1803

三浦半島 '18

開催日 2018年01月27日(土)
参加者 /サイダー/キルピコンナ
総合評価 ★★
難易度
走行距離 45km
累積高度 500m
地域 関東

コース紹介

三崎口駅をスタート。綺麗に整備された小網代の森と油壷を散策し、神奈川県で最も低い山「岩堂山」に登り、城ケ島へ。海岸沿いを上ったり下ったり、おやつを買ったりしながら劒埼灯台で東京湾と房総半島を眺め、野比海岸を目指します。

動画(05'30" 音声:一部にあり)


集合場所    三崎口駅(京急本線) タクシー乗り場
集合時刻    09:00
解散予定場所  YRP野比駅(京急久里浜線)
持物      健康保険証、緊急時連絡先(実家など)のメモ、ライト、チューブ
企画者     キルピコンナ
決行案内    開催前夜
備考       


Googleマップでルートを表示ルートデータ(gpxファイル)/ルートラボ

検討用map 1/2/3/4/

発着地 累積距離 発着時刻  ルート 備考
三崎口駅 START 発09:15 一般道 京急本線快特:品川07:35→08:46三崎口/930円
駅中蕎麦屋、コンビニ
黒崎の鼻 2km 着09:30
発09:40
一般道 富士山を拝む、鼻入り口に駐輪→鼻先まで少し徒歩
福山雅治のドラマ「竜馬伝」ロケ地
三戸浜 4km 着09:50
発09:50
一般道 平成12年キムタク&常盤貴子のドラマ
「ビューティフルライフ」ラストのロケ地
初音町 5km 着09:55
発09:55
一般道 軒先で大根の出荷作業をしているお宅が多い町
WC
6km 着10:05
発10:05
一般道 畑と富士山
小網代の森
入口
8km
(ハイク)
着10:20
発10:25
木道 ハイキング
白髭神社 (1.5km) 着11:05
発11:05
木道 小網代の森出口
小網代バス停 (2.2km) 着11:25
発11:28
バス 路線バスで小網代の森入口(引橋バス停)へ戻る
バス/11:28,11:53,12:08,12:28
小網代の森
入口
8km 着11:35
発11:40
一般道 ポタリング再開
油壷 11km 着11:55
発13:05
一般道 昼食:アイエスカフェ or あじろ亭
油壷湾 12km 着13:10
発13:20
散策路 油を流したように静かな湾を上から眺める
岩堂山
81m
17km 着14:00
発14:10
一般道 神奈川県で最も低い山
パッチワークの畑と風車を見下ろす
城ケ島大橋
0m
21km 着14:30
発14:30
一般道 園内はパス、橋を眺めるだけ
城ケ島白秋碑苑、城ケ島公園入口(水仙)
宮川漁港
0m
23km 着14:40
発15:00
一般道 みやがわベーグル/15:00閉店
進行によっては城ケ島の前に立ち寄る
劒埼灯台
27m
28km 着15:30
発15:40
一般道 1871年(明治4年)初点灯の灯台、徒歩
東京湾を一望
間口漁港
0m
29km 着15:55
発15:55
磯の道 ほんの少し浜辺を押して移動
潮位によっては省略、満潮12:08/干潮19:54
三浦海岸
6m
36km 着16:30
発16:35
一般道
野比海岸
7m
40km 着17:00
一般道 ロシア料理「火の鳥」/046-847-1888
YRP野比駅
5 m
41km 京急久里浜線:YRP野比→品川/円
日の入り 17:04/大多喜町観光

初声村(はっせむら)とはかつて神奈川県三浦郡に存在した村で現在の三浦市北西部にあたる。かつての初声村の範囲がそのまま初声町として地域名になっている。

初声村は現在の三浦半島南西部に位置し、北は横須賀市、東は三浦市南下浦地域(旧三浦郡南下浦町)西は相模湾に面し、南は三浦市三崎地域(旧三浦郡三崎町)に面している。初声町高円坊 - 初声町和田 - 初声町下宮田 - 初声町入江 - 初声町三戸の5地区に分かれており、2014年12月現在の合計人口は10,669人[1]。 そのうち初声町下宮田は京急久里浜線三崎口駅があるため交通の便が良い。近年宅地開発が進められているため他の地域に比べると人口も他の4地区に比べると段違いに多い(5,222人)。これに対し、他の4地区には鉄道は通っておらず、交通機関は京浜急行バスの路線バスのみで交通の便が悪いため、人口は少ない。主な主力産業は農業、漁業、観光業である。西部の海岸には、ほぼ手つかずの自然が残っていて砂浜が観察できる。

和田 義盛(わだ よしもり)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将・御家人。初代侍所別当。 三浦氏の一族で源頼朝の挙兵に参加。鎌倉に頼朝の初期武家政権がつくられると初代侍所別当に任じられる。治承・寿永の乱では源範頼の軍奉行となり、山陽道を遠征し九州に渡り、平家の背後を遮断した。平家滅亡後は奥州合戦に従軍して武功を立てた。頼朝の死後、梶原景時の変での景時弾劾追放では中心的な役割を果たし、比企能員の変や畠山重忠の乱などの御家人の乱では北条氏に与した。しかし、2代執権・北条義時の挑発を受けて挙兵に追い込まれ、幕府軍を相手に鎌倉で戦うが敗死し、和田一族も滅亡した(和田合戦)。館は若宮大路にあった。

剱埼灯台(つるぎさきとうだい)は、神奈川県三浦市東部、剱崎突端に立つ白亜塔形の大型灯台である。 1866年、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税条約」(江戸条約)によって江戸幕府が建設を約束した8ヶ所の灯台(条約灯台)の一つ。設計は「灯台の父」と呼ばれるお雇い外国人リチャード・ブラントンが担当し、当初は石造であった。現在使用されている灯台はコンクリート造で、関東地震(関東大震災)の後に再建された2代目のもの。 三浦半島南東端に位置しており、浦賀水道・相模灘を照らす。剱崎から南南東に位置する館山市洲崎(洲埼灯台)までを結ぶ線が浦賀水道(東京湾)と太平洋の境界となっている[1]。周辺は岩礁が発達し、対岸に房総半島を望む風光明媚な地である。


関連レポート

0602三浦半島

0203三浦半島ポタリング

日本自転車コースリスト GEO POTTERING home