来ると巌道峠までの残り距離は600m。もうひと息です。
最後の力を振り絞って、えっこらよっこらとペダルを踏んで行くと、先に鉄塔が見えてきました。
その下に見える針葉樹の足元が巌道峠です。
巌道峠に到着。
この峠は切り通し状で見晴らしはありません。峠を思わせるものは駐車スペースの奥にある大小二つの石碑です。
右の大きいものは『巌道峠開通記念碑』、左の小さいものは『巌道峠拾遺之碑』で、開通記念碑の冒頭には次のように記されています。
道志、秋山二村は古代この周辺が、相模郷に比定された時代から、隣村として世に知られ、この峠についても、甲斐国志に、「強盗坂、秋山ヨリ道志村久保ニ越エル坂道ナリ アテラ沢ヨリ久保マデ一里余」と記され、両村の経済、文化の交流と通婚も行われて重要な道路であった。
続いて、車社会に対応すべく両村の努力により、20年近い歳月をかけて現在の林道が開通した旨が記されています。最後にある日付は、昭和六十三年六月二十八日。
巌道峠そのものには見晴らしはありませんが、峠の横の階段を上がった先の鉄塔の下からは、道志側に眺望が開いています。
見えているのは道志の谷で、その中に一つだけ集落がこちらを向いています。
あれは大室指あたりでしょうか。
そして視線を上に持って行くと、
見えた! 富士山!!
この鉄塔の下は少しスペースが開けていて、日向ぼっこやお弁当を食べるのにちょうどいいのですが、風がある日はちょっときついです。この日もそろそろ風が出てきていて、あまりゆっくりはできませんでした。しかしここで富士山が見られてよかったね、などと語り合いながら鉄塔から峠に戻ります。
巌道峠からは道志側へ下ります。この下りは切り通しの先にあるゲートから始まりますが、まずは先が見えないほどの急勾配でアワワ。そしてすぐにT字路にぶつかり、道は二手に分れます。左は林道野原線で右手はこれまでの林道安寺沢線のようです。
安寺沢線側には写真のような小さなスペースがあり、風の強い日は鉄塔ではなくこちらで休憩した方が良さそうです。
下りは林道安寺沢線を使ってみます。この線は比較的最近まで非舗装だったので、これまでは舗装路の野原線を使っていましたが、安寺沢でお会いした方がこちらも舗装されたと教えてくれたのです。
しかしこの安寺沢線の勾配たるや凄まじい。野原線もかなりのものですが、もしこれがダートだったら上りはもちろん、下ることさえ困難だったかもしれません。
ぎゅぎゅっとブレーキレバーを握りしめて、下って下って、まだ下ります。
なんとか圓福寺まで下ってきました。ここで下り疲れたので休憩です。(笑)
圓福寺からちょこっと下ると久保でR413の道志みちに出ます。
そこには『久保の吊り橋』が架かっています。下を流れるのは相模川の支流の道志川で、このあとしばらくはこの川沿いを下っていきます。
道志みちは山梨県富士吉田市と神奈川県相模原市を結ぶ国道で、観光地の山中湖へ抜ける一本道であることから、特に週末は大変な交通量で自転車向きの道ではありません。
しかし迂回路がないので少しの間、この道を下っていきます。
道志村の大渡までやってくると、道端に水汲み場があります。そのうしろにある案内板の冒頭には以下のように記載されています。
この水は昭和三十二年に故 出羽景正氏の発案で地区九人の男衆たちの協力のもと一ヶ月もの間、自らの仕事を休み、毎日山に足を運び約五百メートルに渡る水道管を大室山の険しい谷を三つ越えて、苦労の末、この大渡の地に引いた湧水です。
詰まるに、昭和三十二年にはこの地域に上水道が整備されていなかったということですね。
月夜野の食堂でお昼をとったら午後の部開始。ここから本日の第二部です。
いざ、綱子天神峠へ!
青根でいやな道志みちを離れ、此ノ間沢に沿って下って行くと水神橋を渡ります。この橋から見る道志川はエメラルド色できれい。
そしてその道志川に架かる大河原橋を渡ります。大河原の集落は道志川の左岸にあり南斜面なので陽当たりが良く、そこに咲く梅も満開です。
集落の先で激坂を上るとゲートがあり、その先は林道になります。現地では林道名は確認できませんでしたが、この線は巷では綱子大川原林道と呼ばれているようなのでここでもそう呼ぶことにします。
要熊鈴区間に突入です。あっ、熊鈴は民家があるところでは鳴らさない方がいいですね。熊鈴の中には鳴らないようにできる仕掛けを持つものもあり、これは便利ですよ。
森の中を行く細道をえっこらよっこらと上って行くと、荷台に犬籠を積んだ軽トラックが止まっています。乗っている方は狩猟者のようで、私たちが見ている前で森に犬を放ちました。もしかして熊狩り? まさか鉄砲打たないよね! この方の腕章には害獣駆除なんとかとあったようなので、もしかすると公的な機関の方かもしれません。
ゆっくりゆっくり上り詰めていくと、切り通しが現れます。
大川原天神峠に到着です。
ここの標識にはただ天神峠とだけ書かれていますが、あちこちにある同名のそれと区別するため、誰かがここを『大川原』天神峠としたのでしょう。私たちもそれに習い、ここを大川原天神峠と呼ぶことにします。
綱子大川原林道はこの先綱子の集落に抜けます。実は前回綱子の集落を訪れた際にこの林道を発見したのがきっかけで、今回の企画になったのです。その後の調査で、ここ大川原天神峠からは東海自然歩道が山の中へ延びていることが分かりました。しかもその東海自然歩道を自転車で行っている先人が数名いることを発見。先にはまたまた天神峠の名を持つ綱子天神峠があるといいます。
これは面白そうだ。しかし私たちの実力で行けるかどうかはわかりません。ここはフィールドを見て現地で決めることにしていました。
針葉樹林に覆われた東海自然歩道の入口付近はなだらかで良く整備されており、突入するのに困難はなさそうに見えます。ここから綱子天神峠を通り菅井へ抜けるまでは3km。まだ14時前ですから、全部押しても充分な時間があります。進めなくなったら戻ってくることも可能です。まあハイキングと思えば良いのです。
ということで、いざ、突入!
ところが入口からほんの少し入るとアップダウンが始まり、早くも押しに。その後は片斜面で転げ落ちそうなところが多く、ほとんど押しです。
10m乗って50m押し。そんな感じで進んで行き、いったん下って上り返すと突然目の前が明るくなり、周囲の針葉樹が広葉樹に変わります。
どうやら尾根に出たようです。入口から1km地点。ここでひと息入れます。
このあとは尾根を行くいい道が続き、ほぼ乗車可能になります。
ただし、両側が落ち込んだシングルトラックもあるので慎重にね。こういったちょっと怖いところは、サドルを下げて、いつでも足を地面に着けるようにしておくと、比較的安心して乗れますよ。
『やっほ〜 ここはいい道だねぇ〜』と、サイダー、サトちゃん、シュンシュンが行きます。
樹間からの眺めもいいです。
とにかくここは気持ちのいい道が続きます。
綱子隧道の真上あたりで分岐点に出ました。なんとここには車が止まっています。乗っているのは先ほどの狩猟者らしき人と同じグループの方ようで、無線でなにやらやりとりをしています。
写真は私たちがこれから向かう綱子天神峠方面を撮ったものですが、車はこの反対側、下に炭焼小屋がある道から登って来られるとのこと。
ここまで来ると綱子天神峠まではすぐです。
その綱子天神峠はこんなところ。地道ながら車が入って来られる道があり、ハイカーのためのピクニックテーブルが設えられています。
奥に見える石碑の左側が私たちがやってきた道で、右側にも小径が延びています。石碑のうしろの木の根っこには小さな木片がぶら下げられていて、そこに『綱子天神峠』と書かれています。この木片はその作りからして公的なものではなく、だれかこの峠を愛する方が付けられたのでしょう。
ここに大川原天神峠から綱子天神峠までの東海自然歩道を完走! だいぶ押したけどね。(笑)
この道、前半の針葉樹林区間は苦しかったけれど、後半の尾根道は素晴らしい道でした。全部乗ろうとするとかなり困難がありますが、ハイキングのつもりで進めば楽しめます。
さて、綱子天神峠からは菅井へ下り、道志みちに戻ります。
菅井で普通の道に出ると、あとは道志川までどんどこ下るだけ。
青野原で道志みちに出ますが、ここからは旧道があります。
新しくできたバイパスは車とモーターバイクがわんさかですが、旧道はほとんど往来なしで快適です。
今日の終着地は橋本です。津久井湖の北岸にはなかなかいい道があるのでこれを行くことにします。
先に津久井湖の向こう側に横たわる山々が見えてきました。ここでも梅の木が満開の花を咲かせています。
ぐわ〜んと下って津久井湖の上流に架かる名手橋。
ここは城山ダムによってできた津久井湖の尻尾のようなところで、津久井湖とも相模川ともつかないところです。
対岸にはこれから進む県道が見えています。
名手橋から左岸の東光寺までは激坂上りです。
えっこらよっこらしてその激坂をこなし、鄙びた県道に入ると道端に早咲きの桜が咲いています。河津桜でしょうか。今年の河津桜はもの凄く開花が遅れ、まだ見頃が続いているのです。
右手には丹沢山地の端っこがずっと先まで延びているのが見えます。
その下には紅白ピンクと三色揃った梅がいい感じです。黄色いのはレンギョウでしょうか。
津久井湖の北岸を行くこの道は県道なのですが、車の車幅規制ポールがあるほどで、車のすれ違いが不可能なところが多い、ほとんど山道のような雰囲気の道です。
ここには時々お猿さんが出てくるので要注意。
森を抜け、明るいところに出てくると、そこにはいろいろな花が咲いています。これは今盛りの梅。いい色のピンクです。
ここにはまだ花を開かぬ真っ赤な梅もありました。近くには真っ白なコブシや水仙も。
そしてこちらは桜。早咲きのそれですが、これは河津桜ではないように思います。何という種類でしょう。
この日は巌道峠も綱子天神峠の山道も良かったけれど、こうした花々が目を楽しませてくれた一日でもありました。春がいっぺんにやってきた。
三井から先に行くと津久井湖が良く見えるようになります。写真右端に写っている赤い橋は三井大橋。
ここからひと漕ぎして橋本に入りましたが、橋本駅周辺の開発の凄まじいことにびっくり仰天。私が知っている橋本は畑しかないところでした。いったいそれはいつの話だ?(笑) なんでも橋本にはリニア新幹線の駅が出来るのだそうです。
このコース、本当は秋の気配が残る初冬に行きたかったのですが、ズルズルと延びて春先になってしまいました。しかしそれが幸いして、まあ今年の異常気象のせいもあるのですが、思いがけないことにたくさんの花々を楽しむことが出来ました。何よりこの季節は、山が芽吹きの準備を始めているところがとてもいいですね。
巌道峠の北にある秋山と安寺沢の集落が、依然として日本の農林村風景を残しているのもいいです。綱子天神峠がある東海自然歩道は誰にでも薦められる自転車コースとは言えませんが、条件が整った日にハイキングのつもりで行けば、結構楽しめると思います。楽しかったな、あの尾根道!