朝のキンタからの風景
レグアのぶどう農家の朝は壮快で気持ちいい。今日もいいお天気で、このキンタのぶどう畑が輝いて見えます。
今日はレグアより上流のドウロ渓谷の段々ぶどう畑を自転車で巡ろうと思います。
キンタの朝食
その前にぶどう農家の宿で朝食をいただきます。今日は私たちだけなので、場所は家族用のダイニング。ここがまた居心地がいい。
フレッシュなオレンジジュース、ハムとチーズもおいしく、パンは数種類用意されていましたが、クロワッサンだけで充分。お椀を逆さにした形のマーマレードは自家製でとってもおいしい。
コルク栓締め機の前のおかあさん
出発の前にこのキンタのワイナリーを見せてもらいました。母屋の一階がそのスペースに当てられています。そこは大工場しか知らない私たちには驚くほど小さなスペースに見えますが、10haの畑から収穫されるぶどうを処理するには充分なのかもしれません。
貯蔵樽が並び、その奥には昔使った搾り機、手前には新しいステンレスのタンクやコルクで栓をする機械などが並んでいます。並べられた6種類のビンのラベルはみんなモダンで秀逸なデザイン。こういったところにもオーナーのセンスの良さが感じられます。
キンタの前で
このあとぶどう畑も見せてもらいました。そこでは白ワイン用の緑のぶどうがいい感じで育っていました。ぶどうの収穫期になったら、それはそれは大変だそうですが、その時期の様子も是非見てみたいと思いました。
さて、居心地のいいキンタともこれでお別れです。お父さんとお母さんにさよならをいって、レグアの街に向かいます。
キンタからレグアの街に向かう
ドウロ川に沿って下っていると、プープープー、と車から合図が。キンタのお母さんが街に買い物にでも行くのかなと思ったら、その車に乗っていたのは昨日会ったフランス人でした。彼と顔を合わせていたのは僅か30分ほどですが、覚えていてくれたようです。お互いに手を振って別れの挨拶をします。
キンタからレグアの街までは僅か2kmほどなので、すぐに駅前に到着。
現金がほとんどなくなったので、駅の近くで引き出します。ポルトガルは街中なら至る所にキャッシュ・ディスペンサーがあり、国際キャッシュカードやクレジットカードから現金化できるので、とても便利です。
レグアのドウロ川
レグアはポルト・ワインの集積所として発展してきた街で、かつてはこのドウロ川にはラベーロと呼ばれるワイン樽運搬用の舟が浮かんでいたはずですが、今はその姿はなく、代わりに観光クルーズ船が浮かんでいます。
ドウロ博物館のぶどう潰し機と搾り機
ここにはドウロ地方のワイン作りをテーマにしたドウロ博物館があるので寄ってみました。
この博物館は二カ所に分かれており、川沿いにある方はこの地方全般の物事を、その裏手にある方がワインをテーマとしています。このワインに関する展示はかなり興味深いです。
昔の開墾の様子
昔のガレガレの岩場を開墾する様子や、ラベーロでワイン樽が運ばれる様子などの写真と、古い作業用具などが展示されています。ポルトの大手ワイナリーの見学では今ひとつ分からなかったことが、ここで補填されました。
この博物館はゆっくり見学したいところですが、これから列車に乗らなければならないので、駆け足で廻ってレグア駅に向かいます。
レグア駅
レグア駅で切符を買おうとすると、その窓口の人は私たちが自転車でやって来たのを見ていたのか、『自転車は載せられない。』といいます。えっ、そんなばかな、と一瞬思いましたが、私たちの自転車が折畳みであることを説明すると、袋に入れろとかなんとかいって、結局OKしてくれました。
ポルトガルでは原則、国鉄への自転車の持ち込み(乗り込み)は出来ないのです。しかし、車輪を外して袋に入れれば(車輪だけでいいらしい、そうしているのを見た)、持ち込めるようです。
レグア駅に展示されている古い蒸気機関車
レグア駅には蒸気機関車が展示してあります。これはとてもちっちゃい。かつてこの路線は、水路を使ったラベーロ同様、この地で収穫されたワインの原料をポルトに運ぶためのものでした。当時はこんな蒸気機関車で運んでいたというわけです。
この駅には面白い施設が併設されています。特別な引き込み線があり、その脇に簡素な木造の長〜い建物が建っています。想像ですがこれは、この駅に運び込まれたぶどうか、それを樽に詰めたものを捌くためのものではないかと思います。
レグア近くのドウロ川
レグア駅で乗った列車はドウロ川の上流に向かって走っています。私たちはこの列車でトゥアまで行って、そこから自転車でドウロ渓谷のぶどう畑を眺めつつピニャンに下って、レグアに戻る予定です。
川には両側から山が迫ってきて、その斜面にはぶどう畑が並びます。とにかくこの辺りはどこを見てもぶどう畑、ぶどう畑、ぶどう畑。
トゥア近くのドウロ川
私たちを乗せた列車は途中ピニャンに停車し、その後も上流に向かって走っています。川幅は徐々に狭まり、川面に浮かぶ観光船もそれに合わせるかのようにだんだん小さくなってきたようです。
レグアから40分ほど揺られると、どうやらトゥアに到着したようです。
トゥア駅
降り立ったトゥア駅は簡素ながらもきれいな駅でした。構内には昔のワイン生産関係らしき展示がされていて、ぶどうだかそれを詰めた樽だかの重さを計ったと思われる秤などがあります。
外にはレグア同様、かつてワイン樽を運んだに違いない古い蒸気機関車も展示されています。
トゥア駅付近のドウロ川
対岸の丘の中腹に建つのはキンタかワイナリーでしょう。しかし、トゥア駅の周りは何にもないところでした。ここには街はありません。この駅はこの地で収穫されたワインの原料をポルトに運ぶためだけに造られたのです。
そうはいってもその当時からはずいぶん時を経ているので、今ならちょっとした街になってていいのではないか、という気もします。しかしそうならなかった訳はこのあと明らかになります。
トゥア駅を出る
さて、いよいよここからアルト・ドウロのぶどう畑巡りが始まります。ここからドウロを下り、出発地のレグアに向かうのです。
駅前を出るとすぐに川沿いの細い石畳の道になります。おいおい、駅前の道がこんなかよ。という感じで、この時点で不安を覚える始末。さあて、このあとはどうなる?
グラハムズへの上り
トゥア駅の周りには何にもないといいましたが、川沿いには数軒の民家があります。その前を通りドウロ川の支流のトゥア川まで来ると、道はこの川に沿って上り出します。それは石畳の激坂!
その先にはポルト・ワインのビッグメーカー、グラハムズの名が。どうやらこのあたりはグラハムズのぶどうを生産している地域のようで、ここはそのワイナリーのようです。
トゥア川の上からやってきた方面を見る
この石畳の激坂はとても自転車に乗っては上れないので、へこへこと押し上げます。しかしグラハムズのすぐ先でN212に合流すると、アスファルトのいい道になりました。そこからはなんとか自転車に跨がって上って行きます。
下にグラハムズとトゥア川、そしてドウロ川が見えるようになります。トゥア川とドウロ川の間にある鉄橋は私たちがやってきた鉄道の橋です。トゥア駅はこの鉄橋を左に進んだところにあり、写真から分かるようにそこは山がドウロ川に落ち込んだところで、まったく平場がありません。急な斜面地なのでここには街が作れなかったでしょう。
下り道とドウロ川
トゥア川の先を見ると、トゥア駅の手前で分岐した線路がゴツゴツとした岩山の中腹で、トンネルの中に入って行くのが見えます。この山は完全に岩でできていて、このあたりの地質をよく現しています。
トゥア川に架かる橋を渡り少し行くと、道は下りになり、ドウロ川に向かって落ちて行きます。せっかく稼いだ位置エネルギーをここであっという間に放出。
線路に沿ってドウロ川沿いを行く
道は線路を渡りドウロ川の岸辺を行きます。
『こんな道ならラクチンね。』、とここは気分よく進みます。
しかしもちろんこんな道が続くわけはありません。トゥアからピニャンまでは川沿いに道はないのです。
ドウロ川からの上り
あっという間にこんな石畳の激坂になっていまうのでした。
道を教えてくれた英国人青年
なんとか自転車を押し上げてある民家の前に出ました。ここからはこの民家の横の道を進む予定だったのですが、それは道なんていうものではなく、ガレたダートの上りで、とても進めません。
思案しているところに青年がやってきて、『どうしたの。どこへ行くの?』と聞いてくれたので、ピニャンに行きたいというと、『ちょっと待ってて。今、道を聞いてくるから。』といって、民家で聞いてくれて教えてくれました。
迂回路もまた上り
彼はさっき前を通ったグラハムズの御曹司かなにからしく、休暇でポルトガルに来ているのだといいます。ありがとうをいって立ち去ろうとすると、彼は、ピニャンまではものすごいアップダウンがあることを説明し、水や食料を充分持っているかを心配してくれました。私たちは水も食料も大丈夫、といって、教えてくれた道に向かいました。
彼が教えてくれた道は石畳ながらも舗装されています。さっきの道よりは遥かにましですが、この道もすぐに上りに。またまた押しです。
しかし周囲にはぶどう畑が現れ出します。ここですぐに気付いたのですが、写真の右下を見てください。このあたりのぶどう畑は、土というより、砕石のようなものでできているのです。それも細かいとはとてもいえない大きさのものです。レグアの博物館の写真にあったように、このあたりは元々岩山で、その岩を少しずつ砕いてならし、畑にしていったのです。これはもの凄い大土木工事です。
ぶどう畑の中の舗装路を行く
やっと石畳の道の押し上げが終わると、小さな交差点に出ました。最初予定していた道はここに出てくることがわかったのですが、それは道というより、畑の管理用通路といったものでした。
この交差点の木陰で一休みしていると、さっきのグラバムズの青年が車でやってきました。私たちが道に迷っていないかどうか心配だったのかな、と思ったのですが、彼はペットボトルの水とバナナを渡してくれました。どうやら彼は水と食料の心配をしてくれたようです。今日は気温が高く、かなりの量の水を消費しそうですし、しばらくは食事ができるような村もないのです。
ぶどう畑の中を押し上げるサイダー
彼は、『この道をずっと上って行けばピニャンに付くよ。でもアップダウンがきついから充分注意して。』と教えてくれて去って行きました。ありがとう、グラハムさん。
この交差点からひと上りすると、下にドウロ川が見えるようになってきました。しかしここの勾配は15%超えで、またまた押しです。
ぶどう畑とドウロ川
畑の中に大きくグラハムズと書かれています。この一帯のぶどうはすべてグラハムさんのもののようです。
それにしても見渡す限りのぶどう畑です。
ドウロ川とサリーナ
しばらく押し上げるとようやく勾配が穏やかになり、なんとか自転車に跨がれるようになります。しかし行く手の道は上りっ放し。
ぶどう畑の脇に少しバサバサした木が植えられています。これはオリーブです。このあたりはぶどう同様、オリーブの産地でもあります。こうしたオリーブの木はぶどう畑の防風林の役目も果たしているのではないかと思われます。
段々ぶどう畑
ぶどう畑はこんな感じ。ここは勾配が緩い方ですが、それでも段々の一段の高さは人の背より遥かに高い。段々の田畑ではバリ島のライステラスが有名ですが、それでもこんな段差はないでしょう。効率だけを考えれば、こんなところにどうして、ということになるのですが。
畑の中を斜めに突っ切っているのが、私たちが走っている道です。
つかの間の下り
えっこらよっこらと徐々に高度を上げて行くと、ついに下りになりました。
しかしその先で道は再び上りに。こういう下りはあんまり嬉しくないな。
もの凄い斜面のぶどう畑
先にはもの凄い斜度の斜面にある畑が見えています。そこは足を踏み出したら一気に谷底まで落っこちてしまいそうなくらいの所です。
いったいどのようにしてこうした畑を開墾することができたのでしょうか。その執念たるや凄まじいものを感じます。
再び上り
今日はキンタでゆっくりしたかったので、いつもより出発時刻を送らせましたが、これが失敗の元。
トゥアには一番ではなく二番列車で来たのです。そのトゥアを出たときの気温はすでに27°Cで、ここに来てそれは37°Cに跳ね上がっています。午後になると急激に気温が上昇するのです。
激坂を押し上げるサリーナ
またまた激坂登場です。暑さとこの坂にノックアウト寸前です。
しかしここからの眺めは素晴らしい。手前にうねった段々のぶどう畑が続き、下にはドウロ川、そしてその向こうにもぶどう畑が並ぶ山が続くのです。(TOP写真参照)
コルク樫
先に一本の木があったのでその木陰で休憩することにしました。木に近づいてみると、なにかへん。木の幹の樹皮が丸裸にされています。一瞬これがなんなのか分かりませんでしたが、ふと思い出しました。
この木はコルク樫。コルク樫のコルクは、あのワインの栓などに使うコルクです。コルクはこの木の樹皮なのです。この樹皮は何年かに一度剥がされてコルクにされるわけですが、面白いことに最初に剥がされたものは、傷や凹凸があっていいコルクにはならないそうです。加工材料としてのコルクは二度目以降に剥ぎ取られたものを使うそうです。
カステド村
コルク樫の木から少し上ると、遠くに村が見えてきました。あれはカステドのようです。
カステドの通り
へろへろ〜っとカステド村の入口に到着。なんとここまでの平均斜度は11%超え(下り含む)。
街角でおじさん二人がおしゃべりしているところに出会いました。このうちの一人は日本に来たことがあり、私たちが日本人だと分かると大変喜んでくれて、いろいろな話をしてくれました。もう一人はフランス人で、現在はリタイアしてここに住んでいるといいます。キンタでもフランス人に出会ったように、このあたりには多くのフランス人が住んでいるようで、それはかつて移住政策のようなもので、ポルトガルからフランスに多くの人が行ったことと関係があるそうです。
カステド付近
カステドで激坂上りはおしまいになり、ここからはしばらく小さなアップダウンが続くようになります。
とぐろを巻いたようなぶどう畑
ここは山の頂部付近を上ったり下ったりするので、周辺も細かい起伏だらけです。こんなふうにまるで蛇がとぐろを巻いたようなぶどう畑があちこちに。
下り坂の途中にバールを見つけたので一休み。ここはコタスという村のようで、ピニャンまではまだしばらくあります。時はすでに14時半で、ここでランチにしようかとも思ったのですが、ここまで予定より相当遅れており、このあとの行程が読めなかったので、先を急ぐことにします。
上り返しの坂を行く
このバールからは小さな上り返しがあり、その先で道はぐわーっと下ります。もちろんぐわーっと下ったら、また一気にぐわーっと上り返します。
目が回るようなぶどう畑
周囲は目が回るようなぶどう畑です。これは北側の斜面。
ドウロ川の谷と続く山並み
こちらが南側で、この谷はドウロ川へと落ちて行きます。
絶景のぶどう畑と山
どうやら道は、ようやく上り返しのない下りになったようです。
手前の山に隠れていたドウロ川の谷が再び現れます。
山間の集落を見下ろしながら下るサリーナ
こうした山間にも集落があるから、人間の営みというのは凄いものだと感じます。
急斜面の集落
高度が下がってきて、あちこちに集落が現れるようになりました。
しかしこの集落、今にも谷底に落っこちてしまいそう。
ドウロ川に落ちる
先に大きな谷が見えてきました。どうやらあそこにドウロ川が流れているようです。
道はそこに向かって落ちて行くように下って行きます。
ピニャンのドウロ川
ぐっと高度が下がって、あのドウロ川が再び現れました。ついにピニャンに到着です。
ドウロ川に架かるピニャンの鉄橋
下にはドウロ川に架かる鉄橋も見えます。あのあたりが街の中心です。
ピニャンのドウロ川岸に到着
ぐわ〜っと下って、ようやくピニャンに到着です。
いや〜、ここまで長かった。たった23km走るのに、6時間もかかってしまいました。
フランセジーニャを食す
時は15時45分。すでにレストランのランチタイムは終了しています。しかしバールでは一日中食事ができるので助かります。
ドウロ川の畔のバールに、フランセジーニャというものがあったので試してみました。フランセジーニャは『フランスの女の子』という意味だそうです。しかし出てきたものはご覧の通り、肉とチーズをパンではさみ、その上からとろけるチーズをかけたもので、かなりごっつい。フランスの女の子って、こんなんでしたっけ?
ピニャン駅
遅い昼食を済ませたあと、ピニャン駅に行ってみました。ここもトゥア同様、ポルト・ワインの積み出しのための駅でした。
建物の形状はトゥアのそれとよく似ていますが、通り側のファサードは石が貼られていて立派です。さらにこの駅で目につくのは、外壁の腰の部分にきれいなアズレージョが貼られている点です。
水牛でワイン樽を運んでいるアズレージョ
これらのアズレージョはみなこの地方のワインをテーマにしたもので、農作業の様子や舟で樽を運搬する様子などが描かれています。
この絵は水牛でワイン樽を運んでいるところですが、後ろに現在あるのと同じトゥアの鉄橋が描かれています。
鉄橋からピニャンのドウロ川を見る
その鉄橋を渡って、対岸の道でレグアに向かいます。
ここのドウロ川はトゥアに比べ、ずいぶん川幅が増し、水量も増えています。
ピニャンを出る
川を渡った対岸に街はなく、川縁までぶどう畑の山が落っこちてきています。
向かいに、さっきまでいたピニャンが見えています。
ピニャンからレグアに向かう
トゥアからピニャンまではアップダウンの連続でしたが、ピニャンからレグアに向かうN222はドウロ川に沿っていて、完全にといっていいほどフラットです。
ピニャン付近のぶどう畑と山
そのN222から見るぶどう畑と山の景色は、上から見るのとはまったく異なります。
これはこれで川が近くていい感じではありますが、迫力という点では上からの眺望にはかないません。
レグアに急ぐサリーナ
ピニャンまでの道のりを甘く見ていた私たちの予定は大幅に遅れています。
このあとはレグアから列車でポルトに向かう予定ですが、その列車は日に数本しかありません。最終列車に乗り遅れることはないと思いますが、できればその前の列車に乗りたいので、ここは全開で飛ばします。
見学を予定していたキンタの前を通過
ピニャンとレグアの丁度中間で、テド川がドウロ川に流れ込みます。そこにはキンタ・ド・テドがあります。このあたりには見学できるワイナリーがたくさんあるのですが、大抵は幹線から少し外れたところです。ここは道のすぐ脇なので寄ろうと思っていたのですが、その時間はまったくなし。
ワイナリーとぶどう畑
これはおそらくキンタで、ワイナリーでもある建物でしょう。このあたりにはこうしたキンタやワイナリーが無数にあります。
先にダム
レグアが近づくと先に水門が見えてきました。どうやらあれはダムのようです。
かつてポルト・ワインの原料はこのドウロ川をラベーロに載せられて下っていましたが、1950〜1960年代にかけてこうしたダムがいくつかできたため、ラベーロは使われなくなり、現在は主にタンカートラックによって運ばれているそうです。
レグアの高速道路
このダムを通り越すとほどなくレグアの高速道路が見えてきます。ようやくレグアに到着です。滑り込みセーフで、なんとか予定の列車に乗ることができました。
ドウロ渓谷の段々ぶどう畑は、人の営みの凄さをあらためて感じさせてくれる、他では見られない見事な景色でした。トゥアからピニャンまでの道のりはかなりきついものでしたが、そのきつさに耐えるだけの価値が、ここにはあります。
さて、自転車の旅の主要行程はこれでおしまいです。明日は『潟』の街アヴェイロに行って、小さな運河を行く色鮮やかな小舟モリセイロを眺めます。