アストゥリアス州のポーは小さな村。私たちの宿はその中にある古い建物ですが、きれいにリニューアルされていて快適です。
この塔は改修される前はなかったようですが、現在は三階が増築されています。おそらくこの建物が建設された当初の姿に戻したのでしょう。
今日は休養日なので、少し遅めに起きて宿の中庭で朝食です。
スペイン人は一日五食食事をするなどと言われ、大食漢のイメージがありますが、たくさん食べるのは基本的には昼だけで、朝晩は大抵軽い食事です。朝食はほとんどの場合、なにがしかのパンとミルクコーヒー(café con leche)でおしまい。このミルクコーヒーはコーヒーとミルクを同量とすることが多いのですが、それぞれが別のポットで出てくることも多いので、この場合はお好みで。
あっ、スペインのコーヒーはイタリアのエスプレッソと基本的には同じもので、カフェ・ソロ(café solo)と呼ばれています。ミルクコーヒーのコーヒーはこのカフェ・ソロがベースなので、濃厚な味わいになります。
朝食のあとは、今日一日の予定を立てます。この村の El Romano では、りんご園の見学とおいしい食事ができるそうなので、宿の方に聞いてもらいましたが、予約で一杯でこれは断念。
とりあえず2km東にある隣町のリャネス(Llanes)を散策し、戻ってきたらビーチにでも行くことにしました。
ということで、まずリャネスに向かいます。
昨日は一日砂利道とアップダウンに痛めつけられたので、最後のリャネスからポーまでは幹線道路を使いましたが、今日はその道ではなく裏道を行きます。
この道はもちろん、当然のごとく砂利道です。このあたりはちょっと横道に逸れると、ほとんどが砂利道といった具合なのです。
今日もいいお天気で、5〜6km内陸にあるシエラ・デ・クエラ(Sierra de Cuera)がきれいに見えています。ここは『緑のスペイン』なので、山も緑に覆われています。
しかし残念なことに山頂は雲に覆われていて、その向こうにあるはずのカンタブリア山脈の中核を成すピコス・デ・エウロパ(Picos de Europa)は、今日は見えません。
リャネスの海岸沿いの車道の上には、サン・ペドロ散策路(Paseo San Pedro)があります。
ちょっとした公園風のこの散策路からは、大西洋のいい眺めが。
深い緑青の海と、そこに突き出るごつごつした白い岩の対比がきれい。
青い海、ごつごつした海岸線、赤い屋根の建物、その向こうに見えるシエラ・デ・クエラ。
とてもいい眺めです。
この散策路からリャネスの街を見ると、二つ三つ古そうな高い塔が見えます。あのあたりがリャネスの歴史的なゾーンのようです。
散策路の東端まで進むと、サブロンビーチ(Playa de Sablón)が見えます。
このあたりのビーチはみんなちっちゃいけれど、それが逆に手頃な感じで、こうしたビーチにはどこでも結構な人出があります。
サブロンビーチから視線を東に移すと、遠くには30kmに渡り横たわるシエラ・デ・クエラが立ち上がるあたりが見え、そのずっと手前の入り江の先に、サイコロのようなものが積まれた突堤が見えます。
サン・ペドロ散策路からの眺めを堪能したら、リャネスの歴史地区へ向かいます。
石造りの丸い塔と四角い塔が見えてきます。
リャネスのことはまったく事前調査していなかったので、もらった地図にある見どころNo.1に向かってみました。
そこはサンタ・マリア・デル・コンセーユ大聖堂(Basilica Santa María del Conceyu)。
この教会は13世紀に建て始められ、15世紀に完成した建物で、ロマネスク様式をベースにゴシック様式が加わっているようです。
その後16世紀には南面のポルティコが加えられました。
外観はロマネスク様式をよく残していて、がっしり、どっしりしています。
内部にも興味がありましたが、残念ながらこの時は入れず。
この教会の近くには何軒かの露天が出ていました。これはパン屋さんです。最近日本ではスペインの揚げ菓子チューロ(Churros)(チュロスとも呼ばれる)がはやっているそうですが、ここにはいろいろな種類のパンがありました。
30年前、初めてスペインに来たときはボカディージョ(サンドイッチのようなもの)に使うコッペパンをカサカサにしたようなパンしかなくて辟易しましたが、時代が変わって、今日のスペインのパンはそれなりにおいしいです。
そんなスペインでも、デザートとなるケーキ類は当時から豊富にありました。ここにも、オレンジを載せたもの、チョコレートとナッツ、そして真ん中に見えるアストゥリアスの紋章を象ったものなど、数種類が置かれています。
スペインを代表するデザートにフラン(flan)があります。これはプリンのことですが、かつてのフランは日本で食べるものよりずっと固く、大きく作って切って出されるものでした。日本では当たり前にかかっているカラメルソースがないことも良くありました。ここ数年、スペインで食べたフランはほとんど日本のものと同じで、かつてのフランは見かけません。これはもう絶滅してしまったのでしょうか。
大聖堂の横にはお城の塔(Torreón)が建っています。
この塔は13世紀に石灰岩で造られたもので、20世紀の中旬に復元されたようです。
直径は8mほどで、建設当初は当然軍事用の施設でしたが、その後は牢屋として使われた時期もあるようです。
大聖堂とお城の塔の周りにはかつての宮殿などもいくつか残っていますが、それらはほぼ残骸となっているようなので、ここからは街中をぶらぶらします。
まず市庁舎の前のカステーリョ通りを行ってみます。この道がリャネスのメインとなる通りです。
このあたりの建物は3〜4階建が多く、それなりに歴史があるものが多いようです。
『緑のスペイン』地域に共通なのか、ここにもガラス張りのバルコニーが見られます。
アンダルシアあたりの暑い地域に比べ、このあたりの冬は結構寒いので、こうしたバルコニーが多いのでしょう。
賑わいのある横道はマヨール通り。ここにはバルやりんご酒のシドラ(cidra)を出すシドレリエ(cidrerie)がずらりと並んでいます。
シドラはエスカンシアールという特別の注ぎ方がされますが、最近は専用の器具がその代わりを努めることも多く、シドレリエの中には店先にこの器具を据え付けているところも多くあります。
マヨール通りの先には小さなかわいらしいマグダレーナ・チャペル(Capilla La Magdalena)が建っています。この建物も13世紀のもののようで、とても古いものです。
リャネスはこのあたりでは比較的大きな街で、昔からそれなりに発達した都市だったようです。しかしことさら歴史的に重要な都市であったわけではないと思います。この街を含め、このあたりにこうした古い教会が多いのは、やはりサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路であったからに他ならないでしょう。
サンティアゴ・デ・コンポステーラは10世紀頃から現在に至るまで、それこそ数え切れない巡礼者を迎え入れているのです。
大通りに引き返し、反対側にあるコティエリョ・バホ通り(Cotiello Bajo)に入ってみました。
ここにも全面がガラス張りのバルコニーで覆われた建物があり、そのバルコニーからはリャネスの旗が何枚も吊るされています。スペインではこのように地方の旗が掲げられているのをよく目にします。この国は郷土愛が極めて強いようです。
リャネスの中心部を一回りして、マヨール通りとカスティーリョ通りの交差点まで戻ってきました。
その角にあるのがサン・ロケ・チャペル(Capilla San Roque)。何ていうことはないように見えるこのチャペルは14世紀のもので、巡礼者のための病院でもあったとか。
この右端に見えるのがその外観で、これはほぼ完全な状態で残っているのだとか。毎年8月16日にはこの前で、盛大なサン・ロケ祭りが行われます。
リャネスの主要なところはこれで見終わったようなので、私たちはこのすぐ横のバルで一休み。シドラが専用の器具で注がれることがあることはマヨール通りのところで言いましたが、このバルではさらにそれをコンパクトにしたようなものを使っていました。これは動画でどうぞ。
バルで一服したら港周辺の散策に向かいます。
港のすぐ外側の大西洋に面して、要塞の跡があります。こうしたものがあるということは、やはりここは中世にはそれなりの都市だったのでしょう。
その内陸側、マヨール通りの突き当たりとなるところには、サンタ・アナ・チャペル(Capilla Santa Ana)が建っています。
このチャペルはこの街の中では比較的新しく、15世紀に建てられましたが、現在見ることができるのはより後世のもののようです。港町だからか、内部の祭壇には17世紀のユニークな船があるようです。
サンタ・アナの横に建つのはガスタニャーガ宮殿(Palacio de Gastañaga)。
この建物はアストゥリアスの14〜15世紀の数少ない一般建築とのことで、17世紀に再建されたもののようです。宮殿となっていますが、当初はどうやら都市防衛の機能を持っていたようです。
建物は二棟あり、それそれは二本の空中通路で繋がれています。
港からさらに南にある灯台に行ってみました。
そこからはさらに南にあるビーチが見渡せ、
北には漁港の先の埠頭に、サイコロのようなキューブが積み上げられているのが見えます。
このキューブは護岸のためのものですが、どうやらアートにもなっているようです。
さて、今日の昼食は漁港にあるレストランで、またまた魚介類です。おいしい魚介類なら毎日でも私たちはいい。
これは、ちびホタテ(zamburiñas)。日本でよく食べられる大きいホタテ貝とは種類が違うようで、それとこれとはスペイン語も異なります。日本のホタテ貝もおいしいですが、このちびホタテを焼いたものはより味が凝縮された感があり、かなりいけます。
このあたりはインゲン豆の産地としても有名で、それを使った料理も豊富です。それらの中でもっとも有名なのはファバーダ(Fabada)で、これは白インゲン豆と塩漬けの豚肉、チョリソ、モルシージャなどを煮込んだものですが、ちょっとごつい。
そこでここは海辺でもあるので、白インゲンとアサリの煮込み(Fabes con almejas)をやってみました。アサリから出たダシを大きなインゲン豆がよく吸って、ほんわかした優しい味わいです。
のんびりランチのあとは、再び裏道を通ってポーに戻ります。
草原の中の地道を行けば、そこには牛のカウベルの音が聞こえ、正面にはあのシエラ・デ・クエラが横たわっています。
小さなポー村に戻ってきました。
地道や砂利道も、この日のようにのんびり行けば楽しく、どうということはないのです。
さて、宿でしばし休憩したのち、昨日行ったビーチに繰り出します。
宿の方が近道を教えてくれたので、その案内の通りに行くと、ビーチに流れ込む小川の畔に出ました。この小川は、川とはいってもかなり短いもので、そこら中から沸き出している清水が集まってできているもののようです。ここでも横の岸のあちこちからごく僅かずつ、ちょろちょろと流れ込んでいました。
ここが満ち潮の時には海になるところだとわかったのは、ビーチから引き上げる時でした。
このなんともいえないところを進んで行くと、昨日夕食をとったビーチに出ます。
ところがそこは、ビーチじゃなかった! 水がなかったのです、そこには。海には潮の満ち引きがあるのはだれでも知っていること。でも昨日ビーチだったところが海じゃあないなんてことは、予想もしていなかったからビックリです。
この写真は潮が満ちてきた帰りがけに撮ったものなので、それなりに水がある絵になっていますが、行った時にはまったくなかったのです。
海はその先にありました。写真でわかるかどうか、ポーのビーチは入り江の中のさらに入り江となった奥にあるのです。この写真のくびれの先にはもう一つ入り江があり、その先に大西洋があります。
着いた時はここには水がなく、外の入り江で泳いでいたのですが、見る見るうちに潮が満ちてきて、岩場に置いた荷物を移動しなければならないほどでした。内側の入り江は潮が引いている時には格好の潮干狩りの場となり、子供たちはカニかなにかを獲って遊び、潮が満ちればそこには波がほとんどなく、小さな子供が泳ぐのにうってつけで、ここは家族連れで賑わっているのです。
ひと泳ぎし、ビーチでまったりと過ごしたあとは、宿に戻って一休み。
だらだらしながら天気予報をチェックすると、明日はどうも雨らしいということで、自転車以外の移動手段を考えることにしました。リバデセーリャ(Ribadesella)まではバスがあるようなので、夕食がてら、バス停をチェックしに出かけます。
鉄道駅のすぐ近くのバルで聞くと、その目の前がバス停で、リバデセーリャまで行けることもはっきりしました。バスの調査はこれで完了。村の中を少し歩いて、このバルで夕食です。
ここは軽めにタパス(小皿料理)でも。このあたりのバルのメニューの必ず最初に書かれているのが、チョリソのりんご酒煮(Chorizos a la sidra)なので、まずそれを。もう一品はシンプルな小イカ焼(Chipirones a la plancha)、そしてサラダに海老ときのこが入ったものを。
右の陶器に入って出されたのがチョリソで、シドラで煮込んだだけあってかなりやわらかく、ほんのりと酸っぱ味があります。イカはあっさりとしておいしいけれど、小皿なのに超大盛りでちょっともてあましました。サラダの海老ときのこは炒めてあり暖かく、きのこはヒラタケのようなものです。これはサラダとしてはちょっとミスマッチかな。冷やしたらおいしいと思うけれどね。
さて、今日は一日まったりしたので明日は走りたいけれど、どうなるかな。