さて今日はジオポタ最終日、姫路城の見学です。開城時間は9時からですが、連休なので混むだろうと8時にホテルを出発。
自転車はホテルに預け、城攻めじゃ〜とはしゃぐのは、左からベネデッタ、シロスキー、サリーナ、キルピコンナ、シンチェンゾー、ムカエル。写真はサイダー。
ホテルからお城の入口までは1.5kmほど。
西に150mほど歩いて大手前通りに入ると、いきなり真正面にど〜んと姫路城が美しい姿を現しました。これには一同、大いに盛り上がります。「来てよかったね〜!」
姫路城はその400年の歴史の中で、戦にまみえることなく近代の戦災に遭うこともなかったため、天守や櫓、門などの保存状態が非常によいのだそうです。この美しいお城は1993年に世界文化遺産に登録されています。
大手門を入り、三の丸の広場を通って入城口前に並びます。開城まで約30分ですが、それほど長い列ではありません。よかったよかった。
いよいよ開城。入場制限もなく城内へと進みます。
まずは階段を上って菱の門へ。これは安土桃山様式のきらびやかな櫓門で、写真ではよく見えませんが、正面の冠木(門の左右の柱上部を貫く横木)に花菱紋が飾られていることが、門の名前の由来だそうです。
菱の門のあとは、いろはの順に門が設けられています。
「はの門」への通路では、大天守とその手前の西小天守、左の乾小天守が並んで迎えてくれます。姫路城は、大天守と3つの小天守が渡櫓(わたりやぐら)でつながって構成されています。
「はの門」を抜けると、目の前の石垣の上に「にの門」の櫓が立ちはだかる。
回り込んで石段を上っていくと、「にの門」の正面に出てきます。
「にの門」を抜けると、姫路城の天守閣が近づきます。
さらに門をくぐり、石垣と漆喰の塀に囲まれた通路を通り抜ける。
塀には狭間(さま)といって、矢や鉄砲を放つための穴が開けられています。ここには四角い狭間が並ぶ。
別の場所にあった三角の狭間。
狭間は正方形、三角形、丸形、縦長方形の4種類があり、姫路城に現存する狭間は997カ所もあるそうです。
いよいよ天守閣の中へ攻め入っていきます。天守閣は地上6階、地下1階の7層で構成されています。
ここは天守1階。結構広いね〜、と歩くベネデッタとキルピコンナ。柱上部の長押には、6枚の葉をかたどった「六葉釘隠し」が飾られています。
2階に上る。廊下の内側の板壁には武具掛けがつくられています。壁の木製のフックに槍や火縄銃が掛けられ、壁の上部の横木にある金属製のフックには、鉄砲の弾丸を入れた袋などが下げられたそうです。
城内では、アプリをダウンロードすると要所要所でアニメや実写の解説映像が見られます。シンチェンゾーがやってみると、ここでは武者たちが武具掛けから武具を手に取り駆け出す姿が。ふむふむ、なるほど〜
どんどん上へ。ここは3階で、1・2階に比べて天井が高く、内陣には地階から5階天井まで通された2本の大柱が見えます。
写真は東大柱。樅で継手なしの通し柱だったといいますが、昭和の大修理の際に、根元5.4mを台湾桧で根継ぎされたそうです。一方、西大柱は昭和の大修理の際に取り替えたもので、3階で柱継ぎされています。
3階の四隅には、武者隠しが設置されています。このスペース、実は上下2階になっているそうで、人ひとりがやっとの狭いスペースに隠れていたわけですね。
ここは5階。東大柱と西大柱は5階の天井まで通っており、天井を支える上端を見ることができます。
それにしても、階段は階を上がるにつれてますます急勾配になっています。
最上階の6階に着きました。内陣には竿縁天井が張られていて書院のような造り。
ここにある神社は姫山の地主神「長壁(刑部)神社」で、明治時代から祀られるようになったとのこと。
窓から北を見れば、渡櫓の屋根の向こうにシロトピア記念公園が広がっています。
そして、屋根の先端に鎮座するしゃちほこ。
こちらは東側。屋根の向こうにお堀、そして病院や学校などが見えます。
屋根は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせた本瓦葺。継ぎ目には屋根目地漆喰が施され、白く美しく伸びています。
東の屋根のしゃちほこです。
さて1階まで下りて、今度は小天守めぐり。東側の「イの渡櫓」に入ってきました。
お城の歴史など古い展示に見入るキルピコンナ。
窓の外には東側の櫓や土塀が連なっています。
そして先へ進むと、姫路城大天守の1/20の軸組構造模型がありました。昭和の大修理は史上初の解体修理だったため、こうした模型を作成して検討し工事に臨んだのだといいます。
さまざまな展示物もあります。これは瓦でしょうね。
この揚羽蝶の紋は、大天守を造った池田輝政の代表的な家紋だそうです。揚羽蝶の表現が斬新にしてちょっと不気味な感じ。
姫路城を中心とする町の模型もあります。
天守閣を出て、本丸(備前丸)にやってきました。
城内に入ってすぐに通った菱の門が眼下によく見えます。
そして、ここ本丸から見上げた天守閣はまた見事。
というわけで、斜め横から見上げた天守閣をバックにみんなで記念撮影(TOP写真も)。
こちらは正面から。
大天守、小天守と何層にも連なる屋根が変化に富んでいて、いろいろな方角からそれぞれに美しい姿を見せてくれます。
二の丸に下りてみると、年代ごとのしゃちほこの展示がありました。
明治と昭和で結構形が違うのは、技術の変化か、職人さんのこだわりか?
そして、石垣に注目してみるのも楽しい。
こちらの石垣の中にある四角い石は、墓石なのだそうです。石を調達するのは大変なので、墓石や石棺の使い回しも何カ所もみられます。
こちらは二の丸の「ぬの門」を通り抜けたところ。
石垣の中に大きな丸が2つとその間の縦長の石。何だか人の顔に見えますね。
そのすぐ横の本丸を支える石垣は、開いた扇の曲線を思わせるので「扇の勾配」と呼ばれています。
上に行くほど反り返り、敵が上りにくくするための工夫なのだそうです。
続いて菱の門の脇から西の丸に入り、櫓群・長局(百間廊下)に入っていきます。お城好きなシロスキーは、何度も来ている姫路城を今回も熱心に見学。
この建物は西の丸の外周を巡る長い櫓で、その窓から外を眺めてみると、
お城を囲むお堀の向こうに、姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」の緑が広がっています。
百間廊下を出たところから見た天守閣の西側からの眺め。大天守と小天守のつながりがよく見えます。
左手前に見える小型の屋根は「にの門」の櫓です。
姫路城見物を終えて城外に出ると、お堀に舟が浮かんでいます。どうやら観光客を乗せたボートクルーズのようです。
そのお堀の前を通って、隣にある姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」に入ります。
この場所は、発掘調査で1618年に本多忠政が造営した西御屋敷や武家屋敷、通路跡等の遺構が確認されたそうですが、1992年に姫路市制百周年を記念して、文化財の保全と活用を兼ねて、約1万坪の日本庭園として開園したのだそうです。
好古園に入って進むと、園内の御屋敷入口の門が現れました。
その奥に、御屋敷の庭があります。姫路藩主の下屋敷である西御屋敷があったこの庭は、姫山原始林を借景とした池泉回遊式の日本庭園で本園最大の庭です。そして、大きな池は瀬戸内海をイメージしたものだとか。
渡り廊下を進んでいくと、御屋敷の庭に眩しく輝く新緑のもみじと美しいせせらぎに目を奪われます。
その先には潮音斎という庭を愛でる建物があります。
この時はミニチュアサイズに仕立て直した着物の「ミニ着物展」が開催されていました。豪華な着物の数々、これみんなミニチュアなんですよ。
そして、観庭台から目の前には大池が広がっています。
今日はちょっと水が少ないようですが、正面には雄滝が優雅に流れ落ちています。
大池には錦鯉が、こちらも優雅に泳ぐ。
園内にはたくさんの草木が植えられていて、季節ごとに美しい花々を楽しむことができます。
これはまだつぼみですが、鮮やかな濃いピンク。何という花でしょうか。
これは対照的に真っ白のヤブデマリ。花びらは5つに分かれていますが、大きさが違いますね。
いろいろな山野草も植えられています。
綿帽子のような草を楽しむシロスキー。
好古園の庭と草花を楽しみ、竹林を行くジオポタ。
そうこうしているうちに時刻は昼に近づきました。お腹もすいたので、好古園を出て「姫路だから穴子でしょ!」と向かったお昼処で無事、穴子丼や定食などをおいしくいただきました。
GWジオポタの鳥取〜姫路6日間は、ここ姫路の昼食にて無事終了。ここからは東京方面に帰る者、神戸で残りの休暇を楽しむ者、GWの続きのポタへ向かう者と、それぞれの行程に分かれていきます。
そして、こちらは東京方面に帰る3人、左からキルピコンナ、ムカエル、シンチェンゾー。満面の笑みを浮かべつつ、新幹線での宴会に突入です。
日本海から瀬戸内まで横断し、海辺の絶景から山里の風景、お城巡りに銀山巡りと、いろいろな見所を堪能した6日間でした。