朝7時、ここではようやく日の出を迎えるころの時刻に目覚めると、サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラ(San Vicente de la Barquera)の大西洋はうっすらと朝焼けのオレンジ色に染まっています。
そして反対側にはカンタブリア山脈が間近に迫り、その前の高台に教会らしい塔が見えます。
昨日は曇りで、このカンタブリア山脈はまったく見えなかったのを残念に思っていましたが、今日はその鬱憤を晴らしてくれてなお、お釣りが来るくらいの快晴です。
昨日までの行程を振り返ると、道は地道やアップダウンの連続で少々厳しく、それに加え、きれいな景色や見どころが結構あるので、予定していたタイムスケジュールよりかなり遅れる傾向にありました。そこで今日は予定より少し早めに出発することにしました。
昨日はサン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラを散策する時間がなかったので、まず見どころのお城と教会に向かいます。ここは入り江に面した街で、その入り江にはボートがたくさん浮かんでいます。
私たちの宿は新しい街にあったので橋を渡り、古い街に入ります。その橋からは丘の上に建つ教会が良く見えます。
橋を渡り切るとすぐ、教会とお城(Castillo del Rey)へアプローチする道が現れます。
この道は石の舗装の上、かなりの急坂。
その坂をへこへこと上って行くと、自然の岩の上に建つお城のすぐ横を道は通って行きます。
このお城の起源は8世紀まで遡るようですが、現在見ることができるのは13世紀の初頭に建てられたものだそうです。
早朝のこの時刻では到底内部見学はできないので、ここはちらっと横目に見ただけで通過、先にある教会に向かいます。
お城のすぐ上には小さな公園があり、そこからは街が面する入り江がよく見えます。
橋の左手が拡張された新しい街です。ここの入り江は、入り江というより、川の河口が広がったもののようでもあります。
坂の一番上にあるのが、サンタ・マリア・デ・ロス・アンヘレス教会(Iglesia de Santa María de Los Ángeles )。
この教会は13〜14世紀に造られたゴシック様式の建物で、よくあるようにその後も手が加えられており、塔とアプスは19世紀後期のものだそうです。
しかし全体には、かなり初期の形態をよく残していると思います。この教会は内部が良さそうなのですが、残念ながらここも入れませんでした。
ここの横からは、あのカンタブリア山脈が見事に見えます。(TOP写真)
サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラはお城と教会を除くと古い建物はほとんど残っていないようなので、街の見学はこれで切り上げ、本日のルートに向かいます。
お城教会ゾーンからは西へ国道が延びています。このあたりは国道とはいっても交通量は大したことはないのでこれを行ってもいいのですが、それ以外に道があるなら、やっぱり国道は通りたくないものです。ということで、ちょっと宿の方へ戻ってカントリーロードを行きます。
道はいきなり超激坂で市街地を駆け上りますが、これは20%もあるのでへこへこと押し。そして丘の上に出ると、そこからも穏やかなアップダウンが続きます。
赤牛さんが草を食む道は地道。日本では地道は見つけるのが大変なくらいですが、ここにはそこら中に地道があります。
昨日の大西洋は灰色でしたが、今日はそこに、あの青が戻ってきています。
昨日同様今日も一日大西洋に沿って進むので、ずっとこの青が楽しめそうです。
そしてカンタブリア山脈です。これも今日一日楽しめそう。
カンタブリア山脈は大西洋ビスケー湾のカンタブリア海に沿って東西300kmに渡り連なり、東はフランスとスペインの国境に横たわるピレネー山脈に、西はガリシア山地に繋がっています。今回の旅は、このカンタブリア山脈とともにあるといってもいいのです。
このあたりは、大西洋からカンタブリア山脈まで20kmほどとかなり近いので、いつでもどこでも山が見えるのです。
山もいいけれど、海もいい。サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラのすぐ西に、ちょっと面白そうな海岸があるので寄って見ました。でも海岸は標高0mだから、せっかく稼いだ位置エネルギーを放出しなければならないのがちょっと辛い。
この海岸は入り組んだ小さな入り江で、複雑に飛び出したり凹んだりしている陸地に波が押し寄せ、先の方にある岩には穴が開いています。そして水の色がハッとするほどきれいなのですが、写真ではこれはちょっとわかりませんね。
この写真でわかるように、スペインの北海岸はリアス海岸なのです。ちなみにリアスはこの西のガリシア地方にある地名です。
海の次は陸、丘です。このあたりには海のすぐのところに海抜100mほどの丘があって、海岸に行くにも内陸に行くにもこの丘を越えなければならないのです。まあとにかくこのあたりには平らなところがないのですよ。いつでも上っているか下っているか。
そんなアップダウンも景色がよければとても楽しい。ここの内陸側には、カンタブリア山脈の手前に穏やかな山が見えています。
ナンサ川の河口、リア・デ・ティナ・メノールまで下りてきました。
川だからここも標高が低い。ということで、ここからも当然上り。
ペチョン(Pechón)の村までやってきました。
ちょっとまてよ、ペチョンにも良さそうな海岸があったな、ということで、村から海岸に下りてみます。この海もきれいです。
リオ・カブラ。テバ川の河口です。
この川がカンタブリア州とアストゥリアス州の境で、これを渡るとアストゥリアス州になります。
テバ川を渡る橋はウンケラ(Unquera)にありました。
ここはわりかし新しい街のようです。
そしてテバ川を渡るとブスティーオ(Bustio)となります。この村からがアストゥリアス州です。
ここには巡礼の道の印があります。巡礼のシンボルであるホタテ貝のマークの横には Camino de Santiago と書かれています。Camino は道のことで、Santiago は Santiago de Compostela のこと。この『サンティアゴの道』こそが巡礼の道で、ここはそのうちもっとも北を通る『北の道』なのです。
このあたりでうろうろしているとみんな必ず、『カミーノを探しているのかい。それならあっちだよ。』と声を掛けてくれます。巡礼の道はただ『道』、カミーノとさえ呼ばれるのです。
このブスティーオからのカミーノはもの凄い激坂でした。自転車を押し上げるのも辛いほどです。
このカミーノの下の川沿いには普通の道が通っていて、車はみんなそっちを通るから、ここは安心して歩けるのですが、自転車ではきつい。カミーノはこんなふうに車が通らない道が選ばれているようで、それ故に地道だったり激坂だったりすることもしばしばなのです。
カミーノには、街角以外にも案内標識が設けられています。
これは激坂カミーノの途中にあったもので、ホタテ貝のマークと黄色い矢印が書かれていました。
時にはこんなものも。
巡礼者がサンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう道はすべて巡礼路ですが、それらのうち主要なルートが、いつのまにか『○○の道』のような名称で定着していったのでしょう。こうしたものがいったん定着すると、さらにそこを通る人が多くなるものです。
この『北の道』にも巡礼者がたくさん。
激坂カミーノが終わって、コロンブレスに到着です。
コロンブレスもこのあたりにある他の村同様、ぱっと見ただけではどうということのないところですが、ここにはちょっとした見どころがあります。
村の中心はこの19世紀に建てられたサンタ・マリア教会(Santa María de Colombres)で、
その横に、この村の規模からするとちょっとそぐわないような立派な水色の建物が建っています。
この建物はインディアノス(Indianos)のヴィラを代表するもの一つで、現在は移民博物館になっています。
インディアノス(Indianos)とはアメリカ大陸に渡った移民を指す言葉で、その時期は地域や見方によって少し異なるのか、昨日見た教会の解説では18世紀からとなっていたのが、ここでは19世紀後半から20世紀初頭にかけてとなっています。
ここアストゥリアスからは多くの人々が移民としてアメリカ大陸に渡っており、そこで成功した人々は故郷に遺産として宮殿のような建物を建てたのです。こうした建物はこの近くだけでも12あるといい、州内には二千以上もあるそうですから、ちょっと驚きです。
この建物はメキシコで財を成し、メキシコで亡くなった方の未亡人が20世紀の初頭に建てたもので、キンタ・グアダルーペ(Quinta Guadalupe)と呼ばれています。
成功を収めたインディアノスの中には、故郷に教会や学校、病院といったものを建て、故郷の福祉や発展に尽くした人も大勢いたようです。
もちろんインディアノスのすべてが成功したわけではなく、逆に多くが貧しいまま新大陸で土になったかもしれません。
この博物館には、当時の様子を知ることができる資料が数多く展示されています。
コロンブレスからしばらく行くとカントリーロードが潰え、国道に出ます。
この国道を2kmほど走ったラ・フランカ(La Franca)から、カミーノは横道に逸れて行きます。
そこには例によって巡礼者が歩いています。この方は巡礼者のトレードマーク、ホタテ貝をぶら下げています。
カミーノは自転車には危険。これはここまでで充分承知してはいたのですが。。
道は森に入り、路面はアスファルトから砂利に変わりました。そしてこの先、20%はあろうかという上りに。押しても自転車がずり下がってしまう。。。
押し上げては休み、押し上げては休みを繰り返して、やっと国道に出た! この時は、国道もさっきの山道からすれば天国と思えるほどでした。
ここはカミーノもこの国道を行くしかないようで、道脇に大きなホタテ貝の標識が立っています。
カミーノはまだ先まで国道を行くけれど、私たちは少し手前のブエルナ(Buelna)でこれを離脱。
ここには珍しく、南の地方で良く見る花が咲いていました。
ブエルナからの道は海岸へ向かい、小さなビーチに出ました。
ここでは結構な人が海に浸かっていて楽しそう。
ビーチは楽しそうでも、そこを通る道はこんな砂利道でアセアセ。
この道は私たちが参考にした資料ではカミーノではないのですが、ここにもカミーノを示す案内がありました。こうした例はここの他にもあちこちで見かけました。
カミーノは決められた一つの道ではなく、あらゆるところがカミーノなのです。
今日は海の色も絶好調です。
ペンドゥエレス(Pendueles)に到着。
ここも小さな村なのですが、このあたりに一軒だけあるレストランで昼食です。時は14時半で、そろそろみなさんお昼をと集まってきています。
ペンドゥエレスを出ると、またまた砂利道。
横は牧草地とトウモロコシ畑、先には山が見え、走る環境はいいけれど、こう砂利道ばかりだと、やっぱりつらい。
ラ・パス(La Paz)というキャンプサイトを抜けると小さな川があり、その先にビーチがありました。
ここもちょっとした人の出があります。
このビーチの先の道がわからずうろうろしていると、近くにいた人が、『カミーノならそこの坂を登るんだよ〜』と教えてくれました。このあたりで外国人といえば、カミーノを行く人々に決まっているようです。
で、『そこの坂』がもの凄い激坂でハヒハヒ。やっぱりカミーノは自転車ではきつい。
そしてその先には、当然のごとく砂利道が続いているのでした。
この砂利道を黙々と漕いで、プロン川(río Purón)に出ました。この川はものすごくきれい。
この川辺には散策路があるようで、そこを歩く人や川で水遊びをしている人の姿があります。
その先のアンドリン(Andrín)からは坂を上ってバリョータビーチ(Playa de La Ballota)に到着。上ってビーチとはおかしいのだけれど、これは本当です。まあビーチそのものはずっと下で、それを見下ろす道が海抜140mほどのところを通っているということなのですが。
ここは陸も川も海も美しい。
この海岸にはこんな道が続いていたのですが、これは危険極まりない。これを行ったらいったいどうなってしまうのか。
ということで、さすがにこの道は遠慮させてもらいました。
アンドリンからはちゃんとしたアスファルトの舗装路でリャネス(Llanes)に辿り着きました。ここは下りだったのが嬉しかった。
リャネスはちょっとした街で、意外と観光客で賑わっていました。観光客が多いということは何か見どころがあるに違いないのですが、ちょっと疲れていたので、街の観光は明日にして中心の広場でバル休憩です。
リャネスで休憩したあとは、その先2kmほどのところにある今宵の宿、ポー(Póo)に向かいます。
このあたりからは、カンタブリア山脈の中核を成すピコス・デ・エウロパ(Picos de Europa)とその手前に横たわるシエラ・デ・クエラ(Sierra de Cuera)の眺望があります。
シエラ・デ・クエラはリャネスの南6kmのほどのところにあり、東西30kmに渡り延びる山脈です。
ピコス・デ・エウロパはヨーロッパの頂という意味で、海岸から20kmほど内陸にあり、2,000m級の山々が連なっています。
ここから見るとそれは、手前のシエラ・デ・クエラの上にちょっとだけ顔を出していました。
ピコス・デ・エウロパとシエラ・デ・クエラの眺めを楽しみつつ進んで、ポーの宿に到着です。門の上にはスペインの旗、アストゥリアスの旗、そしておそらくこの村のものと思える旗が掲げられています。
この宿はかなり古いもののようで部屋は狭いのですが、じょうずにリノベーションされていて、なかなか快適です。ここは巡礼者には宿泊費が割引きになる優遇があるようでした。
一休みしたら、散歩と夕食を兼ねてビーチに繰り出します
ポーのビーチには21時半を過ぎてもまだ人がいました。私たちが席に着いたのはそのすぐ横のホテルレストランで、ビーチで遊ぶ人々と静かな海を眺めながらの夕食です。レタスの芽とアンチョビのサラダ、そしてアロス・ネグロ(イカスミご飯)をやってみました。サラダはヌーベルキュイジーヌ張り、アロス・ネグロもちょっと普通ではなかったけれど、これはうまく表現できません。とにかくどちらもとてもおいしいです。
今日も一日、アップダウンと砂利道に痛めつけられましたが、明日は休養日。リャネスの散策をしてこのビーチでゆっくり過ごすつもりです。