今日はエブロ川に沿って走り、小さな村の小さな教会や廃墟と化した修道院を巡りつつ、14世紀ごろのお城と修道院があるメディナ・デ・ポマールへ。
爽やかなお天気の中、朝9時前にエブロ渓谷の中にひっそりと佇むペスケーラ・デ・エブロを出発。
まずは昨日ハイキングで歩いた道を上り出します。
徐々に下に遠ざかっていくペスケーラ・デ・エブロ。
周囲にはエブロ渓谷の断崖絶壁が立ちはだかります。
このあたりの土地は石灰岩でできており、それが長い年月を掛けて浸食され、現在のような断崖が形成されたようです。
昨日はこうした断崖を上ったり下ったりしましたが、今日は断崖と断崖の間を抜けて進んで行きます。
ちょっとしたアップダウンの先に現れたのは、隣村のコリナ。
ここで珍しく、マウンテンバイクに乗るサイクリストとすれ違いました。渓谷の森の中にでも走りに行くのでしょうか。
なおも進むと、ビジャヌエバ=ランパライ。ここのエブロ川には、車は通れない古い橋が架かっています。このあたりはかなり山奥ですが、人々の営みは太古の昔から続いているようです。
ここからしばらく、エブロ川を離れます。
ビジャヌエバ=ランパライを過ぎるとほどなく、道は上りに。
ちょっと高台からエブロ渓谷の割れ目を眺めながら走ります。
バリオ・ラ・クエスタという小さな村の入口に差し掛かりました。道は村の外側を廻っていきますが、ちょっと村を覗いてみようと枝道に入ると、これがすぐに激坂に。それもそのはずです、この村の名前『ラ・クエスタ』とは『ザ・坂道』という意味ですね。
えっこらよっこらと自転車を押し上げます。
民家から出てきたおばさん、
『あら、あんたたち、こんなところへどこから来たの。いったいどこへ行こうっていうんだい?』
「え〜と、サン・ミゲル・デ・コルネスエロへ。」
『へ〜、そうかい。そんならここを行って、あそこを・・・。でも上りがきついよ。』
って教えてくれました。道は知っていたんだけどね。(笑)
おばさんの家の前からはダートの激坂を上り、幹線に戻って再び上り出します。道がT字路でぶつかると、遠くに長く続く断崖が見えています。
T字路を右折すると道は下り出し、アレバ近くの分れ道に到着。
そこにはナイフが飛び出したような奇岩がそそり立っています。
この別れ道を東に進むと、下りが始まります。
道の北側には先ほどまでと違って、なだらかな山が続いています。
そのなだらかな山を眺めつつ、ぐわ〜っと下ってサン・ミゲル・デ・コルネスエロに到着。
この村はそこにある教会の名がそのまま村の名になっているようです。
その教会は幹線道路からちょっと入った、村はずれにぽつんと建っています。
12世紀のロマネスク様式で、オリジナルかどうかはわかりませんが、入口のポルティコには剣士がライオンと戦っているレリーフ、後陣の彫刻には、動物や人魚らしきものなどが見られます。
サン・ミゲル・デ・コルネスエロの先のシダー・デ・エブロに入ると、再びエブロ川の流れに出会います。
ここに架かる橋もかなり古そうな雰囲気。
この橋の先で、長い棒を持ったおじさんに出会いました。
『やあやあ、君たち、いったいどこから来たんだい?』 大抵、会話はこうした感じで始まります。
「今朝ペスケーラを出て、これからメディナ・デ・ポマールまで行くんですよ。」
『ほ〜、そうかい、そうかい。自転車はいいねぇ〜。』
「おじさんは?」
『わしかい。わしはザリガニを獲りにきたんじゃよ。』 といって、川から籠を引き上げて見せてくれました。
おじさんと別れると村の教会の前に出ました。
この教会も大層古そうで、ロマネスク様式のようです。
この教会の前の広場には一本の木が立っていて、赤と黒の実を付けています。
これはけっこううまかった。実は、このあたりのどこかでバル休憩したかったのですが、小さな村にはなかなかバルが見つからないのでした。
木の実で小腹を満たしたあと、シダー・デ・エブロからカントリーロードで東に向かいます。
うしろにはあのエブロ渓谷の断崖が見えています。
マンサネディリョで今日何度目になるか、エブロ川に架かる橋を渡ると、幹線道路に入ります。
道脇にサン・ペドロ洞窟のエルミトリオという標識が現れました。エルミトリオはエルミータと同じで『庵』、礼拝堂ということでしょう。いうなればここは、洞窟礼拝堂です。
道脇には小高い岩山があり、そこへ上る細い階段が整備されています。
階段からは細いフットパスが続いています。その先の岩壁の一部がくり貫かれたようになっていて、赤い砂岩が見えます。岩山全体は風雨にさらされ灰色がかっていますが、この洞窟の部分は元の岩の色と思える鮮やかな色です。
ここは9〜10世紀ごろ造られたようですが、正確な起源は不明だそうです。ロマネスク様式の石造建築を模して造られたようで、大きくくり貫かれた洞窟の中に小さな祭壇部分が掘られています。
ここを見て感じたのですが、アントニオ・ガウディの造形はこうしたものと関係があるのではないかな、と。
サン・ペドロ洞窟からさらに東に進むと、リオセコです。
ここにもあのエブロ川は流れています。
リオセコには古い修道院が残っています。13世紀ごろに建てられたシトー会のリオセコ・サンタ・マリア修道院です。
ここリオセコは、14世紀にカスティーリャの中で最強な国の一つとなり、栄華を極めます。その後一時荒廃するも、17世紀にさらなる成長と繁栄の期間を迎えます。
しかし19世紀初頭のスペイン独立戦争で修道院は解散。19世紀の半ばまで建物は残っていましたが、その後所有者となった家族により廃墟と化せられます。それでも教会だけは1960年代まで使われていたようですが、それもその後放置されました。
2008年よりここは、ボランティアによって修復活動が展開されています。ここの見学にもボランティアの方の無料案内がありました。
この修道院、最盛期には修道士や修練士など約100人が生活し、農園や果樹園を運営し、旅人のための宿泊所や病院としても機能していたといいます。
今にも崩れ落ちそうな、きれいな回廊は17世紀のバロック様式です。
リオセコからも東へ。
今朝の出発地あたりほどの規模ではないものの、このあたりにも断崖が続いています。
ここ数日旅を共にしたエブロ川ですが、それはここから南東へ向かって流れていきます。
私たちは北東へ向かうので、エブロ川とはここでお別れです。
私たちが走ってきた道の名はインシリャス通り。
インシリャスは国道が通る村ですが、それは思いのほか小さく、あっという間に通り過ぎてしまいます。
インシリャスを過ぎると、丘を100mほど上ります。右手の山が徐々に遠ざかっていきます。
エブロ川はあの山の合間を南へ流れていきます。
丘を越えると、ほどなくビスフエセスの教会の塔が見えてきました。
この教会のベースはロマネスク様式ですが、ファサードはルネッサンス様式で、ポーチのボールトはプラテレスコ様式のようです。
入口の両側にはカスティーリャの伝説の裁判官の彫像が彫られています。
ビスフエセスを出ると、周囲はひまわり畑に。
ひまわりは夏のヨーロッパの風物詩ですね。
ひまわり畑の反対側の丘は牧草地で、その中に刈り取られた干し草が積まれ、まるで高い塔のようになったものが建っています。
この丘を過ぎると、ラ・アルデアです。
ここにも古い教会が。
その教会の前は大ひまわり畑。
花は半分はおしまいですが、残りの半分はきれいに咲いています。
ラ・アルデアを出ると、本日の目的地メディナ・デ・ポマールはもうすぐ。
エブロ川の支流のネラ川の橋を渡ると、メディナ・デ・ポマールの手前にあるエル・バドに入ります。
そこからひと漕ぎすると、巨大な建物が現れました。
メディナ・デ・ポマールのサンタ・クララ修道院です。
サンタ・クララ修道院は14世紀に建てられたゴシック様式ベースの建物で、周囲に巡らされた石の塀に取り付けられた鉄の門扉を開けて中に入ると、中庭に出ます。
この修道院では1日数回のガイドツアーが行なわれており、建物内部の教会や回廊、ミュージアムを訪れることができます。
建物の入口はその奥のポーチのさらに奥にあります。
その一角には修道院らしく、現金収入を得るために修道院内で作ったクッキーを売るため、外部の人と顔を合わせずにやりとりできる窓口が設けられています。
礼拝堂の正面祭壇は金ピカのバロック様式。
そして現在は展示室となっているこの部屋の天井は、ムデハール様式にプラテレスコ様式が組み込まれた美しい格子天井。
アラブがスペインの西の果てまで攻め込んだのは8世紀のこと。その後のスペイン文化にはアラブの影響があちこちに見られます。
ここの博物館には見るべきものがいくつかあります。そのうちもっとも有名なのは、グレゴリオ・フェルナンデスによる『横たわるキリスト』ですが、『聖アンナと聖家族』なども。
メディナ・デ・ポマールはこのあたりではかなり大きな街で、古くから要衝であったらしく、14〜15世紀のお城が残っています。
がっしりとした二つの塔を持つこの建物は、現在は歴史博物館となっています。
屋上から周囲を見渡せば、先ほど通ってきたサンタ・クララ修道院やエブロ川が流れるあたりの山々が見えます。
ここはお城のメインホールで、16〜17世紀のお城のライフスタイルが再現されています。
調理場の一角。こうした日用品には華美なところがなく、なかなかいいデザインです。
メディナ・デ・ポマールの中心部にあるサンタ・クルス教会。
13世紀初頭に建設が開始されほぼ14世紀の姿を残しています。
ここは古い街だけあり、中心部を貫くマヨール通りはかなり狭い。その周囲には3階建てほどの家々がびっしり。
この一角にあるツーリストオフィスで地図や観光情報をゲットしたのですが、係の方に『わあ、ここに来た初めての日本人だわ!』と喜ばれました。
本日の私たちの宿はメディナ・デ・ポマールの郊外で、街を出るとすぐに砂利道になり、その後幹線道路に出てネラ川を渡ると道脇に立派な建物が現れました。ここが今宵の宿です。この建物は歴史あるもののようで、ちょっとしたお屋敷です。どうしたわけかこの日の宿泊客は私たちだけで、この屋敷を二人占めで満喫。
夕食はネラ川のメディナ・デ・ポマール側にあった団地の中のレストランへ。エビ焼を頼んだら14匹もでてきて、びっくり。それでもなんとか平らげたけどね。時は22時過ぎで、そろそろ近所の人々が夕食に集まってきてもいいころ、と思っていたら、なんと店主のおじさんは店の片付けを始めています。しかも食後のコーヒーを頼むと、すでに厨房の火は落としてあってコーヒーは出せないからと、食後酒のオルホをごちそうしてくれました。
いったい何事かと思ったら、ビルバオのサッカーチーム、アトレティコ・ビルバオがスーパーカップでFCバルセロナを破り、31年ぶりに優勝したらしいのです。ここはそのビルバオのすぐ近く。おじさんもアトレティコ・ビルバオのファンで、今日は早めに店を閉め、これからビルバオにお祝いに駆けつけるのだそうな。おめでとう、アトレティコ・ビルバオ!
さて、明日はサイクリングの最終日。この周辺をちょっとだけ走って、私たちもまた、この旅の出発地であり最終地であるビルバオへ向かいます。