北アルプス展望サイクリングも最終日を迎えました。今日は各自帰途につきますが、メイングループはここ仁科三湖の中綱湖の畔から長野まで走ります。
メンバーは左から紅一点サリーナ、いつも大荷物なシュンシュン、企て人サイダー、荷物は宅急便で送って身軽なシンチェンゾー。
車で帰宅するレイナ、レイ、タキスキーに見送られ、中綱の宿を出発。
まずは中綱湖の西岸を行きます。湖岸の桜が朝日を浴びて、最後の輝きを放っています。
大糸線と国道148号線の高架橋をくぐり抜け、r134青具簗場線に入ります。すると早々に上りが始まります。
振り返れば手前の山の上に北アルプスの白い尾根が顔を出しています。今日はあの山々を振り返りながら進んで行きます。
r134青具簗場線はほどなく道幅が狭くなり、山道に。
これをえっちらおっちら。今日は序盤からちょっときついです。
このあと視界がパッと開くと、うしろに北アルプスが見えていました。
ここに下から一台の車が上がってきたと思ったら、それはレイナとレイでした。彼らは山もやるし、スキーでしばしばこのあたりを訪れているので山の名も詳しいので教えてもらいました。
左に見えている三つのピークは白馬三山で、左から白馬槍ヶ岳(2,903m)、杓子岳(2,812m)、白馬岳(2,932m)。そして中央の長い尾根は小蓮華山(2,766m)。一昨日は曇りで白馬三山は頂上まで見えませんでしたが、ここに来てやっと顔を出してくれました。
レイナとレイに別れを告げたあとも上りは続きます。
下に青木湖が見えてきました。
振り返り左手には爺ヶ岳。
高度で100mほど上るとr134青具簗場線はピークを迎え、美麻へ下って行きます。
この下りは視界こそ開けていませんが、道と谷のスケール感がよく、周囲が広葉樹であることもあり、なかなか気持ちいいです。
3kmほど下るとr33白馬美麻線に出ます。
すると美麻郵便局の向かいに茅葺き屋根の旧中村家住宅が現れます。
この住宅は1698年(元禄11年)の建築で、建立年代が明らかなものとしては長野県で最古とされており、東日本でも最も古い民家のひとつに数えられます。間口14間、奥行6間で84坪もあり、一般住宅としてはかなり大規模です。
今日のコースの前半には補給ポイントがほとんどないので、道の駅に立ち寄りました。
時間が早いためか、温泉施設の中の売店しか開いていませんでしたが、最低限の補給食を確保しました。
道はr31長野大町線に変わります。この道はそこそこ交通量があり、私たちの好みではないので、できるだけ旧道を行きます。
切石トンネルには旧道が残っていたのでこれに入ります。
道沿いに流れるのは土尻川で、この川とはこのあといったん分かれますが、長野の手前で山を下ったところで再びその末端に出会います。
この谷は狭いのですが、小さい田んぼが現れました。
アジアではどんなに狭いところでも田んぼが築かれますね。
ところがこの田んぼの形が面白いです。ま〜るいのです。環状集落というのは稀にありますが、環状田んぼもあるのですね。
地図を見るとこのあたりを流れる土尻川はかなりうねった流れなので、古い河道が取り残されて田んぼになったのかもしれません。
さて、大町市から小川町に入りました。
土尻川の谷はこの先もずっと東に延びていますが、私たちはここから南の山へ上ろうと思います。
小川村の小根山で集落内の道に入ると、そこはお祭りらしく、道の両側に白い紙飾りの紙垂(しで)が下げられています。
そして道の真ん中には、なにやら大蛇が這いずったような跡が。
道で出会った方に聞くと、今日は御柱祭(おんばしらまつり)で、ちょうどこれから御柱が建てられるところだそう。先ほどの道路の大蛇は、御柱を神社に運んだ跡だそうです。
これは一見の価値ありと、その会場である小川神社へ。
私たちが到着するとすでに多くの人々が集まっていました。神社のすぐ前には関係者一同が並んでおり、その両側に大きな木が横になっています。この木が御柱で、ここでは二本建てられるそうです。諏訪大社の御柱は樅の木ですが、ここでは何が使われるのかは聞きそびれました。
間もなく、祭事が始まりました。御柱は村の有力者が神社に奉納するものらしく、その方々や関係者が玉串を捧げたり、神主が祝詞をあげたりといったことがされているようです。
隣におられたおばあさんの話によると、今年はコロナウイルスの影響でかなり祭りの内容が簡略化されているそうです。
そろいの白い法被を着た若者が御柱の上に並んで立ちました。そのうちクレーン車が御柱の一方を持ち上げ出しました。おばあさんによると、柱を建てるのは例年は人力によるそうですが、今年はコロナウイルスの影響でクレーンになったのだとか。
御柱の若者たちはここで威勢良く木遣り唄を歌い始めました。
御柱の根元側には『メドデコ』という角のような棒が二本突き出ています。これは曳行時にここを持つことで曳きやすくするためのものだそうです。
御柱を建てる際にはこれはじゃまになるので、少しだけ残して切り落とします。その切り落としたメドデコは競りにかけられるそうです。
メドデコと反対側の柱のてっぺんには紙垂が取付けられました。
御柱が建てられる『建て御柱』は本来、氏子が御柱に乗ったまま柱が建てられ、氏子は落っことされないように柱にしがみつき、最後まで残ったものがこの紙垂を取ることができるのだそうです。
しかし残念ながら今年はその『建て御柱』もクレーンによって行われたのでした。
あの紙垂はその後どうなったのでしょうか。私たちは、クレーンによって柱が垂直に吊り上げられたところで、時間切れとなったのでした。
小根山から表立屋へ上ります。
この上り口はちょっときつく、薄暗いのですが、
ほどなく右手の視界が開きます。
『ウワ〜、これはすごい景色ですね〜』 と唸るシュンシュン。
見えているのは塩沢集落。
そしてそのうしろの北アルプスは、左から、鹿島槍ヶ岳、中央右が五竜岳、右端が唐松岳。
この景色によだれを垂らしながら走るサイダーでした。(笑)
ゆっくりと上り詰めて棚田があるとこまでやってきました。このあたりが表立屋です。
ここの標高は750mほどで実は今朝出かけた中綱湖より低いのですが、小川神社からは200m以上も上ったので、だいぶ高みに来たように感じます。
表立屋はおおむね西に開いた土地で、ここから見る北アルプスは想像以上に見事です。
世の中には『天空の里』というような言い方があると思いますが、この集落はそう言ってもいい眺望を持っていると思います。
表立屋には『番所の桜』と『立屋の桜』という二本の桜があるので、そこへ向かいます。
このあたりには桜の木が多く、どれがそうなのかちょっと迷いましたが、番所の桜は三叉路の角にありました。これはベニシダレだそうです。
立屋の桜はエドヒガンザクラで、先の番所の桜から西に100mほど行ったところにあります。
二本とも巨木とまでは言えない大きさですが、年数はかなりのものです。案の定、この時は花は終わっていましたが、姿形だけ掲載しておきます。
番所の桜からちょっと上ると駐車場兼展望所があります。
表立屋の集落はだいぶ人口が減ったようですが、この上に宿が一軒あり、レストランもできたとか。写真の左に見える建物は別荘なのか、比較的最近建てられたように見受けました。
展望所から見た北アルプスをもう一度紹介しましょう。
バーン、バーンときました。左の双耳峰は鹿島槍ヶ岳、右は五竜岳。
視線をちょっとずらすと、どこへ続くのかうねうね道が見えます。この先にもまだ集落があるのでしょうね。
実はこの道は、大町市の湯の海から立屋を経由して長野市の大安寺まで約25km続く『峰街道』です。大町には千国街道・塩の道が通り、長野には北国街道が通っていますから、峰街道はこれらを繋ぐ重要な道だったことが推測されます。
表立屋からは小川町と長野市の信州新町越道(こえどう)との境を行きます。この道もまた峰街道です。
峰街道はその名のとおりに尾根道で、視界が南北両側に開けて気持ちいいです。写真は南側の眺望です。
信州新町越道の本村集落に入りました。このあたりには平場はまったくと言っていいほどなく、斜面に沿って民家が立ち並んでいます。
写真の道はr35信濃信州新町線で峰街道に直行する道です。うっかりこの道を下ってしまうところでしたが、このあたりは複雑に道が走っており、間違った道を行くととんでもないことになるので要注意です。
現在峰街道と一般に呼ばれる道は、古道に沿って開かれた車が通れる道を指し、本来の古道の峰街道はこれとは別に山道として残っているようですが、この車道の峰街道も十分に魅力的です。
道沿いの畑に白い花が咲いています。サクランボの花です。
ひと上りすると西の空間が開いてきました。西にはあの北アルプスがあるはず。そしてサクランボの花が咲いていた道に平行してその北にもう一本細い道があることを発見。その道には神社もあります。
この細道がもしかして古道かなと思い、行ってみました。
古い道ほど勾配はきついです。
激坂を押し上げて振り返れば、今日何度目かの北アルプスが見え出しました。
そしてその先に、私設らしい越道展望台がありました。
これに上れば、
『わ〜、ずごい〜』 とサリーナの叫び。
下に先ほど通過した本村集落、その向こうの山越しに北アルプス。
越道展望台があった細道は長くは続かず、再び元の道に戻ると視界は南に開けています。
下に芹沢の集落を眺めながら気持ちよく下って行きます。
峰街道にはあちこちに石碑などが残っています。右は観音さまですね。
この観音さまはとても長い間、旅人を見守り続けてきたのでしょう。
尾根を越えてその北側に出ました。土尻川の谷の向こうに虫倉山がバーン!
虫倉山の頂は長野市ですが、そのすぐ左に見える飯縄山のそれは小川村になります。今日のルート選択には、土尻川の谷の南の山を行くか北のあのあたりの山を行くかの二つがあったのですが、午前中に走るので陽の光が当たる北の山を見ながら走る方が楽しめると思ったことが決定要因の一つでした。土尻川の北の山には眺望ルートの『小川アルプスライン』があり、これも北アルプスを楽しめます。
『ここは 中条住良木(なかじょうすめらぎ)』と頭に書かれた標識があるここは信州新町山上条楡ノ木(にれのき)のすぐ近く。ここが中条住良木と信州新町山上条の境なのだと思いますが、中条住良木は広域の住所で、その下に案内されている地名はそれより下の地区名なので、ここに出す標識としては紛らわしいですね。
それはともかく、ここからは北の眺めがよろしい。
土尻川の北の山と北アルプスを眺めながら進んで行きます。
こののちも眺望は右に左にと展開しますが、中条日高に入ったところで南へ下ることに。
中条日高の宮前まで下ってきました。
すると、どこからともなくお祭りらしい音が聞こえてきました。
民家の軒先には提灯がぶら下げられています。少し進むと人だかりが。
この村には諏訪神社があり、御柱祭が行われているのでした。ここの御柱は小川神社で見たものよりかなり小さいですが、わしらが村の御柱です。このあと小さな山車のようなものもやってきました。今日は二ヶ所で御柱祭が見られるという、とても貴重な経験をしました。
宮前からはダーッと下って土尻川に出ます。
ここが午前中、表立屋へ上る前に見た土尻川の末端で、この流れはこのあとすぐ犀川に合流します。
土尻川が流れ込んだ犀川はこんな流れです。
犀川は槍ヶ岳に源を発しているためか、氷河から流れ出る川によく見られるような、白濁した色をしています。
さて、犀川に出るとこの旅はそろそろおしまいで、ここからは長野駅へ向けてただひたすらペダルを回すだけです。
犀川の南を走る土手道の川中島1号線に入りました。この河川敷はりんごや桃などの果樹畑のようです。
さて、川中島と聞けばかの有名な武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権をめぐり対決した『川中島の戦い』ですが、その場所はこの犀川と信濃川が合流する三角状の平坦地、つまり写真の右手あたりだそうです。川中島はこの三角状の平坦地を指す名であり、川中島という名の島があるわけではないようです。
川中島を右に見ながら進んでR117の丹波島橋を渡ります。
広い犀川の流れの遥か彼方に、あの北アルプスが見えます。北アルプス、この三日間、堪能させていただきました。
旧北国街道を通って長野駅に到着。
写真正面の薄茶色の建物が長野駅です。
今日のコースは北アルプスをうしろに見ることになるのでどうかなと思ったのですが、横目や立ち止まって観る北アルプスの姿は壮観でした。
大町や白馬村あたりから近づいて観る北アルプスはもちろん迫力があっていいのですが、このルートは山間の鄙びた集落の上に横たわる北アルプスで、なんとも言えない味わいがあるものでした。この周辺はもう少し研究して、再来する楽しみがあると感じました。
いや〜それにしても北アルプス、やっぱり凄いですね〜 これは日本が世界に誇れる景色の一つに間違いありません。