今回の旅の入口はスペイン北部、バスク州のビルバオ(Bilbao)。
スペインの構造エンジニアで建築家でもあるサンティアゴ・カラトラヴァの設計により、2000年にオープンした優雅な空港が私たちを迎えてくれました。
私たちはここビルバオを起点として『緑のスペイン(España Verde)』の旅に出かけるのですが、そのEspaña Verdeとはスペイン北部の大西洋沿岸部を指す言葉で、これに含まれるのは、西から、ガリシア州、アストゥリアス州、カンタブリア州、バスク州です。
バスク州を含むバスク地方は、ビスケー湾に面してピレネー山脈を挟んでフランスとスペインにまたがり、バスク国とも呼ばれ、民族主義が強く、独自の文化や言語を持っています。
ビルバオはバスク州中最大の都市で、都市圏人口は100万人ほど。大西洋のビスケー湾から20kmほど内陸にあり、ネルビオン川の周囲に発展した都市で、かのスペイン内戦の発端となった反乱が起こった町としても知られています。
さて、初日は自転車の足慣らしに、ネルビオン川の河口にあるビスカヤ橋(Puente de Vizcaya)の見学に行くことにしました。
街中のバスターミナルに寄り明日のチケットを買ったあと、運河といった風情のネルビオン川の左岸をしばらく下って行くと、自転車道が現れるようになります。
この自転車道は途切れたり舗装が悪いところも少しありますが、まずまず快調に進んで行きます。
現在のビルバオの主産業は観光や商業ですが、19世紀には鉄鉱石の採掘によって発展した都市であり、そのなごりがこの河口周辺に残っています。
ネルビオン川の河口付近の左岸は工場地帯なのです。
その工場群の先に、ちょっと高めの工場のクレーンだか塔のようなものが見えてきます。
それが世界遺産に登録された世界最古の運搬橋であるビスカヤ橋です。
この写真は近くにある工場のクレーンですが、こうしたものを横目に進んで来るので、ビスカヤ橋も工場設備の一部のように見えもします。
軽快な鉄骨造のこの橋は、エッフェルの弟子である建築家のアルベルト・パラシオによって設計され、1893年に完成しています。
『ところで運搬橋ってなに?』 とサリーナ。
はい、それはでございます、人や車が橋の上を渡るのではなく、橋から吊り下げられたゴンドラに乗って移動するものです。
運搬橋は世界的に見ても建設数は少なく、現存するのは8本しかないそうです。このビスカヤ橋は世界で初めて建設された運搬橋で、その後造られた運搬橋のモデルになったといいます。
ここのゴンドラは車6台と300人の人が運べるといい、164mあるスパンを2分ほどで渡ります。
そのゴンドラですが、開通後何度か模様替えをしており、初期のものは簡単なフレームだけでできています。現在のものは両袖に人用のボックスがあり、その間に車を乗せるようになっています。
私たちはネルビオン川の左岸のポルトゥガレテ(Portugalete)からアプローチし、対岸のゲチョ(Getxo)にゴンドラで渡りました。ゴンドラはワイヤーで吊られているだけなので少々揺れるかな、と思ったのですが、乗ってみると意外とこれが揺れず、動いているのがわからないほどスムースに移動します。
現在、この橋の上部は渡れるようになっていて、上ってみるとこんなふう。
二つ前の写真でわかるようにこの通路は建設当初はなく、あとから観光用に整備されたもののようです。ゴンドラ料金はかなり安いのですが、ここに上るには7€もします。
木のデッキの両側の下にゴンドラを吊り下げるレールが走っていて、そこを滑車が付いた台車のようなものがあっちへ行ったりこっちへ来たりしています。現在のゴンドラの運転は自動制御だと思いますが、手前に見えるボックスの中には制御係と推測される人形が置かれているので、かつてはここでコントロールしていたのかもしれません。
デッキを渡ってみるとかなり高く、床板の隙間から下が見えて、かなり怖い。
ここに展示されていた古い図面によると、橋桁の下までの高さは40m。なぜこんなに高いのだろうかというのが最初にこの橋を見たときの感想なのですが、理由はもちろん船が下を通過できるようにです。
問題はそんな大型船がここを通ることがあったのかということなのです。現在はここを通る船はほとんどないように見えます。その理由は港がこの橋より海側にあるからです。しかしこの橋が建設された当時の港は、ここより上流のビルバオの旧市街のすぐ近くにあったのです。この図には帆船が描かれているので、かつては大型の帆船がこの下を行き来したのでしょう。
この高さになると、普通の橋では長大なスロープが必要になるので、運搬橋という発想はなるほどと思わせるものがあります。
当然ながらこの計画の初期には、潜水艦を含めたあらゆる可能性が考えられたといいます。現在の船の交通量から見れば『渡し』が現実的に思えますが、当時はそれが通れないくらいの船の行き来があったのでしょう。
さて、ビスカヤ橋を見学したら右岸のゲチョ地区の湾を覗いてみます。
ネルビオン川の出口のすぐ横はビーチになっており、その先はヨットが停泊するマリーナ。
左端に見える白い建物は救命ボートステーションで、その手前の高台には高級住宅がびっしり。
この海岸には遊歩道が通り、それに面してこんなお屋敷が並んでいるのです。
さらに先へ行くと、先ほどより広いビーチが続き、その先に小さな岬が見えます。
あの岬の先がビスケー湾、大西洋です。
湾沿いの道は岬の手前で行き止まりになり、その少し手前に小さな古い港だというところがありました。
港には港町が付きもの。この港のすぐ横の斜面地にそれはあります。
階段を上るとバルのちょっとした中庭のようなスペースがあり、若者が大勢たむろしています。ビーチでは遠泳大会のようなものが行われていたので、ちょっとしたお祭りでもあったのでしょうか。
この写真に見えるユニオンジャックの色違いのような旗は、バスク自治州の州旗であると同時にバスク国の国旗ともいえるもので、イクリニャ(スペイン語: Ikurriña、バスク語: Ikurrina)と呼ばれています。
バスクといえば言葉もスペイン語とは異なり、文字というかロゴタイプにも独自のものがあります。
この写真のものがそれで、このロゴを見ればそこがバスクと関係が深いところであることがわかるというもの。スペイン語ではあまり使われない『X』の文字が多いのも特徴です。
この時は何気なく見ていた赤と白のこの旗は、ビルバオのサッカーチーム、アスレティック・クラブのものなのですが、帰国直前のビルバオの街にはこの旗がずらりと並んでいるのでした。
その理由はまたあとで。
良い港というのは海から急激に立ち上がる地形のところにできると言われますが、ここもその条件に当てはまりそうです。というわけで、ここは坂だらけで、狭い道というか通路に沿って民家がひしめいています。
バスクの家の特徴はいくつかあるのですが、もっともわかりやすいのが窓の色で、これは国旗同様の赤、もしくは緑が使われます。ここでは圧倒的に緑に塗られた窓が多かったです。
ビスケー湾近くの様子がだいたいわかったところで、ビルバオに戻ることにします。
やってくる時はネルビオン川の左岸を使ったので、帰りは右岸で。
ネルビオン川の右岸にはビルバオの中心部までずっと道が続いており、交通量も大したことはないのでこれをずっと行ってもよかったのですが、周りは工場地帯であんまり面白くないので、途中から川を離れ高台に上ってみました。
これが間違いのもとでした。景色はまずまずなのですが、もの凄い坂道の連続となって、アセアセ。12%超えが目白押しなのです。まあ、周囲をご覧ください。ビルバオの周りって意外と山がちなのです。
気温は日中でも25°Cとかなり快適なのですが、さすがに直射日光の下は30°C超えで暑く、これでもヒーヒー。
ということで結局、上ろうと思っていた高台に到達する前にあえなくダウン。
素直にビルバオに下ることにします。
ネルビオン川まで下ると、先に、ビルバオの中心部にあるシーザ・ペリ設計のイベルドローラ・タワーが見えてきます。
このタワーは全高165mで、ビルバオのみならずバスク州でもっとも高い建築物です。そしてこのあたりは世界的な建築家の博物館の様相を呈してもいます。
イベルドローラ・タワーの前にある建物はアルヴァロ・シザの設計。
これらのすぐ先にはビルバオでもっとも有名な建築物である、フランク・ゲーリー設計のビルバオ・グッゲンハイム美術館が建っています。
この建物の建築家選定はコンペティションによって行われましたが、『誰も見たことがないユニークなデザイン』とニューヨークのグッゲンハイム美術館にある吹き抜けのような『劇的な空間』が求められました。
選出された設計者は少なくとも前者については、解を出したと言えそうです。
建物の外装には当時はまだ珍しかったチタニウムと石灰岩が使われています。
この美術館は現代美術専門ですが、展示作品は結構楽しめます。内部の見学は旅から戻ってからしたのですが、ついでにここで紹介します。
表玄関前にあるジェフ・クーンズ のPuppy(子犬)は1992年にドイツの展示会のために作られたトピアリーですが、巡り巡ってここにあります。一般的なトピアリーには木が使われますが、ここでは花が使われ、きれいでかわいらしい。これはとにかく誰にでも楽しめる作品。
そしてネルビオン川側にはパリ出身の女性彫刻家、ルイーズ・ブルジョワの巨大な蜘蛛『Maman』が。
この巨大蜘蛛、どうやら世界に9匹いるらしい。東京の六本木ヒルズにも。
美術館の中に入ってみると、まずメインホールの吹き抜け。
ニューヨークの美術館ほどのインパクトはないけれど、これはこれでまあいいんじゃないかな。
そして一階は映像系作品の展示で、このジェニー・ホルツァーのインスタレーションは幻想的。もっとも、ここではテキストが重要だから流れてくる言葉がわからないと...
彼女の次テキストは一度くらいどこかで目にしているのではないでしょうか。
<食べ過ぎは犯罪である>
彼女の作品が日本で初めて発表されたのは、1991年にクリストが茨城県で『アンブレラ』を発表した時の、特急列車スーパーひたちの電光掲示板でではなかったかな。
さて、ここからはグッゲンハイム美術館の内部見学に続き、旅から戻った8月20日に歩いたものです。
グッゲンハイム美術館から川沿いに東へ進むと優美な歩道橋が現れます。
スビスリ橋はバスク語で白い橋という意味だそうで、これは見た目の通りですが、その意味だけではこの橋がちょっとかわいそう。スペイン語はおろかバスク語はまったくわからない私は想像でしかものを言えないけれど、ひょっとするとスビスリにはもっと深い意味があるのでは、と思ったりもします。
この橋はビルバオ空港で紹介したカラトラバの設計で、小ぶりながらヒューマン・スケールで上品。歩くと張力材がグワ〜ングワ〜ンとしなるけれど、歩行面はほとんど揺れない。
その先には磯崎新設計の超高層ビル、イソザキ・アテア(磯崎ゲート)が見えています。
スビスリ橋の袂のバルで休憩しつつ現地で手に入れた地図を眺めていると、このすぐ近くにフニクラール(funikular)という表記を発見。
ビルバオは旅の出入口としか見ていなかったので、この都市について事前の情報収集はほとんどしなかったのですが、ケーブルカーがあることは知っていました。フニクラールってフニクラ、ケーブルカーのことだよね、ということで、これに乗ってみることに。
アルチャンダ・フニクラールは市街地と標高240mほどのところにあるリクレーションゾーンのアルチャンダ山を結ぶ短いケーブルカーで、あっという間にアルチャンダ山に到着。
標高差は僅か200mほどですが、この高台からはビルバオの市街地がよく見渡せます。
右手にはグッゲンハイム美術館あたりが、そして左手にはネルビオン川がカーブした先にいくつかの教会の尖塔が建つ旧市街が見えています。
アルチャンダ山から下りたら、先ほど見えていた旧市街に向かいます。
ビルバオの旧市街は1300年に建設されたそうですが、その北端に建つのがバロック様式のサン・ニコラス教会。平面型は正方形で、ドームの外側は八角形。ファサード中央に鐘楼、両袖に塔が建っています。
この向かいにはパリのオペラ座をモデルにしたという、ネオバロック様式のアリアガ劇場が建っています。
このサン・ニコラス教会とアリアガ劇場の前のネルビオン川沿いは広場で、市民や観光客の憩いの場になっています。
この時は週末から9日間続くビルバオ最大のお祭りaste nagusia(グレート・ウィーク)の準備中で、あちこちでイベント会場や模擬店の設営準備で大忙しのようでした。
歴史ある都市の旧市街の中には古くさくてちょっと入りにくいようなところもありますが、今日のビルバオのそれはそうした空気とは無縁です。しかし1990年代には麻薬常習者やホームレスの巣窟だったようです。
それが一変したのはグッゲンハイム美術館が開館したことにより、ビルバオがサービス都市へと変貌を遂げたためです。旧市街もそのおかげで、現在ではビルバオでもっとも華やかな場所のひとつになったのです。
その旧市街の中でももっとも賑やかなのがヌエバ広場でしょう。
この広場は四角形の建物の中庭のようなもので、周囲にはポルティコが巡らされ、その奥にはバルがずらり。
バルの中にはアールヌーボー調のデザインのものもあったりして楽しい。
ここのポルティコは二階分あり、開放的で気持ちいい。
その一角に地元のサッカーチーム、アスレティック・ビルバオ(Athletic Club)の赤と白の旗が大々的に展開されているところがありました。
しかもここだけではなく、ビルバオの街中全体がこの赤と白の旗で埋まっているのです。実はアスレティック・ビルバオはスペイン・スーパーカップでFCバルセロナを破り、31年ぶりに優勝したのです。
ということで、とにかくビルバオではこの旗がそこら中ではためいているのです。ここではその両側にバスクの旗も飾られています。
さて、バルの話に戻ると、スペインのバルは、フランスのカフェ、イングランドやアイルランドのバー、ファミリーレストラン、キオスクを合体したようなもので、朝から夜遅くまで開いているところが多く、子供がミルクを飲んでもいいし、大人が昼間からビールを飲んでもいい。ちゃんとした食事ができ、ちょっとつまむこともできる。とにかく万能なところなのです。
つまみ文化というのは、日本のほかはこのスペイン文化圏のバルにしかないんじゃないかな。ここには小皿料理のタパス(tapas)、切ったパンにちょっとした食べ物を載せ、楊枝で止めたピンチョス(pinchos)があります。
タパスの代表はオリーブ(Aceitunas )で、これは飲物を頼むと付いてくることも。スペインのオリーブはどこで食べてもすごくおいしい。そのほか、生ハムにチーズ、イワシの酢漬けのボケローネス、コロッケ、オムレツなどたくさん。
ピンチョスの方はなんでもござれで、特に最近は洒落たきれいなものが多くなっているようです。私たちはヌエバ広場で、サーモンとバカラオが載ったものを試してみましたが、どちらもすばらしくおいしかった。
旧市街は別名『7本の通り』とも呼ばれます。建設当初、通りは三本のみだったようですが15世紀にさらに四本が整備され、それぞれの通りは細い路地で繋がれました。16世紀になると街を拡張するためそれまであった城壁が取り壊され、さらに多くの通りが建設されたそうです。今日もこれらの通りのうちいくつかが残っているようですが、どれがそうなのかはよく分からなかった。
旧市街の建物に限らないのですが、このあたりの建物のバルコニーはガラス張りです。暑い地方ではまず考えられないのですが、ここスペインの北海岸沿いは冬寒いので、こうした構造になっているのでしょう。
旧市街の中心だったのはこのサンティアゴ教会(Catedral de Bilbao - Santiago)でしょう。
この教会はビルバオがサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の途上にあったために建設されたものだそうで、14世紀に建て始められたものの完成は19世紀の終わり頃と、かなり長い年月をかけて建てられました。
旧市街の中でもゴシック様式を残す数少ない建物の一つです。
そうそう、このあたりでよく飲まれるワインにチャコリ(バスク語: Txakoli, スペイン語: Chacolí)があります。そのほとんどは白ワインで、淡い緑色をしており、微発砲、辛口、酸味が強く、アルコール度数は低めです。これはポルトガルのヴィーニョ・ベルデとよく似ています。深く味わうタイプではなく、食前酒として、ピンチョスの相方として、また暑い日のビールの代わりに最適です。
今回の旅で感じたことの一つに、このあたりには果物屋がとても多いということがあります。スペイン人は果物好きだったかな。
そしてスペインの野菜といえばパプリカです。パプリカを使った料理のバリエーションはすごく多く、そのどれもがすばらしくおいしい。
さて、ここビルバオから私たちは『緑のスペイン』の旅を始めます。次の街はカンタブリア州のサンタンデール。ここからバスで移動し、ビーチで遊び... そして巡礼の道の『北の道』を走り出します。