昨日と打って変わって今日は快晴。アストゥリアス州の小さな村アルディネス(Ardines)の朝は爽やか。
今日はここから2kmほどのところにあるリバデセーリャ(Ribadesella)の凸先の丘の上に立つエルミータに上り、その後、海岸を離れ、カンタブリア山脈の中核を成すピコス・デ・エウロパ(Picos de Europa)を目指します。
ここはピコス・デ・エウロパの西端の北側に位置しています。そのピコスがある方角を見れば、山が連なっているのが見えます。
その山々は緑。ここは『緑のスペイン』なのです。あの山々はピコスの末端に当たるといってもいいものかもしれません。
リバデセーリャでは今日、一年で最大のイベントとなるカヌーの世界大会が開かれます。セーリャ川の15kmほど上流にあるアリオンダスを正午にスタートし、ここには13時半ごろトップ選手たちがゴールするそうです。
ということで朝のこの時刻には、そのゴール地点の準備がされているくらいで、まだほとんど人の出はありません。
リバデセーリャにはこれといった見どころはないのですが、セーリャ川の河口の丘の上に小さなエルミータがあり、そこからの眺めがいいということなので、行って見ることにしました。
エルミータに上る方法はいくつかあり、私たちはセーリャ川右岸のグルア通り(paseo de la Grúa )の途中から上ろうとしましたが、これは階段で断念。
海の近くまで来てしまったので、せっかくだからこのまま進んで大西洋を拝むことにしました。
エルミータの真下の大西洋はごつごつした岩場で、そこに当たって砕け散る波がちょっと面白かった。
岬の先端の少し手前にエルミータに上る階段があったのですが、これはかなり長いものだったので、街中まで戻って別の道を探すことにしました。
丘の一番上を通る道を行くと、徐々にリバデセーリャの街が下に見え出します。
セーリャ川は海への出口の直前で大きく蛇行し、その先に大西洋に面したなだらかなビーチが見えます。
道は徐々にセーリャ川に近づいて来て、左手はほぼ垂直に切り立つようになります。
この道を進んで行くと、岬の上の先端に出たようで、小さなエルミータが建っているのが見え出します。
左手にはゆったりと弧を描いたビーチが続いており、
その奥には、東西300kmに渡り横たわるカンタブリア山脈の山々が見えます。
振り返って東を見れば、セーリャ川を挟んで東西に分かれたリバデセーリャの街と、こちらにもカンタブリア山脈が。
エルミータは隠遁所といった意味で、キリスト教の僧侶などがひっそりと生活を送るところですが、そうしたところの多くは廃れ、廃墟になっているものが多いのですが、ここはチャペルとしてまだ使われているようです。あるいはエルミータに付属したチャペルだけが残ったのかもしれません。
このエルミータは海辺にあるためか、船の守り神のようになっているようで、内部の壁には船の模型がたくさん飾られているようです。
またここは岬のため、都市の防衛上も重要な位置にあったと見え、この横にはいつの時代のものか、大砲がいくつか据え付けられていました。
エルミータとそこからの眺めを楽しんだら、リバデセーリャの中心部を通り抜け、移動を開始します。
東西に分かれたリバデセーリャを繋ぐ橋を渡ると、ちょっとした港があり、そこからは先ほどまでいたエルミータがよく見えます。
今日の終着地、カンガス・デ・オニス(Cangas de Onís)はセーリャ川の上流にあるので、ここから川沿いを進んでもいいのですが、その道は国道な上に今日はカヌー大会があるのでこれは回避し、少し西にある山脈の間を抜けてアプローチすることにします。
エルミータから見えた優雅な弧を描くビーチ沿いを行くと、浜辺にはまだ10時半だというのに、もう人が出ています。
ビーチの端っこまで進むと、そこにはちょっとした上りが待っていました。
この上りをへこへこと上って行くと、さっき走っていたビーチの全貌がうしろに見えるようになります。
この坂道が大きく二度Uターンすると、海岸沿いを行くようになります。
左手には小さなテレニェス(Tereñes)村が見え出し、
右手はいつもの大西洋です。
穏やかなアップダウンを繰り返しつつ進めば、
草原では牛や羊が草を食んでいます。
この道にはほとんど人影がなく、私たちの独占状態でなかなかいい気持ちです。
内陸側にはあのカンタブリア山脈が続いています。
しばらくこの快適な道を進んでベガ(Vega)に下ると、かつてトウモロコシを入れていた高床式倉庫のオレオ(hórreo)がありました。
現在、オレオは本来の目的ではほとんど使われておらず、住居の付属倉庫のようになっています。
ベガには良さそうなビーチがあるので寄ってみました。
このあたりのビーチは、リアス海岸の入り江の奥にできることが多いのですが、ここは直接大西洋に面しているので波が大きく、他ではほとんど見かけないサーファーが大勢いました。
今日は走行距離が短いので、このビーチで暫しまったり。
ベガを出ると森に入り、すぐに短いトンネルをくぐります。日本ではそこら中にトンネルがありますが、ヨーロッパではあまりトンネルを見かけないので、ここは珍しいと思いました。
そのトンネルを抜けると景色は一変し、ごつごつした岩山に囲まれるようになります。
バレード(Barred)を抜けると、村はずれに小さなエルミータが建っています。
これから向かう土地には、こうしたエルミータがかなり多く存在しています。
エルミータが立つカーブを抜けると、先に高速道路が見え、道はその高速道路を目がけて上り出します。
いよいよ本格的な上りになってきたようです。
高速道路の先で小さなピークに達し、いったん短く下ると、すぐにまた上りが始まります。
このあたりには小さな山脈のようなものが無数に走っており、そのうちの一本の谷を進んでいるのですが、そのため周囲は山ばかりになってきます。
ここは徐々に上って行くものの、斜度はあまりきつくなく、山道ではなく視界もある程度開け、里山の間を行くような雰囲気で、心地いい。
4kmほど上るとどうやらピークに達したようで、穏やかな下りに。
その下りの先にちょっとだけ上り返しがありますが、これは一漕ぎで二番目のピークに到達です。
このピークに一軒のレストランが建っていました。なかなか雰囲気が良さそうなので覗いてみますが、予約でいっぱいとのこと。ここはなんと、ミシュランの二つ星なのでした。こんな何もないところにミシュランの星付きレストランがあるとは。
この二つ星レストランからは下りとなり、小さな村コリーア(Collía)まではあっという間。
このあたりから周りの山に変化が現れ出します。これまで山肌は緑に覆われていましたが、白い岩肌がむき出しの山が多くなってきます。
このあたりの山の標高はせいぜい1000mほどなので、これは森林限界ではなく、切り立った固い岩の部分に植物が根を張れないためでしょう。
こうした岩山を眺めながらどんどん下ります。
右手に大きな谷が現れると、
彼方の山々が見え出します。
ここは果てしなく山が続いているようです。
すばらしい山々を眺めながら下って行くと、カヌーレースのスタート地、アリオンダスに到着。
するとそこはまさにお祭りでした。あっちの街角、こっちの街角、そして広場という広場に人がびっしり。時は14時。すでにレースがスタートしてから二時間も経っているので、まさかこんなことになっているとは夢にも思いませんでした。
『うわ〜、す、すごい〜』 と、この人々を眺めて、ただ呆然と立ち尽くす私たち。
そこに一人の女性がやってきて、珍しそうに私たちを眺め、どこから来たのかとか、どこに行くのかとか、今日は何キロ走るのかとか、とにかく数多くの質問を浴びせるのでした。どうやら彼女には東洋人が珍しかったようです。
このお祭りの中をかき分けて、セーリャ川に出てみました。
リバデセーリャではたっぷりとした水量があったセーリャ川ですが、ここでは川底の石が見えています。
このあたりからカヌー大会の舟は乗り出して行ったはずですが、カヌーといえどもこんなに浅いところから出発できるのだろうかと思っていると、そこに二人乗りのカヌーが二艇やってきました。
どうやらカヌーはこの程度の水量でも充分のようです。
昼食がまだだったので、このアリオンダスでどこか適当なバルにでも入ろうかと思いましたが、今日はどこも満員でゆっくり食事をするどころか、飲み物をオーダーすることさえむずかしいくらいなので、ここでの昼食はあきらめ、次の村ビリャヌエバに向かうことにしました。
アリオンダスから辿った道は小さな丘を上って下るというものなのですが、この道が意外と苦しかった。写真の道は状態のいい方で、ドロドロのところあり、ガレガレのところありと、ここはハヒハヒ。たった7kmなのに一時間も掛かってしまいました。
ともあれ下にビリャヌエバが見えてきました。ここから凸凹した砂利道をガタゴトと音を立てながら下って行きます。
下った先には、あのセーリャ川が流れています。
そこに架かる橋を渡ってビリャヌエバに入ります。
ビリャヌエバは数えられるくらいの家が並ぶだけの小さな村ですが、ここにはパラドールがあります。
パラドールは国営のホテルチェーンですが、その建物はみんな歴史ある重要文化財クラスのものばかりなのです。ここのそれは中世に建てられた教会です。
昼食がまだだった私たちは、この中庭でサンドイッチをやってみました。かつて、スペインではサンドイッチはひどくマイナーな食べ物で、コッペパンのようなパンに生ハムやチーズを挟んだだけのボカディージョがほとんどでした。サンドイッチは食べたくてもなかったのです。
それも昔の話で、今日では多くのところでサンドイッチは食べられるようになっていますが、私たちはスペインのそれを試したことがなかったのです。で、このサンドイッチ、スモークサーモンなんかが入ったとてもおいしいもので、唖然。スペインもここまで変わったのね、というのが偽ざる感想です。
昼食のあとはパラドール散策です。ここの教会部分は現在もそのまま教会として使われています。
ロマネスク様式特有の、どっしり、がっしりとした造りです。
ロマネスク様式といえば、彫刻にも独特のものがあります。次の時代のゴシック様式の彫刻は、均衡を保った自然主義的なものになりますが、この時代のそれは、約束事ともいえる一定のスペースの中に彫刻を押しとどめるために、各部がデフォルメされ、ひょうきんに見えるものが多いのです。
ゴシックの時代に好まれた均整の取れた肉体的表現より、精神的な側面を重視して造られているともいえます。
パラドールの散策を終え、本日の終着地カンガス・デ・オニスに向かいます。
ここはセーリャ川に沿って延びる地道を行きます。
カンガス・デ・オニスで有名なものはいくつかありますが、ここでもっとも有名なのはローマ橋でしょう。
この橋は最初ローマ時代に架けられましたが、今見ることができるのは14世紀に架け替えられたものだそうです。
この橋の中央からは勝利の十字架が吊り下げられています。この十字架は現在のアストゥリアス州の旗にも用いられていますが、かつてのアストゥリアス王国の国章でした。
8世紀初頭、イベリア半島はイスラム勢力に征服され、西ゴート王国が滅亡します。この時、イスラム勢力への抵抗を続けた西ゴート王国の貴族ペラーヨはこのあたりまで逃れ、アストゥリアス王国を建国します。その後、イスラム勢力に攻撃を受けるも、この近くのコバドンガでの戦いに勝利し、独立を保ちます。そしてこのカンガス・デ・オニスを都として王国を支配していったのです。
この近くには、そのころ建設されたサンタ・クルス教会も残っています。
さて、ローマ橋を上ってみると、激坂の上に、滑り止めなのか床石に段差があり、とても自転車では上れないほど。
上から見ても、相当急な勾配であることがわかるでしょう。
このローマ橋が架かっているのは、もちろんあのセーリャ川。
南を見れば、山がずっと奥まで続いているのが見えます。
この街はピコス・デ・エウロパの入口に位置しているともいえるのです。
ローマ橋から街中へ入っていくと、ちょうど街の真ん中にサンタ・マリア教会(Iglesia de Nuestra Señora de la Asunción de Santa María)が建っています。
この教会はペラーヨに敬意を表して建てられたものだそうですから、おそらくオリジナルは中世のものでしょう。ファサードの三層の鐘楼はのちに追加されたものだと思います。
ピコス・デ・エウロパの中心部は現在国立公園に指定されており、ここはそのすぐ北西に位置しています。明日はピコス・デ・エウロパを眺めながらそのすぐ北側を東へ進み、洞窟で熟成されることで有名なブルーチーズの産地カブラーレス(Cabrales)に向かいます。