しらびそ高原の朝は晴れ。今日はいい天気です。
5時半に外に出てみると既に日は昇っていて、北に中央アルプスがうっすらと見えています。
朝食を済ませ、出発準備を整えて再び中央アルプスを眺めると、先ほどまで薄ぼんやりとしていた頂の雪がはっきり見えるようになっていました。
空気が澄んでいればあの向こうに北アルプスも見えるのですが、この日はそれは残念。
中央アルプスの反対側、南側には昨日は夕日を浴びていた南アルプスが、今は逆光の中に頂を並べています。
二つのアルプスを眺めて満足げな面々は、左から、サトちゃん、シュンシュン、企て人サイダー。
昨夜私たちがお世話になった宿はこのハイランドしらびそ。
山頂の一軒宿で結構立派です。
今日はしらびそ高原(1,918m)から下栗の里(1,000m付近)まで下り、急斜面にへばりつく集落を眺め、さらに下って上村(かみむら)で『まつり伝承館』を覗き、赤石峠まで上って飯田に抜けます。
しらびそ高原を出ると、下栗の里までは尾根付近を行くので眺めがよろしい。この道は『南アルプスエコーライン』と呼ばれているようです。
3.5kmほど行くと、『御池山(おいけやま)クレーター』の標示があるところに到着。
ここはある谷の始まりのところですが、遠い遠い昔、ここに隕石が落ちたらしい。隕石なんぞはどこにでも落ちるだろうと思いますが、日本で隕石が落ちてクレーターとなった場所はここ以外に確認されていないそうです。つまり、今のところここは日本で唯一の隕石クレーターなのです。
とは言っても、素人がぱっと見た目にはまったくそれとは気が付きません。現地の案内板や、今日の出発地のハイランドしらびそ内にあるクレーターの展示施設で勉強して、なんとなくここがそうなのか、と思う程度です。
この御池山クレーターの展望所からは南アルプスが良く見えます。
このあたりの山々は標高が低いものばかりで3,000m級のものはありませんが、それでもみんな2,000mを超えています。南アルプスも深い!
御池山クレーターを眺めたら、どんどこ下ります。空気が澄んだ朝のこの下りは気持ちいい。
南斜面を走っていた道が北斜面に入った辺りから、森の中を行くようになります。
すると道の勾配がぐんと増して、激坂下りに。ブレーキレバーをぎゅっと握りしめないといけないほどの強烈な下りの上、路面もこれまでより荒れ気味になります。
こちら側からは上りたくないな〜
リムの発熱でタイヤが解けてしまわないか心配になるころ、道脇に突然『天空の里ビュ−ポイント(おおぎびら展望台)』の標識が現れます。
ここはぼーっとしていると通り過ぎてしまうような、何の変哲もない所です。
小さな車一台が止められるスペース(駐車禁止)の横に駐輪させてもらい、森の中に延びるアプローチ路でヴューポイントに向かいます。
このアプローチ路がまたかなり凄い。急斜面の針葉樹林の中に、無理矢理人一人が通れるくらいの道が造られています。森の中を歩くこと15分ほど。特に開けたというところでもない、これまでの道とあまり変わらないところに、簡素な狭いデッキが設えられていました。なんでもこの展望台とアクセス路はこのあたりの住民の手によって造られたものだそうです。
階段を四五段上ってデッキの上に立つと、見えた!
谷に向かって落ちる急斜面の森の一部が切り開かれたようなところに、ヘアピンカーブを繰り返す道が通され、その横にへばりつくようにして民家が建っています。あれが、天空の里、日本のチロルなどと形容されることもある下栗の集落です。それにしても恐ろしいほどの急斜面です。
谷の向こう側にはどこまでも延びていく山、山、山!
たっぷりこの眺めを楽しんだら、やってきた針葉樹林の中の道を戻り、すぐ下にある高原ロッジ下栗まで下ります。
ここの標高は1,100m。出発地のしらびそ高原から一気に800mも下ったのです。ここでようやく森が開けます。高原ロッジ下栗は宿泊施設に加え、はんば亭という蕎麦屋とトイレ、そして駐車場がある下栗の里観光の拠点となる施設です。
その前から西をみれば、どこまでも続く山。
そして東を見れば、どこまでも続く山、山、山。(笑)
山の襞が深い!
高原ロッジ下栗から少し下ったところにある食事処『いっ福』に駐輪させてもらい、下栗の集落の散策を始めます。
するとほどなく急斜面地にへばりつく民家と、そのうしろにある小さな茶畑が見えてきます。この地区の最大斜度は38°もあるといいますが、ここがそうでしょうか。とにかくもの凄い角度で地面が落っこちていっています。
茶畑ではちょうど茶摘みが始まったところでした。なんと家族総出で手摘みしています。
ここは標高が高いので、八十八夜よりだいぶおそい摘み取りです。この地域のお茶は生産量が少ないので知名度はあまりないのですが、知る人ぞ知る最高級のお茶が穫れるそうです。
茶摘みを眺めさらに下っていくと突き当たりに拾五社大明神があます。ここ下栗を含む遠山郷の各村には霜月祭りがあり、独特のお面を被って祭事が執り行われます。
このヘアピンカーブを曲がると、下に民家が折り重なって見えます。いよいよこの先からヴューポイントから見えたつづら折れが始まります。
視線を上げると前方に、南アルプスの聖岳(3,013 m)、兎岳(2,818m)あたりが見えます。この景色は南アルプスの最深部といって良いでしょう。
振り返れば、Z字を描きながらガードレールが上って行っています。
そうそう、ここは下栗の里なので栗の木がたくさんあります。(笑) いえ、そんなにたくさんと言うほどではないかもしれませんが。遠目には白い栗の花が咲いているのかなと思う木がありました。
でもこの木は栗ではありませんでした。何ていう木でしょうか。花はマンサクに似ているのですが。
さらに下ると少し纏まった茶畑。
そして落花生も。
下の小屋の屋根にはタイヤが載せられています。ここは谷を強い風が通り抜けるのでしょう。日本の強風地域の屋根には伝統的には石が載せられていましたが、こうした簡易な建物ではその変わりにタイヤが使われることがあるのですね。
三色すみれが咲いていました。花が小さいのでパンジーではなくビオラと呼ばれるものでしょうか。
下栗のうねうね道を一番下まで散策したら、やってきた道を戻ります。この上り、さすがにきつい!
自転車を止めさせていただいた『いっ福』で一服します。時は11時と昼食には早い時刻ですが、この先に食事ができる所がないので、ここで定食をいただきます。
この定食、珍しい十種類くらいの葉っぱの天ぷらが楽しめてなかなかいいのですが、この店の看板はなんといっても『おかみ』。強烈な言葉の機銃掃射を浴びせられます。まったく打ち返す暇もなく無数の弾が体中を貫通して、あえなく降参。もうとっとと逃げるしか手がありません。(笑)
まあ、満腹になったので良しとして、下栗を出ます。
この序盤は南斜面で森が開けていて気持ちいい。そのうち針葉樹林の中に入り、方向転換して北斜面に入るとかなりの急勾配になります。
ぐわーっと下って上村川の畔にある上村に到着。ここの標高は560mほどなので、下栗から一気に500mほど下ってきたのです。
この上村も遠山郷の一つで、山村ふるさと保存館『ねぎや』があるので覗いてみます。
禰宜屋の土間
『ねぎや』の『ねぎ』は禰宜と書き、これは神社の官職の一つだそうです。この家が上町正八幡宮の禰宜を代々引き継いできたことから『禰宜屋』という屋号で呼ばるようになったのだそうです。
江戸時代後期に建てられたと推定される建物の中に入ると、土間にはかつて使われていた生活用具が並んでいます。一階はこの土間の他に、囲炉裏・座敷・馬屋があります。
二階に上がって見ると、養蚕と林業関連の用具が並んでいます。
こんな山奥ですから、昔は産業といえばこの二つくらいしかなかったでしょう。
禰宜は村の年中行事や住民の生活を支える神事を行う役目を負っていました。この村の禰宜は当然、霜月祭りを始めとする伝統芸能にも関わっています。
ここにはその霜月祭りの写真も展示されていました。
祭りの雰囲気が良く伝わってきます。
『ねぎや』の向かいには、まつり伝承館『天伯』があります。ここでは国の重要無形民俗文化財である霜月祭りの紹介が主にされています。
上村と下栗を含む四地区のお面も展示されています。写真は下栗のもので、黒い龍頭(たつがしら)という面は下栗だけにあるものだそうです。
遠山の霜月祭りは、一陽来復となる冬至に、神や人そして自然界のすべてが生まれ清まることを願うものだそうです。
霜月祭りには、それぞれの村の神社で湯立神楽というものが奉納されます。社殿の中央に設えられた釜で湯を沸かし、天狗などの面を被った人が煮えたぎる湯を素手ではねかけ、神々に捧げるのです。さすがにこれは熟練しないとできないそうで、熟練者でも時々火傷を負うこともあるといいます。機会があればぜひ見てみたい祭りの一つです。
上村で遠山の霜月祭りに触れたら、赤石峠へ向かいます。
ここからいよいよ、本日最大というか唯一の上りが始まります。
まつり伝承館『天伯』を出て川沿いの道に入れば、これは直線基調の上り。
行く手にはこんな山が立ちはだかっています。
道がカーブし橋に差し掛かると、道端に赤石林道の文字が見える石碑が建っています。この道は現在はr251上飯田線だと思いますが、かつては赤石林道という名だったようです。
右手に開いていた視界が閉じると、道は明るい広葉樹林の中を進んで行くようになります。
勾配は7〜8%と緩くはないものの、ゆっくり上れば、きつく苦しいというほどでもありません。比較的上下動が少なく、上りやすい道です。
右手の視界が開きました。上村川の谷を挟んで対岸の山が見えます。あれは今朝方しらびそ高原から下栗に下った道が通る炭焼山あたりでしょう。
この山側に面白いものが。『秋葉街道』と書かれた木の標識です。上下には小さく『歴史の道』『小川路入口』とあります。
このあたりを国土地理院の地形図で見ると、これまで上ってきた道にはR256の記号が記されており、さらにこの山の中に描かれている破線の上にもそれとまったく同じ記号が見えます。そしてGoogleMapにはこれまでの道の上に『秋葉街道』の文字が。
ここまで上ってきた道は秋葉街道で、それはどうやら国道256号線であったらしく、その秋葉街道R256はここから山の中に入って行っているのです! しかしこの山の中に続く道はもはや道とは呼べないほどで、ちょっと先を覗いてみようかという気にもならないほどの荒れようです。
点線国道、国道見通区間の秋葉街道の入口を眺めたら、さらに上ります。
この先は少しカーブが多くなり、勾配も徐々に上がってきたようです。
樹間には時々上村川の対岸の山が見えるのですが、そう、これは山というだけで、特徴ある集落が出てくるわけでもなく、あまり面白みがありません。
いや、都心を走ることを考えたら、これはとても贅沢なことなのかもしれませんが、この二日半の間に素晴らしい山々を見過ぎてしまったのでね。
あまり変化のない景色ですが、山側に水が湧き出ているところがありました。
一瞬止まって水を汲みたい気持ちになったのですが、ペース良く上っているサトちゃんとシュンシュンを待たせるのもなんなので、ここはスルー。
右手の視界が開いたので視線をそちらへ向けると、谷はかなり深い。標高を見ると1,100mを超えた所で、上村から500mほど上ったことになります。つまりこの谷はここではおよそ500mの深さがあると思っていいでしょう。この谷底には上村を流れていた上村川が流れ、R152秋葉街道が通っているはずです。
向かいの山の中に一ヶ所だけ木が生えていない所があります。良く見るとそこには集落があります。
下栗をもう少し優しくしたような勾配ですが、それでもかなりの斜度のうねうね道が見えます。この集落は霜月祭りが行われる集落の一つの中郷でしょう。
しかしこの集落は完全に谷に造られています。神様が決めたルールに逆らっていますが、災害、大丈夫でしょうか。
道はひたすら上りです。
ここに来て、山肌が削り取られて道が通されるようになりました。山の傾斜がきついのです。
それに呼応するかのように道の勾配もきつくなってきました。ところによっては10%を超えるところも出てきます。
『今日こんな上りがあるなんて知りませんでした〜 昨日のしらびそ峠は覚悟していたのですが、今日はきついですぅ〜』 と予期せぬ上りが精神的にきついシュンシュンでした。
それでもえっちらおっちらと高度を上げて行き、もうすぐ峠というところで川を渡ります。
すると突然空気が揺れます。何かが動いたのです。その物体は川向こうで消えたように見えました。かすかに気配を感じる場所を良く見ると、何かがじっとこちらを見ています。カモシカです。カモシカにはこれまで一度しか出会っていません。まさかこんなところで出会えるなんて、ちょっとびっくりです。
橋を渡って方向転換すると右手の視界が開け、下栗を出てからは手前の山に隠れて見えなかった南アルプスが頭を出しています。
しかしこの南アルプスはすぐに木々が被さり見えなくなってしまいます。
そして道の勾配がほとんどフラットに感じるようになると、
ちょっとした空間が開き、左手にトンネルが現れます。赤石峠に到着したのです。
ここの標高は1,195m。上村からは9kmで630mの上り。平均斜度7.0%。さすがに全体としては昨日のしらびそ峠の方がきついですが、斜度だけ見ると、こちらの方が上です。ちょっときつかたぜよ。
さて、赤石峠でひと息付いたら赤石隧道をくぐり抜けます。その隧道はご覧の通り真っ暗。写真に出口の明かりがごく小さく写っているのが分かるでしょうか。このトンネルはおよそ1kmもあるのですが。
最近のライトは性能が良くなりましたが、それでも真っ暗なトンネルを1kmも走るのはちょっとやっかいです。内部に水溜まりがあったり、凹凸があったりと何があるか分かりませんから。しかし車が来なくて良かった。
なんとか赤石隧道をくぐり抜けたら、あとは飯田まで基本的には下り一本。
豪快に下って行きます。しかしこの下りは細かいカーブの連続で気が抜けない上、下の方になると路面が荒れていて、ブレーキが悲鳴をあげます。ちょっとしんどい。
矢筈トンネルの入口にある矢筈ループ橋の下をくぐり、小川川に沿ってどんどこ下ります。この下りは路面良好で高速ダウンヒルが楽しめます。しかし、あんまりスピードを出し過ぎるとコケて死ぬかもしれませんから程々に。
中反まで下ってきました。
このルートは上村を出たあと休憩できる施設は皆無だったので、ここにあった直販所田舎道で羊羹を頬張り、トイレをお借りしました。もっとも今日は暑くてかなり汗をかいていて、用を足さなくてもいいぐらいでしたが。
中反からはそのままr251を下って行く手もありますが、私たちは富田を経由して飯田に向かうことにしました。
ところがこの中反からがちょっとした上りで、しばらく下りっぱなしだったので足が回りません。
坂を上って行くと、手前の山が退き、その先に飯田の街と中央アルプスが見え出します。
この中央アルプスを見ると、ああ、戻ってきたな〜 という感じがします。
富田で小さな丘越えをして、天竜川に下ります。
大きな流れの天竜川です。帰ってきた〜
飯田の街に入ると正面に小高い丘が見えてきます。あそこはかつて飯田城が建っていた所で、温泉があるというので一風呂浴びてから帰ることにしました。
飯田城温泉天空の城はこの写真に見える丘の上の建物で、南アルプスを眺めながら温泉に浸かれます。ここでアプゥ〜っと三日間の汗を流しました。やはりサイクリングの後の温泉は最高です。
温泉を出たら高速バス乗場を確認して、いつものように軽く食事を。
順調に進んだ今回の旅ですが、このあと思わぬアクシデントが発生。東京周辺の渋滞を避けるべく、私たちは新宿行きの最終バスに乗り込みました。ところが、中央高速で事故渋滞が発生。新宿着が予定より一時間半も遅れてしまい、アワワ。時計の針は午前零時半を回っています。
シュンシュンは自転車を担いで小田急線に駆け込みました。サトちゃんは最寄り駅までの電車はすでになく、中途半端なところまでしか行けないことがわかったので、自走で帰ることに。サイダーの家はサトちゃんの経路の途中なので、サトちゃんといっしょに走ることに。いや〜、東京に戻ってからこんな苦労をするとは夢にも思わなんだ。
さて、今日のメインディッシュ、下栗の里は噂に違わぬ素晴らしい所でした。ここは一見の価値あり。その後の上村のまつり伝承館『天伯』の霜月祭りの展示も興味深いものでした。赤石峠までの上りはそれなりにきついものの、トンネルを抜けた先の豪快なダウンヒルが最高に良いです。この三日間、中央アルプスと南アルプスを充分に楽しめました。