今日はサンティリャーナ・デル・マル(Santillana del Mar)から、キリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の道の『北の道』を辿り、大西洋に面した入り江の街サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラ(San Vicente de la Barquera)までです。
サンティリャーナ・デル・マルの村はずれにある私たちの宿は、お父さんと息子が経営する小さなもので、なかなか快適でした。
ここには本当のスマイルがあり、心より私たちを歓迎してくれ、親身になって相談にのってくれました。
その快適な宿をあとにし、まず向かうはサンティリャーナ・デル・マルの郊外にあるアルタミラの洞窟です。
村を出るとすぐに上りになり、この日はしょっぱなからアセアセ。
アルタミラの洞窟は社会科の教科書に載るくらい有名ですから、そこに描かれている壁画の写真はだれでも一度は目にしているでしょう。これはユネスコの世界遺産にも登録されています。当初は単独の登録でしたが、その後この周辺にある同様の壁画17箇所が追加登録され、現在は『アルタミラ洞窟とスペイン北部の旧石器洞窟美術』となっています。
残念ながら今日、ここの洞窟は保全のため非公開となっていますが、たいへんよく造られたレプリカを展示する博物館があります。旧石器時代末期、今から1.8万年から1.4万年前ごろに描かれた、野牛、イノシシ、馬、トナカイなどが躍動する姿は、レプリカといえど充分見応えがあります。内部は撮影禁止なので壁画の写真はありませんが、WEB検索でたくさん出てきますから、どうぞそちらで鑑賞ください。
アルタミラからもしばらく上りが続きます。この周辺はのどかで静か。ただ丘の中に草原が広がるだけです。
この日の天気は一日曇りの予報ですが、ここで雨がパラッと降ってきました。
気温は17〜18°Cあるのですが、ちょっと寒さを感じます。
しかしこの雨はほんの一瞬で上がってくれました。
ほどなく道は丘のピークを越え、下りに。
丘の様子はこんなふうで、そこら中アップダウンだらけです。
そんな中で牛がのんびり草を食んでいます。
アルタミラからは巡礼の『北の道』が通っているオレーニャ(Oreña)に向かっているのですが、道は途中からこんな地道になってしまいました。
その地道をなんとか切り抜け、小さなオレーニャ村を通り抜けると、どうやら『北の道』に入ったようで、明らかに巡礼者とわかる人々が歩いているのに出会うようになります。
ヨーロッパ中からサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して、こうした巡礼者が大勢歩いているのです。
ここはちょうど丘の上に教会が建っていて、いかにも巡礼の道といった雰囲気があります。
教会を過ぎると、先にまた巡礼者が歩いているのが見えます。こんなふうに、巡礼の道には数百mおきに巡礼者がいるのです。
この『北の道』にはいったいどれくらいの巡礼者が歩いているのでしょうか。巡礼の道は『北の道』だけではなく至る所にあるわけですから、その総数はちょっと想像できませんね。そういえば、去年の夏、ベルギーでこれからサンチャゴ・デ・コンポステーラへ行くという自転車乗りに会ったのを思い出しました。
オレーニャの次の村はコボレドンドです。『北の道』はまっすぐコボレドンドに向かっていますが、私たちはここで大西洋を眺めようと『北の道』をちょっと外れました。
そうしたら途中からまたまた地道になっちゃって、ありゃまあ。。ゆっくり大西洋を眺めているどころではなかったのでした。
しかも上りがあって、ここはちょっと大変だった。しかしなんとかコボレドンドに辿り着きました。
こんな具合に私たちの旅はこの先でも時々『北の道』を離れ、適当に進んで行きます。
コボレドンドからはアスファルトに戻ったものの、しばらく上りが続きます。
『北の道』はシグエンサ(Cigüenza)に向かいますが、その入口の道は地道のようなので、ノバーレス(Novales)に向かうことにしました。
ノバーレスはレストランや銀行がある、このあたりでは比較的大きな村です。
ノバーレスからシグエンサに入ります。そこには18世紀に建てられたバロック様式のサン・マルティン教会(Iglesia de San Martin)があります。
というよりここは、この教会とその周辺にある数軒の民家だけの村です。
この教会が建設された頃、スペイン人の一部はアメリカ大陸などに進出していました。そうした人々をインディアノス(indianos)と呼びますが、その中で成功を収め富を手にした人々はその後故国に帰って来て、教会を建てたり豪華な屋敷を建てたりしました。
この教会はシグエンサに生まれペルーで財を成した人が、リマにある教会をモデルにして建てたものです。そんなわけでか、一般的なバロックの教会に比べフォルムは単純で、ずしりとしています。
祭壇は18世紀後半のロココ様式。
これも植民地のものをモデルにしたのか、一般的なロココのものとは異なり、カラフルな大理石や金は使われず木製でしかも彩色もされていません。
シグエンサからは再び『北の道』を行きます。主要な巡礼路には、そこが巡礼路であることを示す案内が必ずあります。
その代表的なものはこの一番下にあるホタテ貝のマークで、一番上の赤い十字架もたまに見かけます。もっとも頻繁に目にするのは真ん中の黄色い矢印で、これは道の要所要所に必ずあるといっていいほど、あちこちにあります。
その黄色い矢印に導かれて、コブレセス(Cóbreces)に到着。
時は13時半。日本でならもうとっくに昼食にしていい時刻ですが、ここスペインではまだ早い。しかしバルのつまみならいつでもOKです。
少々小腹が空いたので、このあたりの名物だといういかフライ(rabas)を。いかフライなんてものはどこにでもあるので、ことさら名物もなかろうと思うのですが、これが意外や意外で、かなりうまかった。地中海岸ではいかが違うのか、油が違うのか、それとも調理のせいなのかわかりませんが、あんまりおいしいと感じたことがないのに、ここのは名物と言ってもおかしくないほど、確かにおいしい。
コブレセスの先で、ルアーニャビーチ(Playa de Luaña)に下りました。
小さなこのビーチの横にはバルがあり、海を眺めながら食事をしてもよかったのですが、この日ビーチにはだれも居らずひっそりとしていたので、先へ向かうことに。
このビーチは二方向からアクセスできるので、ビーチを突っ切り反対側の道に出ました。
するとそこには、あの巡礼路を示すホタテ貝と黄色い矢印の表示がありました。
ルアーニャビーチを出ると、海抜100mまで一気に上ります。(Top写真) これがけっこうきつい。
この上りが終わると、先にコミージャス(Comillas)が見えてきます。写真の奥から二番目の海に突き出したあたりがコミージャスの港です。
コミージャスの手前にあるリアンドレスを通過。ここには小さなかわいらしい教会が建っています。
どんどん下ってコミージャスのビーチに到着。
この日はかなり海が荒れていて、ここでも泳いでいる人の姿はなし。
コミージャスに入ると、高台に塔が見えてきます。これはコミージャスのシンボルのようになっている、グエル・マルトス公園(Parque Güell y Martos)のものです。
その公園に上ってみれば、先ほど通ったビーチあたりが一望にできます。
のちのコミージャス侯爵(初代)は19世紀にキューバで財を成し、生まれ故郷のこの地にその財を投下します。起業家に声を掛け、当時最先端を行っていたカタルーニャからガウディを始めとする建築家を招いて様々な建物を建設し、アルフォンソ12世を招いたことから、この地は発展を遂げます。
ちなみにこの公園はこの侯爵を讃えるために造られたもので、Güell y Martosは現在のコミージャス侯の名です。現コミージャス侯はまた、ガウディの最大のパトロンだったグエルの子孫でもあります。
ということで、この街にはカタルーニャ・モデルニスモの建物がたくさんあるのですが、その見学は後にして、漁港がある岬へ向かいます。
というのも、昼食がまだだからなのです。時は15時。スペインでは昼食のピーク時です。
コミージャスはかつては捕鯨をしていたこともある港町でもあるので、おいしい魚介類が期待できます。あっ、捕鯨は18世紀には終わっていて、現在はイワシ漁などがメインのようですが。
岬のレストランにアサリがあったのでやってみました。アサリは私たちが貝類でもっとも好きな食べ物です。
日本のアサリの漁獲量はどんどん減っていて、滅多に食べられなくなってしまいましたが、このあたりではどうなのでしょう。ちょっと気になるところではありますが。
海外のアサリの中には日本のそれとはちょっと違う外形や味のものもありますが、これは外形も味もまったく同じで、とてもおいしいです。
さて、ちょっと遅めの昼食のあとは街の散策です。
先に述べたように、ここにはカタルーニャ・モデルニスモの建物がたくさんあり、それらを巡るルートが設定されているので、これを参考に廻ることにしました。
ところが持っていた地図が不鮮明で、あらぬところをうろうろ。
まあそんなところにも、それなりのものがあって楽しいのですが。
やっと辿り着いたのがガウディの『モーロ人の門』(Puerta de Moro)。
これの別名は『鳥の門』で、この名は上の方にある丸い穴が鳥が通れるように開けられたという逸話からきています。
この建物は二人の人がプロモートし費用を出した病院で、ガウディの同級生で仕事仲間でもある建築家によって設計されています。彼はあとで出てくるエル・カプリッチョなど、ガウディのいくつかの仕事に協力しています。
現在は病院としては使われておらず、高齢者のための施設になっているようです。
街の中心はサン・クリストバル教会(Iglesia de San Cristóbal)。
この教会は17〜18世紀に建てられたもので、バロックから新古典主義の様式を持っていますが、このあたりのバロック建築はあんまりバロックっぽくなくて、落ち着いた表情をしています。
さて、いよいよガウディのエル・カプリッチョ(El Capricho)です。これはガウディの初期の作品です。
caprichoは『気まぐれ』というほどの意味で、日本でこの建物は、『気まぐれ館』とか『奇想館』と紹介されることもあります。外見はご覧の通り、まさに気まぐれで設計したようにも見えます。
この建物は、キューバで財を成した音楽と植物が好きな弁護士で、初代コミージャス侯爵の義弟となった貴族が、夏用の邸宅としてガウディに依頼したもので、現在は博物館になっています。ガウディのパトロンだったグエルは、コミージャス侯爵の義理の息子でした。
現地で現場監督を務めたのは先の病院を設計した建築家で、ガウディ本人は現場を見ていないようですが、かなり細かな指示を下していたようです。
外観でまず目につくのはイスラム風ともいえるミナレット。この建物と同時期にガウディは東洋色の濃いカサ・ビセンス(Casa Vicens)を設計しており、これら二つにはどこか共通するものが伺えます。
次に目につくのは何と行っても、建物全体に貼り巡らされたヒマワリのタイルでしょう。
これは植物が好きな建築主への配慮だったのかもしれません。
もう一つ外観で目につくのは、鉄のバルコニー。ガウディはバルコニーの手すりや門扉などで鉄の造形をいくつも残していますが、ここにもそれが見られます。
デザインこそ後期の仕事にくらべおとなしいですが、このバルコニーは室内とのつながりがよくて、ベンチも設えられていて気持ちいい。
室内で驚くのがこの南に面した真っ白なアトリウム。ここは建設当初は植物好きの建築主の趣味を反映した温室だったようですが、現在はラウンジのような使われ方をしています。
ガウディの建物はどちらかというと、暗くずっしりしたものが多いので、こんなデザインをガウディがしたことにちょっと戸惑ってしまいます。
この部屋は寝室で、隣にはタイル貼りの大きな浴室が付属しています。
このほか、大きな窓があるメインパーラーや三角形の屋根裏部屋など、意外と落ち着いた上品なもので、居心地がよさそうなところです。
エル・カプリッチョの隣にはネオ・ゴシック様式のソブレジャーノス宮殿(El Palacio de Sobrellano)が建っています。
この宮殿は例のコミージャス侯爵が建てたもので、設計はガウディの師とされる人です。そして先の病院の建築家はここでも現場監督をしています。このすぐ横には付属の礼拝堂(La Capilla Panteón)があり、ガウディはここの祭壇にも仕事を残したようです。
時は19時近く。今日はコミージャスで終わりではないので、先を急ぎます。スペインは日没時刻が遅いので、活動時間が長いのがありがたい。
コミージャスを出ると向かいの丘に立派な法王庁大学が見えます。この大学はソブレジャーノス宮殿同様、ガウディーの師が計画したもので、ゴシック的なムデハール様式のよう。これを見ると、あのガウディにしても、その初期の作品には師の影響があるのかもしれないと思わせるものがあります。
コミージャスからは上って下り。カピタン川を渡ってオヤンブレビーチに辿り着きます。
このあたりは自然公園(Parque Natural Oyambre)になっているようで、出入りの激しい海岸線と穏やかな表情のビーチの対比が面白いのですが、この時の海はかなり波が激しく、のんびりビーチを覗いている雰囲気ではありません。
オヤンブレビーチから小さな丘越えると、本日の終着地のサン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラです。
まあとにかく、このあたりは最初から最後まで丘ばかりなのです。
ようやく下りになると、ごうごう唸る海の先に、サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラを包み込む湾がある半島状に見える影が見えてきました。
ビーチまで下り、もう一安心と思ったら、その先にも上りが。こういう上りは結構つらい。
そして今度こそ上りはおしまいとなって、先にサン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラと街に入る長い橋が見えてきました。この橋はずいぶん歴史があるもののように見えます。
高台には中央に教会が、少し右手にはお城のようなものが見えています。
晴れていればその後ろにカンタブリア山脈が見えるはずなのですが、この日は残念。街の散策とカンタブリア山脈の眺望は明日におあずけです。
サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラの旧市街があるゾーンはとても狭く、その海側には公園が整備されています。
その先の橋を渡ると、拡張された新しい街に入ります。私たちの今宵の宿はその奥、一番海側にあります。
なんとか宿に辿り着いたのは20時半を回ったころ。荷を解き、シャワーを浴びて一休みするとちょうど夕飯時です。スペインの夕飯は21:00からで、ピークタイムは22:00ごろなのです。
ここは海辺の街なので当然魚介類を。昼は介の方だったので、今度は魚にしてみます。マグロ、カツオ、スズキにタイ、もちろんこれらのほかメルルーサやバカラオもありますが、ここには大きなヒラメがいたのでそれを試してみました。
調理方法を聞いてきたので、あっさり頼むよ、といったら、さっとソテーして、軽く塩とパセリなどのハーブで味付けされたものが出てきました。レモンとガーリックオイルでお好みに、というもので、ちょっと贅沢な気分。最近のスペインは料理界ではかなり先鋭的だといわれているようで、こうした料理を見ると、かつてのフランスのヌーベルキュイジーヌを思い起こさせるものがあります。
りんご酒のシドラや軽い飲み口のワイン、チャコリはすでに紹介したので、ここでは食後酒のオルホ(orujo)を。
これはブドウ滓から作られる蒸留酒で、主にレオン、ガリシア、アストゥリアスあたりで製造されていて、イタリアのグラッパやポルトガルのアグアルデンテと基本的には同じものです。蒸留したままのクリアーなブランコ以外にも数種類あり、ベイリーズのような味のクリーム(crema)やハーブが入ったものなど様々です。写真はハーブを漬け込んだものでかなり甘い。
さて明日は、まずカンタブリア山脈をぜひ眺めたい。そしてコロンブレス(Colombres)でインディアノスの豪華ヴィラを見学し、リャネス(Llanes)の歴史的な地区を廻り、その先の小さな村ポー(Póo)のひっそりとした海岸でのんびりします。