小豆島の二日目は、島の中核部を廻ります。
小豆島で現在一般的に有名なのはオリーブでしょうか。しかしこの島は醤油でもかなり有名で、関西圏では兵庫県の龍野と並ぶ産地です。小豆島の醤油造りの歴史は、今から四百年ほど前の江戸時代まで遡るそうです。
私たちが昨夜泊まったところは馬木というところで、醤油醸造所や佃煮屋が軒を連ねる『醤の郷(ひしおのさと)』と呼ばれるところの一角です。ということで、まずはこの『醤の郷』を散策。
宿のすぐ前には、築100年以上になる醤油蔵などが国の登録文化財になっている金両醤油があります。写真はその藤井家住宅の門。
今日までに、多くの醤油メーカーが機械化・大量生産という道を選んできたのに対し、ここ小豆島では伝統的な醤油造りをしている醸造所がいくつか残っています。この金両醤油もそうしたところの一つです。
金両醤油の奥にあるのはヤマサン醤油。こちらの醤油蔵と醤油醸造工場は近代化産業遺産に認定されています。
『どこも立派な建物でびっくりです。本当にこの中で醤油が造られているんですかぁ〜』 と、驚きのクッキー。
ヤマサン醤油の角からは、鄙びた馬木散策路が始まります。
奥に見える立派な門はヤマサン醤油の塩田家住宅で、これも近代化産業遺産。
馬木散策路を奥へ進むと、塩田家住宅に続いて正金醤油(ショウキン)があります。
この諸味蔵は築130年ほどで、『醤の郷』でもっとも古い建物だそうです。
こうした醤油蔵の先にオリーブ畑が現れました。小豆島のオリーブの歴史は1908年(明治41年)に国からオリーブの栽培試験を委託された香川県が試験園を設置したことに始まるそうです。当時、国は香川県のほか、三重県と鹿児島県にも委託したようですが、栽培に成功したのは小豆島だけだったそうです。
そんなオリーブの畑の中に奇妙なものが。『オリーブのリーゼント』瀬戸内国際芸術祭2016年出品作品。
『オリーブってこんな木なんですね。始めて見ました。ところでこれ、なんですかねぇ。クジラ?』 と、クッキー。クッキーはリーゼントを知らないのでした。そう言えば今時、リーゼント、誰もやっていませんね。サイダーはその昔、実はリーゼントだった。(←ウソかマコトかは?)
オリーブ畑を横目に細道を上って行くと、小さな今坂池に出ます。
ここでやってきた方角を振り返ると、山吉醤油(廃業、現正金醤油)の諸味蔵と煉瓦の煙突が見えます。
馬木から苗羽(のうま)地区に入ると、そこには小豆島最大の醤油メーカー、マルキン醤油があります。
私たちは県道からではなく東側からアプローチしたので、まず巨大な天然醸造蔵が見えてきます。
この醸造蔵は今もって現役で可動しており、中には100個もの杉桶があり、もろみが静かに発酵しているそうです。
醸造蔵の横からやってきた側を見ると、先には昨日周囲を廻った碁石山が見えます。
県道に出ると、マルキン醤油記念館があります。
ここには醤油の造り方などがわかる展示があります。この日は無料でラッキー。
マルキン醤油の創業は1907年(明治40年)。
この記念館は大正初期に建てられた合掌造りの圧搾工場を改装したもので、国の登録文化財だそうです。
創業時から使われたという大桶(おおこが)をくり抜いたトンネルを抜けると、大豆を蒸す甑(こしき)があります。その下は湯を湧かす巨大な鉄の釜。
この隣には、小麦を炒る大鍋の焙烙(ほうろく)が並んでいます。
巨大な梁のような木材は、てこの原理で醤油を搾り出す圧搾機で棒締機というもの。
このほか、大豆、小麦、種こうじを混ぜ合わせたものを寝かせてこうじを造る二階建て構造のこうじ室(むろ)や、昔は男たちが『もろみまぜの歌』を歌いながら作業したという、一年間もろみをねかせて熟成させるための、直径2m以上もある大桶などが陳列されています。
これは古いコマーシャル・ポスターですが、なかなかいいですね。ちなみにマルキンのマーク、丸に金の文字は、金比羅さんの紋を頂戴したものだそうです。
記念館を出たら、新しい圧搾工場を見学します。それは記念館のすぐ横にありましたが、内部に金属製のタンクが並んでいるだけで、あまり面白くありません。
マルキン醤油ではもう一つ見学すべきところがあります。
それは4号天然醸造蔵で、最初に私たちが通った長い醸造蔵の後ろにあります。写真右端に写っている丸金マークが掲げられている建物がそれです。
この建物の外部の一部にはデッキが架けられており、外から内部の様子を伺うことができます。
そこにずらりと並ぶ大桶はかなりの迫力。
上の写真では大きさがわからないので、記念館に展示されていた写真を載せておきます。この写真には内部で作業をしている人が写っているので、桶や蔵の大きさが分かるでしょう。
醸造蔵の見学を終えたら、記念館横の物産館で醤油ソフトクリームをいただきます。
『ん〜〜、これはちょっと微妙な味ですねー』 と、クッキー。
さて、マルキン醤油からは安田地区のヤマロク醤油に向かいます。
安田大川に沿って北上すると、先に寒霞渓あたりの山が見えます。
安田地区では石垣(練り塀)が多く見られますが、これは安田大川の氾濫から家を守るためにつくられたものだそうです。
安田大川を離れ、栄光寺の東の坂を上って行きます。
すると、一軒の住宅の前に大きな木の桶が置かれています。この、ほとんど住宅にしか見えないところがヤマロク醤油です。ヤマロク醤油はマルキンなどに比べ、とても小さな醤油醸造所なのです。もろみ蔵は住宅に見える建物の前庭、この写真の右横すぐのところにあります。明治初期に建てられたもので、国の登録文化財だそうです。
小さな小さなヤマロク醤油ですが、意外や意外、ここにはちょっとした数の観光客が来ていました。来るまでは、今日は営業しているかな、見学させてもらえるかな、と心配していたのですが、そんな必要はまったく不要でした。
もろみ蔵の横の小さなスペースでは、小豆島初だという元祖しょうゆプリンや、アイスクリームに醤油を垂らして食べる『醤油かけかけ♪』などがいただけます。
ここの蔵は小さく狭いので、見学は少人数のグループ単位で行われます。五代目当主が自ら案内してくれました。まず一階で、ここの醤油造りの概要が説明されます。
伝統的な造り方であること。そのためには、木の建物に土の床、土の壁が必要で、杉の桶でなければならない。こうした条件が揃うと、建物に住み着いた酵母菌や乳酸菌が自然においしい醤油を作り出してくれるのだそうです。蔵は菌の住処なのです。ですから、新しい建物ではダメだそうで、古い建物を改修したり、少しずつ増築をしていくほかないのだそうです。
杉の桶には蔵にいる菌が自然に着いて、上の写真のような状態になります。一見腐っているように見えますが、ここで大切な菌が暮らしているのです。
梯子のような狭い階段を登ると、そこにはもろみが詰まった桶が並んでいます。醤油独特のあの匂いが、ツーンとではなく、ほんのり匂っています。柱のすぐうしろの桶はちょうど発酵を始めたところで、ポコ、ポコッと音を立てるようにして泡を出しています。実際、もう少し全体の発酵が進むと、音が聞こえるそうです。
もろみ蔵の見学を終えたら出口で醤油の味見をします。再仕込み製法による鶴醤、丹波の黒豆を使った菊醤、どちらもおいしいです。
私たちがここヤマロク醤油に来ることにした理由は二つあります。一つは昨夜泊まった宿で出てきた醤油がとてもおいしかったから。もちろんそれがヤマロクのものだったことは言うに及びませんね。(笑)
もう一つは、絶滅危惧種の杉桶を自ら作り始めたと聞いたこと。酒や醤油の醸造には欠かせない木の桶ですが、その作り手はほとんどいない状況で、たったの一社になってしまったのだそうです。そこでその桶屋に弟子入りして、自らの手で桶を造り出したのです。
最後に大桶に入って記念撮影です。この大桶がどれくらい大きいかというと、こんな。直径は人の背丈を遥かに超えます。
ヤマロク醤油で醤油関係はおしまい。
ここからは草壁港に出て、内海湾を西進します。
『ヤッホー、ついに海に出ましたね〜 素敵な海の色、小豆島に来た甲斐がありました〜』 と、満面の笑みのクッキー。クッキーは海好きなのです。
クッキーのうしろ、内海湾の向こうに見えるのは碁石山。
空は青い。海は蒼い。素晴らしい天気です。
しかし、、、風が強い! それも西風。ウィンドブレーカーがバサバサと音を立てます。ペダルを回しても回しても、なかなか前に進みません。
白いタイルの歩道をなんとか進んで、オリーブビーチに到着です。
この山側には観光名所になっているオリーブ公園とオリーブ園がありますが、そこまではちょっと上らなければいけないので、安直な私たちはこれはパス。(笑) ここでしばし海を眺めることにします。
ビーチでは昨今流行のスタンド・アップ・パドル・サーフィン(SUP)を楽しむ人々がいました。ところが彼らを良く見ていると、一向に前に進みません。それどころか逆にうしろに下がってしまうものも。風、強いんです。。
SUPを眺めたら、海辺の遊歩道を進んで行きます。
ここには堤防に魚網が並べられていたり、その先の浜にハマヒルガオの群落があったりと、楽しい。ところでハマヒルガオの芽って食べられるって知っていました? 全体は薬草に使われることもあるそうですよ。
小さな漁港には漁船がいっぱいです。
このあたりの地名は竹生と言うそうです。これ、たけお、ではなく、もちろんチクショウでもなく、タコって読みます!
タコで小川を渡ったら、ちょっとだけ上りになります。坂道の上に強風向かい風で、全然進みません、、、
しかし眼下には、これまで辿って来た内海湾がよく見えるようになります。いい眺め!
道は穏やかなアップダウン。昨日の東海岸に比べたら決してきつい坂ではありません。海も良く見えます。
ブルー・アジュールとターコイズ・ブルーとエメラルド・ブルーが混ざった海が目を楽しませてくれます。
でも、風が、、、 この写真で海面がうねっているのがわかりますか。
長崎と小蒲野の間で標高50mほどの小さなピークを越えます。竹生からここまで3kmしかないのに25分も掛かってしまいました。風のせいです。いえ、貧脚のせい、、、
『や〜、やっと下りになりましたね〜 下りだったらガッツポーズとれますよ〜』 と、元気回復のクッキー。
ほぼ標高0mまで下ると、空はうっすらと曇り始め、海の色から青が消えています。
あれれ、今日の天気は晴れのはずじゃあ、、、
蒲野の集落を通り越すと、花寿波島(はなすわじま)が現れます。
ここは朝日の名所だそうで、二つの小島の間から顔を出す朝日の絵が想像できますが、この時、太陽はほぼ真上の雲の中。あんまし絵になりませぬ。
今向かっているのは小豆島最南端の釈迦ヶ鼻。
花寿波島の南の谷尻からは、これまでで一番の上りが始まります。向かい風の中を、わっせ、わっせ、と上って行きます。
標高120mのピークをなんとか越えて下り出します。
海の向こうに見えるのは香川県本土。
釈迦ヶ鼻の先端には地蔵崎灯台があります。
手前の電波塔がじゃまですが、せっかくなので立ち寄ってみました。しかし灯台の足元までは行けず、眺望もよくなくて、ここは少々がっかり。
地蔵崎灯台からは下りです。
豪快にぐわ〜んと下って、崩鼻に上り返し、
そこから神浦までまた下ります。
小豆島は地形が複雑で海岸線の出入りが大きく、刻々と周囲の景色が変わっていくところが面白い。今先に見えるのは、神浦の先にある長者鼻でしょう。
このあと小さな半島の権現崎の根本を突っ切って神浦に入ります。
神浦の集落を抜けると、そこからはまた上りが始まります。
この上りの入口にちょっとした墓地があり、その隅にこんなピラミッド状の塔が建っていました。無縁仏の墓石を集めたものでしょうか。クッキーによれば、島部にはこんなものが結構あるそうです。そして島の墓石はみんな海を向けて建てられるのだとか。
『へ〜、そ−なんだ〜。知りませんでしたぁ〜』 と、クッキーの口癖が移ったサイダーです。(笑)
この上りは長者鼻の付け根の富士峠まで続きます。またまたちょっとえっこらです。
富士峠を越えると、池田湾が一望にできます。空に青色が戻って来て、海にも少しだけグリーンが戻って来ています。
富士峠から吉田までは下り。そして吉野崎と観音崎の小さな二つピークを越え、室生に入ります。
時は13時半。昼飯時をだいぶ過ぎましたが、ここでようやく昼食です。小豆島には飲食店は数えるほどしかありません。ここまでの行程ではオリーブ園あたりを最後に、この室生までの間それらはまったくと言って良いほどないのです。
室生には『道の駅小豆島ふるさと村』があり、その中の『手延そうめん館』で小豆島名産の一つのそうめんが食べられます。潮風に晒された小豆島のそうめんはとてもおいしいそうです。で、そのそうめんですが、自転車乗りとしては、やっぱりおかずがほしいかな。。(笑)
しかしクッキーはこのそうめんが大変気に入ったようで、家族のお土産用に一箱ご購入。
室生の道の駅を出ると、沖の鼻を越えて池田に入ります。
空には太陽が戻り、海の色にも輝きが戻りました。
池田には『池田の桟敷』と呼ばれる石垣づくりの桟敷があります。長さ80m、高さ18m、6〜8段の階段状で、祭りの見物席として築かれたと考えられていますが、詳細は不明のようです。写真、取り損ねました。
池田からは池田大川沿いを遡り、中山地区へ向かいます。
日が照り出したら、暑い暑い。県道に出ればその照り返しがよりきつくなり、そそくさとウィンドブレーカーを脱ぎ捨てて半袖になります。
先には段山が見えています。中山地区はあの山の向こう側です。
ということで、ここからはちときつい上りです。
『暑い〜、きつい〜、長い〜〜』
よろよろ〜っとピークに到着したら一気に殿川まで下ります。
このまま県道を行けば中山の集落ですが、川沿いにちょっとしたダート道を見つけたサイダーはすかさずこれに入って行きます。サイダーはこんな道が大好きなのです。
『え〜、ここ、行くんですかぁ〜。私、無理かも。。。』 と、ダートは超が付くほど苦手なクッキーです。
クッキーは案の定、このあと、押したり、引いたり、乗ったりと忙しい。しかしそのうち道はほどほどの田舎道になります。
川沿いの田んぼを横目に進んで行くと、対岸に棚田が現れました。あれが中山の棚田でしょう。
小豆島は平場がとても少なく山がちなので、田んぼはほとんどがこうした棚田になるのです。
いったん程よいダートに落ち着いた道は、いつしかまたワイルドになっています。
ここは鬱蒼と生い茂った木々がまるで深い森のようですが、これでも川辺の道です。
殿川を渡って対岸に出ると、中山の棚田の下に出ました。
道脇のこの田んぼは、ちょうど田植えが始まったところです。
中山の春日神社の境内には、茅葺き屋根の歌舞伎舞台があります。
ここの歌舞伎は今から300年ほど前に、お伊勢参りに出かけた島の人々が上方から伝えたとされています。
歌舞伎舞台からひと上りすると、棚田が上から見下ろせます。このあたりは『中山の千枚田』と呼ばれているようです。
水が入っているところと土が見えているところは田んぼですが、緑色に見えるところは耕作放棄されたところ、または畑に変えられたところです。
この全面に水が入ったらきれでしょうね。
千枚田を眺めたら、ビューンと下って、
伝法川から引かれた用水に沿って田んぼの中を下ります。
ここは中山のすぐ隣の集落、肥土山(ひとやま)です。ここにも歌舞伎舞台があります。若干形態は異なりますが、中山のそれと共通する点が多いようです。離宮八幡神社の境内に建っており、茅葺き屋根です。見物席は緩い12段の階段状桟敷になっています。
ここの歌舞伎は例年5月3日に行われるので昨日やられたはずなのですが、一日経ったこの日、その気配はまったく残っていませんでした。ああ、残念。
午後の日差しは強く、少々疲れてきたのか、眠くなってきました。ここまで予定より50分も遅れてしまっているので、終盤はショートカットすることにして、しばしこの歌舞伎舞台の前で昼寝休憩します。
『よく眠れました〜 元気復活しました〜』
20分もすやすやとおやすみになられたクッキーがようやくお目覚めになられたので、(笑) 今日の終着地の土庄(とのしょう)へ向かいます。
田んぼの中にひっそりと佇む肥土山農村歌舞伎舞台をうしろに、田んぼの中を下って行きます。
黒岩で伝法川沿いに入ると、うしろには寒霞渓に続く山並みが見えます。(TOP写真)
最終日はあの山並みの合間を縫って寒霞渓に上ります。
伝法川を下っている途中、最終日に立ち寄る予定にしていた『宝生院の真柏』があるのを思い出したので、寄り道することにしました。
真柏(しんぱく)とは深山柏槙(みやまびゃくしん)の園芸名だそうです。って、ますます分からなくなりますが、これはヒノキ科の常緑低木でイブキの一変種だそうな。
『宝生院の真柏』は根元の周囲17m、樹高20m。とてつもなく巨大で、推定樹齢は1,500年とも言われるものです。
根元でいくつかに枝分かれし、幹はよじれ、表層は柔らかい部分は腐ってか筋張っており、瘤やささくれなどで覆われています。木のある部分だけを切り取って眺めてみても、そこには人の顔が見えたり、あるいは不思議な生物が潜んでいるように感じられます。この木はちょっと恐ろしくもありますが、超ド級の迫力があることだけは間違いありません。
さて、『宝生院の真柏』を眺めたら、このあと予定していたエンジェルロード、樹齢千年のオリーブ大樹、重岩は全部カットし、終着地の土庄へ直接向かいます。
土庄に入ると世界一狭い海峡だという土渕海峡を横切ります。この海峡の一番狭いところは9.93mだそうですが、両側からデッキが迫り出していてそれよりうんと狭く感じます。全長2.5kmとこれも短いですね。まあ、見てもあまり面白くはありませんが、ここが世界一狭い海峡ってことで。
今宵の宿は土庄港のすぐ傍です。港で明日の豊島行きのフェリー乗場を確認して、宿に入ります。
実はここ土庄の本町一帯は迷路のまちとされ、結構面白そうだったのですが、なんだかすっかりくたびれてしまっていて、巡る元気がなく、これもパスしてしまいました。ちょっともったいなかったかな。
宿に入って、サブーンと一風呂浴びて横になったら、疲れていたのか、うとうとしてしまいました。夕餉の時刻をだいぶ過ぎてしまったようで、係の方に呼びにこられてしまいました。もっともクッキーはそんなことはまったく知らなかったようで、のんびりと風呂に浸かっているのでした。
さて、振り返れば今日は風に苦しめられた一日でした。しかし、午前中の海はとてもきれいで、瀬戸内を充分に感じられるものでしたし、『醤の郷』はとても勉強になりました。そうそう、マルキン醤油記念館は醤油造りの全体像を把握するのにちょうど良く、ヤマロク醤油は直接もろみ蔵の中に入って、間近に発酵現場が見られるのが良かったです。これはどちらも捨てがたいですね。
午後の部は暑く、きつい坂もあったのでちょっと大変でしたが、棚田と農村歌舞伎舞台の織りなす風景は味わいがあって、これもなかなか良かったです。
さて、明日は豊島に渡ってアートと鄙びた集落を巡ります。風がないといいのですが。