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ギマランイス〜レグア

ポルトガル 12

開催日 2013年08月04日(日)晴れ
参加者 サリーナ/サイダー
総合評価 ★★☆
難易度

ギマランイス城
ギマランイス城

コース紹介

ポルトガル誕生の地ギマランイスを散策し、バスでドウロ川の畔にあるレグアに向かい、キンタ(荘園)と呼ばれるぶどう農家に泊まります。

ギマランイスは初代ポルトガル国王となったアフォンソ・エンリケスが生まれた地であり、お城や古い教会に加え、古い街並が楽しいところです。ギマランイスからドウロ川まではいくつもの山を越え、その斜面には美しい見事なぶどう畑が見られます。こうしたぶどうを栽培しワイナリーを持つキンタに泊まれば、そこは最高の居心地。

Googleマップ でギマランイスのルートを表示
総合データ(GARMIN Connect:ルート、高度、速度など)

発着地 累積距離 発着時刻  交通 備考
ギマランイスの宿 START 発09:35 徒歩 Villa Hotel Guimaraes
Largo do Toural
トウラル広場
0.8km 着09:45
発09:50
徒歩 『ここにポルトガル誕生す』の表示
Largo da Oliveira
オリベイラ広場
1.2km 着10:00
発10:30
徒歩 Igreja Nossa Senhora da Oliveira,
Museu Alberto Sampaio,旧市庁舎
Paço dos Duques
de Bragança
2.5km 着10:55
発11:30
徒歩 ブラガンサ公爵館/5€
Igreja da São Miguel
サン・ミゲル教会
2.6km 着12:10
発12:15
徒歩 アフォンソ・エンリケスが洗礼を受けたとされる教会
Castelo de Guimarães
ギマランイス城
2.7km 着12:20
発12:25
徒歩 アフォンソ・エンリケス誕生の地
塔:1.5€、10:00〜
Largo do Carmo
カルモ広場
3.5km 着12:35
発13:00
徒歩 昼食:弁当サンドイッチ
Praça São Tiago
サンティアゴ広場
4.0km 着13:10
発13:35
徒歩 庶民的な家々
オリベイラ広場でヴィーニョ・ヴェルデ
ギマランイスの宿 5.8km 着14:05
発14:10
自転車 Villa Hotel Guimaraes
Guimarães
バスターミナル
7.8km 着14:20
発14:40
バス REバス:Guimarães14:40→15:50Vila Real16:00
→16:30Peso da Régua/17.5€
Peso da Régua
START
着16:30
発16:45
自転車 バス停は駅前
レグアの宿 2.5km 着17:05
泊:Quinta de Tourais/75€
夕食:40€+ワイン7€
Município de BragaGuimarães Turismo

古い水道施設の遺構古い水道施設の遺構

今日はギマランイスを散策し、午後にドウロ川の畔のレグアに向かいます。

私たちのギマランイスの宿は旧市街から少し外れたところなので、まず旧市街の入口のトウラル広場に向かいます。ドン・ジョアン四世通りから細道に入ると、妙なものが現れました。どうやらこれは古い水道施設の遺構のようです。

細道を旧市街に向かう細道を旧市街に向かう

ここは旧市街の南に位置し、旧市街までは上り坂。リスボンの坂は有名ですが、ポルトガルには平坦なところがまったくないようで、これまで廻ったところは坂道だらけでした。

そしてここギマランイスも、どうやらその例外ではなさそうです。

トウラル広場と自転車レーストウラル広場と自転車レース

てくてくとこの石畳の道を上って三角形のトウラル広場の入口に辿り着くと、ちょうどその時、向こうから自転車の一群がやってきました。自転車にはナンバープレートが付けられています。どうやら自転車の市民レースが行われているようです。ヨーロッパではこうした街中でも時々自転車レースが行われます。このあたりは日本とは自転車を取り巻く環境がまったく違います。

ここトウラル広場は旧市街の入口ともいうべき場所で、その端には写真右端にちらりと見えるように古い城壁があり、そこに白い文字で、『ここにポルトガル誕生す』と書かれています。

トウラル広場に面した教会トウラル広場に面した教会

トウラル広場にはレストランやカフェなどが並び、その一角に大きな古い教会が建っています。

ミセルコルディア広場ミセルコルディア広場

トウラル広場の北まで進み、D.マリア二世通りに入るとすぐ、右手にミセルコルディア教会が建ち、その向かいはミセルコルディア広場となります。

このミセルコルディア広場を行けば昨夜行ったサンティアゴ広場に出ますが、今日はここからオリヴェイラ広場に向かいます。

D.マリア二世通りD.マリア二世通り

D.マリア二世通りの上にはお祭りの飾り付けがされています。今日は日曜日ですから、昨日からのお祭りは今日も続くのでしょう。

この道もゆったりとした上りで、大きなバロックの建物などが並んでいます。

オリヴェイラ広場側からD.マリア二世通りを見るオリヴェイラ広場側からD.マリア二世通りを見る

この通りの突き当たりがオリヴェイラ広場です。

ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会

柱で支えられたバルコニーを持つ古そうな建物の先に、ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会が見えてきます。

教会前のロマネスクの小さなアーチは、レコンキスタの1340年に起こったサラードの戦いでイスラム軍に勝利したことを記念したものだそうで、その二年後に建てられています。

ポウサーダ教会内部

教会もロマネスクで建てられましたが、14〜15世紀にゴシックで改築されたようです。

しかし聖堂内部はほぼロマネスクのまま。

アルベルト・サンパイオ美術館の回廊アルベルト・サンパイオ美術館の回廊

ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会の横は現在、アルベルト・サンパイオ美術館になっています。

ここは教会付属の修道院だったところで、小規模ながらも14世紀の回廊がいい状態で残っています。半円アーチの典型的なロマネスク様式。

古いアズレージョ古いアズレージョ

この回廊の廻りに、ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラを始めとする教会や修道院の芸術的な遺産が展示されています。

これは古いアズレージョで、今日多く見られる青と白以外にもカラフルな色が用いられています。図柄も後世にはダイナミックな歴史画などになりますが、これは幾何学的。

オリヴェイラ広場オリヴェイラ広場

オリヴェイラ広場の周りはカフェやレストランがぎっしりで、広場には気持ちのいいテラス席が設けられています。

しかしまだ時間が早いので、お茶する人はまばらです。

旧市庁舎旧市庁舎

オリヴェイラ広場の北に建つのは旧市庁舎。

この尖頭アーチのピロティーをくぐり抜けると、

サンティアゴ広場サンティアゴ広場

サンティアゴ広場です。昨夜はここは観光客で溢れんばかりでしたが、今はまだ時間が早いため、ほとんど人はおらず、周りを取り囲むレストランの扉も閉ざされています。

この広場はかなり古そうな建物に囲まれており、狭い間口の家々がずらりと並んでいるのが面白い。

サンタ・マリア通りサンタ・マリア通り

オリヴェイラ広場、サンティアゴ広場と巡ったあとは、そこから北に延びるサンタ・マリア通りで、ギマランイス城に向かいます。

途中にあったお屋敷?途中にあったお屋敷?

前を歩いていたおばあさんがカルモ庭園の前で、突然大きな鉄の門を開けて入っていったのはこんな建物。

えっ、ここ、おばあさんち? と一瞬思ったのですが、これは地図にラール・デ・サンタ・エステファニーアとあるので、教会関係の建物のようです。

カルモ庭園からブラガンサ公爵邸に上るカルモ庭園からブラガンサ公爵邸に上る

噴水のあるカルモ庭園からは広い道が上に続いています。その先にようやくお城が見えてきました。その手前には何か銅像のようなものが建っています。

糸杉並木の先に建つのは、

アフォンソ一世像アフォンソ一世像

ポルトガル国の初代国王アフォンソ一世です。1139年、アフォンソ・エンリケスは当時の宗主国カスティーリャ=レオン軍を、次いでイスラム軍も破り、ポルトガル王アフォンソ一世を名乗ります。

1143年、ローマ教皇の仲介によりカスティーリャ=レオンがアフォンソ・エンリケスのポルトガル王位を承認。ここにポルトガルの独立とポルトガル王アフォンソ一世が公認されたのです。

サン・アントーニオ・ドス・カプチョス教会サン・アントーニオ・ドス・カプチョス教会

アフォンソ一世像から左に上れば、突き当たりに17世紀のサン・アントーニオ・ドス・カプチョス教会があります。

ブラガンサ公爵邸ブラガンサ公爵邸

そして右に上れば巨大なブラガンサ公爵邸のエントランスに辿り着きます。お城の前にこの公爵邸に入ります。

ブラガンサ公爵邸中庭から礼拝堂を見るブラガンサ公爵邸中庭から礼拝堂を見る

この建物はポルトガル王ジョアン一世の息子で初代ブラガンサ公爵となったドン・アフォンソ(アフォンソ・エンリケス=アフォンソ一世とは違う)によって建てられた宮殿です。

ジョアン一世の息子にはエンリケ航海王子がいますが、この王子とドン・アフォンソとは母親が違い、アフォンソは庶子でした。なぜかは知りませんが、アフォンソは当時摂政だった異母弟のコインブラ公ペドロからブラガンサ公の地位を与えられます。しかしその後このコインブラ公とブラガンサ公となったアフォンソは対立し、ブラガンサ公に影響された国王はコインブラ公を死に追いやり、その後ブラガンサ公は国の実権を握ることになります。

ん〜ん、下克上?

ブラガンサ公爵邸中庭ブラガンサ公爵邸中庭

この建物はフランスのブルゴーニュ地方の影響を受けた15世紀のゴシック建築だそうですが、かなり独特の雰囲気があります。

外観もそうですが中庭廻りもずっしりと重く、ちょっと息苦しい感じがします。

ブラガンサ公爵邸の食堂ブラガンサ公爵邸の食堂

この建物は16世紀に公爵家が別の住居に移ったのちは放棄され、かなり荒れていたそうですが、独裁者といわれたサラザールの時代に大改修されます。しかしその時点でこの建物は元の骨格さえ定かでなかったほどだったようで、改修というより建て直しに近かったのかもしれません。

現在見る姿がどの程度当時の姿を反映しているのかはわかりませんが、全体の雰囲気からしてちょっと違うのではないか、と思わせるものがあります。ここは現在は政府の迎賓館などとして使われているようです。

サン・ミゲル教会サン・ミゲル教会

ブラガンサ公爵邸からアフォンソ一世の像の後ろに向かうと、丘の中腹に小さな建物が建っています。

この建物はアフォンソ・エンリケスが洗礼を受けたとされるサン・ミゲル教会ですが、遠目にはちょっとした農作業小屋程度にしか見えないほどに小さく、質素です。

サン・ミゲル教会内部サン・ミゲル教会内部

12世紀のロマネスク建築ですが、それにしてはきれいすぎるなと思ったら、元の建物は壊れてしまって、20世紀に再建されたもののようです。

しかし床石だけは当時のもののようで、その下はお墓になっているようでした。この床石のところは通行禁止になっています。

ギマランイス城ギマランイス城

サン・ミゲル教会のさらに上、丘のてっぺんに建つのがギマランイス城。ポルトガルの初代国王となるアフォンソ・エンリケスはここで1109年に生まれています。

10世紀半ば、ここには最初修道院が建てられましたが、数年後に城が築かれたようです。なんとその目的はバイキングから街を守るためだったとか。

残る石の壁と暖炉残る石の壁と暖炉

このお城がいつまで使われいつごろ放棄されたのかはわかりませんが、面白いことにかなり高い位置に暖炉かかまどかが残っているのを発見しました。その下には窓が開いているので、あそこに床があったことになります。

さりげなくもきれいな民家さりげなくもきれいな民家

お城からは街中をぶらぶらしながら宿に引き上げます。

この街の建物は二階建かせいぜい三階建で、規模が大きいものは少なくみんなこじんまりしていますが、一軒として同じ表情の建物はありません。

サンティアゴ広場に建つ建物サンティアゴ広場に建つ建物

いつの間にかサンティアゴ広場に戻ってきました。

ここの民家はバルコニーの花がきれい。

街角のカフェ街角のカフェ

再び旧市庁舎のピロティーをくぐり抜け、オリヴェイラ広場で休憩です。今日はこのミーニョ地方を離れドウロ地方に行くので、ここでミーニョ地方の特産ワイン、ヴィーニョ・ヴェルデを一杯。淡い緑色がきれいな微発泡の軽い白は、暑い日にビール代わりに最適です。

ヨーロッパの街角には必ずといっていいほどカフェがあります。夏でも日陰は涼しいヨーロッパでは、こうしたところでお茶するのがとても気持ちいい。

アラメダ公園アラメダ公園

ぶらぶらと坂道を下るとアラメダ公園に出ました。

ここは旧市街と新市街を分ける道にある公園で、ちょっと休憩するのにもってこいの所です。

リパブリカ・ド・ブラジル公園からサン・グアルター教会を見るリパブリカ・ド・ブラジル公園からサン・グアルター教会を見る

アラメダ公園の先はリパブリカ・ド・ブラジル公園に続きます。そこからは、昨日ライトアップされていたサン・グアルター教会がよく見えます。

ここで私たちのギマランイスはおしまい。バスでドウロ川の畔にあるレグアに向かいます。

タメガ川タメガ川

ギマランイスを出たバスは高速道路をどんどん行きます。最初はこれまで同様の穏やかな山と小さな畑の景色が続きます。

30分ほど走ると自転車の旅の出発地シャベスに流れていたタメガ川を渡ります。ここはアマランテの近くのようです。

山間に広がるぶどう畑山間に広がるぶどう畑

ヴィラ・レアルで乗り換えたバスも高速道路を飛ばします。ヴィラ・レアルから20分ほど走ると周辺の景色に変化が現れ出します。山が近くなり、その間の谷の斜面は一面ぶどう畑になります。

これは壮観!

斜面のぶどう畑斜面のぶどう畑

そのぶどう畑はこんなふう。

ぶどう畑の中を通る主な作業道が斜めになっているのは、直登では登れないからでしょう。

どこまでも続く山並みとぶどう畑どこまでも続く山並みとぶどう畑

山を越えてもぶどう畑、また山を越えてもぶどう畑です。いつまで見ていても見飽きない景色が続きます。ぶどう畑の間にボサボサした木が所々見えます。あれはオリーブで、このあたりはオリーブの産地としても有名です。オリーブはスペイン同様、ポルトガルでもとてもよく食べられます。

山と山の間に川がちらっと見え出します。どうやらあれはドウロ川のようです。

レグアの高速道路の橋レグアの高速道路の橋

ギマランイスから二時間弱。ヴィラ・レアルからはわずか30分ほどで、どうやらドウロ川の畔にあるレグアに着いたようです。

バスは高速道路を下り一般道に入りました。上には高速道路の橋が架かり、先に二本、RCと鉄骨の橋も見えます。

ドウロ川を横目にレグア駅前を出発ドウロ川を横目にレグア駅前を出発

バスはレグア駅前のドウロ川の畔に停車しました。ここからは自転車で今宵の宿に向かいます。

レグアの街はこの駅側に広がっていますが、私たちの宿はドウロ川の対岸、南側にあります。

歩道橋でドウロ川を渡る歩道橋でドウロ川を渡る

橋に向かうと、まず現れるのは黒っぽい鉄橋です。この立派な鉄橋はなんと木製デッキが敷かれた歩行者自転車専用。

これで安心して対岸に渡れます。

ドウロ川上流を見るドウロ川上流を見る

この橋の隣に架かるアーチ橋が一般の自動車用で、その向こうにはあの高速道路の橋が見えています。

ドウロ川の上流にも山並が続いています。明日はあのずっと先のトゥアからここまで走ろうと思います。

ぶどう畑からドウロ川とレグアを見るぶどう畑からドウロ川とレグアを見る

橋を渡るとすぐにぶどう畑が広がります。その先に見えるドウロ川をずっと下ると、ポルトガル第二の都市ポルトです。ポルトといえばポルト・ワイン。そのポルト・ワインはこのあたりのアルト・ドウロと呼ばれる地域で作られているのです。

ここレグアはそのポルト・ワインの集積所として発展してきた街だそうです。この辺りで採取されたぶどうは搾られたあと樽に詰められ、かつてはここからラベーロと呼ばれる舟でポルトに運ばれたのです。しかし現在はドウロ川にいくつもダムが造られたため船では運搬できなくなり、主に陸路が使われているそうです。

N222でキンタに向かうN222でキンタに向かう

ドウロ川に沿って走るN222を西に進み、今宵の宿のキンタを目指します。

こちら側はすぐに街がなくなり、ずっとぶどう畑が続きます。

キンタ・デ・トウライス入口キンタ・デ・トウライス入口

2kmほど走るとキンタ・デ・トウライスの入口に辿り着きました。

キンタ(Quinta)は荘園といったような意味で、このあたりでは主にぶどうの栽培をしています。つまり私たちの今宵の宿は日本語にすれば、ぶどう農家民宿です。

キンタ・デ・トウライスの宿泊棟キンタ・デ・トウライスの宿泊棟

簡素な塀を入るとレモンが実る駐車場兼用の庭があり、その先の門を入るとこの庭に出ます。

入った正面(写真左手)に母屋があり、右手(写真正面)が住居棟で、ここではその一階の4部屋を民宿にしています。

母屋のメインフロアのデッキ母屋のメインフロアのデッキ

母屋の二階がメインフロアで、居間と食堂そしてキッチンなどがあります。

その前は快適なテラスです。

テラスでくつろぐサリーナテラスでくつろぐサリーナ

ここのお母さんはまず居間、食堂、キッチンを見せてくれて、このテラスに通してくれました。

ウェルカム・レモネードウェルカム・レモネード

『冷たいものでもいかが。レモネードでいいかしら。』 というので、さっそくいただきます。

このレモネードの材料は自家製で、氷は果汁で出来ており、その中にはモモが入っていました。これはおいしい。

キンタ・デ・トウライスのぶどう畑キンタ・デ・トウライスのぶどう畑

ここはぶどう農場としてはとても規模が小さいそうで、畑は10haしかないそうです。そのぶどう畑がこちら。テラスから良く見渡せます。

キンタ・デ・トウライスのプールキンタ・デ・トウライスのプール

テラスの前には気持ちいいプールがあります。お父さんが部屋に案内してくれたので一旦荷物を整理してから、再びここに戻ってきて一泳ぎ。

パブリック・キッチンパブリック・キッチン

私たちの部屋のある宿泊棟の向かいにはパブリック棟があります。そこには広いキッチンと、

パブリック・リビングとパブリック・ダイニングパブリック・リビングとパブリック・ダイニング

食堂、そして居間があります。こちらは家族用ではなく宿泊客用で、自由に使っていいそうです。

パブリック棟の前でワインをいただくパブリック棟の前でワインをいただく

ここはぶどう農家でありワイナリーを持っています。ということで、このキンタのワインを頂きます。赤、白、ロゼなどが何種類かがありますが、ここではさっぱりとした白を。

このあたりのアルト・ドウロはポルト・ワインの産地ですが、そればかりでなく普通のワインも生産しています。それはドウロ・ワインと呼ばれるもので、頂いたのはこちらです。ミーニョ地方のヴィーニョ・ヴェルデは微発泡でアルコール度数が低いのが特徴でしたが、ドウロは炭酸ガスを除いたごく一般的なスティル・ワインで、アルコール度数も普通です。ここはポルトガルのワインとしては古くからある産地で、その品質も極めて高いと思います。

ワイン醸造業のお兄さんとフランス人のホテルオーナーワイン醸造業のお兄さんとフランス人のホテルオーナー

お母さんは牛のラベルのボトルとチーズを持ってやってきました。このキンタの名前のトーライスは牡牛のことで、ラベルはこれをデザインしたものだそうです。

ここでワインを楽しんでいると突然、フランス語で『やあ、彼は来た?』と訪ねる人が。写真右の彼はフランス人でホテルのオーナーだそうです。そこにやってきた左の方はここのお母さんのお兄さんで、ワイン醸造業をしているそうです。彼らは私たちとひとしきりおしゃべりしたあと、ちょっとワインの取引らしい話をし、しばらくしてから帰って行きました。

彼らとは僅か30分ほどのおしゃべりでしたが、それはとても楽しかった。こういうところも民宿の楽しさの一つですね。

テラスでのデザートとポルトワインテラスでのデザートとポルトワイン

日が落ちるとディナータイムです。時間になるとわざわざお父さんが、『ごはんできたよ〜』と呼びにきてくれました。ディナーは宿泊客が大勢の時は下の食堂になりますが、今日は私たちだけなのでどこでもいいといいます。私たちは気持ちのいいテラスをリクエスト。

まずは野菜とキノワのスープ。キノワってなにと聞けば、奥から持ってきて見せてくれました。キノワはどうやらケシの実のようで、ぷちぷちした食感が何ともいえません。

次はタラのホイル蒸し焼き。玉ねぎ、ニンジン、シャンピニオンが添えられていて、ローズマリーなどが降られています。タラはポルトガルではとてもポピュラーな魚ですが、このうまみを引き出すのはけっこう難しいようで、これまであまりパッとした料理に出会っていませんでした。しかしこのタラ料理は美味です。ワインは白が順当ですがさっきこれは飲んだので、ここは赤を合わせてみました。料理に合った赤を持ってきてくれたのでしょうが、これがばっちりです。

そしてアロス・デ・ガンバ。エビのリゾットです。これはポルトガルで食べた米料理の中で一番おいしい。ポルトガルの米料理はリゾットというよりおじやに近いものが多いのですが、ここのはリゾットといっていいでしょう。ガンバのプリプリ感とアルデンテな米、それらに絡むスープのコンビネーションが絶妙。

デザートはクレマカタラーナ。クレマカタラーナはスペインのカタルーニャ地方のクリームという意味で、プリンを固めずにその表面だけを焦がしたようなものです。表面のちょっとした苦みとパリパリ感、中のとろっとした食感の違いが微妙なハーモニーを生むのですが、大抵は甘いだけです。しかしここのものには普通にはない微妙な味わいがあります。いったいこの味はなんだろうと思って聞いてみると、なんと胡椒を入れているといいます。これは最高にうまいクレマカタラーナでした。

最後はもちろんポルトワインです。このすばらしいテラスで食後にゆっくりと味わうデザートワインは、また別のワインの楽しみ方だというのが良く分かります。リンゴとコーヒーも頂いて、今宵のディナーはとても満足なものとなりました。

この辺りの民宿は大抵農家ですから、街から離れた不便なところにありアクセスしにくいのですが、ここはレグアから近いということで選びました。民宿はホテルに比べ情報も少なく、当たり外れが多いと思いますが、ここは居心地最高、料理も最高、オーナーも最高で完全な当たりでした。余裕があれば連泊したいところですが、今後の予定を見直すだけの時間がなく、これは止むなく断念。

さて、明日はレグアから列車でドウロ川の上流のトゥアまで行き、絶景といわれるドウロ渓谷のぶどう畑を眺めつつ、ピニャンを経由してここレグアまで走ります。

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