城崎温泉の朝は晴れ。
宿の前に流れる円山川の向こうの山に、きれいな朝日が上がりました。
今日は観光地巡りでポタポタです。
とは言えスケジュールびっしりで、いつものように8時に宿を出発です。
まずは城崎温泉の大師山に登って温泉寺にお参りします。
昨夜ぶらぶらした大谿川(おおたにがわ)沿いの北柳通りを行き、
一の湯から湯の里通りに入ります。道の両側には温泉と温泉宿がびっしりです。
昨夜は浴衣姿の外湯巡り客でいっぱいだった通りも、まだ朝早いこの時刻には歩く人もまばらです。
城崎温泉にはそれぞれに特徴がある七つの外湯があります。湯の里通りが突き当たっておしまいになると道は右に曲がり、私たちが昨夜お世話になった、温泉街の一番外れの鴻の湯に辿り着きます。
ここは私たちの宿で、露天風呂が良いところ、と言ったら紹介してくれた外湯です。
鴻の湯のちょっと手前には薬師橋が架かり、その先に大師山山頂とを結ぶロープウェイ乗場があります。
このロープウェイ乗場の入口付近はポケットパーク状の薬師公園で、城崎の元湯と足湯があります。元湯は湧出温度81°Cととっても熱いので、触ったらやけどしますね。
さて、ここから私たちはロープウェイに乗らずに、歩いて大師山の山頂を目指します。
途中には温泉寺があるので、そうしたところを覗きながら登るのもいいんじゃあないでしょうか。
歩き出すとすぐ温泉寺の山門があり、
その奥に薬師堂が建っています。
薬師堂を覗いたら、その先から階段の上りが始まります。
この階段、序盤はほどほどでしたが次第に蹴上げが高くなり、ほとんど這うようにして登って行きます。
『この朝練、きついぜよ〜!』 と、全員ゼーゼー、ハヒハヒです。
階段を登り切ると大師山のほぼ中腹で、五色幕が掛けられた本堂の前に出ます。
この奥にはロープウェイの中間駅があるので、下からエッコラヨッコラしなくてもお参りできます。
本堂の裏手には多宝塔があるのですが、この多宝塔から先は階段ではなく、山登りになります。この山登りも結構きつくて、すぐにアヘアヘに。
いったん平場に出ると、そこには古い墓石のようなものが並んでいます。ここからしばらくの間は勾配が緩くなりますが、そのうちまた急勾配に。この先は石仏があちこちに現れます。
ロープウェイが真上を通るところに出ると、そこからは城崎のまちが一望にできますが、これは山頂からの方が眺めが良いので、あとで。
いくつかの石碑と石像が固まって置かれた先に、これまで以上のジグザグ急勾配が現れます。これが最後の上りです。
最後に一踏ん張りすると、どうやら大師山の山頂に辿り着いたようです。緩いスロープの先に奥の院があり、その前で眺望が開けました。
真ん中に穴が開けられた赤い四角形の板は『かわらけ投げ』の的です。かわらけは素焼きの小皿で、あそこにかわらけを通すことができたら、一願成就。
山陰地方から蟹がいなくなったら、それはそれは困りますよね。ここ城崎温泉は『かに王国』を宣言しているとか。
ということでこの山頂には、蟹に感謝の『かに塚』があります。その前でポーズを取るは、今日よりシロスキー改め、蟹が大好きなカニスキー。
ここは大師山山頂ですから当然山頂展望台があります。それはロープウェイ乗場の屋上でした。
城崎のまちの先に流れるのは円山川で、その左端に日本海がちらっと見えます。
山頂からの下りは、大師堂を経由し極楽寺に抜ける自然歩道大師山ハイキングコースを使うことも考えられますが、そのあとの時間を考えて、ロープウェイを使うことに決めていました。
山頂展望台で眺めを楽しんでいると放送があり、臨時のロープウェイが出ると言います。次は30分後のはずなのでこれに飛び乗りました。
さすがにロープウェイは速い。上るのに30分かかったところを僅か7分で下りました。
さて、自転車の準備を整えたら次の目的地の『ハチゴロウの戸島湿地』に向かいます。
ところがここでシロスキーがどうしても買いたい菓子があると言い出します。円山菓寮のかりんとうだそうな。
まあそれは通り道にあるので、寄ってみることにします。この円山菓寮はかりんとうの専門店で、何とかりんとうが30種類もあります。カリントウスキーがその中から二種を厳選。これ、今宵の酒のつまみだそうな。
さてさて、少々予定時間を超過しましたが、城崎温泉を出て円山川の土手を南下します。
城崎大橋を渡ると、その突き当たりが『ハチゴロウの戸島湿地』です。
ハチゴロウは2002年に大陸から遥々この地に飛来してきたコウノトリで、その飛来日が8月5日だったことからハチゴロウと呼ばれるようになったとか。
このことがきっかけでこの湿地は保全され、人工巣塔では2008年からコウノトリのカップルが毎年ヒナを育てているそうです。
ハチゴロウの次は玄武洞です。
円山川に沿うr548をどんどこ行くと、
道脇に何段にも積まれた石垣が現れます。ここが玄武洞公園です。
玄武洞公園には玄武洞のほか、青龍洞、白虎洞、北朱雀洞、南朱雀洞と、全部で五つの洞があります。
洞とは言ってもこれらは鍾乳洞のように自然にできた洞窟ではなく、玄武岩を採掘するための坑道・採掘跡で、人工的に造られた穴だそうです。
この季節、その入口付近ではシャガが満開です。私たちは玄武洞と青龍洞の二洞を巡るガイドをお願いしました。30分で2,000円/8人ですから、入場料と思えば安いものです。
さて、そのガイドさんによると、ここの岩は玄武岩なのですが、玄武岩の名はこの玄武洞にちなんで名付けられたそうです。ちなみに玄武洞の名は、玄武洞の柱状節理が、中国の伝説上の動物玄武の姿に見えることから名付けられたものだそうです。
ここの玄武岩は160万年前の噴火によって噴出されたマグマが冷却され、柱状節理となったもので、その断面は五角形や六角形をしています。この岩は切り出しやすく加工が容易だったことから採掘され、石材や漬物石として利用されるようになったといいます。先ほどまでいた城崎温泉の大谿川の護岸の石積みはここの玄武岩だそうです。
地中深くから噴出したマグマには様々な金属が含まれています。地球は地場です。ここの玄武岩にコインを近づけると、あ〜ら不思議、スーと吸い寄せられていきます。岩石が磁気を帯びているのです。
しかもここの玄武岩の持つ磁気は、現在の地磁気とは反対向きなのだそうです。松山基範が発見し、その時代、つまり今から260万年前から78万年前までの時期は松山逆磁極期と呼ばれます。私たちはこれをチバニアンで勉強しました。
さて、こちらが玄武洞です。現在見られる穴は二ヶ所で浅いのですが、大正時代ごろの写真を見ると、この手前にいくつもの洞が張り出していたのがわかります。いつごろか聞きそびれましたが、それが地震で崩れてしまい、現在の姿になったそうです。
ここで注目すべきは柱状節理の伸びる方向。穴の開口あたりは垂直ですが、右の穴の上はほぼ水平、左の穴の上は垂直より少し傾いているように見えます。マグマは様々な方向からやってきてここで急激に冷却されて固まったのです。
玄武洞のすぐ横にはちょっと面白い光景があります。
まず下には人工的に積み上げられた玄武岩の塀。その上に五角形や六角形の柱状節理の露頭、右側にはガチャガチャしていて、流れの方向がよく分からないマグマが固まったものが見えます。
こちらは青龍洞です。複雑に伸びる柱状節理が作り出す造形が面白く、最長のものは15mにも及ぶそうです。
青龍洞の名の由来は、このうねるような柱状節理が龍に見えるからということらしいのですが、どうですかね。
それはともかくここを見ると、地球の活動の一端が垣間見られたような気がするのですが、その活動を頭の中で再構築しようとしてもなかなか想像できないのが、もっと面白く感じます。
近くを流れる円山川は豊岡盆地を形成しています。この川は河床が浅く、勾配は1/10,000程度しかなく、どこまで行ってもあまり標高が高くならないそうです。
周辺には柳の木が植えられ、それが豊岡の柳行李(やなぎごうり)作りの原料となっているそうです。現在豊岡は鞄作りでも有名だそうですが、その元はこの柳行李だそうです。
玄武洞公園からはコウノトリの郷に向かいます。
この先、円山川の土手上には道があるのですが、そこは一般車通行禁止なので、r548の一本道になります。
豊橋市の端っこの船町を通過。
コウノトリの郷の入口近くにある蕎麦屋で昼食です。ここでちょっとしたアクシデントが発生。通りに建つ喫茶店に入ると、八名でしたら裏手の蕎麦店の方へ、と案内されました。喫茶店も蕎麦店も同じ方の経営のようです。そこでランチの定食を頼もうとすると、二時間掛かるといいます。え、二時間! とみんな目を丸くし、そんな時間はないと天麩羅蕎麦に変更です。
ところが、、、小鉢が出てきたきり、蕎麦はいつまで待っても出てきません。しびれを切らしたベネデッタが様子を伺いに行くと、厨房のおばあさんはただぼんやりしているだけで、先ほど私たちを案内した娘らしき人が戻って来ないと蕎麦はできないと言っているといいます。せめて何かつまみでも、と頼むと、おばあさんは畑にキュウリをもぎに行きました。ベネデッタが少々手伝ってこのキュウリは塩揉みとなって出てきました。これ、なかなかイケます。
キュウリを頬張っている間に娘がやってきて、ようやく蕎麦が出てきたのは入店から一時間以上過ぎた頃。もちろんベネデッタはその間、手伝いのしっぱなしでした。(笑) そそくさと蕎麦を平らげ、蕎麦屋をあとにします。まあ、この蕎麦もおいしかったですヨ!
大幅に時間超過でコウノトリの郷公園に到着。
日本のコウノトリは1971年に野生個体群が絶滅します。1986年には豊岡盆地で生まれ、飼育されていたコウノトリも死んで、日本のコウノトリは完全に絶滅します。1985年に旧ソ連からハバロフスク地方のコウノトリを譲り受け、その後繁殖に成功し、2005年に初放鳥が行われました。
まずは文化館に入ります。このエントランスにはコウノトリの剥製が置かれています。近くでみるとかなり大きい。
コウノトリは翼を広げると2m近くになる大型の鳥なのです。
文化館では毎時00分と30分に公開ケージの前で解説があります。
鳥インフルエンザの影響で、数日前までこのケージではコウノトリは見られませんでしたが、運良く3日前から見られるようになりました。このケージ内のコウノトリは翼を切られていて外には出られませんが、外からはやってくることができます。ここでは毎日15時に餌やりがあるので、その時刻にはコウノトリ以外にもたくさんの鳥たちがやってくるそうです。
鶴の一声という言葉があるように、鶴は鳴くことができます。しかしコウノトリの成鳥は鳴き声を出すことができないそうです。
その代わりにくちばしを激しく打ち鳴らすクラッタリングという方法でコミュニケーションを取ります。これは求愛や威嚇のために行なわれることが多いそうですが、このケージ内でも二羽がさかんにクラッタリングを繰り返していました。
公開ケージの横の屋外には人工巣塔が建っています。その上には雛を抱いたコウノトリがいます。
元々コウノトリは高い木の上に巣を作っていました。その直径は2mほどもある巨大なものです。しかし巨大な巣を作るのに適した木が見つからないと、電柱や煙突の上に作ります。こうした風景はヨーロッパで結構見掛けましたが、ここではより安全な人工巣塔がいくつか建てられています。
その下の田んぼでは一羽のコウノトリが毛繕いをしています。巣にいたコウノトリとカップルでしょうか。
間近にコウノトリを見られて満足満足と、コウノトリの郷をあとにすれば、外の田んぼで農作業中のトラクターの後ろにいるコウノトリを発見。しかしこの写真は無し。何故なら気づいた時は通り過ぎていたのです。まあ、この近くの田んぼでは頻繁にコウノトリが見られるまでになったということですね。
コウノトリの郷を流れていた鎌谷川沿いを河口に向かい、円山川の土手をどんどこ行きます。(TOP写真)
先ほどまで薄い雲に覆われていた空に青い色が戻りました。こうなるととても暑い。気温は28°Cもあります。
『休憩、休憩! ジェラート食べたい〜っ』 と、コウノトリの郷を出てからまだ一時間の経たないのに、周辺が騒がしくなります。
こう騒がしくては走っているどころではありません。
たまたまチェックしていたアイスクリームがある牧場のKANOボクに進路変更です。
田んぼの中をどんどこ行き、狩野牧場に到着。ここのショップは鮮烈な青い建物が目に眩しい。
ここへのアクセスはかなり良くないと思うのですが、どこからやってくるのか、一階はほぼ満員です。しかし二階にも席があるというので、私たちは二階に上がりしばし涼みます。ミルクミルクアイスクリームにご満悦は、昼食の蕎麦屋で活躍した我らがベネデッタでした。
KANOボクで身体を冷やしたら、円山川の支流の出石川沿いに入り、出石を目指します。
出石川の土手を降り田んぼの中をどんどこ行くと、いるか設計集団設計のちょっと変わった形の出石文化会館が目に入ります。
出石文化会館の横をかすめさらに進むと、どうやらまちらしくなってきました。
出石はかつては城下町で、そのころ整備された碁盤の目状の町割が現在も残っていることから、但馬の小京都とも呼ばれるとか。
出石城なきあとのこのまちのシンボルは辰鼓楼(しんころう)です。
辰鼓楼は、辰の刻(7時から9時)の城主登城を知らせる太鼓を叩く楼閣で、1871年(明治4年)に旧三の丸大手門脇の櫓台に建設されたそうです。その後大時計が寄贈されたあとは時計台として親しまれ、現在は三代目の時計が時を刻んでいるといいます。
昼飯処で大幅に時間を失った私たちは、出石のまちは少し省略して廻るほかありません。
ということで重要な見どころから廻ることにします。辰鼓楼の次に向かうは近畿圏最古の芝居小屋の永楽館です。
その永楽館はアプローチの仕方がわからず、西側から入ってしまいましたが、本来は東側からアプローチするのが正しいようです。
写真は永楽館入口から東のアプローチを見たところ。
しかしここで入口が分からずにちょっとうろうろ。現在の永楽館の入口は広いアプローチ道が狭まったところにあり、なんだかあんまり入口らしくありません。
ここは近畿圏で最古の芝居小屋だというので、その入口はもっと立派なものだと思っていました。1901年(明治34年)に開館だそうですから、今日まですでに100年以上の年月が経っています。長い年月の間に、この入口周辺は少し改変されたのかもしれません。
ここは現役の芝居小屋です。中に入ると、勘亭流と言ったか、所謂歌舞伎文字で書かれた役者の札や、かつての出し物のポスターが壁に掛けられています。
そして桟敷に出ると、お〜、さすがの貫禄。収容人数は368名とのことで、現存する日本最古の芝居小屋である金丸座の730席に比べると半分ですが、ここはここでなかなかの雰囲気です。一階の両サイドと二階は枡席になっており二階の上には古いデザインの広告看板がずらりと並んでいます。
ここは楽屋や地下の奈落も見学でき、廻り舞台やセリも見られます。廻り舞台には人が動かす押し棒も付いていました。
永楽館の次は家老屋敷です。何枚か前の写真がここの長屋門です。
この建物は外観からは平屋に見えますが、隠し階段で上る低い天井の二階があり、屋根上に逃げる通路もあります。
写真に見える壁の丸い開口は侵入者にいち早く気付くためで、天井が低いのは刀を使いにくくするためだそうです。
ここからは山の上に有子山城の石垣が見えます。
あの山頂付近は天守(詰の城)で、平常時は下の町で生活していたようです。
時は16時半を回り、主要な施設の見学はできない時間に入りました。あとは街中をぶらぶらしてお城に登るだけです。
これは地酒『楽々鶴』を造っている出石酒造の酒蔵で、土壁でできています。
観光協会のWEBペイジで見るここの写真はひび割れていますが、最近修繕されたようできれいです。
漬物のたくあんを知らない人はいないでしょうね。でも沢庵和尚はどうかな。たくあん漬けは沢庵和尚が考案したと伝えられています。
ここ宗鏡寺(すきょうじ)はその沢庵和尚が再興した寺で、通称沢庵寺とも呼ばれます。すでにこの時、その門は閉ざされていて参拝できませんでした。
出石明治館は1887年(明治20年)に郡役所として建造された建物で、木造の洋風建築です。
日本の伝統建築が建ち並ぶ出石にこの建物が建った時は、それはそれはモダンに見えたでしょう。
さて、出石の最後の見学場所はお城です。家老屋敷から見た有子山城の遥か下に有子山稲荷神社の参道があります。この参道には37基の鳥居が並び、社殿はこのずっとずっと上にあります。
お城なのになぜ鳥居を登って行くのか。有子山稲荷神社は、出石城の最上段にある本丸のさらに一段高い場所に造られた稲荷丸にあり、築城時(1604年)からそこに鎮座する城の鎮守なのです。
いつもいいかげんなジオポタですから、神社はいいよね、ということでこの参道を途中離脱。
本丸にある復元された隅櫓周辺を巡ってみました。その前には高い石垣があります。
石垣は往時のものが残っているそうですから、これがきっとそれでしょう。
お城から出石のまちを眺めたところです。
ここは重要伝統的建造物群保存地区に指定されているからか、高い建物も赤や青の屋根の建物もなく、とても整った印象です。
出石の観光を終え、本日の宿に向かいます。
写真は出石のすぐ西を流れる出石川と南の山並みです。出石はこんな山に囲まれたところです。
あまり代わり映えしないいつもの晩餐風景ですが、但馬牛?が二品が出てきたのが目新しかったです。ここまでは海の幸ばかりでしたから。
これはつまり、いよいよ山に入ってきたということですね。明日は先ほど見た山のさらに奥へと進んで行きます。
◆ひとこと by シロスキー
温泉街を朝から外湯めぐりの観光客の間を縫って8台が大師山ロープウエイの山麓駅に向かう
さて名目はハイキングだが いきなり階段だ(段数は数えなかった) 杖を片手(両手の人も居た?)にとにかく登り出す それもどこまで続くのか 中腹の温泉寺駅までの半分約1.5km その後は山道でハイキングらしい状態
山頂に到着すると蟹塚が するとロープウエイの係員が下りは乗車ですか 山頂には運転員は居ないので下から1番便が登ってこないと下れないですよ 予定と違う、展望台で城崎の温泉街を眺めていると放送があり特別に9時5分に臨時便を出して頂き8人貸切りだ ラッキー
昨日は閉店が早いので買えなかった”かりんとう”(円山菓寮) 9時30分開店で 先に1組待つていた 10分待ち 何と30種類あり、ベネデッタとマサキンは我を忘れて何個も味見をしている シロスキーは下記2点を2袋ずつ購入
1.三色梅鉢かりんとう
2.生姜丸かりんとう
この夜に男性陣は少し食べた、女性陣は口に入りましたか
◆ひとこと by サリーナ
城崎温泉、出石の町並みと見所が多いこの日ですが、私のこの旅のメインイベントは、実は「コウノトリ」。4/30はいよいよコウノトリとのご対面です。ワクワク。
城崎温泉を出発後、まずはちょっと寄り道してコウノトリの八五郎の巣の近くにお邪魔しました。幼鳥もいて、「わあ!いたよいたよ、かわいい〜」とつい興奮。コウノトリは繊細なので静かにしなければいけませんね。
そして昼食後に訪れたコウノトリの郷では、ケージの中にたくさんのコウノトリが歩き回っていてビックリ。すでに100羽を放鳥し、現在100羽を飼育しているのだそうです。
さらに、出石への道の途中の田んぼでは、何と田起こしするトラクターの後ろで土をつついているコウノトリを発見!
農作業のおじさんとは息もぴったりで、ほのぼのしました。日本では1970年代に野生種が絶滅したということですが、それ以前はこんな風景があたりまえのように見られたのでしょう。
というわけで「コウノトリ」には大満足でしたが、もう一つ。
今回は、この日の玄武洞と翌日の竹田城で地元のボランティアガイドさんをお願いしたのですが、自分たちだけで見てまわると気づかないところも熱心に説明してくれて、とてもよかったです。
(すぐ忘れてしまう自分には困ったものなんですが…)
私もリタイアしたら近所のガイドなんかをやってみたいな。