7月18日(火) Cluj Napoca到着
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ブダペストから列車でルーマニアに向かった私たち。 国境越えで一番楽なのはなんといっても鉄道でしょう。 向こうからわざわざ係りの役人がやってきてパスポートにスタンプをペコって押してくれるのだから。 ただしウィークポイントは時間が掛かることですね。 この時も1時間ほどなにかやっているようでした。
さてブダペストから列車で9時間、着いた先はルーマニアの北西部トランシルバニア地方の大きな町クルージ・ナポカです。 どうやら1時間(本当は2時間)遅れたようです。 深夜23時(本当はルーマニア時刻で24時)、駅に到着した私たちは自転車を組み立てて、ジャケットを羽織り(けっこう寒い!)そこから2kmほどの街の中心部へ向かいました。
ホテルに到着してラウンジの時計を見たサイダー、『あれっ、もうAM1:00だよ~、 おかしいな~』 すかさずサリーナ『ルーマニアの時計ってぜんぜん合っていないんだって。 今は24:00だよ!』 『ふ~~ん』と納得のサイダー。 しかしこのホテルの時計は正確だったのです。 知らぬはサイダーとサリーナばかり。 これはあとでショッキングな出来事とともに明らかになるのでした。 ともかくもそんなことは預かり知らぬサイダーとサリーナはぐっすりとお休みとなるのです。
7月19日(水) Cluj Napoca近郊散策
クルージ・ナポカの散策は、川のほとりの高台にあり街が見下ろせる要塞跡から。 えっこらえっこらと坂道を上り、辿り着いたその要塞跡からは、街の中心にある統一広場の聖ミハイ教会がよく見えます。
しばしこの眺めを楽しんだあとはちょっと郊外へ。
街の中心から2kmほどのところには、このあたりの民家や教会などを集めた野外民族博物園があります。 村々を巡る前にここでお勉強をと出かけてみました。
広い敷地にちりばめられたこれらの建物は現在ではあまり見られなくなった木造建築で、屋根は藁葺きや木の柿葺き、壁は校倉造りです。
写真はこのあたりからさらに北部のマラムレシュ地方によく見られる木造教会です。 細い尖塔と低い軒、そして繊細な柿葺きの屋根が特徴です。 今回の旅の目的の一つはこういった教会を巡ることです。
その内部にはフレスコ画が木造の壁天井全面に直接施されています。 何百年もの間生き残ったフレスコ画ですがさすがに傷みが激しく、近年ようやく保存修復されつつあるようです。
民家も大抵教会と同じように校倉造りの壁ですが、ここでは内部に漆喰が塗られています。 質素な家具と民族独自の模様の布の対比が美しい。
外はとても暑いのに室内はひんやりと涼しく快適です。
野外民族博物園でたっぷりマラムレシュ地方の建物の基礎知識を仕入れた後は街中へ戻ります。 途中にあったParcel Centralという公園の池の前にあるレストラン・チオスでランチを。
ルーマニアは肉料理が主で、中でもスープや煮込み料理が有名なようです。 チョルバ・デ・ブルタ(牛の胃袋のスープ)を試してみました。 チョルバは具の多いスープのことで、ふすまを発酵させたボルシュという調味料で味付けされ酸味が少しあります。 ブルタは牛の胃袋のことのようです。 チョルバは地方によって様々な味付けがあるというので、これからも楽しみです。
街の中心近くにあるピアタ・ムゼウルーはかわいらしい小さな広場で、その突き当たりには15世紀建造のフランシスコ教会が建っています。 その隣は古くは修道院だった音楽高等学校で、ゴシックのダイニング・ホールを見ることができます。
広場の一角にはトランシルバニア歴史博物館もあります。 この建物は15世紀にマーチャーシュ王が生まれた建物でもあり、紀元前の土器に始まり、ローマの植民都市、ハプスブルク家統治時代と、この地方の歴史的な品々が大量に展示されています。
街の中心にあるのが統一広場で、その中央には聖ミハイ教会がデ~ンと座っています。 がなぜかここの写真はなし。
こちらは街の南東の端にあるTailor's Bastion。 直訳すれば『仕立屋の砦』でしょうか。 なぜ仕立て屋かはともかく、これは中世の遺構。
その近くにあるのはこれも古い建物で15世紀建造のハンガリー人改革派教会。 こういった古い建物は荒々しい石積みで存在感があります。
駅で明日の列車のチケットを求めたあとはディナータイム。 昼に牛の胃袋のスープを試したので今回は鳥のスープ、チョルバ・デ・プイとヴァルサ・デ・ラ・クルージというキャベツに玉ねぎ、そしてひき肉を煮込んだものにスムントゥーナ(サワークリーム)を掛けたものを。 スムントゥーナはこのあたりでは良く使われ、チョルバに掛けることもあります。
7月20日(木) Dej~Targu Lapus
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クルージ・ナポカから目指す木造教会がある最初の村フォドラまでは80km、そしてその先の宿泊できそうな村タルグ・ラピュシュまではさらに30kmほどあるので、まず列車でデジの先のガルガウに行くことにしました。 この列車は朝6:00発とのことで早起きしてホテルを出発。
駅で案内板をチェックするもそれらしい列車は見当たりません。 おかしいな~。 切符売りの窓口で聞けば、
『その列車はとっくに出発しちゃってるよ!』
『え~、時間前に出発するなんてあるの?』 と腕時計を見せるサリーナ。
『エッ!』 と隣の係員と顔を見合わせる窓口の人。 自分の時計を見たり壁の時計を見たり…
『今7:00だよ~、あなたの時計狂っているよ!』
『エッ! え~~? …』
こうして私たちはここで始めてハンガリーとルーマニアに時差があることに気が付いたのでした。 ありゃ、丸一日1時間ずれで過ごしていたのね~~
次のガルガウ行きはお昼過ぎだというのでとりあえずデジまで列車で行き、そこから自転車で走ることにしました。
デジからは国道もありますが、私たちは川沿いにのんびりカントリーロードを行くことに。 町の中心を出るとすぐに馬車といっしょに走ることになります。
30分ほど走ると小さな村が現れました。 道端にポツポツと赤い屋根の民家が建っています。 ここまでは快調だったものの、先の分岐点で道を間違えたらしい。 村人に2度も道を尋ねたのにどちらもこの道をまっすぐって… ルーマニア人っていいかげん?
このあたりはよく鋪装されていて景色の良い快適な道だったので、復帰もそんなに苦ではなく、川の流れを眺めながら快調にヴァドに辿り着きました。
分れ道で出会ったでっかい鎌を持ったおじさん、『フォドラならこっちだよ。 あと2kmさ。』
しかしここからが大変。 恐れていたダートです。 景色が良いのが救いで最初は平坦だから良かったものの(TOP写真参照)、そのうち道は山へ向かい出した。 このダート8kmくらいあったかな、もうヘロヘロ! やっぱりルーマニア人っていいかげん?
そしてようやくフォドラに到着。 子供たちと民族衣装のおばあさんに出会った(このあたりではおばあさんはみんな民族衣装)ので、
『ビセリカ(教会)はどこですか?』 と聞くと
『ナンジャカンジャ、ナンジャカンジャ、ナンジャカンジャ…』
ん~ん、ルーマニア語ってむずかしい(笑) どうやらビセリカは沢山あるけれどどのビセリカ? と言っているらしい。 ここルーマニアでは聖職者の一番の手柄は新しい教会を造ることだそうで、そんな訳で次から次へと新しい教会が建てられ、村にいくつもの教会があるのはそれほど珍しいことではないのだそうです。
なんとか木造の教会を発見することができましたが、どうやらこれは今はもう使われていないようでした。
それでこちらが新しい教会。 大きくて立派ですが、ん~~ん…
なんの催しなのか人が大勢集まっています。 そのうちの一人がこっちこっちと私たちを誘います。 内部に導かれちょっと安っぽい宗教画が描かれた御堂を見せてもらって、その後外へ出るとパンをくれました。 サリーナの分もと2つ。 一方のサリーナもサイダーの分もと2つ貰ったので4つ貰っちゃった。 村のおばさんたちはすご~くやさしいのです。 これでお昼を喰いはぐれることはなくなりました。
木陰でもらったパンを食べているとジプシーたちがやってきました。 ルーマニアは世界でもっともジプシーが多い国と言われていて、たいていどこにでもいます。 独特の衣装、独特の持ち物(馬車に家財道具)などですぐにジプシーだとわかるところが面白い。 もちろん物乞い。 これは彼等の天性のものなのでしょうか。
ジプシーを振り切って、川の反対側のガルガウのガソリンスタンドで昼食(ルーマニアではガソリンスタンドがレストランを併設することが多い)の後は、いよいよマラムレシュ地方に入ります。
私たちが向かったタルグ・ラプシュはカルパチア山脈の麓の村なので当然上りです。
緯度が高く日本よりは涼しいとはいえ真昼の太陽はギンギン、路面のアスファルトは溶け出しています。 そんな道路をメンテナンスするのは砂撒き車です。 溶け出したアスファルトの上に砂をジャーッと撒いてゆくのです。 そんなもんだから路肩は砂だらけで滑る滑る。
なんとかDraghiaに辿り着き、この小さな村にあるはずの木造教会を探しますがこれが見つかりません。 ここからはきつい上りでアヒアヒ。 1kmほどのところに『ビセリカ(教会)→』の標識を発見したときにはもうバテバテで、見に行く元気が出ませんでした。
へろへろでタルグ・ラプシュに到着です。 村の中心のバーでジプシーの美女を構ったり構われたりしている時に声を掛けてきたのは、写真中央のバシーレ(昼間なのに半分出来上がっている)。 辿々しい英語で『僕は鳥の巣のデザイナーなんだよ。 よかったら家に遊びに来ない?』と誘われた。 ちょっと面白そうということでお宅にお邪魔することにするとバーからゲオルグ(右、こちらは完全に出来上がり状態)が同行、こちらはエンジニアだそうな。
『ま~、まずは一杯!』 と出てきたのはツイカというこのあたりではとてもポピュラーなプラムの蒸留酒。 これがうまいのなんの! ほんのり甘くて本当はとってもきつい!! 机の上にはバシーレ作のエコロジカルな鳥の巣が紹介された冊子などがばらまかれています。 この鳥の巣の本物や工房などを見せてもらって、さらには改修中だという家の中まで見せてもらいました。 アーティストの本能が疼くのか、そこかしこに楽しい仕掛けが。 磁石でくっつく包丁差しとかね。
『ところでバシーレよ~、このあたりで泊れるところしんない~』 とロレツがあやしいサイダー。
『あ~、泊れるところね~、本当は家に泊まってもらいたいところだけれど、こんなふうに改修中だからね~。 でも大丈夫、近くにいいところあるよ!』
ということでバシーレの案内で近くのペンションへ。 このペンションのオーナーは美人で親切、部屋も綺麗で料理もとっても美味しく言うことなしに素晴らしいところでした。
7月21日(金) Targu Lapus~Rogos~Baia Mare
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昨日バシーレから得た近郊の村の情報を元に、タルグ・ラプシュから少し東にあるロゴスへと向かいました。 ロゴスには世界遺産になっている木造の教会があります。
大通りからちょっと入った先に、教会の尖塔が見えてきました。 さほど高くもないこんな教会の塔でも、小さなロゴズ村では結構目立ちます。
この教会はこじんまりしていますが、端正な外観で、保存状況もいいようです。 ここの教会もそうですが、マラムレシュ地方のこういった伝統的な古い木造教会のいくつかは、世界遺産に登録されています。
この写真は露出補正してあるので明るく見えますが、マラムレシュの教会の内部にはほとんど明かりがなく、かなり薄暗い。 校倉造りの木の壁と天井にはびっしりと絵が描かれています。 残念ながらこれらの絵は木に直接描かれているので傷みがひどく、ここでは修復作業が行われていました。
この村にはもう一つの木造教会といくつかの新しい教会があり、道端にはこんなキリストの像も建っています。
今日はここからマラムレシュ県の県庁所在地バイア・マーレまで行きます。 バシーレのお薦めはルートは、この村から北上してカルパチア山脈のダート道を進むというとんでもないもの(そのかわり景色はすばらしく、とっても古い教会がいくつもあるとのこと)で、ちょっと私たちむきじゃあない。(笑)
より簡単なルートということで、一度タルグ・ラプシュに戻った後、北西へ進みバイア・マーレを目指しました。
このあたりの穏やかな緑の丘陵の先に山並みが見える景色はとてもきれいです。 しかし美しい景色が続くものの、10kmほどは上り。 さらには暑くて辛い!
セルネシュティのバルでちょっと休憩し、コパルニック・マナスツールのブラセリーで昼食にしました。
この日はチョルバ・デ・ブルタとミティティ。 ミティティはルーマニアにはどこにでもあるとてもポピュラーな食べ物で、羊と牛の合挽肉に独特の香辛料を入れて棒状にして焼いたものです。
午後はアップダウンの繰り返し。 さらに灼熱の太陽! 相変わらず美しい景色ですが、もうへろへろ。
『アッチィチ~! とてもやってらんね~よ…』 へろへろと木陰に駆け込む私たち。 そこへ突然どこからやってきたのか鋤を担いだ農民が現われて、
『お~い、君たちどおしたの? ん、暑い? そんじゃあこれでも飲みナよ。』 と麻の袋からペットボトルに入った黄金の液体を取り出しごちそうしてくれました。 ルーマニア人はみんな飲み助なので小瓶はなし、最低が500mlでこのペットボトル入りのも標準。
『アプゥ~! ああおいし~~』 と満足のサリーナ。 信仰のない我々ですが、この瞬間、この方が神々しく見えてしまいました。
おじさん、ほんとにムルツメルスク(ありがとう)! きっと家に帰ったら飲もうと思ってたのよね~
おじさんと別れるとすぐにグローシィの村になり、ここからは快適な下りでバイア・マーレに突入。
いや~、この日も疲れました~
7月22日(土) Baia Mare近郊周遊
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ルーマニアもやっぱり暑いと悟った私たちは午前中と夕方に走ることにしてお昼は適当な村でだらだら過ごすことに決定。
今日はバイア・マーレから近くの村を巡ります。 幹線は舗装路ですが小さな村と村を結ぶ道はほとんどがダート。 地図にはしっかりと道路の線が引かれているものの、時にそれは 『え~、本当にこれでいいの~~』 と思うことさえあるような道だったりします。
最初の村にあった教会です。 この教会は林の中にひっそりとあり、その裏には小さなお墓になっています。
次に向かったのはレメテア・チオアルルイ。 この村では新しい教会のすぐ隣に古い教会があり、シスター・レギーナにこの木造教会を開けてもらいました。 新しい教会ができると古い教会は使われなくなることが多く、大抵は近くに住む神父か住人が鍵を持っているので頼んで開けてもらうのです。 シスターは新しいほうの教会も見せてくれ、ローソクと花をくださいました。
この村からポシュタへ向かう途中、ラティウさん(ピンクのドレスの方)に出会い、お茶に誘われました。 ルーマニアの人は誰とでもすぐに仲良くなるようです。
果樹やぶどうなどの木が沢山ある庭で、ラティウさんのお母さん、義姉とその息子のダニーといっしょに、お茶とレモンジュース、ツイカ(プラムの蒸留酒)そして自家製のパンケーキをごちそうになりました。 全部家で取れたもので作ったのだそうです。
ラティウさんのお宅は居心地が良く、のんびり家畜を眺めたり、畑を覗いたりして数時間だらだらと過ごさせてもらった私たちですが、重い腰を上げて隣村のポシュタへと向かいました。
レメテア・チオアルルイからポシュタへの道は、上りの上にめちゃくちゃなゴロゴロ石のダート道が7~8kmも続き、自転車が壊れるんじゃアないかと思うくらいでした。
なんとかポシュタに辿り着いた私たちが向かうはやはり教会です。 こちらは古い方で、もう一つ立派な木造の教会がありますが、そちらの隣にはさらに新しい教会が建設中です。 ルーマニアの人々は本当に教会がお好きなようです。
ポシュタから先は、ただの野っパラ走行! ん~ん、ゴロゴロ石よりはいいか… 写真ではわかりにくいのですが、草花の種類が多くて白、黄色、薄紫の花がきれい。
この日はこの先もダートに苦しめられる一日となりました。
7月23日(日) Baia Mare~Cavnic
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今日はバイア・マーレからカヴニックへ移動です。 途中の村シュルデシュティの教会はヨーロッパの木造建築では最高の高さだとのことです。
バイア・マーレの町外れではとても大規模な日曜市が開かれていました。 使い古したネジ一本、歯車一個から自動車までとそれはすごい!
そんなわけだから、我らの自転車にもみんな興味津々です。 『これでどこから来たんだ?』 『日本だよ』 『え、日本から(乗って)来たのか?』 『うん、日本から(持って)来た』 おお~、という大歓声で、何か誤解があったと気づいて慌てて訂正(笑)。
バイア・マーレは大きな町ですがそこから一歩外に出ると、もうそこにはただ青い空と緑の丘が広がるだけです。
『あれれ、おかしいな、どうもこの道じゃあないみたいだ。。』 ルーマニアの道は地図には太い線でそれらしく描かれていても、それは畑の中の細い砂利道だったり、よほど注意していないと分岐がわからなかったりすることが結構あるのです。
小さい村々を訪れながらの行程は、迷走あり、ダートあり。 そして楽しい出会いもありです。 道を尋ねたおじさんは、突然の自転車での訪問者にビックリ。 『きみたちはどこの人かい? ポーランド人かチェコ人かい?』だって。 日本っていうと、『ええ~、日本人が自転車でこの村に!』と大ウケでした。
ここからもダートとアップダウンに苦しめられますが、11時に何とかシシェスティの町までたどり着きました。
今日は日曜日、新しい立派な教会ではちょうどミサが行なわれていました。 敬虔な信者たちが集まっています。 ほとんど女性なのはどうしてでしょう?
そして我々は町のカフェで黄金水休憩です。
そこからは道に迷うこともなく、ただし細かいアップダウンを幾つもこなしつつ、昼過ぎにシュルデシュティの木造教会に到着。 近くの家に行き、ケー(鍵)というとすぐに教会の扉を開けてくれました。
う~ん、さすがにヨーロッパ最高(高さ)、世界遺産。 マラムレシュの木造教会群の中にあって、さすがの風格が漂っています。
このすぐ近くのプロピシュにも世界遺産の木造教会があります。 ここはまだまだ案内が整備されていないので迷ってしまった我々ですが…。
プロピシュからいったんシュルデシュティに戻り、川沿いの道を、本日の宿泊地のカヴニックを目指して走ります。 午後4時、無事にカヴニックに到着し、町で1軒(多分)のペンションに宿をとりました。
部屋でツール・ド・フランスの最終ステージの放送を見ながらくつろぐ我々ですが、明日はいよいよ峠越え!