阿武隈山地の中にある湯岐温泉(ゆじまたおんせん)の朝は晴れ。清々しくいい気分です。
朝風呂に入りお肌すべすべになったら、おいしい朝ご飯を頂き、宿をあとにします。
急坂を下ってr111高萩塙線に出ると、そのすぐ下には湯岐渓谷があり、細い沢が心地よい音を響かせています。
この上流には雷滝が落ちています。
雷滝は二段になっており、上段は落差5mほどで、二条の流れがあります。小さいわりには雷滝という勇ましい名が付けられていますが、これはもう少し下流側から見ると下段の流れも見え、全体が稲妻のように見えるからだと思います。
雷滝を眺めたらr111高萩塙線を北に下り出します。
するとすぐに道横に不動滝が落ちています。
昨日は上りの途中にあったので誰もここを見学しようと言い出しませんでしたのが、今日は下りの途中にあるので、全員この前でストップ。
この滝の落差は20mほどあるように見えます。水量は多くはありませんが、重なり合った岩の間をジグザクに流れ落ちる姿は、なかなか味わいがあります。
この滝の周辺には不動明王や滝見観音、お地蔵さんなどが祀られています。
雷滝と不動滝が落ちているのは川上川。
ここからはこの川上川に沿って一気に高度で300m近く下ります。
湯岐前に出ました。
ここには数軒の民家がありますが、みんな日本の伝統的な造りです。
湯岐前の先で道は二手に分れるので、r111高萩塙線を離れ町道らしき道に入ってみました。
周囲には刈り取り目前の田んぼが続いています。
この道は長くは続かずすぐに高萩塙線に合流しますが、そのすぐ先でさらなる小径を見つけました。
鄙びたいい道です。
周囲は小高い山に囲まれています。阿武隈山地は阿武隈高地とも呼ばれるように、その中にはあまり高い山はありません。そしてここは阿武隈山地の中でも西の端なので、山々も低いものばかりなのです。
塙町の川上まで下ってきました。道端にダリアの畑があります。
塙町は町全体でダリア栽培に取組んでいるそうで、私たちが宿泊した湯岐温泉のすぐ近くの『湯遊ランドはなわ』にはダリア園があり、その他にもあちこちにミニダリア園があります。
ダリアの原産地はメキシコで、日本には江戸時代にオランダ人によってもたらされたそうです。その種類は3万とも言われ、花の形や色の豊富さは驚くばかりです。
写真のものはダリアダリアしている方だと思いますが、まん丸でかわいらしいものや、刺のように尖った花びらのものもこの畑にありました。
これは山から切り出した針葉樹を短く切りそろえて積んだものです。太さから想像するに間伐材でしょう。このあたりではまだ林業がいくらか残っているようです。
日本の国内には山も木もたくさんあるのに、林業は衰退の一途を辿っていて、木材は輸入ものに頼りっきりのありさまです。抜本的な改革が必要ですが、打つ手なしということでしょうか。
真っ白な小さなこの花は蕎麦の花。
少し離れて見るととてもきれいですが、匂いを嗅ぐと、とっても臭い!
田舎に来るといろいろな風景に出合えますが、その中でも黄金色の田んぼは、多くの日本人の心に刻まれている原風景の一つと言っていいのではないかと思います。今では田植えも稲刈りもそのほとんどが機械によって行われるようになりましたが、それでも頭を垂れた稲穂を見ると、何か心に訴えてくるものを感じます。
そんな黄金色の田んぼの向こうに、昨日は見ることができなかった茨城県の最高峰の八溝山が見えます。
今年は台風の上陸が多く、この前は各地に大きな被害をもたらしました。ここの稲は根本からばさっと倒れています。これも台風の影響でしょうか。
道はいつの間にか上り基調に変わっています。
カントリーロードはおしまいになりr75塙泉崎線に出て、棚倉町の岡田までやってきました。
岡田はこのあたりでは比較的纏まった集落ですが、それでもこれくらい。集落の規模に比べ、道幅が異様に広く感じられます。
岡田から塙泉崎線を離れ、山岡小学校の西側を通る道に入ってみました。今日ははっきり上りと分かるようなところは少ないのですが、ここが本日最大の上りです。
『今日は上りはないと思っていたのに〜』 と嘆くは、坂道が恨めしいクッキーでした。
しかし距離は1km強で標高差も50mしかないので、この坂は難なくクリア。
昼飯処に設定したJR水郡線の磐城浅川駅が近付くと、谷間の空間が広がり、一面が黄金色の田んぼになります。
JR水郡線は先に見える丘の向こう側を走っており、そこまでが阿武隈山地と呼ばれるゾーンになります。私たちの阿武隈山地の旅はここまでで、このすぐ先で阿武隈山地を出ます。
浅川の街に入りました。JRの水郡線は水戸と郡山を結んでいますが単線のローカル線で、場所によっては駅前に何もなしということもあるのですが、この磐城浅川駅の周りは浅川町の中心でそれなりの街になっており、飲食店が数軒あります。
駅近くに天麩羅屋があったのでここで昼食にします。
昼食のあとは街の出口にあるコンビニエンスストアに寄って買い物をし、午後の部に入ります。午後の部は阿武隈山地を離れ、阿武隈川に沿って進路を西に取り、白河に向かいます。
ところが、コンビニエンスストアを出たところでいきなり道を間違えて、こんな川の土手を行くはめに。
川は阿武隈川水系の社川(やしろがわ)。
100mほど土手道を押し歩いて、隣に架かる橋を渡ります。
阿武隈川に向かって進んで行くと、なかなか面白いところに出ました。
写真の左手から伸びてくる丘は阿武隈川の南に横たわるそれです。そして右手に続いていく山は阿武隈山地の西の端っこ。私たちはあの隙間を縫って阿武隈川に出ます。
今日はお彼岸の中日。真っ赤な彼岸花が満開です。
午前中は阿武隈山地の中だったので、道の周りにスペースはあまりありませんでしたが、そこを抜け出たここのスペースはとても広いです。
周囲がぐるりと黄金色の田んぼなのも良い感じ。うしろには先ほどまで中にいた阿武隈山地が見えています。
道端にヤギさんを発見。
かつてはニワトリと同じように田舎ではたくさん飼われていた山羊ですが、最近はほとんど見掛けなくなりました。これはペットでしょうか? 昔はもちろんお乳を絞って飲むために飼われていたのですが。
阿武隈川の南に横たわる丘を越えました。
周囲は阿武隈川の周りに築かれた田んぼです。うしろに見える阿武隈山地はどんどん遠ざかって行きます。
めずらしくここにはりんごの畑がありました。
『わ〜、真っ赤なりんごがおいしそ〜』と、りんご好きのサリーナ。
もうすぐ10月。そろそろりんごの季節ですね。
矢武川を越えてからは進路を西に取っていますが、前方に高い山塊が見えてきました。あれは白河の先の那須連山でしょう。
逆に、先ほどまでうしろに見えていた阿武隈山地は、もうほとんど見えなくなりました。(TOP写真)
ここで急に先頭のサイダーが進路を変え、北に向かい始めました。なんだ、何だ? と戸惑う面々。
砂利道を突き進んで辿り着いたのは、阿武隈川の畔です。
土手を上って阿武隈川を眺めようという魂胆でしたが、この時は水量が少なかったのか、川面はほとんど見えませんでした。ありゃりゃ。
仕方がないので阿武隈川の畔で少し休憩して、白河へ向かいます。
『美人の湯のおかげでお肌すべすべになりました〜。』 と、今日は朝から快調のクッキー。
あの私たちが浸かった温泉、美人でない人にもそれなりに効果があるらしいです。(笑)
田んぼの中の長〜い道を飛ばす先頭のシンチェンゾー、続くはマージコ、サリーナ、クッキー。
長い田んぼ道が終わるとr11御斉所街道に出ます。
この御斉所街道を西へどんどこ行き、白河の街はずれから谷津田川沿いの自転車道に入り、南湖公園を目指します。
栄町でちょっとした急坂上りをこなすと、南湖公園の北にある南湖森林公園の入口に辿り着きました。
森林公園と言うだけあり、ここには鬱蒼とした森が残っています。
南湖森林公園を抜けて南東に下ると、南湖神社があります。このあたり一帯が日本最古の公園とも言われる南湖公園です。
この神社は八代将軍・徳川吉宗の孫で寛政の改革を行ったことで知られる陸奥白河藩第三代藩主・松平定信を祀っています。南湖公園はこの定信によって1801年に築造されたものだそうです。
南湖神社の横には翠楽苑があります。この入口付近ではキンモクセイが匂っています。そう言えば今日はあちこちから花の香りが漂ってきていました。
この庭は平成になってから築かれた新しいものですが、なかなか味わいがあります。中央にある松楽亭で庭を眺めながらお抹茶をいただくのも良さそうですね。
この庭園は回遊式で大きな池とせせらぎがあり、草花も楽しめます。
庭の一部ではすでに紅葉が始まっていました。
翠楽苑の南には南湖があります。湖の向こう側に小山が見えますが、南湖神社や翠楽苑があるのはあの右側あたりです。
こんなふうに湖と山がある場合、大抵は山から湖を見下ろせる場所に展望施設が作られるのですが、ここにはそうしたものはないようです。かつて白河城はこの東1kmほどのところの高台にあったようなので、この湖はお城から見下ろされたのかもしれません。
さて、これで本日のイベントは終了です。南湖の南側を廻って新白河駅へ向かいます。
遊歩道がある南湖の畔には巨大が松並木がありました。
日本の松は松くい虫によって大きな被害を受けていますが、ここはまだ大丈夫のようです。なんとか生き残ってほしい松です。
南湖から西へ向かうと、先に新白河の街が見えてきました。
お彼岸のこの日は個人商店は休業のところが多いようで、一杯ひっかけようとめぼしい店に連絡するも出ず。ようやく三軒目で当たりが出ました。
秋の一日、黄金色の田んぼの美しい景色を堪能しました。