スラヴォニツェ
スラヴォニツェは南ボヘミア地方の東のくびれの先っちょにあり、その東と北は南モラヴィア地方です。
明日からはその南モラヴィア地方に入りますが、その前にスラヴォニツェから20kmほど北にある南モラヴィア地方のテルチに行ってみることにしました。
テルチはユネスコの世界遺産に登録されており、自転車ルート・グリーンウェイのサブルート上にある街です。
コウノトリの巣
スラヴォニツェの広場を出、街外れまで来ると、民家の煙突の上になにやらもっこりとしたものが。
良く見るとそれはコウノトリの巣でした。 コウノトリは日本では大変数が減って一時は絶滅が危惧されていましたが、ここチェコではまだその心配はなさそうです。 ヨーロッパでは時たま電信柱の上にその巣を見ることもあります。
草原を行く
スラヴォニツェとテルチを結ぶグリーンウェイのサブルートは途中ダチツェを通りますが、このルートは復路に使うことにして、往路はその西側のマイナールートを辿ることにします。
チェコの自転車ルートは四桁までの番号で示され、桁数によってハイアラーキーがあるようです。 たとえばプラハとウィーンを結ぶグリーンライン本線は11や32といった二桁で、ローカルな道は四桁のようです。 四桁の場合、千の位の数字はたぶん地域の番号ではないかと思います。
牛さん
ダチツェを通るグリーンウェイのサブルートの番号が16なのに対し、私たちが今通っているのは1004。 この桁の違いでおおよその道の性格がわかるというものです。
森を行く
テルチまでの往路は、丘陵地の中にある森を何回かかすめて行きます。
こうしたところはまだ午前の早めの時間ということもあり、気温は17〜18度ととても走りやすい気候です。
チェスキー・ルドレツ
森を抜けて少し行くとルドレツキー池のあるチェスキー・ルドレツの集落に到着。
一昨日通ったトジェボニ付近ほどではないにしろ、このあたりでもこうした小さい池はポツポツとあります。 やはりトジェボニ付近同様に鯉の養殖をしているのかな。
道端のマリア像
チェスキー・ルドレツの出口にはこんなマリア像が建っていました。
広場の真ん中に建つマリア像は比較的良く見かけますが、街外れに建つのは十字架であることが多いので、これは少しめずらしい。
麦畑
相変わらず道脇の畑は麦畑です。
この季節は青い麦畑が多いようですが、こんなふうに茶色になっているところもあります。 麦って、栽培の季節の巾が広いのでしたっけ?
ジェチツェ
このあたりは小さいけれど集落は数kmごとに現れます。
ここジェチツェはせいぜい20〜30戸しかなかろうという本当に小さな村ですが、小さいながらも教会がちゃんとあります。 これも神聖ローマ帝国の力なのでしょう。
この村の先で自転車ルートの番号が1004から5124に変わりました。 四桁の最初の数が1から5に変わったのはおそらく南ボヘミア地方から南モラヴィア地方に入ったからではないかと思います。
道端の青い花
道端には昨日まで同様、赤、白、青の花が咲いています。
青いのは花びらがぎざぎざしたこんなの。
牧草地の中のコウノトリ
朝方、巣の上のコウノトリを見たので、どこか他でも見かけるかもしれないと期待していましたが、いましたそのコウノトリ。
ここは牧草地で、すぐ近くでトラクターが刈り取りの作業をしているのに逃げる気配はなし。 のんびりとミミズかなにかをつついています。
穏やかな丘陵地を行く
これまで何度も言ったことですが、このあたりは穏やかな丘陵地です。
穏やかではあるのですが、上って下って上って下って・・・
けっこう大変です。
お城
テルチが近づくと、麦畑の先、森とのちょうど境界にこんな建物がポツン。
これはたぶんお城だと思いますが、まわりに他に建物はありません。 チェコではたまにこうした建物を見かけますが、おそらく離宮のようなものなんだろうと思います。
下にテルチ
下り坂の先にちょっと大きな街が見えてきました。
どうやらあれがテルチのようです。 高い塔が数本建っているのが見えます。
テルチの塔を目指して
その塔を目指して坂道を下ると、左右の畑が突然なくなり住宅地の中を行くようになります。 日本の場合は街が近づくとその何kmも手前から民家が一軒、二軒と現れ、その数が徐々に多くなって街になりますが、ここチェコをはじめとしヨーロッパの街の多くは街の外に家はなく、ここからが街というのがはっきりしています。
ここは旧市街の外側にある新市街です。
池に囲まれたテルチ
さらに進むと左手に池、その先にテルチの旧市街が現れます。
テルチは三つの池に囲まれており、これらはこの都市ができたであろう13世紀当時は要塞の役割を担っていたそうです。
テルチの門と聖ドゥハ塔
池の先で道が大きくカーブすると、その先にはいつものように旧市街に入る門が建っています。
門の先に見えるのは聖ドゥハ教会の塔で13世紀のロマネスク様式。 これがこの街で一番古い建物だとか。
テルチのザハリアーシュ広場
その門をくぐると、これもいつものように広場が現れます。
この細長い三角形の広場はザハリアーシュ広場と呼ばれますが、ザハリアーシュは16世紀のこの地の領主で、大火災により焼失した街をルネッサンス様式または後期バロック様式で再建させたため、現在のような姿の建物が建ち並ぶようになったのだそうです。
広場の池
その広場にはこれもお決まりの池があり、
聖母マリア柱像
聖母マリア柱像が建っています。
これに似た聖母マリア柱像はチェスキー・クルムロフのスヴォルノスティ広場にありましたが、その目的もまったく同じで、18世紀初頭のペストの流行の終焉を記念し、市民が建てたものだとか。
広場を取り巻く家々
プラハ-ウィーン、ブルノ-リンツという大きな貿易路が交わるここが、かつては大きく賑わっていたことは想像に難くありませんが、現在までほぼ当時の姿でその都市としての形態が維持されているのには驚くほかありません。
広場を取り巻く家々その2
広場を取り巻く家々はみんなユニークでかわいらしく、ディズニーランドも顔負けといった感じですね。
ファサードの装飾
凝った装飾のファサード。
アーケード
これまで見てきた都市と同じように、ここの建物の足元もアーケードになっています。 その奥にはレストランやお店が並んでいます。
多色のスグラフィット装飾
ここの家々はどれもユニークで一つずつ観察しても飽きません。 そんな中でもこの建物はかなり変わっています。
角にあることもあり、まず目に付くのは円形の張り出し小部屋。
スグラフィット装飾の詳細
そして外壁のスグラフィット装飾です。
スグラフィット装飾はこれまでいくつも見てきましたが、それらのほとんどが二色なのに対し、ここのは多色でカラフル。 どうやったらこんなにカラフルになるのかちょっと想像できませんが、おそらく一部か大部分は彩色したのではないかと思います。
テルチ城中庭
広場の突き当たりにあるのはテルチ城。
13世紀にゴシック様式で建てられたこのお城は、その後16世紀にザハリアーシュによってルネッサンス様式に改築されました。
内部はギリシャ神話による天井画、凝った階段室、そしてザハリアーシュの趣味かどうかはわかりませんが、アフリカン・ホールにはライオンをはじめとするおびただしい数の剥製。
テルチ城中庭に面するアーケード
ザハリアーシュはこのお城を改築する際、イタリアから建築家を呼んだそうですが、いかにもという感じのアーケードです。
聖ヤコブ教会の塔からザハリアーシュ広場方面を臨む
お城の隣にあるのは聖ヤコブ教会とその塔。 この教会は街の建設と同時に建てられましたが、14世紀に全焼し、現在の姿に建て直されたのは15世紀の中頃だそうです。
教会の塔からザハリアーシュ広場を見ればこんな感じで、街の外側が池になっているのもわかります。
すぐ前に建つ二本の塔は17世紀建造のイエズス会の教会で、その隣の聖アンデル寄宿舎は当時はビール製造のための麦芽場だったというから驚きです。 というか、チェコのビール好きは大昔からだったことがわかりますね。
自転車ルート16
ゆっくりテルチを見物したあとは、自転車ルート・グリーンウェイのサブルートでスラヴォニツェに戻ります。
ダチツェ
この自転車ルート16はダチツェの街中を抜けて南下して行きます。
細かいアップダウンを繰り返す
テルチまでの往路はどちらかというと大きなアップダウンでしたが、この帰路はかなり細かなアップダウンの連続です。
しかしスターレー・ホブジーで進路が西向きに変わると豪快な下りで、これがそのままスラヴォニツェまで続くのかと思いましたが、やはりそう甘くはなかった。 その先には下っただけの上り返しがあり、あへあへ。
夕立が来そうなスラヴォニツェ
しかも空を見上げればなにやら雲行きが怪しく、どんよりとしています。
それからも小さなアップダウンをこなし、最後の下り坂の先にスラヴォニツェの街が見えたときはほっとしました。
でももうすぐ空から雨粒が落ちてきそうということで、ここはダッシュ!
スラヴォニツェの広場に着いたとたんに、ザーっという音。 間一髪、あぶなかった。。